第28話(一)「法隆寺の米」
――天文十一年(一五四二年)卯月(四月)三日の、昼である。
大和国生駒郡、鵤。
法隆寺の南の門の前に、三百人が立っていた。
半月前に、一人の男が死んでいる。
木沢長政という。河内と大和と山城の三国にまたがって郷を押さえ、代官を据え、年貢を集めていた男である。弥生(三月)十七日、河内の太平寺という野で、公方様の御下知を受けた軍に討たれた。
主を失った物が、いま大和に散らばっている。城が二つ。兵が三千人。十年ぶんの帳面が、櫃に三つ。
そして、米である。
木沢は、生きているうちに兵糧をこの寺へ預けていた。寺の蔵は焼けず、盗られず、貸し借りの証が立つ。武家が米を寺へ預けるのは、その三つのためであった。木沢の本拠であった信貴山の城からは、平の道で三里ほどしかない。
その米を取りに来たのが、この三百人である。
*
明智光秀は、門から半町ばかり下がったところに立っていた。
松永久秀の家来である。三好家の祐筆を勤める主に付いて、帳と銭と兵糧を数えるのがこの男の役であった。戦場に立ったことは、ほとんどない。
二上山の城に、三千人の口がある。もとは木沢の兵で、いまは松永の旗の下にいる者どもである。その三千人を食わせる米が、一昨日の暮れで尽きた。麓の郷から四日か五日ぶんを回してもらっているが、それきりであった。
この寺の蔵が開かねば、五日目に三千人が散る。
三百人は、道の両側に散って坐っている。背負子と、縄と、竹の皮に包んだ握り飯のほかには何も持っていない。声を出す者もいない。門を睨む者もいない。ただ、坐っている。
刀は、一本もなかった。
持っていないのではない。置いてきたのである。
寺から十町ばかり北へ戻ったところに、街道の交わる辻がある。
そこに、二百人がいた。
松永の兵である。槍が百五十、弓が三十、馬が七頭。木立の陰へ入れて、朝から動かさずにいる。
残党狩りの最中の大和であった。山には木沢の残りが入っており、郷には去年の飢えで食えぬ者が出ている。そこへ俵を八百、三里の道に並べて歩くのである。あれは軍ではない。荷駄であった。
荷駄は、襲われる。
道は、槍で通ってきた。
だが、門の前へは一人も出さない。
――槍を門前へ並べれば、囲みになる。
だから、十町手前で止めた。
止めたことを、この寺が知らぬはずはなかった。郷の者が見ている。見れば、寺へ上がる。
知っていて、なお門が閉まらぬのである。
閉まらぬのは、こちらが押していないからであった。
――押せぬのではない。押さぬのじゃ。
その二つの違いが分かる相手であることを、光秀は当てにしていた。
――囲みではござらぬ。
発つ前に、山本勘助がそう言った。二上山に残った、片目の男である。杖を突いて、それだけ言った。
――囲みではないゆえ、寺は追い返す筋も立ち申さぬ。そのかわり、こちらも押したことにはなり申さぬ。
言われたときは、理屈が過ぎると思った。
いま、門の前に立ってみると、そのとおりであった。
立ち退けと言えば、荷を待っておるだけにござると返る。何の荷じゃと訊けば、そこから話が始まってしまう。始まれば、寺は答えねばならぬ。
だから、寺は何も言ってこない。
門は、開いていなかった。
閉まってもいなかった。
閂を落とす音が、朝から一度もしていない。落とせば、聞こえる。落としていないということは、この寺はまだ、こちらを追い返すと決めていないということであった。
*
境内に、馬が二頭、繋いである。
門の隙間から見えた。一頭は栗毛、一頭は黒。どちらも鞍に布が掛かっており、その布に紋が染めてあった。
光秀は、それを一度見て、目を戻した。
「……もう、来ておる」
傍らの木沢秀種が、そちらを見た。
木沢の一門である。討たれた長政の従弟にあたり、信貴山の城の留守居を勤めていた。城を焼かずに開き、いまは松永の側にいる。二上山では、蔵を抱え込んで城の者に飯を出さなかった叔父を、己の手で斬っている。まだ、若い。
「三好政長様と、遊佐長教様にござろう」
と、秀種が言った。
遊佐長教は、河内の守護代である。畠山の家を実のところ動かしている男で、弥生十七日に太平寺で木沢長政を討った当人であった。
三好政長は、摂津の榎並に城を持つ。松永久秀の主家である三好の一族で、太平寺には出ていない。いまは河内の飯盛を囲む陣にいる。
討った者と、討っておらぬ者が、同じ日に同じ門を叩いていた。
秀種は、鞍の布をもう一度見た。
「……早いものにござるな。半月にござる」
声が、低くなっている。
「従兄の首を取られたのは、遊佐様にござる。……取らなんだ御方まで、米を取りにお出でになる」
「――秀種様」
「申し訳ござらぬ」
秀種は、口を閉じた。
閉じて、手綱を握り直した。握り直す手に、力が入っている。
