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Re:sou〜超現実拡張妄想変換装置(仮)改〜  作者: 西ノ圭吾
第六章 幕開け
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Re:sou 第三十八話「千年」



 二日酔いの行列が、王城の階段を登っていた。


 ジェスは途中で二回止まった。


 クーリは日除けに外套を頭からかぶり、幽霊みたいな格好で歩いている。


 「なんで朝なんだよ」


 「陛下は、朝から炉に入られます」


 案内の兵が答えた。


 「炉に入る王様がいるか」


 「おります」


 兵の顔も、うっすら赤かった。


 誰も、誰のことも責められない朝だった。


 ツムグは、ヤンさんに背負われていた。


 「起きてください」


 「起きてる。目、閉じてるだけ」


 「それは寝てます」


 クラインさんだけが、やたらと元気だった。


 「僕は早々に潰れたからね。結果として、よく眠れた」


 『クラインさまが倒れられたのは、四杯目です』


 「記録を捨ててくれないか」


 ナナは、いつもと同じ歩き方だった。


 腰には、昨日受け取った細い剣を差している。


 座り方も、階段の登り方も、鞘の位置を気にする形に変わっていた。


 歩くたび、鞘の金具が、小さく鳴る。


 ヤンさんが、一度だけ、それを見た。


 何も言わなかった。


   *


 通されたのは、前と同じ部屋だった。


 尖塔も、玉座も、絨毯もない。


 中央に金床が据えられただけの、巨大な鍛冶場だ。


 鍛冶王は、鎚を振っていた。


 最後の一撃を落とし、赤い鉄を水へ沈める。


 白い蒸気が上がった。


 その向こうから、低い声がした。


 「町が、妙なことを言っておる」


 俺は、背筋を伸ばした。


 「山へ登った者がいる。奉納の原に入った者がいる。門が開いたと言う者までおる」


 鉄が、水の中で鳴っていた。


 「酔っておらん者も、同じことを言う」


 蒸気が、少しずつ抜けていく。


 王は、鎚を置いた。


 その音が、思っていたより大きく、部屋に響いた。


 「話せ」


 王は言った。


 「全部だ」


   *


 俺は、麓から話した。


 息が薄くなったこと。


 雪の上で一晩明かしたこと。


 尾根を越えたら、山の上とは思えないほど、平らな場所へ出たこと。


 そこまで来たところで、王が口を挟んだ。


 「その原に」


 王は、金床を見たまま言った。


 「手前から三列目。左の端に、頭が二つに割れた戦鎚がある」


 俺は、言葉に詰まった。


 あった。


 柄の長い、大きな槌だ。


 槌頭が、まっぷたつに割れていた。


 あんな割れ方をするものかと思って、俺は二度見た。


 「……ありました」


 「ワシのだ」


 王は、それだけ言った。


 「その列の奥に、斧槍が一本」


 今度は、バクだった。


 「柄の下に、銀を巻いてある」


 「ありました」


 「あれは、俺のだ」


 俺は、二人の顔を見比べた。


 考えていなかった。


 この国で一番になった者は、自分の最高傑作を担いで、あの場所へ登る。


 この二人も、登ったのだ。


 あの原は、昔話の場所ではない。


 目の前にいる二人が、自分の手で打った物を、置いてきた場所だった。


 「まだ、あったか」


 王が聞いた。


 声の高さは変わっていなかった。


 「はい」


 「錆びておらんか」


 「錆びて、いませんでした」


 王が、ゆっくり頷いた。


 「あそこは、そういう場所だ」


   *


 俺が持って帰れる話は、一つしかなかった。


 門の内側の話だ。


 「開けました」


 王の指が、止まった。


 俺は、そこから話した。


 何もない場所に、門だけが立っていたこと。


 刀を当てたら、細い線が走ったこと。


 音もなく、門が左右へ開いたこと。


 内側から出てきたものが、風ではなかったこと。


 クーリとクラインさんが、その場で膝を折ったこと。


 ジェスが真っ青な顔で、後ろから応援だけしていたこと。


 「応援も必要だろ」


 ジェスが、小さく言った。


 誰も拾わなかった。


 ヤンさんが敷居に足をかけ、そこで止まったこと。


 そして、自分の足で、下がったこと。


 王が、ヤンさんを見た。


