# Re:sou 第九話「二人の店」
宿に帰り着いた頃には、日はとっぷりと暮れていた。
ヤンさんは戦装束のまま厨房に立ち、誰にも何も聞かず、鍋を火にかけた。俺たちが井戸端で泥を落とし、クーリが「もう平気だってば!」とナナの介助を振り払えるくらいに復活した頃、食堂には湯気の壁ができていた。
角兎の煮込み。腸詰めの鉄板焼き。芋の揚げたの。焼きたてのパンが山。常連の爺さんが「今日は貸し切りかい」とぼやいて追い返されるほどの、店中の火を使った夕餉だった。
「食え」
それだけ言って、ヤンさんは俺たち全員の皿に、山盛りによそった。
質問は、一つもしなかった。まず食わせる。この人の優しさは、いつも手の方が先に出る。
「〜〜〜生き返るぅ……」
クーリが煮込みを頬張って、目尻に涙を溜めた。ジェスは無言で三皿目に突入している。クラインですら、いつもの倍の速さで匙を動かしていた。マナ圧というのは、腹が減るらしい。
そして、問題の新入りである。
ナナは、湯気の立つ煮込みを前に、身じろぎもせず座っていた。
「……食べないの?」クーリが訝しむ。
「摂取は可能です。栄養補給の必要はありませんが、味覚器官の動作確認を兼ねて——いただきます」
匙が口に入る。
沈黙。十秒。二十秒。
「……ちょっと、大丈夫?」
「——解析に、時間を要します」
「うまいってことだよ、それ」
俺が訳すと、ナナはこくりと頷いて、二匙目を口に運んだ。三匙目は、少しだけ速かった。四匙目は、もっと速かった。
「記録します。……この店の煮込みは、良いものです」
「おう」
厨房から、短い返事だけがあった。
*
飯が済むと、当然、尋問が始まった。主にクーリによる、主にナナへの。
「で! あんた何者なのよ! どっから来たの! なんで白髪なの! なんであたし運ばれてたの!」
「回答します。カイさまの——です。——より起動し、——のため現在の外殻を——」
「一個も聞き取れなかったんだけど!?」
ナナの説明は、肝心なところが全部あの「訛り」になった。俺が補足を試みたが、俺の説明も全部訛った。三十分後、食堂には敗北感だけが残った。
「……つまり、あれだ」ジェスが腕を組んでまとめた。「カイの、連れ。悪い奴じゃねぇ。クーリを運んでくれた。……以上!」
「雑っ! まとめが雑!」
「じゃあお前まとめてみろよ」
「カイの……連れで……悪い奴じゃなくて………………ぐぬぬ」
クラインだけが、何も言わなかった。ただ、ナナの白い髪と、俺の顔と、それから窓の外——北の、洞窟のある方角を、順番に見た。遺跡文字。試験の穴。三時間の空白。連れて帰った、人ならざる娘。
あの目は、線を引き終わった目だ。
でも、クラインは何も聞かなかった。薄く笑って、「まあ、いいさ」とだけ言った。この人の「まあ、いいさ」は、ヤンさんの「そうか」と同じ種類の深さがある。
*
夜半。
みんなが二階に引き上げて、俺は屋根裏で天井を睨んでいた。眠れなかった。疲れてるのに、頭の芯だけが冴えている。
水でも飲むか。
階段を降りかけて——足が、止まった。
食堂に、灯りがひとつ。カウンターの向こうで、ヤンさんがグラスを磨いていた。戦装束はもう脱いで、いつもの姿に戻っている。まるで今日という日が、なかったみたいに。
あの晩と、同じ構図だった。ジェスと話す低い声を盗み聞いて、そっと引き返した、あの階段。
俺は今度は、降り切った。
「……眠れんか」
ヤンさんは顔も上げずに言った。気配で分かるらしい。
「はい。……あの、ヤンさん。聞きたいことが、あって」
「そうか」
グラスを置いて、新しいのを手に取る。磨きながら聞く構えだ。この人は、大事な話ほど手を動かす。
俺は、息を吸った。
「森で、会ったんです。ボロボロの、旅の人に。……像の前に、立ってました」
布の音が、止まった。
「その人、像に向かって言ったんです。『未だ手付かずか、踏ん切りの悪いものよ』って。それから俺に——『石の女に会いに来る男が居よう。伝えよ』って。……でも、続きは『忘れた』って。人の名前は、すぐ忘れるからって」
長い、長い沈黙だった。
竈の火が、小さく爆ぜた。
ヤンさんはグラスを置いた。布を畳んだ。それから、カウンターの内側の棚から酒瓶を出して、自分の杯に一杯だけ注いで、飲まずに、置いた。
「……セラ、という」
低い声だった。
「あの像の、名前だ。像の、じゃないな。——あれは、人だ。呪いで、石にされてる」
「人……」
「魔族だ」
ヤンさんは俺の目を見た。俺がどんな顔をするか、確かめる目だった。俺は多分、間抜けな顔をしていたと思う。魔族。講習で習った、関わってはいけないものの、二番目の魔王の眷属か。
