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Re:sou〜超現実拡張妄想変換装置(仮)改〜  作者: 西ノ圭吾
第六章 幕開け
41/44

Re:sou 第三十七話「弦」



 ツムグとバクが工房に籠もって、四日になる。


 飯は戸口に置く決まりになった。中に入ると、怒られるからだ。


 「入んな! 崩れる!」

 「何がですか」

 「いいから!」


 俺は盆を置いて、退散した。中からは、鎚の音に混じって、時々、聞き慣れない音がした。


 石が、こすれるような。土が、ゆっくり動くような。


 クラインさんが、戸の隙間に、へばりついていた。


 「……見えた。今、見えたぞ。バク殿が、石の塊を、手で、撫でて——形が、変わった」

 「クラインさん、離れてください」

 「土魔法だ。それも、僕が崑崙で三ヶ月かけて齧ったやつの、遥か上だ。頼む、あと少しだけ」

 「怒られますよ」

 「学問に犠牲はつきものだ」


 戸が、内側から開いた。


 ツムグが、無言でクラインさんを見上げた。


 「……失礼した」


 学問は、あっさり犠牲になった。


   *


 五日目の朝、二人が出てきた。


 作業台の上に、それは、並んでいた。


 型だった。


 黒いのと、鈍い金色の。剣の形に彫られた石、盾の形の石、細長いの、丸いの。内側は磨き上げられて、細かい筋の一本まで、彫り込んである。


 「アダマンタイトと、オリハルコン」


 ツムグが、目の下に隈を作ったまま言った。


 「ヒヒイロカネの湯は、普通の鉄より、ずっと熱い。鉄の型じゃ、型の方が溶ける」


 だから、型を、溶けない鉱石で作る。


 言うのは簡単だが、あの硬い鉱石を、彫って磨いて、この精度で仕上げたのか。四日で。


 「鎚だけじゃ、無理。……父さんに、魔法を習った」


 ツムグは、手近な型の縁を、指でなぞった。


 石の面が、指の後を追って、わずかに、動いた。粘土みたいに。


 「鉱石を動かすのが、土。細工を入れるのが、金。ドワーフの鍛冶は、両方使う」


 クラインさんが、身を乗り出した。


 「君、通りがいいね。土と金」

 「半分、人間だからね。どの属性も、並。……土と金だけ、ちょっとだけ上」


 ツムグは、なんでもないことみたいに言った。


 バクは、その後ろで、炉に火を入れ始めていた。


 耳が、赤かった。四日間、娘に魔法を教えていた男の耳だった。


   *


 鋳込みの日は、また、祭りになった。


 工房の前に人垣ができて、屋台が出て、今度は最初から酒まで出ていた。二回目からは、こういうものらしい。


 作業台に、赤金の延べ棒が、並んだ。


 六本。


 残りの一本を、ツムグはヤンさんに差し出した。


 「ヤンの分。何か、作る?」


 ヤンさんは、延べ棒を見て、それから、壁に立てかけた自分の斧槍を見た。


 「……足りてる」


 一言だった。


 ツムグは頷いて、その一本を、ナナの格納領域へ戻した。


 誰も、何も言わなかった。あの斧槍は、この工房で、生き返ったばかりだ。


 「じゃ、始めるよ」


 俺は、炉の前に立った。隣にナナ。


 「悪い、ナナ。……また、頼む」

 『はい』