 ヤンさんは、何も言わなかった。


 「中に、龍がいました」


 部屋の空気が、変わった。


 「青い龍が、一体。門の前に」


 兵の一人が、息を呑んだ。


 「その奥に、もう一体」


 俺は、言葉を選ぶのをやめた。


 全部と言われたのだ。


 「大きさが、分かりませんでした。頭も、尾も見えませんでした。あの暗がり全部が、そいつで埋まっているみたいでした」


 兵の一人が、槍の石突を床へ落とした。


 乾いた音がした。


 「金色でした」


 俺は言った。


 「黄龍だと、思います」


   *


 王は、声を上げなかった。


 驚いた顔もしなかった。


 ただ、鎚の柄を握り直した。


 「何か、言われたか」


 「……言われました」


 「言え」


 俺は、そのまま伝えた。


 「ドワーフどもも、劣化の割には、よう頑張っておったが」


 炉の中で、炭が弾けた。


 それ以外には、何も聞こえなかった。


 「……そう呼ぶのか」


 やがて、王が言った。


 俺は、顔を上げた。


 「陛下は、知っていたんですか」


 「知っておった、とは言わん」


 王は、金床に片手を置いた。


 「知っておるなら、もっと上手く話せる」


 厚い指が、金床の縁をなぞった。


 「だが、何かが低くなっておるとは、思っていた」


 「何か」


 「分からん」


 王は、即座に答えた。


 「分からんから、誰も口に出さなんだ」


   *


 「小僧。千年と、言うな」


 王が言った。


 「そう言うと、遠い話に聞こえる」


 俺は、意味が分からなかった。


 「五代だ」


 王は、指を折った。


 一本。


 二本。


 三本。


 五本を折り終えた手を、そのまま金床へ置いた。


 「ワシらは、長く生きる。千年は、その程度だ」


 それで、話が急に近くなった。


 千年前が、神話ではなくなった。


 ひいひいひい爺さんが、まだ若かった頃の話になった。


 「五代前の王の記録には、門の内側のことが書いてある」


 「残っているんですか」


 「帳面は、この城にある」


 王は言った。


 「字も、変わっておらん」


   *


 「読めるのに、打てん」


 王は、金床を撫でた。


 「同じ手順で、同じ炭を使い、同じ回数を叩く」


 鎚の柄へ、指を移した。


 「だが、帳面に書かれた物にはならん」


 俺は、何も言えなかった。


 「技術は上がったと、思うておった」


 王は続けた。


 「道具は増えた。炉も良くなった。手順も細かくなった。それは間違いない」


 けれど、とも言わなかった。


 王の顔を見れば、続きは分かった。


 「上手い奴の数が、五代前と変わらん」


 王が、顔を上げた。


 「増えた道具を使って、同じ所に立っておる」


 少し、間があった。


 「それだけなら、まだよい」


 王は言った。


 「鉄の方が、先に痩せた」


   *


 「帳面には、鉄の出所も書いてある」


 王が言った。


 「なんと書いてあると思う」


 俺は、首を振った。


 「『旅の者が持ってきた』」


 王は、それだけ言った。


 「どこから来た、何族の、何という者かは、書いておらん」


 金床を、指で一度叩いた。


 「書くまでもなかったのだろう」


 俺の背中が、少しざわついた。


 なぜかは、分からなかった。


   *


 「小僧。妙なことを言うぞ」


 王は、そこで鎚から手を離した。


 「ワシは、王になった日に、何かを見た」


 部屋の兵が、わずかに動いた。


 王本人も、どう話せばいいか分からない顔をしていた。


 「見た、というのも違う。思い出した、でもない」


 王は、自分の手を見ていた。


 「入ってきた、という方が近い」


 その手を、握る。


 「ワシの覚えではない。誰のものかも分からん」


 握った手が、わずかに震えた。


 「その中に、鉄がある」


 王は言った。


 「見たこともない鉄だ」


 俺は、背筋が冷えるのを感じた。


 「打ったことがない。触ったこともない。だが、打ち方を知っておる」


 王は、握った手を開いた。


 「手が知っておる」


 分厚い掌には、何も載っていなかった。


 「だが、その鉄が無い」


 部屋の誰も、口を開かなかった。


 「黄龍の言ったことが、これを指すのかは分からん」


 王は言った。


