太平洋の夢「樺太の種」 第六章 リットンの影
第六章 リットンの影
東京・上海・ジュネーブ 一九三一年秋〜一九三三年二月
世界が日本を見る目が変わるのに、六週間かかった。
満洲事変の報せがジュネーブに届いた最初の週、国際連盟の廊下の反応は意外なほど静かだった。
静けさの理由は同情ではなかった。
各国が状況を測っていた。
日本がどこまでやるつもりか。
六週間後、関東軍は奉天から錦州へ向かった。
その時点で静けさが終わった。
十一月、黒瀬は東京に呼ばれた。
外務省の会議室は煙草の煙で白く、十人ほどの官僚が座っていた。
黒瀬は末席だった。
三十分、話した。
連盟は調査団を派遣する。
報告が出るまでに半年から一年かかる。
その間、直接的な制裁はない。
しかし報告が出た後——日本は連盟内で完全に孤立する可能性がある。
「軍部はそれを分かっているのか」と誰かが言った。
黒瀬は答えなかった。
答えられなかったのではない。
答えが会議室の空気を変えることを知っていたから、答えなかった。
外務省の会議室と、陸軍省の会議室は、霞が関の中で百メートルも離れていない。
しかし二つの建物の間には、目に見えない断層がある。
外務省は言葉で動く。
公電、条約、交渉の議事録。
言葉が現実を作ると信じている省庁だ。
陸軍省は力で動く。
兵力、兵器、補給線。
力が現実を作ると信じている省庁だ。
その二つが、一つの国家の中で同時に動いていた。
問題は、力が言葉より速い、ということだった。
関東軍が満洲で行動を起こした。
外務省は公電を打った。
陸軍省は無視した。
内閣は追認した。
議会は沈黙した。
新聞は「皇軍の勝利」を書いた。
民衆は万歳を叫んだ。
そのひとつひとつの出来事が、次の出来事を可能にした。
力は既成事実を作り、既成事実は新たな力を生んだ。
外務省には、その連鎖を断ち切る手段がなかった。
あるとすれば、ひとつだけだった。
連鎖より速く、別の現実を作ること。
黒瀬はそれを、会議室の末席に座りながら考えていた。
会議が終わった後、廊下で条約局の先輩に声をかけられた。
五十代の、温厚な男だった。
「黒瀬君」と先輩は言った。
小声で。
「あまり目立つ発言はしない方がいい」
「なぜですか」
「軍部が外務省の動きを監視している。特に連盟問題で軍部と違う意見を持つ職員を、リスト化していると聞いた」
黒瀬は先輩を見た。
「リストですか」
「噂だ。しかし噂には根拠がある」
先輩は少し間を置いた。
「君は上海でユダヤ人と会っていると聞いた。それも記録されている可能性がある」
「情報収集の一環です」
「そういう説明が通じる時代ではなくなってきている」
先輩は廊下の向こうを見た。誰もいなかった。
「気をつけなさい」
それだけ言って、先輩は歩き去った。
黒瀬は廊下に一人で立った。
リスト。
軍部が外務省官僚をリスト化している。
つまり外務省の内部に、軍部の目がある。
外務省は統一した意思を持つ機関ではなく、軍部寄りの人間と、そうでない人間が混在する場所になっていた。
それが、今の外務省と軍部の力関係だった。
外務省は形式上、外交政策の主体だった。
しかし実質的な決定権は、満洲事変以降、軍部に移りつつあった。
移った、というより、奪われた。
奪われる過程で、外務省内部にも軍部の論理を内面化した人間が増えた。
外から押されるだけでなく、内から崩れていた。
黒瀬が松岡洋右に賭けているのは、そのためだった。
松岡は外務省の人間だが、軍部を恐れていない数少ない一人だった。
アメリカ育ちのプライドと、異常なほどの自己確信が、軍部の圧力を跳ね返す防壁になっていた。
問題は、そのプライドが時に判断を歪める、ということだった。
その歪みを、別の方向に向けなければならない。
黒瀬はその問題を抱えたまま、上海に戻った。
上海の空気が変わっていた。
日本人租界の周辺に、中国人の若者が増えた。
排日運動だった。
黒瀬は租界の中国人コックに聞いた。
コックは流暢な日本語を話した。
十年間、日本人の家で働いていた男だった。
「日本は悪いことをしていますか」とコックは言った。
