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第30話(四)「流れ、変る」

同じ日の夜になって、雨が本降りになった。


 越水の奥の一間に、三好長慶と久秀の二人だけが座っている。人払いである。廊下に人の気配が一つあるが、襖は閉まっていた。


 膳は出ていない。白湯が二つ、湯気を立てているだけである。


 灯は一つ。油の匂いが、雨の湿りに混じって低く漂っていた。


 長慶は二十一になる。摂津の半国を預かる守護代で、久秀の主である。父を家中の一族に殺され、その一族といまも同じ管領の下に並んでいる。並んでいることを、この若い主は一度も口に出したことがない。


 人払いをすれば、久秀を兄者と呼ぶ。


 久秀は、懐に紙を六通入れて来ていた。


 三通は詫び状である。家来の独断として詫びる形、己の下知が至らなかったとして詫びる形、大和の始末そのものを返上する形。四通目は遊佐長教へ宛てた文の下書きで、昨夜のうちに書いた。五通目は、東山内の道が塞がっている次第を書き付けたものである。


 六通目だけが、今日書いたものであった。


 南都への返答の案である。今日の暮れまでに出さねばならぬ。下の寺に、坊官が一人、待っている。


 「兄者」


 と、長慶が先に口を開いた。


 「は」


 「河内から、文が来た」


 久秀は、白湯へ伸ばしかけた手を止めた。


 「儂から返す」


 「……は」


 「そなたが返せば、家来のやったことを家来の主が詫びる形になる。次に大和で何かあれば、また松永が詫びることになろう。三好の家中がやったことじゃ。三好が返す」


 懐の六通のうち、一通が要らなくなった。


 「管領様へは、儂が言上する」


 「――」


 「大和の始末は、上から下りるのが筋じゃ」長慶は白湯を飲んだ。「そなたは、儂の家人じゃ。管領様から見れば、陪臣になる。陪臣の名を御前へ出せば、出した者の格の話になる。話が、そこへ逸れる」


 久秀は、口を開いた。


 開いて、言わなかった。


 大和に立った旗の紋のうち、十幾つは管領のものである。誰も許しを得ていない。地面へ描いて写させた紋で、しかも歪んでいる。


 申し上げれば、いま長慶が引き受けると言ったものの中身が、そこで変わる。


 久秀は、椀を持ち替えた。


 「――笠置は」


 別のことを言った。


 「うむ」


 「山城の笠置に、城が一つ空いておりまする。木沢の米を運び込んでござる。四千石余。運びきるまでに、ふた月ほどかかりましょう」


 「手は」


 「足りませぬ」


 「そなたの家人を出すか」


 「出せば、また松永が獲ったと言われましょう」


 長慶は、少し笑った。


 「そなたの家人を煩わせるまでもない。三十人ばかり入れよう。長逸に言うておく」


 「……は」


 三つ目である。


 どれも、久秀が頼んだことではない。どれも、断る筋が無い。


 「兄者」


 「は」


 「そなたの弟は、いま何をしておる」


 久秀は、顔を上げた。


 「長頼にござりまするか。……一庫の城に入れてござる」


 「一庫か」


 「は」


 「――ふむ」


 それだけであった。


 長慶は、白湯へ手を伸ばした。


 伸ばして、次の話に移った。


 移られてしまえば、訊き返す筋が無い。


 だが今日は、こちらから頼まねばならぬことが二つあった。


 「東山内の道のことにて、一つ」


 久秀は、書付を一枚出した。


 「柳生から笠置へ荷を出しまするたび、道が塞がっており申す。木が倒れてある、橋の板が抜けてある。人足も雇えぬようになりました。値が三倍に上がって、それでも出て参りませぬ」


 「誰の手じゃ」


 「筒井にござりましょう。……そうとは、書けませぬ」


 「書けぬか」


 「刃を交えてくれれば、咎める先がござる。木が倒れておるだけでは、咎める先がござりませぬ」


 長慶は、書付を受け取って、灯のほうへ寄せた。読むのが早い。


 「筒井は、太平寺まで木沢と組んでおったな」


 「組んでおりました」


 「勝った側に入れてやらねば、こういうことをする」長慶は書付を膝の上に置いた。「儂から長逸へ回す。三好の名で申し入れれば、筒井も木を倒したままにはできまい」


 「……は」


 四つ目であった。


 頼んだことが通ったのに、通ったぶんだけ、松永の名が一つ減る。


 「なれど、それでは、また倒れまする」


 久秀は言った。


 「申し入れますれば、ひと月は退きましょう。ふた月めには、また木が倒れており申す。……木は、誰が倒したとも書いてござりませぬゆえ」


 「では、どうする」


 「柳生の庄を、笠置の城で預からせていただきとうござる」


 長慶が、顔を上げた。


 「柳生は大和じゃ」


 「大和にござる」久秀は言った。「なれど東山内は、大和のうちで大和に属しておらぬような土地にござる。奈良からは山を二つ越えまする。笠置へは、川筋を下って半日にござる」