 「分からんが——五代前の帳面にある物へ、今のワシらの手が届かんのは、事実だ」


   *


 「もう一つ、帳面から分かることがある」


 王が言った。


 「昔の連中は、穴に潜っておった」


 俺は、顔を上げた。


 「何階まで降りた。何を拾った。誰が腕を失った。誰が帰らなかった」


 王の指が、金床を叩いた。


 「全部、書いてある」


 炉の火が、王の白い髭を赤く染めていた。


 「塞ぎ始めたのは、三代ほど前からだ」


 「危険だったから、ですか」


 「ああ」


 王は、短く答えた。


 「戻らん者が多すぎた」


 鎚を取る。


 「腕の良い者ほど、深くへ行った」


 持ち上げる。


 「深くへ行った者から、帰らなんだ」


 金床の、何も置かれていない場所を一度打った。


 低い音が、部屋を渡った。


 「穴を塞いだことだけが、今の全ての原因だとは言わん」


 王は、鎚を下ろしたまま続けた。


 「だが、ワシらが自分で閉じた道が、一つあることだけは間違いない」


 もう一度、金床を打った。


 「潜る者が減れば、鉄が減る」


 三度目。


 「鉄が減れば、打てる物も減る」


 四度目は、打たなかった。


 鎚が、金床の上で止まった。


 「打てぬ物を、打てるようになる腕は育たん」


   *


 クラインさんが、一歩前に出た。


 「陛下。学者として、観測できる事実だけを申し上げます」


 王が、頷いた。


 クラインさんは、抱えていた帳面を開いた。


 「古い記録は、今より数字が大きいのです」


 「数字」


 「エルフの寿命。人の背丈。獣人の走る速さ。魔法の届く距離」


 頁を、一枚めくった。


 「もちろん、誇張も写し間違いもあるでしょう。けれど、全てをそれだけで片づけるには、記録が多すぎます」


 クラインさんは、眼鏡を押し上げた。


 「ドワーフだけではないのか」


 「はい」


 王は、少し考えた。


 「そうか」


 それだけだった。


 慰めには聞こえなかった。


 多分、王も慰めとして受け取っていない。


   *


 俺は、言った。


 言わなければ、この部屋がそのまま沈んでいく気がした。


 「陛下。あの穴は、減りません」


 王の目が動いた。


 「なに」


 「俺たちが潜った場所です」


 俺は、ダンジョンのことを話した。


 二十階まで降りたこと。


 壁から鉱石が採れたこと。


 魔物を倒しても、鉱石や魔石が残ったこと。


 一度掘った場所へ戻っても、しばらくすれば、また石が現れていたこと。


 「岩は、戻るのか」


 「はい」


 「掘ってもか」


 「戻りました」


 「何度でもか」


 「俺たちが見た限りでは」


 王が、金床に両手をついた。


 この山に、石がないわけではない。


 けれど、昔の帳面に書かれた鉄はない。


 ツムグは、それで母親の帳面を睨み続けていた。


 その国の地の底に、掘っても戻る鉱山がある。


 王は、長い間、黙っていた。


 それから、小さく言った。


 「……旅の者、か」


 「陛下?」


 「なんでもない」


   *


 「あそこで出た鉄なら、あるいは」


 俺は言った。


 「必ず昔と同じ物になるとは言えません。でも、試すことはできます」


 「お前の刀の鉄は」


 王が遮った。


 「お前にしか扱えん熱で溶かしたと聞いておる」


 後ろから、バクが答えた。


 「炉が届かん」


 それだけだった。


 俺も、否定できなかった。


 ヒヒイロカネを溶かした火は、俺一人の火ではない。


 ナナを借りて、ようやく届かせた。


 「あれは、そうです」


 俺は認めた。


 「ですが、あそこにあるのは、あれだけじゃありません」


 王は、動かなかった。


 「普通の鉄より良い物もある。ミスリルもある。名前の分からない鉱石も、まだ下にあるかもしれません」


 「下は、まだあるのか」


 「二十階より先がありました」


 「どこまでだ」


 「分かりません」


 王が、鼻から長く息を出した。


 「分からんものばかりだな」


 「すみません」


 「謝ることではない」


 王は言った。


 「分からんから、打つのだ」


   *


 「小僧。もう一つ、言っておく」


 王は、俺を見なかった。


 「ワシは、歴代より弱い」


 部屋の誰も、動かなかった。


 「腕ではない」


 王は、すぐに付け足した。


