# Re:sou 第七話「雪辱戦」
「Eランク昇格です。——登録から十七日。ギルド記録の更新です」
受付さんはもう三度見しなかった。代わりに、遠い目をしていた。慣れというのは尊い。
「ちなみに今までの最短記録は」
「二十九日。……そこの、クーリさんです」
「うっそでしょ、あたしの記録!?」
隣で依頼書を眺めていたクーリが、カウンターに身を乗り出した。それから俺を、じとっと見た。
「……あんたさぁ。水晶ぶっ壊すし、薬草は最高等級だし、記録は抜くし。ほんと、何なの」
「何なんでしょうね……」
「他人事!?」
言い合っていると、少し離れた机から視線を感じた。女性の二人組の冒険者が、こっちを見て何か囁き合っている。目が合うと、片方がにこ、と笑った。慌てて会釈を返す。な、なんだ?
「お前、噂になってんだよ」帰り道、ジェスがにやにやしながら言った。「『測定不能の新人』。この昇格速度だろ? そのうち縁談くるぞ」
「え、縁談!? なんで!?」
「なんでって、そりゃお前——」
ジェスは当たり前のことのように言った。
「強ぇ奴の子が欲しい、ってのは、この世界の常識だからな。人族も亜人も変わんねぇ。強い血は宝なんだよ。強けりゃ嫁さん複数なんてのもザラだ」
「そ、そういう世界観なんだ……」
「ふーん」
半歩後ろで、クーリが妙に平坦な声を出した。振り向くと、そっぽを向かれた。なんだ?
*
受けた依頼は、あれだ。掲示板で狙い続けた一枚。
【深緑の森 フォレストウルフの群れ 間引き依頼 推奨:Eランク以上のパーティ】
「パーティ推奨だからな。俺が組んでやるよ」とジェス。
「あたしも! ……せ、先達として新人を見届ける義務があるだけだし」とクーリ。
「臨時でなら」とクライン。「弟妹と脳筋だけでは、報告書がまともに書けない」
「「誰が脳筋よ!」」
というわけで、四人。俺の、初めてのパーティだ。ゲームなら専用のジングルが鳴る場面だぞ。鳴らないけど。
*
出発の前夜。屋根裏で、ナナが妙な提案をしてきた。
「カイさま。通信手段の変更を提案します」
「変更?」
「薬草採取の際、危うく存在が露見しかけました。原因:音声通信。対策:思念接続——マスターの脳波を直接読み、直接応答します」
「……テレパシーってこと?」
「俗にそう呼ばれた機能です」
やり方は簡単だった。ナナに「向けて」考えるだけ。簡単なはずだった。
『きこえますか』
『うるさいです』
『え!?』
『思念の音量を下げてください。叫ぶ必要はありません。囁くように』
『……こう?』
『良好です』
慣れると、これが快適だった。口を動かさず、視線も動かさず、頭の中だけで会話が閉じる。
『これ、テストで使ったら無敵じゃん』
『カンニングの提案として記録しますか』
『しないでいいから』
*
出発の朝、宿のカウンターで弁当を受け取っていると、ヤンさんが奥から細長い包みを持ってきた。
「使え」
布を解くと、細見の剣だった。飾り気のない長剣。鞘も柄も使い込まれているのに、抜いてみると、刃には曇りひとつない。手入れが、完璧すぎる剣。
「ギルドの貸剣は鈍らだ。それは……昔の客が置いていった」
「いいんですか?」
「お前には普通の剣で脆い、そいつぁ頑丈だからな餞別だ。——それと」
