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第28話(五)「法隆寺の米」

――卯月(四月)四日の、暮れである。


 受取が切られたその日のうちに、離れの二人が発った。


 納所が伝えたのは、一言だけであったという。――木沢の御家へ、お返し申しました。


 受取は、見せていない。見せれば、写しを求められる。


 二人は、それぞれ主のもとへ注進に走った。門を出る馬の音を、光秀は帳場から聞いた。


 止めなかった。


 止めれば、止めたことが次の話になる。


 ――走らせておけばよい。


 走った先で沙汰が下り、その沙汰が戻ってくるまでに、何日かかるか。


 その日数のあいだに、米は動く。


    *


 ――卯月(四月)五日の、朝である。


 二上山の坂を、俵が上がってきた。


 一人が一俵ずつ、背負子で負っている。列が、麓の道から曲輪の門まで切れずに続いた。


 山本勘助は、大手の脇に立ってそれを見ていた。


 杖を突いて、坐りもせずに立っている。もう一刻ばかり、そこにいる。


 城を二つ開けた男が、この四日、山を下りていない。


 下りれば、絵が変わるからであった。


 寺から米を返してもらうのは、木沢の家でなければならぬ。そこへ片目の牢人が出ていけば、木沢の家が返してもらったのではなく、松永の家来が獲ったことになる。


 なる、というだけのことではない。


 寺がそう言えば、それが本当になるのである。


 「――八百と、三十四にござります」


 と、次郎太が言った。


 銭と飯を勘定している男である。欠けた歯のあいだから、息が洩れた。


 「……三日で運び切りまする」


 「郷へ回す分は」


 「荒木あらきどのの郷にござりまするな。四日ぶんお借りしてござりますれば、四日ぶんを」


 「五日ぶん出せ」


 次郎太が、顔を上げた。


 「……一日、多うござりますが」


 「多うない。米は、動かせば減る。担がせれば担いだ者が食い、馬に載せれば道でこぼれる。借りたときの嵩と、返すときの嵩は同じではない」


 勘助は、杖の先で土に線を一本引いた。


 「利ではない。目減りじゃ」


    *


 荒木助左衛門は、それを受け取りに、己で坂を上がってきた。


 四十半ばの、日に焼けた男である。顔の下半分だけが白い。兜の緒の跡であった。平群へぐりの谷に田を持つ者どもの、いちばん年かさの男である。


 五日ぶんの俵を前にして、この男は一度、断りかけた。


 「――四日にござる。頂戴いたす筋がござりませぬ」


 「筋の話をしておらぬ」


 勘助は、俵のほうへ顎をやった。


 「そこもとの郷から出た米は、四日ぶんの嵩で山へ上がって、三千人の腹へ入るまでに幾らか減っておる。減った分は、こちらが食うたのではない。道が食うたのじゃ。……道の食うた分まで、そこもとに払わせる気は、拙者には無い」


 荒木は、しばらく黙っていた。


 黙ってから、頭を下げた。


 深くはない。麓の郷で、名主が代官へするくらいの下げかたであった。


 その下げかたが、四日前と一つも変わっていない。


 この男は、こちらへ来ていない。立っている場所が、一寸も動いていない。


    *


 同じ日の、昼過ぎであった。


 越水こしみずから、人が着いた。


 五十人。いずれも三好の家の者である。先頭に、三好の旗が立っていた。


 半月前、二上山の城が開いたとき、この城を抱えていたのは松永の家来が二人だけであった。三千人と、城が三つ。それを二人で持つのは無理だと、三好家の当主が判じたのである。二上山へ五十人、信貴山へ三十人、平群谷の口へ二十人。