 「腕なら、負けん。そこだけは誇っておる」


 王は、自分の手を見た。


 「だが、何かが足りん」


 手を開き、閉じる。


 「何が足りんのかは知らん」


 それでも、と王は続けた。


 「分かる」


 厚い手が、ゆっくり下りた。


 「昔の王は、もっと重かった」


 誰も、否定しなかった。


 否定できる者が、この部屋にはいなかった。


 「足りん物の名が分からんなら、名のある物で埋めるしかない」


 王は言った。


 「鉄と、腕と、数だ」


   *


 「昨今は、合わせるより、競わせる方へ寄せすぎたかもしれん」


 王が、鎚を肩に担いだ。


 「来年の大会に、炉を一つ増やす」


 部屋の後ろが、わずかにざわついた。


 「個人の一振りは、今までどおりだ。王へ挑む道も変えん」


 王は、先にそう言った。


 「だが、別に一つ設ける」


 「別の、部門ですか」


 「組んで打て」


 ざわめきが、大きくなった。


 「刃を打つ者。柄を作る者。魔法を入れる者。使う者」


 王は、指を一本ずつ折った。


 「何人でもよい。一つの物を、最後まで仕上げろ」


 「陛下!」


 若い声が上がった。


 前掛けの新しい、二十そこそこの鍛冶だった。


 「武具大会は、一人の腕を裁くものです!」


 「今までどおり、一人で出る部もある」


 「しかし、組んで打った物など——」


 「弱いと思うか」


 王の声は、大きくなかった。


 若い鍛冶が、口を閉じた。


 「なら、お前は一人で打て」


 王は言った。


 「来年、組んだ連中の物より良い物を持ってこい」


 若い鍛冶が、歯を食いしばった。


 「……持ってきます」


 「良い」


 王は、鎚の柄で肩を叩いた。


 「腕で言え」


 若い鍛冶は、深く頭を下げた。


   *


 「それと、穴を調べる」


 王が言った。


 今度は、兵たちが動いた。


 「昔の坑道を、片端から開けるのですか」


 「馬鹿を言うな」


 王は、即座に返した。


 「腕の良い奴から死なせて、何が昔へ追いつくだ」


 鎚で、部屋の外を指した。


 「まず帳面を集めろ。入口を調べろ。縄と灯りを揃えろ。戻る時刻を決めろ」


 誰かが、慌てて書き留め始めた。


 「潜った奴の名と、持ち帰った石と、帰らなかった奴の名を、全部残せ」


 王の声が、少し低くなった。


 「五代前の帳面に、続きを書け」


 部屋が、一瞬だけ静かになった。


 それから、外へ飛び出す者が出た。


 「俺は西の坑道を知ってる!」


 「爺さんの地図が蔵にある!」


 「先に縄屋を押さえろ!」


 誰かが「俺と組め」と言い、誰かが「お前は細工が荒い」と断り、すぐに揉め始めた。


 王が、鎚で金床を一度叩いた。


 全員が黙った。


 「……外でやれ」


 全員が、外へ出ていった。


 「あの人ら、二日酔いじゃなかったのか」


 ジェスが、感心していた。


   *


 「陛下。一つ、お願いがあります」


 クラインさんが、前に出た。


 「あの原と、城の帳面を、記録させてください」


 王が、彼を見た。


 「この国は、奉納した鉄を、一つ残らず書き留めていると聞きました」


 「そうだ」


 「ならば、その先も書けます」


 「その先」


 「置いた物が、どうなったか」


 クラインさんは、静かに言った。


 「五代、誰も書けなかった行です」


 王は、少し考えた。


 「書け」


 それから、付け足した。


 「黄龍の言葉も書け」


 「劣化、という言葉をですか」


 「ああ」


 「よろしいのですか」


 「分からんものを、分からんまま書け」


 王は言った。


 「勝手に答えをつけるな」


 クラインさんが、少しだけ笑った。


 「心得ました」


 「それと」


 王は、城の奥を顎で示した。


 「昔の帳面にある数字と、お前の持っておる他国の数字を並べろ」


 「原因までは、書けませんよ」


 「要らん」


 王は答えた。


 「分からんことを、分かった顔で書く奴は、鍛冶場なら指を飛ばす」


   *


 王の目が、次にツムグへ向いた。


 「娘」


 「なに」


 ツムグは、もうヤンさんの背中から降りていた。


 まっすぐ立っている。


 少しふらついてはいた。


 「門を通したのは、お前の刀か」


 「違う」


 迷わなかった。


 「通ったのは、こいつの技。刀は、そこにあっただけ」