 即答だった。


 『型は、全て揃っています。……一度で、済ませます』


 一度で。


 こいつは、こういうところで、ちゃんと計算している。


 火を、入れた。


 白が、色を失っていく。あの熱だ。二度目でも、慣れはしなかった。


 赤金が、落ちる。


 湯が、樋を伝って、型へ流れ込んでいく。一つ、また一つ。ツムグとバクが、湯口を切り替えていく。


 外の歓声が、波みたいに、上がっては引いた。


 山は——揺れなかった。


 もう、知ってる顔だからかもしれない。


   *


 型を割ったのは、翌日だった。


 中から出てきたものが、順に、持ち主へ渡っていった。


 ジェスには、刃のない、赤金の剣。


 「……なあ、これ、刃は」

 「無いよ。研げないんだから」

 「剣だよな?」

 「剣の形をした、折れない棒」


 ジェスは、それを二、三度振って、それから、にやりと笑った。


 「いいな、これ。思いっきりいける」


 バクの打った黒い大剣と、使い慣れた大槌と、赤金の剣。三本が、ジェスの前に並んだ。


 「三本も、どうやって持ち歩くんだよ」

 『格納します』


 ナナが、即答した。


 『必要な時に、お出しします』

 「……格納便利だなぁ」

 『はい』


 クラインさんには、細身の一本。先端が丸く、刃もない、レイピアの形をした赤金。

 そしてミスリルの杖

 「ありがたい、これでより使えるようになる。レイピアは元より防御用、護身用だこれだけ硬く軽いのは助かるね」


 彼は、それを優雅に一振りして、杖と反対の腰へ差した。飾り剣みたいに、様になっていた。


 クーリには、赤金の胸当て。ナナには、小ぶりの盾。


 俺には、籠手。黒い籠手の甲に、赤金が一筋、鋳込んであった。


 「刀の余り。端材で悪いけど」

 「いえ。……これで、受けられます」


 受けたくば、それで受けろ。


 あの声を、思い出していた。鍔と、籠手。受ける場所が、二つになった。


 最後に、ツムグが、自分の分を取り出した。


 大槌だった。


 赤金の、のっぺりした、飾りのひとつもない槌頭。柄も太いだけ。


 「……ツムグさんの、ですか」

 「旅に出るんだ。あたしも、得物くらい要る」


 彼女は、それを軽々と担いだ。鍛冶場で鍛えた肩が、様になっていた。


 「なんで、のっぺりなんだ?」


 「いずれ自分の力と技でこいつを仕上げるためよ」


 ツムグは、あっさり言った。


 「これを仕上げる力を身につけるための修行でもあるの」


 小さい方の、鍛冶用の小槌も、赤金だった。こっちは、もう手に馴染んでいるみたいだった。


 「そういえば」


 クーリが、皆の得物を見回して、言った。


 「あたしのダガーと、ナナの剣以外……刃物、無くない?」

 「「「…………」」」


 全員が、自分の得物を見た。


 折れない棒。先の丸い飾り剣。槌が三つ。研げない刀。


 「……うちのパーティ、大丈夫?」

 「頑丈さでは、世界一だと思いますよ」

 「いや俺は普段大剣使うから大丈夫だ。重いし修行になるぜ」

 

 ジェスが大剣を手に取り肩に担ぐ


 「槌もいいがやっぱ剣のがしっくりくるな」

 「確かに様になってるじゃない」

 