 「――山城の城で、大和の庄を預かるか」


 「荷は笠置へ出て、笠置から木津川を下って京へ参りまする。庄と城とが別々の国に分かれておりますゆえ、道の途中に、持ち主のおらぬところができまする。木が倒れておりますのは、そこにござる」


 長慶は、しばらく黙っていた。


 「筒井は、怒るぞ」


 「怒りましょう」


 「大和の庄を山城へ付け替えた、と申し立てる」


 「付け替えではござりませぬ」久秀は言った。「庄はそのまま。道の警固だけを、笠置の城で持つ、と」


 「言い方か」


 「言い方にござる」


 長慶は、少し笑った。


 「よい。長逸へ回すときに、そう書かせる。……三十人を入れると申したな。あれに、道を見させよ」


    *


 雨の音が、しばらく座を埋めた。


 椀は、いつのまにか温くなっている。掌の側だけが、まだ温かい。


 久秀は、六通目のことを考えていた。


 出さねばならぬ。今日である。


 「殿」


 「うむ」


 「南都より、坊官が一人、参りましてござる」


 「聞いておる」


 長慶は、椀を膝の上に置いた。置いて、こちらを見た。


 見ているだけである。だが、その間が、いままでの半刻とは違った。


 「何と申した」


 「木沢が押さえておりました寺領の関、三十二か所。ことごとく返せ、と。……寺門の評定にて決したことゆえ、申し伝えに参った、と申しております」


 「返すのか」


 久秀は、懐から六通目を出した。


 出して、膝の前で開かずに置いた。


 「返しまする。三十二か所、ことごとく」


 長慶の眉が、わずかに動いた。


 「只でか」


 「只では、返しませぬ」


 「……ほう」


 「只で返せば、大和で獲ったものが、こちらの手から残らず抜けまする。太平寺で討ち死にした者の家へ、寺は米の一升も遣わしておりませぬ。獲った物を只で返す主に、人はついて参りませぬ」


 「では、何を取る」


 「大和では、何も」


 「大和では」


 「大和の関は、遠うござる」久秀は言った。「三十二か所を押さえておくには、道ごとに人を置かねばなりませぬ。柳生から笠置まで、いま何が起きておるかは、先ほど申し上げたとおりにござる。……あれは押さえておるようで、押さえておりませぬ」


 「では、どこで取る」


 「摂津にて」


 長慶は、椀を膝へ下ろした。


 「南都は、大和ばかりを持っておるのではござりませぬ」久秀は言った。「この国にも、持っておりまする」


 「――垂水か」


 「よう御存じにござる」


 「あれは近衛様の御領じゃ」


 「本家が近衛様、領家が春日社。……頂戴いたしますのは、領家の分にござる。公家衆には、指一本触れませぬ」


 「その年貢が」


 「この十年、南都へ一文も届いておりませぬ」


 長慶が、こちらを見た。


 「――池田か」


 「池田にござる」


 長慶は、椀を置いた。


 「池田は、この春、一庫へ兵を出しておる」


 「出していただきました」


 「摂津の下郡を長う束ねてきたのも池田じゃ。当家は、あとから来た」


 「さようにござる」


 「その池田から、取り上げると申すか」


 「取り上げませぬ」


 長慶は、少し目を細めた。


 「では、何を取る」


 「名を」


 雨の音が、しばらく座を埋めた。


 「垂水の年貢を三好が請け負う、という、寺からの書付にござる。田も、畠も、牧も、池田様の御手のままにて結構。人は入れませぬ。……ただ、上がりのうちから幾らかを、当家へお納めいただく」


 長慶は、しばらく黙っていた。


 「――寺が、それを呑むか」


 久秀は、答えなかった。


 「呑ませる手が、あるのじゃな」


 「……ござる」


 「申せ」


 久秀は、白湯の椀へ手をやった。


 やって、口へは運ばなかった。


 「……申し上げませぬ」


 長慶の眉が、動いた。


 「申せぬのか」


 「申し上げますると、決まってしまいまする」


 久秀は言った。


 「寺には、まだ何も申しておりませぬ。あの老僧が何を惜しんでおるかも、今夜、顔を見るまでは分かり申さぬ。……先にこの座で口にいたしますと、こちらの手が、そこで固まりまする」


 長慶は、答えなかった。


 答えずに、しばらく久秀の顔を見ていた。


 見られながら、久秀は、己の言ったことを聞き直していた。


 嘘ではない。交渉の手は、先に人へ言えば鈍る。二十年、そうしてきた。


 嘘ではないが、言わずに済んだことのほうが、多い。


 「……よい」


 長慶は言った。


 「明日の朝、何を取ったかだけ、申せ」


 「は」


 「取れなんだときも、申せ」


 「――は」


    