 王は、頷いた。


 慰めも、褒めもしなかった。


 前と同じだった。


 「……でも」


 ツムグが、続けた。


 「折れなかった」


 王の手が、止まった。


 「前の剣は、同じ技で折れた」


 ツムグは、俺の腰の刀を見た。


 「あたしの刀は、折れなかった」


 それから、王を見上げた。


 「そこだけは、あたしの仕事」


 王は、しばらくツムグを見ていた。


 「間違いないのか」


 今度は、俺へ聞いた。


 「はい」


 俺は答えた。


 「俺が今まで使った剣なら、耐えられなかったと思います」


 王が、もう一度ツムグを見た。


 「……劣化の割には、よう打ったな」


 ツムグが、口を開けた。


 「その言い方、やめてよ」


 「気に入った」


 「やめて」


 後ろで、バクが小さく鼻を鳴らした。


   *


 「もう一つ、言っておきます」


 俺は、ツムグを見ないようにして言った。


 「あの龍は、俺の刀を見ました」


 「見たか」


 「はい」


 「なんと言った」


 「……特に、褒められてはいません」


 ツムグの顔が、わずかに引きつった。


 「見て、鼻を鳴らされました」


 「それだけか」


 「それだけです」


 王が、眉を上げた。


 ツムグの方は見なかった。


 俺も見なかった。


 「そうか」


 王は言った。


 「では、まだ足りんな」


 「はい」


 ツムグが、むっとした顔で俺を見た。


 「なんであんたまで頷くの」


 「足りていたら、何か言ったと思います」


 「神様の愛想が悪いだけかもしれないでしょ」


 「それは、かなりあります」


 王が、低く笑った。


 「良い」


 鎚の柄で、肩を叩く。


 「褒められて終わるより、次がある」


   *


 「小僧。門は、何で斬った」


 「刃じゃありません」


 「では、何だ」


 俺は、少し迷った。


 「……無い所を、通しました」


 王の眉が寄った。


 「分からん」


 「すみません」


 「なぜ謝る」


 「説明できないので」


 「分からんから、面白いのだ」


 王は、鎚を金床へ置いた。


 「褒美は出さん」


 「はい」


 「なぜか、分かるか」


 「この国は、腕にしか払わないからです」


 王が、鼻から息を出した。


 「半分だ」


 「もう半分は」


 「お前に借りを作りたくない」


 俺は、顔を上げた。


 「借り、ですか」


 「次に門を開けた時、ワシらだけの手柄にならん」


 「次」


 「開ける」


 王は、当たり前のことを言う調子で言った。


 「五代かかるか、十代かかるか。それはワシの知ったことではない」


 王は、金床を指で叩いた。


 「ワシらの鉄で、ワシらの手で開ける。数代前が当たり前にしていたことに戻すだけだ。そうしたら…」


 厚い指が、一度止まった。


 「その時、お前に礼を言う筋が残っておっては困る」


 「奉納も、続けるんですか」


 「続ける」


 「登るのも」


 「続ける」


 「見られているだけでも、ですか」


 「見られておるなら、なおさらだ」


 王は言った。


 「素っ気ない相手に、いちいち腹を立てておったら、鍛冶などやれん」


 部屋の後ろで、誰かが低い声で笑った。


 俺は、この人が王をやっている理由が、ようやく分かった気がした。


 この人は、神に返事を貰いに行くんじゃない。


 追い抜きに行っている。


 「……覇王だね」


 クラインさんが、小さく言った。


 誰にも、その意味を説明しなかった。


   *


 人が少なくなった部屋で、バクが初めて前へ出た。


 「頼みがある」


 王が、鎚から手を離した。


 この二人が、こういう形で向かい合うのを、俺は初めて見た。


 「言え」


 「あの娘が、帰ってきたら」


 バクは、そこで一度区切った。


 「もう一度、大会に出す」


 王は、少し黙った。


 「大会は、誰にでも開いておる」


 「知ってる」


 「なら、頼むことではない」


 「あの刀を」


 バクは言った。


 「飾りとして見るな」


 部屋が、静かになった。


 「武器として見ろ」


 王は、バクを見た。


 バクも、目を逸らさなかった。


 「前は、武器に見えなんだ」


 王は言った。


 「だから落とした」


 ツムグの肩が、わずかに動いた。