ヤンさんは、一拍だけ黙った。
「森の奥の、像には近づくな」
初日にジェスに言われたのと、同じ言葉。俺は素直に頷いた。頷きながら、頭の隅にメモを取る。この人の目が、依頼書の地名を見たときから、少しだけ違う。
店を出るとき、クラインが剣の包み布を一瞥して、小さく呟いたのが聞こえた。
「……宿屋の親父してるんじゃなかったのか、ヤンさん」
呆れたような、どこか懐かしむような声だった。
*
北の街道を外れ、森への小道に入る。夏の朝の森は、湿った緑の匂いで満ちていた。
「そういえば」歩きながら、俺はふと気になっていたことを聞いた。「依頼書だと『深緑の森』ですけど、この森って最初に僕がいた森ですよね?皆さん『セラの森』って呼びますよね。どっちが本当なんですか」
一瞬、変な間があった。
「あー……」ジェスが頭を掻いた。「正式には深緑の森だな。セラの森ってのは、ヤンさんがそう呼ぶから、俺らもいつの間にか、な」
「正式な地名じゃない」クラインが頁をめくりながら言った。「この店の周りだけの、呼び名だ」
セラ。像には近づくな。ヤンさんの目。……頭の中で、点がまたひとつ増えた。線にはまだ、しない。
「ねえ」隣を歩くクーリが、話を変えるように口を開いた。「あんたの故郷って、どんなとこ?」
「えっと……——って国の、——って町です」
「…………はい出た。あんたのそれ、わざとじゃないわよね?」
「わざとじゃないです……」
「家族は?」
「叔父……兄貴みたいな人が、一人」
「ふうん。……許嫁とかは」
「い、いないですけど!? なんですかその質問」
「べっ、別に! 世間話! 冒険者は身元確認が大事なの!」
前を歩くジェスの肩が、笑いを堪えて震えていた。
「そういえば」クーリはこほんと咳払いして、話を続けた。「あの水晶のやつ。あたし、ずっと気になってたんだけど。あんた、怖くなかったの? 自分が『測定不能』って言われて」
「うーん……びっくりはしましたけど。壊しちゃった、って方が大きかったかな」
「変なの」
クーリは短く笑った。それから、少しだけ声を落とした。
「普通はね、怖いのよ。自分が何者か分かんないのって。……あたしたちハーフは、測るたびにいろいろ言われるから」
なんて返すべきか迷った、その時だった。
『カイさま。前方二百、生体反応、多数。……十二。風下です』
頭の中に、ナナの声が滑り込んできた。俺は足を止め、思念の指す方——小道の先、岩場のある方角へ目をやった。
その動きに、先頭のジェスが気づいた。足を止め、鼻から息を吸い——にや、と笑った。
「……わかったか? やるな、カイ。いるぜ、それなりの数だ。——いけるか?」
「はい」
「よし。お喋り終了だ」
*
群れは、森の浅層と中層の境、岩場の窪地に巣くっていた。数、十二。ナナの申告どおりだった。
「多いな。……カイ、初討伐の心得は?」
「無理をしない、離れない、拾ったら報告する」
「よし。クライン、右の崖上から間引け。クーリは遊撃、俺が正面で受ける。カイは俺の右。——行くぞ!」
戦いが、始まった。
クラインが崖の上で息を吸う。
「風よ、我が指先に集え。眼前の敵を、三条の刃もて薙げ——〈風刃〉」
(起点宣言、対象指定は……『眼前の敵』? ざっくりだな。どこに落ちるんだ?)