 「……いま一つ、頂戴いたしたいものがござる」


 「まだあるか」


 「兵庫津の、南の関を」


 長慶は、こちらを見た。


 「あれは死んでおるぞ」


 「死んでおりまする」


 「船は堺じゃ。応仁のとき経が島が焼けて、それきり戻っておらぬ。関守の小屋も、いまは半分落ちておろう」


 「落ちておりまする」


 「それを取ってどうする」


 「安うござる」


 久秀は言った。


 「死んでおるものは、安う取れまする。寺にとりましては、いま一文も生まぬ関にござる。それを差し出して大和の三十二か所が戻りますならば、寺は喜んで出しまする。……北の関が東大寺、南の関が興福寺にござる。頂戴いたしますのは、南だけにござる」


 「そなた、あれを生かせると申すか」


 「生かせるとは、申しませぬ」久秀は言った。「なれど堺に船が寄っておりますのは、堺に人がおるからにござる。人は、動きまする。……某は、堺の生まれにござる。あの町が焼けるのを、二度、聞いてござる」


 長慶は、答えなかった。


 「焼けたときに、船がどこへ寄るか。そのとき兵庫の関が誰のものであるか。……三十年さきの話にござる。いま一文も出さずに買えますならば、買うておきとうござる」


 長慶は、しばらく黙っていた。


 「半分と申したな」


 「関銭の、半分にござる」


 「丸ごと取れ」


 久秀は、顔を上げた。


 「……よろしゅうござりまするか」


 「死んでおるものを、半分ずつ分けてどうする」長慶は言った。「痛まぬものは、大きゅう取っておけ。生き返ったときに、半分では悔やむぞ」


 「――は」


 「そなたにしては、遠慮したの」


 「遠慮ではござりませぬ。半分と申せば、寺が値切った気になりまする」


 「値切らせてやれ。垂水のほうで」


 久秀は、少し黙った。


 この主は、いま、己より先に一手読んだ。


    


 「では、垂水を請所うけしょの形にて。関は、関銭ではのうて、関そのものを頂戴つかまつりまする」


 「うけか」


 年貢を幾らと定めて武家が請け負い、定めた額だけを領家へ納める。余りは請けた者が取る。南北朝のころからある、古い形である。


 「目新しいことは、何も申しておりませぬ」久秀は言った。「新しきことを申せば、寺は評定にかけまする。評定にかければ、ひと冬かかりまする。……古い形であれば、先例を一つ出すだけで済みまする」


 長慶は、白湯を飲んだ。


 「三十二を返して、二つを取ると申すか」


 「二つで足り申す。しかもその二つは、摂津にござる。ここから馬で半日。……大和の三十二か所へは、三日かかりまする」


 「見た目には、当家が負ける」


 「負けまする」久秀は言った。「南都は、勝ったと申しましょう。寺門の評定でも、そう申し立てるはずにござる。……五年経てば、逆になり申そう」


 長慶は、笑った。


 「御寺の帳は」


 「返しませぬ」


 久秀は、そこだけ、はっきりと言った。


 「木沢の帳は、こちらにござる。なれど木沢の帳には、関の名しか書いてござりませぬ。由緒も、率の根も無い。……南都の帳には、それが二百年ぶん書いてござる。二つ揃わねば、大和は読めませぬ」


 「読めねば」


 「治められませぬ。年貢がどれほど上がる国か、どこで銭が落ちるか、誰が誰から取っておるか。……それが分からぬまま城を八つ持っておりましても、ただ人が要るばかりにござる」


 「関は返す。帳は返さぬ、と」


 「返しますのは、関にござる。国は、返しませぬ」


 長慶は、しばらく黙っていた。


 黙ってから、笑った。


 「兄者は、そういうことを考えておったか」


 「……は」


 「よい。それでゆけ」


 久秀は、頭を下げた。


 下げた顔の下で、六通目が膝の前にある。書いてある案とは、もう別のものになっていた。

■用語解説


請所うけしょ…荘園の年貢を「年に幾ら」と定めて武家が請け負い、その額だけを領家へ納める仕組み。定めを超えた分は請けた側の取り分になる。南北朝のころから広まり、いったん請所になると、寺社や公家は現地へ手が届かなくなった。荘園が武家に食われていく道筋は、たいていここを通っている。


・本家・領家ほんけ・りょうけ…荘園の権利は一枚岩ではなく、上から幾重にも重なっている。名義の上にいるのが本家(多くは摂関家などの公家)、実際に荘を握って年貢を取るのが領家。その下に現地の代官や在地の侍がいる。重なりが深いほど誰も責めを負わなくなり、上へ届く年貢は減った。


兵庫関ひょうごのせき…摂津国兵庫津に置かれた関。暦応元年(一三三八)に幕府が寺社へ関の設置を認め、経がきょうがしまの北に東大寺の北関、南に興福寺の南関が置かれた。北関は上り船から米一石につき一升、下り船から船一艘につき置石を取り、南関は主に目銭を取った。応仁の乱と経が島の火事で船が堺へ移り、戦国のころには名ばかりの関になっていた。

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