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Re:sou〜超現実拡張妄想変換装置(仮)改〜  作者: 西ノ圭吾
第二章 開幕
10/24

# Re:sou 間話・一「勝てぬもの」—

昔、ひとりの男がいた。


大国の、名のある家に生まれた。火を噴く筒と、自走する鉄と、夜を昼に変える灯りを束ねる、武と工の棟梁の家——その嫡男だった。物心つく前に剣を握らされ、物心ついた頃には、誰よりも振っていた。才があった。だが男は、才という言葉を嫌った。振った数だけが、男の信じるすべてだった。


十五で戦場に立ち、二十で百人を率い、二十と幾つかで、次の将と呼ばれた。同輩は男を傲慢と言い、部下は男を無骨と言い、上官は男を便利と言った。どれも当たっていた。男は口数が少なく、要求が多く、そして誰よりも早く起きて、誰よりも遅くまで槍を振った。得物は長柄の斧槍。届かぬものへ届くための、いちばん割に合う道具だと、男は言った。


男には、信仰がなかった。代わりに、確信があった。


——鍛えれば、届く。


人に届き、位に届き、いつかは、神にすら。祈る暇があれば振れ。恐れる暇があれば数えろ、振った数を。男の背中はそういう背中で、兵はその背中を恐れ、そして、好いた。


夢もあった。誰にも言わぬ夢が。火を噴く筒を、剣を持てぬ農夫の垣根に。自走する鉄を、山向こうの寒村に。便利なものが行き渡れば、人はもう、強い牙に怯えて眠らずに済む。数と工夫で、肩を並べられる。世界はそうやって、少しずつましになるのだと——若い男は、本気で思っていた。


   *


男には、忘れられない戦があった。


何年か前の、名もない丘の取り合いだった。夕暮れ、両軍が退き際を探るなか、男は一騎の魔族と行き会った。角の片方が折れた、戦斧の戦士だった。名乗りは、なかった。ただ、互いの構えを見て、互いに分かった。これは、逃げても追っても様にならぬ相手だと。


打ち合った。日が落ちるまで打ち合って、決着は、つかなかった。男の斧槍は戦士の肩当てを裂き、戦士の斧は男の兜を飛ばした。互いの息が上がりきった頃、双方の陣から、退き鉦が鳴った。


戦士は斧を担ぎ直し、折れた角の頭をわずかに傾けて、言った。


「畑が、あるのでな。枯らすわけにはいかん」


それだけ言って、背を向けた。男は、追わなかった。追えなかったのではない。追うことが、ひどく無作法に思えたのだ。


故郷の畑のために振るわれる斧は、重かった。あの重さと、もう一度。男はそれからずっと、戦場のどこかで、折れた角を探していた。


   *


命令は、灰色の紙で来た。


敵後方、補給と治癒を担う一隊の強襲。護りは薄く、大半は治し手であるという。要するに、戦えぬ者を叩けという命令だった。


男は一度だけ、異を申し立てた。紙は、動かなかった。国命である、と上官は言い、武勲になるぞ、と付け足した。男は敬礼し、部隊を編み、そして完璧に、それを為した。嫌う仕事ほど完璧に為すのが、男の、悪い癖だった。


夜明け前の霧の中、その仕事は音もなく進んだ。抵抗らしい抵抗は——ひとつを除いて、なかった。


天幕の並びの中央で、ひとりの魔族の女が、傷病兵を背にして立っていた。


姫、と呼ぶほかない立ち姿だった。得物は、細身の長剣がひと振り。それだけで、女は男の精兵を五人、峰打ちで眠らせた。殺さぬのだ、この期に及んで。女の剣は退路をつくるためだけに振るわれ、動けぬ者がひとり這って逃げるたび、女は一歩、退がった。


男は兵を下げ、自ら、出た。


打ち合いは、長くはなかった。女は強かった。が、男は、それより振っていた。斧槍の石突きが細剣を巻き上げ、切っ先が喉の前で止まったとき、女は、目を逸らさなかった。悔しさでも、命乞いでもなく、ただ、背後の傷病兵を最後まで数えている目だった。


高潔な、と男は思った。魔族に対して、生まれて初めて使う言葉だった。


「……手当てを。私より先に、後ろの者に」


それが、女の最初の言葉だった。


   *


帰路は、緩い峠道だった。


捕虜を乗せた荷車が軋み、朝靄が晴れ、鳥がうるさいほど鳴いていた——それが、止んだ。


一斉に、だった。鳥が止み、虫が止み、風が止んだ。馬が最初に狂った。棹立ちになり、泡を噴き、御者ごと横倒しになった。兵が、膝をついた。ひとり、またひとり。誰も斬られていない。誰も射られていない。ただ、立っていられない。


道の先を、旅人がひとり、歩いてきた。


ボロの外套。破れ笠。枯れ枝の杖。どこの街道にでもいる、行き倒れ寸前の風体だった。ただそれだけのものが、近づいてくる。ただそれだけのことで、歴戦の兵が声もなく崩れ、泡を噴き、白目を剥いていった。


男は、立っていた。


膝が笑い、視界が明滅し、心臓が肋を叩き割ろうとするのを、振った数で押さえつけて、立っていた。斧槍を杖にして。歯の根を軋ませて。鍛えれば届く。鍛えれば、届く——


旅人が、すれ違った。


見なかった。


旅人は男を、男の部隊を、道端の石ほどにも、見なかった。笠の下の目は退屈に伏せられたまま、何ひとつ映さず、ただ、通り過ぎた。足音は、なかった。影は、薄かった。すれ違う一瞬のうちに、男は理解した。理解、させられた。


これは、届かない。


振っても。数えても。生まれ直しても。これは、別の棚にあるものだ。人が努力と呼ぶものの通貨が、一枚も通用しない場所に、これは立っている。神にすらいつか、と嘯いた自分の声が、遠くで幼く響いた。


旅人の姿が峠の向こうへ消えたとき、男の部隊は、終わっていた。


息のある者より、ない者のほうが多かった。生き残った者の半分は、もう二度と、剣を握れる目をしていなかった。魔族の捕虜たちは——頑丈な種であるぶん、まだしも、息をしていた。


男は、膝をついた。


生まれて初めて、意味もなく、膝をついた。誰にも、斬られていないのに。


信じてきた通貨が道端で紙屑になる音を、男は、いつまでも聞いていた。


   *


幾日かのちの、野営の夜だった。


男は、焚き火の外れに座っていた。報告書は書けた。それ以外のものが、何も書けなくなっていた。剣を振る気になれない朝が、生まれて初めて、続いていた。


足音がした。


捕虜の姫だった。縄目のまま、番兵にひとこと断って、水の椀をひとつ、持って。


姫は男の前に立ち、しばらく、男を見下ろした。自分の部下を屠り、自分を捕らえた男を。それから、何も言わずに、椀を差し出した。

挿絵(By みてみん)


湯気の立たない、ただの、水だった。


男は——


(間話・一 了)


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