「俺の——」
一拍。
「連れ合いに、なるはずだった人だ」
竈の火だけが、鳴っていた。
「呪いを解く道は、一つしか知らん。掛けた奴を、超えることだ。……俺には、届かん。あの頃も、今も」
「誰なんですか、掛けたのって」
「——それは、お前が背負う話じゃない」
すぱん、と扉の閉まる音が聞こえた気がした。一寸だけ開いた扉が、そこで閉まった。でも、閉まる寸前に、ヤンさんはもうひとつだけ、こぼした。
「この店はな」
杯を、指先で少し回して。
「あいつと二人で、やるはずの店だ。……戦のない所で、飯を作って、客に食わせて、暮らす。あいつが言い出した。俺は、場所を先に作っただけだ」
俺は、何も言えなかった。
言えないまま、この店の全部が、頭の中で意味を変えていった。町一番の煮込み。磨き込まれたカウンター。あの人の、完璧すぎる皿とグラスの手入れ。二階の、一度も客を入れているのを見たことのない、角の部屋。
待ってる店だったのか、ここは。ずっと。
「ジェスたちは……知ってるんですか」
「『なんとかしたい人がいる』——それだけだ。それ以上は、言わん」
「なんで」
「言えん理由が、ある」
それきり、ヤンさんは杯を干して、立ち上がった。
「寝ろ。明日も水汲みだ」
「……はい。あの、ヤンさん」
背中に、言った。
「今日、来てくれて。……ありがとうございました」
ヤンさんは、振り向かなかった。ただ、厨房の暗がりに入る前に、一言だけ。
「あいつらに——生きる術を教えただけだ。俺は。大したことは、してやれてない」
……嘘つけ。
剣を貸して、飯を作って、死ぬ気の顔で森まで走ってきた人が、なに言ってんだ。
でもそれは、口には出さなかった。出しちゃいけない気がした。この人の中の帳簿は、俺たちのつけてる帳簿と、桁の合わせ方が違う。それだけは、分かった。
*
階段を上がると、踊り場にクラインが座っていた。
「うわっ」
「やあ」
悪びれもせず、壁にもたれて、月明かりで本を——読むふりをしていた。頁が進んでいない。
「……聞いてたんですか」
「階段の下の声は、階段の上に届く。この家の欠陥だ」
以前の俺と、同じことをしてる。この人。
「セラさんのこと、クラインさんは——」
「知ってるのは、ヤンさんが言った通りだ。『なんとかしたい人がいる』。魔族の。……僕らが知ってるのは、本当にそれだけだ」
クラインは本を閉じた。それから、珍しく、遠い目をした。
「なあ、カイ。あの人は、償ってるつもりなんだ」
「……償う?」
「僕らの故郷が焼けた日から、ずっとだ。拾って、食わせて、鍛えて。全部、償いの帳面につけてる。——僕らは、救われた側なのにな」
月明かりの中で、クラインは薄く笑った。いつもの食えない笑いじゃなかった。
「償われる覚えなんて、無いんだよ。こっちには。……でも、あの人の中では違う。だから僕らには、絶対に頼らない。セラさんの件も、きっと、死ぬまで一人で抱える気だ」
「そんなの……」
「そんなの、だろ?」
クラインは立ち上がって、俺の肩を、ぽん、と叩いた。
「——お前は、外様だ。カイ。借りも貸しも、まだ無い。……覚えておくといい」
それだけ言って、階段を上がっていった。
*
屋根裏に戻ると、ナナが窓辺で月を見ていた。人の姿にも、だいぶ目が慣れてきた。白い髪が、月光で銀色に透けている。
「なあ、ナナ」
俺は布団に腰を下ろして、聞いた。
「石化の呪いって……解析、できるか?」
ナナはこちらを向いた。淡い銀青の瞳が、瞬く。
「対象を直接観測できれば、構造の解析は可能かもしれません。ただし——」
「像には近づくな、だろ。分かってる」
言われてる。二回も。ジェスにも、ヤンさんにも。
「……勝手にやっちゃいけないやつだ、これは」
呪いの構造だけの話じゃない。あの人の十何年と、償いの帳面と、言えない理由。技術で解けるのは、たぶん半分だけだ。残りの半分は——人の結び目は、ほどく順番ってものがある。ゲームで言えば、フラグ管理だ。順番を間違えると、ロクなことにならない。
「でも、いつか」
窓の外、北の空。森の方角。
「ちゃんと許可を取って——取りに行こう。あの人の、夢の続き」
「記録します」ナナが静かに言った。「目標:『夢の続き』。……良い目標です、カイさま」
「だろ」
俺は布団に潜った。目を閉じると、今日一日が、順番に流れていった。狼。止まった風。ボロの旅人。白く枯れた草。光の罅。白い髪。死ぬ気の目。山盛りの煮込み。二人の店。
——精々、面白く育て。
天災の声を、最後に思い出した。
言われなくても、育ってやるよ。この世界には、取り返したい夢が、あるらしいから。
(第九話・了/第二章・了)




