第28話(六)「法隆寺の米」
――卯月(四月)六日の、暮れ方である。
運び出して、三日目であった。
門前は、二た手に分かれていた。
北へ向かうのが、担ぎ手三百人。二上山への三里を、一人一俵ずつ負って往復する。当座の三百三十三石六斗は、四斗俵で八百三十四俵になった。辻の二百が、その列の前後に付いた。
西へ向かうのが、馬借である。木津まで六里の道を、駄に載せて下ろす。残りの四千七百石は、そこから舟へ積み替えて、木津川を遡らせる。
馬借の親方が、己の枡を持参していた。駄賃の米を、己の手で量っている。寺の枡も木沢の枡も、この男は信用しない。量り終えて、はじめて頭を下げた。
門前に、馬の臭いが満ちている。
麻縄が担ぎ手の肩に食い込んで、赤い筋を残していた。
*
担ぎ手の一人が、俵を負う前に、金堂のほうへ向いて手を合わせた。
誰に言われたのでもない。
一人がやると、次の一人がやった。二十を数えるころには、列の半分がそうしていた。
寺から見れば、米を持ち出しに来た者どもが、御仏に手を合わせてから担いでいることになる。
納所が、それを見ていた。
見て、何も言わなかった。
三好政長の使いが着いたのは、その最中である。
三十半ばの男であった。埃を吸って、目の縁だけが白い。鞭を右手に握ったまま、鞍から下りている。
二度目である。一度目は預かっておりますで帰され、主に叱られて戻ってきた。それが顔に出ている。
門を入るなり、俵の列を見た。
見て、足が速くなった。
「――待たれよ!」
納所が、前へ出た。
「その米は、木沢長政が預けたる物にござろう。木沢は御敵として討たれた。御敵の遺した物は、討った側にて分けるが筋じゃ。……何度、言えば分かる」
討った側、と言った。
この男の主は、太平寺に出ていない。飯盛を囲んでいるだけである。
筋の薄い者ほど、声が大きい。
「筋は、承ってござります」
「承っておるなら、なにゆえ運び出しておる!」
声が、裏返った。
鞭を持ち替えた。持ち替えた手で、袴の膝を一度、払う。埃は、落ちていない。
「二度、参った。二度とも、預かっております、預かっております。……その一言のために、拙者は飯盛の陣から馬を換えて参った。手ぶらで帰れば、役を解かれる。解かれるだけならまだよい。三好政長様は、そういう御方ではござらぬ」
言い終えて、口を閉じた。
閉じてから、己が何を言ったかに気づいた顔をした。
主の内輪を、寺の門前で口にしたのである。
納所は、それを聞かなかったことにした。
受取を出したのである。
差し出しはしない。両手で持って、見えるように向けた。
使いが、それを読んだ。
読み終えて、また読んだ。
三度、読んだ。
「――木沢の、家の者」
「左様にござります」
「……その木沢は、いまどこにおる」
納所は、答えなかった。
答えられぬのではない。答える筋が無いのである。
使いは、受取を見たまま言った。
「松永であろう」
声が、さっきより低い。
「木沢の家へ返したと申されるが、その家の者は松永の内におる。……返したのではござらぬ。渡したのじゃ」
光秀は、少し離れたところでそれを聞いていた。
当たっている。
この男は、声を張っていたときより、いまのほうがよほど強い。
「……どこにおられるかは、手前どもの存ずるところではござりませぬ」
と、納所が言った。
「御寺は、預けた御家の御方へ、お返しいたしただけにござります」
「詭弁じゃ」
「……左様かも知れませぬ」
納所は、否まなかった。
否まずに、受取を持ったまま立っている。
――認めておる。
光秀は、そう思った。
この寺は、詭弁と知って乗ったのである。知って乗ったことを、隠しもしない。
使いが、一歩出た。
「――木沢の家の者なら、飯盛にもおる」
その一言で、俵を担ぐ者どもの手が、一つ二つ止まった。
「長政の父御が籠っておられる。あの城が開けば、こちらも同じ紙が書ける。……木沢の家の者が返せと申した、と」
納所は、答えない。
「なにゆえ、それまで待たなんだ」
風が、門前の砂を一度なでた。
「――待てば」
と、納所が言った。
「待つほうを、御寺が選んだことになりまする」
使いは、それを聞いた。
聞いて、口の端が動いた。
笑ったのではない。筋が通ってしまったのを、この男は聞き分けたのである。
同じ札を、こちらも持っていた。
持っていて、いま手元に無かった。
飯盛の囲みがいつ解けるかは、誰にも分からぬ。開くまで待って、それから紙を書いて、それから寺へ来る。……そのあいだに、この米は無くなる。
*
使いは、俵の列へ目をやった。
列は、止まらない。
馬借は、枡を入れ、駄を結び、次の馬を引いてくる。この者どもは掛け合いを聞いていない。聞いていないのではなく、聞いても手を止める理由が無いのである。
使いは、しばらくそれを見ていた。
見てから、納所へ向き直った。
「――管領様へ、申し上げる」
声が、静かになっている。
「木沢の旧き領を、誰がどう割るか。あれは上の御沙汰にござる。……寺が、勝手にお返しになってよい物ではない」
管領——細川晴元である。
三好も畠山も、その下に付いている。木沢長政も、生きているうちはその被官であった。
「御沙汰は、まだ下りてござりませぬ」
「下りるまで待て、と言うておる」
「下りるまで、御寺は誰にも渡さぬと言うてござります。……先に、御渡しいたした御方はござりませぬ」
「――なれば、下りたときに、返してもらう」
使いは、そこで一度、光秀のほうを見た。
はじめて、こちらを見たのである。
「御寺も、松永どのも、その座で名を出していただく」
それだけ言って、馬のほうへ歩いていった。
手綱を取るとき、一度、掴みそこねた。
*
光秀は、動かなかった。
背に、来るものがあった。
受取に主の名を書かせなかったのは、責める先を寺から外すためであった。
外した。
外した先が、上であった。
管領の卓に載れば、寺は関わりが無くなる。関わりが無くなったぶん、その座に残るのは、松永の名だけである。
――外したのではない。
一つ上へ、移しただけであった。
使いの馬が、西の道へ消えた。
土埃が、道の上にしばらく残った。
先んじたのは、日数である。向こうも同じ札を持っていて、いま手元に無かった。それだけのことであった。
光秀は、俵の列へ目を戻した。
列は、一度も止まっていない。