 「次も同じなら、落とす」


 「ああ」


 「旅へ持っていくのだろう」


 王の目が、俺の腰へ向いた。


 「使ってこい」


 俺は、刀の柄へ手を置いた。


 「刃こぼれも、曲がりも、研いだ跡も、そのまま持ってこい」


 王は続けた。


 「何を斬り、何を受け、どこで持ち主を生かしたか。鉄に喋らせろ」


 「折れん」


 バクが言った。


 王の口元が、わずかに動いた。


 「なら、折れんかった旅を持ってこい」


 バクは、しばらく黙っていた。


 それから、頷いた。


 「分かった」


 「それでよい」


 それで、話は終わった。


 けれど、二十年ぶんの何かが、その短いやり取りの中にあった気がした。


   *


 支度は、昼までに終わった。


 終わったのに、出発が遅れた。


 工房の前の通りが、また埋まっていたからだ。


 「またかよ!」


 「またです」


 昨日の連中が、そのままいた。


 何人かは、そもそも帰っていなかった。


 樽が出て、屋台が出て、なぜか肉まで焼かれ始めている。


 「朝から飲むな!」


 「昼だ!」


 「昼から飲むな!」


 そこらじゅうで、組む相手の取り合いが始まっていた。


 「刃は俺だ!」


 「お前は焼きが甘い!」


 「柄は誰が巻く!」


 「魔法を入れられる奴を先に押さえろ!」


 「俺は一人で出る!」


 「一人の部も残るって言ってただろ!」


 穴の話をしている連中もいた。


 「縄が要る」


 「灯りだ。灯りが先だ」


 「爺さんの帳面が、まだ蔵にあったぞ!」


 年寄りの鍛冶が、樽の上に立って怒鳴った。


 「ひいひい祖父さんの行った所まで、降りるぞ!」


 誰かが笑った。


 何人かが笑った。


 俺も、笑った。


 クーリの新しい弓を見に来た連中が、また列を作っていた。


 「一度だけ、引かせろ」


 「駄目です」


 「なぜだ」


 「壊れるのは弓じゃなくて、あなたの肩です」


 クーリが、すごく丁寧に断っていた。


 学習したらしい。


 ナナは、輪の中へ引っ張り込まれ、また足を踏んでいた。


 三兄弟が、昨日より上手くなっている。


 ナナも、昨日より速くなっている。


 誰が誰に合わせているのか、もう分からなかった。


 クラインさんは、本を五冊抱えて往生していた。


 「持ちすぎです」


 「必要な本だけだよ」


 「五冊のうち、何冊が必要なんですか」


 「五冊だ」


 『格納します』


 「助かる」


 ジェスは、荷を全部担ごうとして、ツムグに叱られていた。


 「馬鹿。腰やる」


 「やらねぇよ」


 「やった奴は、みんなそう言うの」


 「じゃあ、半分持てよ」


 「最初から、そのつもりだよ」


   *


 バクは、工房の戸口に立っていた。


 通りには出てこなかった。


 ツムグが荷を担ぎ、そこまで歩いていった。


 俺は、少し離れた所にいた。


 聞くつもりはなかったけれど、声は届いた。


 「……行ってくる」


 「ああ」


 それだけで、少し間があった。


 「鎚を、置くな」


 バクが言った。


 「置かないよ」


 「置いた奴を、知っておる」


 「知ってる」


 ツムグが、小さく笑った。


 バクは、通りの方を見た。


 荷の山と格闘しているジェスの背中を、しばらく見ていた。


 「盆を、毎日置いていたのは」


 「……あいつ」


 「そうか」


 バクは、それだけ言った。


 もう一度、ジェスを見た。


 「馬鹿は、腕がいい」


 ツムグが、勢いよく顔を上げた。


 「なにそれ」


 「伸びる、という話だ」


 「鍛冶の話みたいに言わないでよ」


 「他の言い方を、知らん」


 ツムグは、少しの間、黙っていた。


 それから、父親の太い腕を、拳で一度だけ叩いた。


 軽く叩き、そのまま歩き出した。


 振り返らなかった。


 バクも、呼び止めなかった。


 戸口に立って、動かないままだった。


   *


 通りを抜け、町の門を出た。


 振り返ると、まだ何人かが手を振っていた。


 半分は、まだ杯を持っていた。


 「で、どっちへ行くんだ」


 ジェスが聞いた。


 クラインさんが、帳面を開いた。


 「北だ」


 「北?」


 「図書庫で、それらしい記録を拾った」


 クラインさんは、頁の端を指で押さえた。