討った側が、討たれた家の遺した物を己の取り分と思うのは、この世の順である。米も、城も、郷も、そうやって移ってきた。
順であることと、腹が立たぬこととは、別であった。
寺男が一人、桶を提げて渡り廊下を渡っていった。
小走りである。
しばらくして、同じ男が空の桶を提げて戻ってきた。門のほうを一度見て、それから、また奥へ入った。
半刻ののち、もう一度、同じことをした。
二度目のとき、桶には水が入っていた。入っていたが、門までは持ってこなかった。渡り廊下の途中で足を止め、しばらくそこに立って、それから引き返した。
光秀は、それを見ていた。
水を出せば、客になる。
出さねば、追い返したことになる。
この寺は、その二つのどちらも、まだ選べずにいる。
――選ばせぬのが、こちらの用であった。
日が傾いた。
薄曇りである。風は無く、伽藍の影が道の上へ長く伸びてこない。伸びてこないぶん、暮れかたが分かりにくかった。
三百人が、竹の皮を開いた。
握り飯である。二上山から一食ぶんずつ持たせた。塩は利かせてある。
鍬だこのある手で、こぼさぬように食う。掌を下から受けて口へ運び、指に付いた飯粒を最後に舐める。食い終えても、誰も動かない。包んでいた竹の皮を畳んで、懐へ入れた。
道が、静かであった。
門の内で、誰かがそれを数えている。
若い僧である。門の脇の潜り戸の、板の隙間から見ているのが影で分かった。朝からそこにいる。
その僧が、途中で数えるのをやめた。
やめて、しばらく動かなかった。
――兵は、ああいう食いかたをせぬ。
光秀は、そう思った。
この者どもは、荷を担ぎに来ている。
それが、門の内側の者に、いま伝わった。
*
暮れきる前に、潜り戸が開いた。
出てきたのは、五十がらみの僧である。作務衣の上に袈裟を掛けており、指に数珠だこがあった。門の前で足を止め、三百人を右から左へ見た。
見て、息を一つ吐いた。
それから、光秀のほうへ来た。
来る途中で、足が止まった。
止まった先に、奥野正次が坐っていた。
木沢の惣算用を十一年勤めた男である。郷ごとの帳を束ね、一年の出入りを締めて判を据えるのが役であった。主が死んだあとも、誰にも命じられぬまま去年の帳を繰り続けていたのを、光秀が二上山の帳場で見つけた。四十がらみ。痩せて猫背で、指の先が墨で黒い。
いまは、道の端に坐って、膝の上の板に何か書いている。
僧が、その手元を見た。
見てから、顔を見た。
「……奥野様、では」
奥野は、行の終いまで書いてから、筆を置いた。
置いて、頭を下げた。
「納所の御方にござりまするな。三度、庭で数を突き合わせましてござります」
「四度目にござる」
と、僧は言った。
「一昨年の暮れに十日、去年の夏に六日、秋に八日。……都合、二十四日にござった」
日数を、そらで言った。
この僧も、数を覚えている側の人間である。
光秀は、口を挟まなかった。
挟む用が無い。
寺の帳を預かる者が、こちらの帳を書いた者の顔を知っており、その顔を見た瞬間に名を呼んだ。これ以上の名乗りは無いのである。
欠けた紙の代わりに立つのは、書いた者の顔と手であった。書いた者が生きて目の前におるより確かな証は、紙には無い。
「――門を、お開けいたす」
と、納所は言った。
「奥へ、御案内つかまつる。……ただし」
そこで、一度だけ後ろを見た。
馬の繋いである方角である。
「先にお越しの御方が、御二方ござります。同じ座には、お通しいたしませぬ」
「結構にござる」
と、光秀は答えた。
「こちらは、あの御方がたに用があって参ったのではござらぬ」
門が、開いた。
閂を抜く音が、はじめて鳴った。
三百人は、動かなかった。動くなと言ってある。門の前に坐っていることそのものが、この者どもの役であった。
入るのは、四人である。
光秀と、秀種と、奥野と、束を担いだ杢助という若い者。
敷居をまたぐとき、光秀は一度だけ足を止めた。
止めて、伽藍を見上げた。
塔と、金堂と、その向こうの屋根。木の柱が、下のほうだけ色が違っている。人の手が触れ続けた高さであった。
――幾百年、焼けておらぬ。
この寺は、焼けたことのある寺ではない。
焼けておらぬ寺というものは、焼こうとした者のことを、いちばんよく覚えている。
■用語解説
・納所…寺で米銭の出納を司る役、またその者。武家の預け物も、証文の照合も、この役が扱う。寺の蔵が倉庫や金貸しの働きを持てたのは、帳を預かるこの者どもがいたからである。
・遊佐長教…河内国の守護代。守護の畠山氏に仕える立場ながら、家の実権を握って河内の政を実際に動かした。高屋城を預かる。天文十一年(一五四二年)三月、太平寺の野に木沢長政を討つ。主家より家宰が重くなるのは、この時代の河内にかぎった話ではない。