『式を解析しました。着弾——岩の手前、先行の三頭です』
思った矢先、ナナの声。そして、寸分違わずその場所で、風が閃いた。先行していた三頭が転がる。
(実況解説付きかよ。贅沢すぎるな、この初陣)
正面ではジェスが吠えていた。身体強化を乗せた剣の腹で、跳びかかる狼を薙ぎ払う。豪快なくせに、足運びは丁寧だ。その隙間を、今日はポニーテールに結い替えたクーリが、双剣を光らせて駆け抜ける。速い。舞うような、というより、じゃれつく猫が全部急所を通っていく感じの、嫌な速さだ。
「カイ、右! 二頭抜けた!」
来た。
灰色の疾走。低い唸り。——そして俺は、先頭の一頭の眉の上に、薄い傷痕を見つけた。
「……お前、あの時の」
初日の、あいつだ。枝の一撃を額に受けた、あの狼。向こうも覚えているのか、俺を見て、一拍だけ足を緩めた。
「リベンジだ!」
身体強化。ぐっ、と力み——
『出力四割。絞ってください。三割……二割五分。——維持』
ナナの声に合わせて、力を細くする。足の裏に、ちょうどいい熱が溜まった。半身。狼が跳ぶ。見える。踏み込みは、やっぱり先輩より素直だ。
一歩、こっちから踏み込んで——面。
ヤンさんの直した手の内で、借り物の剣は、暴れなかった。重さがまっすぐ刃筋に乗って、狼の脳天を、峰で打ち抜いた。二頭目は返す胴。手応え二つ。着地。
「〜〜〜っし! 借り、返したぞ!」
「後ろ!」
クーリの声に振り向きざま、三頭目へ横薙ぎ——力んだ。
『出力超か——』
警告より、俺の馬鹿力の方が速かった。刃は狼の遥か上を素通りして、背後の若木を、ばきん、とへし折った。狼は俺の空振りに怯んで固まり、そこをクーリの投げた短剣が仕留めた。
「なにあの馬鹿力……木ぃ斬ってどうすんのよ!」
「加減が! まだ! 難しくて!」
『警告が間に合いませんでした。次回は予備動作の段階で介入します』
『頼むわ、まじで』
*
戦闘は、四半刻で終わった。十二頭、討伐完了。怪我人なし(若木一名を除く)。
岩に腰掛けて水を回し飲みしながら、ジェスが俺の頭をがしがし撫でた。
「上出来だ。剣、化けたな。ヤンさんの手直しか?」
「はい。あれから、真っ直ぐ振れるようになって」
「索敵も大したもんだ。俺より半歩早かったぞ、お前」
「え、あー……勘です」
『勘ではありません』
『いいから』
「初討伐で群れ相手に二枚看板の働き、ね」クーリが牙を剥いた獲物の数を数えながら言った。「……ま、まあ? あたしの獲物の方が多いけど? 五対二だし?」
「僕は四だが」
「兄さんは崖の上から撃っただけでしょ!」
報酬の分配率で兄妹が揉め始めたのを眺めながら、俺は借り物の剣を鞘に納めた。刃こぼれ、なし。いい剣だ。帰ったら、ヤンさんに研ぎ方を聞こう。
そう思った、時だった。
風が、止まった。
比喩じゃない。梢の音が、ぴたりと途切れた。
鳥が、鳴きやんだ。
さっきまで頭上でうるさいくらいだった夏の森が、丸ごと、息を止めた。
「……?」
俺は顔を上げた。妙に静かだな、と、その程度だった。だから、振り向いて、初めて気づいた。
ジェスが、立ったまま動いていなかった。水筒を取り落として、それを拾いもせず、森の奥を見ていた。顔から、色が抜けていた。
クラインは本を握り潰していた。あの涼しい顔が、汗で濡れていた。唇が何か唱えようと動いて——動いただけで、声にならなかった。
クーリは、双剣の柄に手を掛けたまま、震えていた。剣が鞘の中で、かちかちと鳴っていた。
「……え、何。どうしたんですか、皆さん」
誰も、答えない。答えられる状態じゃない、ということだけが分かった。全員の目が、同じ方向を——森の、像のある方角を向いている。
俺には、何も感じられない。木漏れ日と、蝉の鳴きやんだ夏の森があるだけだ。だから俺は、皆が見ている方へ、普通に一歩、踏み出した。
袖を、掴まれた。
クーリだった。真っ白な顔で、がくがく震える手で、それでも俺の袖だけは、掴んでいた。
「……っ、だ、め……」
声は、それだけで潰れた。
頭の中に、ナナの声が滑り込んできた。いつもの澄ました声じゃなかった。端末が早口になれるなんて、初めて知った。
『カイさま。前方、距離四〇〇——接近中です。質量、波長、共に照合不能。……分類が』
一拍。
『——分類が、できません』
(第七話・了)