 これは、取り上げではない。


 助けである。


 助けであるから、断る筋が無い。


 旗が、曲輪の東へ立った。


 松永の旗は、北の斜面に立っている。


 同じ山に、旗が二本になった。


 書き役が二人、帳場へ入った。


 人別の帳と、兵糧の帳の写しを取りに来ている。


 紙を広げ、墨を磨り、一行ずつ写しはじめた。手が速い。この者どもも、越水で毎日これをしている者どもであった。


 勘助は、帳場の外に立ってそれを見ていた。


 止める理由が無い。


 三好の家の者が、三好の家の帳を写しているのである。この城も、この三千人も、松永の物ではない。松永の物ではないどころか、誰の物とも、まだ決まっていない。


 昼を過ぎたころ、書き役の年かさのほうが筆を止めた。


 「――お尋ね申す。法隆寺の米は、これで全てにござりまするか」


 勘助は、坂のほうを見たままであった。俵が、まだ上がってきている。


 「――二上山に入る分は、これで全てにござる」


 書き役は、それを書き留めて、次の行へ移った。


 重ねては、訊かなかった。


 だが、その日の暮れ、書き役は己から言った。


 帳を巻きながら、である。


 「――笠置へも、人数が出まする」


 勘助が、はじめて振り向いた。


 「いつじゃ」


 「月の内には。……山城は国が違いまするゆえ、沙汰が別に下り申す。それで遅れており申す」


 「幾人じゃ」


 「三十人と伺うており申す。旗も、持たせるとのことにござります」


 書き役は、それだけ言って、帳を抱えて出ていった。


 言い落としたのではない。順に言っただけである。


 勘助は、しばらく動かなかった。


 動かずに、算えた。


 法隆寺から木津まで、陸で六里。馬借の駄に載せて下ろす。


 その馬借が、頼んだ数の半分しか集まらぬ。卯月は田の支度に人手の要る時季であった。日に二百俵が、やっとである。


 木津から笠置までは、木津川を遡る。上りである。かいの道で、いて上げるよりほかない。一艘に積めるのは、二十俵ほどであった。


 四千七百石は、四斗俵で一万一千七百俵を超える。


 ――ふた月じゃ。


 人数が着くのは、月の内である。


 旗のほうが、先に着く。


 勘助は、杖の先で土をもう一度掻いた。


 掻いて、線を消した。


 「――先でも、後でも変わらぬ」


 と、口の中で言った。


 積んだ物は、積んだ物である。人数が着いた日に蔵が開き、開けば、そこまでに積んだ分が三好の帳へ載る。あとから着く俵は、着いた先から載っていく。


 載って、困ることが一つも無い。


 咎める先が、この一件には無いのである。


 ――無いのが、厄介じゃ。


 勘助は、そう思った。


 咎められるなら、庇うことができる。


 誰も咎めぬものは、庇いようがない。


    *


 夕、俵の列が途切れた。


 その日の分が上がりきったのである。


 釜が四つ、曲輪に据えられた。


 湯気が、夕の風にまっすぐ上がらない。横へ流れて、坂の下まで匂いが降りていく。


 列が、坂の途中まで伸びる。


 先頭の一人が椀を受けて、口をつける前に、湯気のほうへ一度、顔を寄せた。


 噛む音が、まばらに立った。


 次郎太が、椀を配りながら勘助のところへ来た。


 「――一年ぶん、と伺うてござります」


 「うむ」


 「手前は、一年先の帳を付けたことが、ござりませぬ」


 次郎太は、椀を二つ、続けて渡した。


 渡しながら、声が少し大きくなった。


 「俵は、抜かれればその晩に知れまする。嵩で知れますゆえ。……なれど一年ぶんとなりますると、抜く者も、一年ぶん湧きまする」


 「湧くか」


 「湧きまする。手前が、湧きまする」


 言ってから、己で笑った。


 欠けた歯のあいだから、息が洩れる。


 「――戯れ言にござります。……なれど、蔵の鍵を二人にお持たせなさりませぬよう。二人で持てば、抜けたときに、どちらとも決まりませぬ」


 勘助は、鼻から息を出した。


 笑ったのではない。数を確かめたときの、この男の癖であった。


 列を、しばらく見ていた。


 三千人が、木沢の米を食っている。


 その三千人は、半月前まで木沢の兵であった。


 銭は、一枚も使っていない。銀も一粒も出していない。松永の蔵からは、何も出ていなかった。出たのは、寺へ持っていった紙の三通と、その紙を書いた男と、木沢の家の者が一人である。


 勘助は、九年、牢人をしていた。


 諸国を回って、城の攻めようを売り歩いた。売り込みには、いつも費えを添える。人を幾ら、日を幾ら、米を幾ら。そうやって算えた戦は、どれも高かった。高いだけならまだよい。高くついたうえで血が流れて、それで誰の懐も安くはならなかった。


 九年、そういうものばかり見てきた。


 「――木沢の米で、木沢の兵を養う」


 と、勘助は言った。


 「……戦とは、かように安うつくものか」


 言ってから、次郎太の手から椀を一つ受け取った。


 受け取って、すぐには食わなかった。湯気の上がるのを、しばらく見ていた。

■用語解説

馬借ばしゃく…馬の背で荷を運ぶことを生業とする者。津や街道の要地に集まり、米・塩・材木を運んだ。数が集まれば一揆の力にもなり、坂本や木津の馬借はとくに名が通っていた。

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