 「崑崙で見たものと、造りの似た遺構の話が、北の国境沿いに残っている」


 「国境って、どこの」


 「帝国だよ」


 ジェスの足が止まった。


 次の瞬間、跳ねた。


 「待て待て待て! 北へ抜けるなら、俺らの村を通るぞ!」


 「そうなるね」


 クラインさんは、帳面から顔を上げた。


 「あれから五年、帰っていないだろう」


 「五年と、半年」


 クラインさんの手が、帳面の上で止まった。


 「数えていたのか」


 「たまたま覚えてただけだよ!」


 「そうか」


 「そうだよ!」


 クラインさんは、それ以上、聞かなかった。


 「なあ、ギルドのおっさんども、まだやってるかな」


 ジェスが言った。


 「あぁお前にとってはそこも家同然だったな。やってるさ」


 クラインさんが答えた。


 「あの人たちは、しぶといからね」


 「帳場の婆さん、まだ怒鳴ってるかな」


 「怒鳴ってるよ」


 「よし」


 ジェスが、拳を握った。


 「胸張って帰れるぞ。あれから凄い成長したからな!でけぇ魔物を倒したり、崑崙の門を開けたり!」


 「開けたのはカイでしょ」


 クーリが言った。


 「見てた!」


 「ほとんど後ろにいたじゃない」


 「後ろを見る奴も必要なんだよ!」


 「顔、真っ青だったけど」


 「必要だから青くしてたんだ!」


 クーリが、噴き出した。


 「じゃあ、おっちゃんたちになんて言うの」


 にやりと笑う。


 「嫁、連れて帰ってきたって?」


 ジェスが、固まった。


 ツムグが、無言でジェスの脛を蹴った。


 「誰が」


 「俺は何も言ってねぇ!」


 「言われる前に否定するな」


 クラインさんが、静かに言った。


 「兄貴!」


 「事実の指摘だよ」


 俺は、少しだけ引っかかった。


 村の話をしているのに、三人とも、家の話をしなかった。


 誰に会うかという話が、全部、ギルドの人たちの話だった。

 ドラゴンにやかれたという故郷にはもう…。


   *


 俺は、ヤンさんを見た。


 ヤンさんは、北を見ていた。


 振り返っていなかった。


 あの山を、一度も見ていなかった。


 「ヤンさん」


 「ああ」


 「北で、いいですか」


 間があった。


 いつもより、長かった。


 「……いいだろう」


 それだけだった。


 ハジを出る朝、この人は言った。


 北に、迎えに行かなきゃならん奴がいる。


 あれから半年、一度も、その話をしなかった。


 鉄を待つのも。


 炉を待つのも。


 ツムグが泣くのも。


 全部、黙って見ていた。


 毎晩、木剣だけは投げてきたけれど。


 「行きますか」


 「行くぞ」


   *


 街道に出て、しばらくしてから、俺は一度だけ振り返った。


 崑崙は、白かった。


 昨日と同じだった。


 門が開いても。


 奉納の原へ人が入り、その数を確かめても。


 あの山は、何も変わっていなかった。


 あそこにいるものは、たぶん、もう俺のことを考えていない。


 次に来いと言われたのは、権限が一つ上がった時だ。


 遺跡は、あと2つ。


 ——けれど、あの門を次に開けるのは、俺ではないかもしれない。


 あの王が、開けると言ったのだ。


 『カイさま』


 ナナの声が、頭の中へ届いた。


 念話だった。


 『反応があります』


 『どっちだ』


 少し、間があった。


 『……前方です』


 『方角は』


 『正確には、取得できません。街道の先に、存在する可能性があります』


 今の俺たちに分かるのは、まだ、その程度だった。


 俺は、前を向いた。


 ジェスが、村の自慢を始めていた。


 クーリが、それを片っ端から否定している。


 クラインさんが、両方を採点していた。


 ツムグが、残った一本のヒヒイロカネを何に使うか、真剣に考えていた。


 ナナが、俺の隣を歩いている。


 腰の剣が、歩くたび、小さく鳴った。


 「ナナ」


 『はい』


 「重くないか」


 『いえ』


 少し、間があった。


 『……鳴ります』


 「うん」


 『歩くと、鳴ります』


 「そうだな」


 ナナは、鞘へ一度だけ手を添えた。


 『——記録します』


 俺は、笑った。


 (第三十八話「千年」・了)

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