「難しい問いです」
「難しくありません」とコックは言った。
「人の土地を取れば、悪いことです。どこの国でも」
黒瀬はその夜、モルヒネを使わなかった。
コックの言葉がどの言語に変換しても意味は変わらなかった。
言語を変えても真実は変わらない。
それが真実の定義だと黒瀬は思った。
一九三二年一月、上海事変が起きた。
日本海軍陸戦隊と中国軍が交戦を始めた。
砲声が聞こえた。
上海の、英米の権益が集中する都市で、日本軍が戦闘を始めた。
これは局地的な問題ではなくなった。
翌朝、領事館に行くと、廊下で英国総領事と顔が合った。
総領事は黒瀬を見て、何も言わなかった。
その無言が、長い演説より多くを語っていた。
二月、リットン卿が上海に着いた。
国際連盟調査団の団長。
植民地行政の経験を持つ老練な英国人だった。
ある夕食会の後、二人でブランデーを飲んだ。
「あなたはどう思いますか。率直に」
とリットンはフランス語で言った。
「日本は間違った方向に向かっています。しかしその間違いを正す機会は、まだあると思っています」
「機会とは何ですか」
「日本が連盟に対して、何かを提示することです。日本が孤立を望んでいないという証拠を」
「何を提示できますか」
黒瀬は答えなかった。
まだ答える段階ではなかった。
「それを考えるのが、私の仕事です」と黒瀬は言った。
リットンは少し笑った。
「好きな答えだ」と彼は言った。
「しかし時間がない。あなたの国は、時間が残り少ない」
リットンのブランデーの飲み方は、急いでいなかった。
しかし目が急いでいた。
黒瀬はその目の速さを、後から何度も思い出した。
五月十五日、午後五時半。
海軍の青年将校十一人が首相官邸に乱入した。
犬養毅首相は応接室に一人で出て行った。
将校の一人が拳銃を向けた。
犬養は
「まあ話を聞け」と言った。
将校は撃った。
犬養は廊下に倒れ、数時間後に死んだ。
七十七歳だった。
最後の政党内閣が終わった。
黒瀬はその報せを上海で公電として読んだ。
「話を聞け」という最後の言葉は書かれていなかった。
しかしその言葉だけ、鮮明に覚えている。
「まあ話を聞け」
政治家の言葉だ。
軍人には通じない言葉だ。
軍部が、政治の表舞台に出てきた。
それまで軍部は政治の裏側にいた。
しかし五・一五以降、直接介入するようになった。
首相を撃ち、内閣を倒し、後継者を指名した。
外務省は、その過程で完全に傍観者になった。
外務省の廊下の空気が変わった。
意見を言う人間が減った。
軍部の方針に異を唱える声が、会議室から消えた。
消えたのではなく、聞こえなくなった。
黒瀬は上海から東京への出張のたびに、その変化を体感した。
かつて外務省は、日本政府の中で独自の声を持つ機関だった。
今は、軍部の決定を対外的に説明する機関になりつつあった。
外交官が翻訳者になっていた。
力の言葉を、外交の言葉に訳す翻訳者に。
その年の秋、リットン報告書が出た。
黒瀬は全文を一晩で読んだ。
公平な文書だった。
複雑な歴史的経緯を認めながら、しかし軍事行動は正当化できないと結論していた。
だからこそ、日本政府の反応が黒瀬には理解できなかった。
政府は報告書を拒否した。
外務省は内部で異論を持ちながら、表向きは拒否に同意した。
異論を持つ官僚たちは、会議室の外でひっそりと顔を見合わせた。
何も言わなかった。言えなかった。
軍部のリストがある、という噂は、その頃さらに広まっていた。
拒否の決定が出た翌日、黒瀬は外務省の廊下で条約局長に呼び止められた。
「黒瀬君」と条約局長は言った。
「君には上海に戻ってもらう。当面、東京には来なくていい」
「それは」
「君の意見が、陸軍省に伝わっている。しばらく距離を置いた方がいい」
黒瀬は条約局長を見た。
この男は善意で言っている。
しかし善意の警告は、同時に圧力でもある。
「距離を置く」とは「黙れ」という意味だ。
「分かりました」と黒瀬は言った。
分かった、という返事は嘘だった。
しかし今は嘘をつく必要があった。
廊下に一人で立った。
窓の外で風が鳴っていた。
東京の二月の夜は、長かった。




