第4章2 蒼天
ナビアはそろそろやってくる厳冬に向けて火鉢や暖炉の掃除をしていた、もちろん普段から掃除はしていたが寒さが本格的になる前に暖具をしっかり掃除をしておくことで万が一体調が悪くなっても使い続けられるようにしておく必要がある、しかし火鉢の中身を吸い込むのは呼吸の病の元であるため口布で対応する、この場所は他より寒さが厳しい、暖具の不調は所謂死を意味する、それに何より今は不定期だが別の世界と考えるが来客もある、毎度同じ服装でこの世界の冬には全く適していない、あの女性が寒くならないようにという想いも今年は込められていた、そうして火鉢の掃除もある程度進んだ頃、ふと懐かしい気配がして振り向く
沈んだ顔のあの女性が立っていた、もう女性の出現に驚くことはないが今までとは違う雰囲気には内心驚く、これまでは穏やかであったが今は疲れているように見える、口布を取り部屋の中で座るように手で合図する、動く気配がありいつものように水を汲むが動く気配が途中で止まったように感じた、振り向くと土間の上がり口で座ったままである、女性は疲れきったような、それでいて安心したような表情をしていた、誰でも疲れることはある、ナビアも年を経るごとに村へ行く道のりや剣を鍛錬のために振るう時、先程のように大きな事をやる時などは動く前にその事を考えただけでもため息をつきそうになる自分にゾッとするものがある、これからの生活を考えると陰鬱になる事もある、誰も疲れを知らぬ人がおらぬならばこの女性が疲れていたって不思議ではない
女性は水を一気に煽り息をつくと真剣な表情のまま考え込んでいる様子であった、女性のいる世界がどのようであるかは想像がつかないが多忙なのかもしれない、ナビアも昔、自警団に所属していた時、年始など行事の際、村はお祭り騒ぎなので酒に溺れた者の乱闘騒ぎや家屋の火事、盗っ人が出たりと一度に多くのことがあった、自警団の人数には限りがある、まぁナビアは専ら乱闘騒ぎの諌め役が多くその次は盗っ人の確保であり他の事は事が落ち着いてから入るような形であった、そのように忙しい時は他のことを考えようもなかったが一段落すると同僚がどうだったかなどと話をしに来ることも多い、あまり口数が多い方ではない為大した話ができた訳でもないのだが忙しかった時はそれが緊張を取る手段でもあった、ナビアが過去を懐かしんでいると女性は思い出したと言わんばかりに少しもたげていた頭を起こし服に手をやると質感は異なるが匙のようなものを取り出したが言葉に詰まっている様子である
「さじ」
言葉に迷っているのか不明だがこういう事があるのではとも薄々考えていた、例えば何も知らぬ人であれば傷と一括りにするが知る人は擦過傷・切創・打撲など傷にも言い方がある、今回、女性の考えているものとは違うかもしれないがこちらから声かけるのも良いだろう
「のぬ」
言葉が降ってきた、一つ一つの学びはゆっくりだがそれが焦るでもなく2人の流れになっているように感じる、その言葉を書き留めてふと筆に関しては言っていなかったと思った、言い方を考えているようでありこの女性の世界ではいくつか種類があるらしいというのは彼女の四角い書き物を見ていると分かる、色とりどりだったり太さが違ったり、していたことや最初の時と今ではこちらでいう筆の種類が違う
「ふで」
匙と同じようにナビアから言葉を発する、それはこの女性にとって助けになるか分からない
「ぢあ」
しかしそれがあったとして、無かったとして結果は変わることは無い気もした、女性の隣に座り沈黙を選択する、女性は身震いした、ここは土間であり火鉢から遠い、さらに冬には適さぬ女性の身なり、疲れた体には堪えるのだろうと考えるには十二分である、疲労困憊であろう女性を心配しナビアは立ち上がり手を差し出す、意図は伝わるだろう
女性は頷き手をのせた、冷たく柔らかい手は所々赤く荒れこの女性が働いてきた証を感じる、少しふらつきながらも火鉢の前に座らせると分かりやすく表情が和らいでいる、ふとナビアは不安になった、この女性と時折過ごす一時を信じ、どこかで待ちわびている自分がいる事に、一回り、それ以上は離れている事は間違いがない女性に対する心の持ちようでは無いということは、分かっている、そこに邪な考えが無いなどと言えるほど、無垢では無く、あると認められるほど素直でもない
目の端に光があった、女性の周りを飛ぶ光、朝露が光に照らされたようなもの、この女性に見えているのであれば必ず視界に入るようなものであるが気付いていない様子、その光の中央にいる女性は、美しいと言うにふさわしい
ふと、目が合った、不思議そうにナビアを見たあと、周りを見渡す女性、やはり見えていないがその光が女性の姿がぼやけたと同時に霧散した、あの女性は消えたがその温かさは空間に残されていた
ナビア自身、この光景は淋しさのあるものだと感じる、何十年と生き、ここ十数年は一人で生き、慣れていたというのに、どこから来たかも、名前も何も知らぬ女性と数度出会っただけで、寂寥という感情が湧く、このやり取りが続くものだという証拠は無い、あの女性がこの世界を気に入っている根拠もない、ましてや生活基準が離れすぎているようにも感じる、だというのに、この関わりがあるものだと、続くものだと信じたくなる自分自身は弱い男だと、痛感させられる
展開はゆっくりですが着実に言語習得にむけて進んでいます
言葉は同じ意味で言ってもその時や相手によって受け方が違うのが考えさせられますね