 もうツムグは…

 いやこれも良い変化だろう。


   *


 弓は、最後だった。


 これだけは、鋳込んだままでは終わらない。ツムグは半日かけて、部品を組んだ。


 芯に、銀の線が一本、通っている。ミスリルだ。魔力の通り道。


 その周りを、赤金の薄い板が、上下に長く、挟んでいる。しなりと、強さの分。握りには、革が巻いてあった。


 赤金と銀の、合わせ物だ。名前は知らないが、とにかく、一本の弓になっていた。


 「クーリ。おいで」


 クーリは、両手で、そっと持ち上げた。


 「軽っ!?」

 「そういう鉄なの」


 ツムグは、あくびをかみ殺しながら言った。


 「銘は?」


 クーリが、弓の内側を覗き込んだ。


 「入れない」

 「え、なんで? 入れなよ、かっこいいのに」

 「いつか、自分の鉄で打ったやつに入れる。……それまで、取っとくの」


 ツムグは、それだけ言った。


 それから、ふいに、変な声を出した。


 「……ん」

 「どうしました?」

 「いや。……初めてかも、って思って」

 「何がですか」

 「どこも、悔しくないの」


 彼女は、弓を、端から端まで、見ていた。


 刀の時は、最後に、研げなくて泣いた。


 この弓には、研ぐ場所が、最初から無い。糸も、弦も、型も、組みも、どこにも、届かなかった場所が無い。


 「……そっか。弓なんだ、最初」


 小さい声だった。誰に言ったのでもなかった。


 バクが、炭を一本、折った。折らなくていい炭を、折っていた。


   *


 弦張りは、外でやることになった。


 「言っとくけど、全員がかりだからね」

 「またかよ!」


 ジェスが叫んだ。ツナデの弓に弦を掛けた日のことは、全員、腕が覚えている。


 ヤンさんが弓を押さえ、ジェスが下を踏み、ツムグとクラインさんで、弦を掛ける。あの日と、同じ配置だった。


 白い弦が、伸びる。蜘蛛の糸の弦だ。切れない方の。


 「硬っ……くない!?」


 ジェスが、目を丸くした。


 「クーリの寸法だし素材も違うからね。あれは母さんの寸法。……皇国の弓だったの」


 それでも、最後のひと掛けは、力が要った。


 ツムグが弦輪を持ち、ジェスがその手ごと上から押さえる形になって——二人の顔が、拳一つ分まで、近づいた。


 「————」

 「————」


 弦が、掛かった。


 二人が、同時に、反対方向へ跳びのいた。


 「か、掛かったな!」

 「掛かったね!」


 声が、裏返っていた。クラインさんが、実に楽しそうに眼鏡を拭いた。


 クーリが、弦を、指で弾いた。


 高い音が、ひとつ。


 まっすぐ、空へ昇っていった。ツナデの弓の低い音とは、違う音だった。


 「……いい音」


 クーリが、笑った。


   *


 試し射ちは、町外れの原っぱでやった。


 的の話で、まず揉めた。


 「あたしが板持って立とうか?」

 「死にたいんですか」

 「大丈夫だって、避けるし」

 「避ける的があるか」


 結局、五十歩ほど先の岩を狙うことになった。人の背より大きい、灰色の岩だ。


 クーリが、矢をつがえた。


 ただの矢だ。三ヶ月前に庭で削った矢柄に、鉄の鏃。ミスリルのは、袋に入れて取ってある。


 「練習で使ったら、勿体ないでしょ」

 「賢明ですね」


 息を、吸う。


 引く。


 赤金の弓が、深く、しなった。軋みは、ない。銀の芯が、弦の力を、静かに受けて——


 放した。


 音が、遅れて来た。


 空気の破れる、短い音。


 そして、鈍い音が、ひとつ。


 岩に、矢が、生えていた。


 「「「…………」」」


 全員で、近寄った。


 矢柄が、羽根の付け根まで、岩の中に入っていた。表に出ているのは、羽根だけだ。


 「……刺さってる」

 「岩ですよね、これ」

 「岩だな」


 ジェスが、矢柄を掴んだ。


 引いた。


 抜けなかった。


 両手にして、腰を落として、それでも抜けなかった。


 「無理だ! 岩の方が先に来る!」

 「あたしの矢……」

 「諦めなさい。あれはもう、岩の一部だ」


 クラインさんが、しゃがんで、断面を覗き込んでいた。


 「割れていない。砕いてもいない。……押し退けて、入っている」


 彼は、眼鏡を押し上げた。


 「クーリ。今の、何割で引いた」

 「え? ……半分、くらい?」


 沈黙が、落ちた。


 「……ねえ、これ、あたしが加減、覚えるまで」


 クーリが、真顔で言った。


 「誰も、あたしの前に立たないでね」


 全員が、深く、頷いた。


 ツムグだけが、岩をぺたぺた触って、満足そうにしていた。


 「うん。ヤバイ弓だ」

 「作った奴が言うな」


   *


 昼を回って、工房に戻ると、ツムグが奥から、細長い包みを持ってきた。


 「ナナ。おいで」


 布が、解かれた。


 剣だった。


 片手剣より、少し短い。細身で、飾りがない。鞘は新しい木の色で、柄には、まだ誰の手の跡もついていなかった。


 折れた剣が、打ち直されて、そこにあった。


 「あんたの背丈と、腕に合わせた。盾と、釣り合う寸法。……抜いてみな」


 ナナは、両手で、それを受け取った。


 丁寧に。壊れ物を扱うみたいに。あの日、折れた刀身を抱えた時と、同じ手つきだった。


 鞘を、払う。


 細い刀身が、昼の光を、静かに返した。


 刃は、ある。


 薄く、まっすぐ、切っ先まで通っている。曇りは、ひとつもなかった。


 「元の鉄が、いいんだ。素直で、粘りがあって、よく研げた。……前の鍛冶の仕事も、残してある。全部は、打ち直してない」


 ツムグは、刀身の根元を、指で示した。


 「ここから下は、昔のまま。上だけ、あたし。……継いだの」


 ナナは、刀身を、じっと見ていた。


 それから、鞘に納めて、胸の前で、抱えた。


 『……ありがとう、ございます』


 声が、いつもより、少しだけ小さかった。


 俺は、馬車の中の問いを、思い出していた。


 使えなくなった道具は、どうなるのですか。


 あの時、俺は答えられなかった。


 答えは、いま、ナナの手の中にあった。折れても、終わりじゃない。直して、継いで、次の形で、隣に置く。


 ツムグが、鎚で、そう答えた。


 ヤンさんは、少し離れた所に、立っていた。


 ナナが、剣を抱えたまま、ヤンさんの方を向いた。


 『ヤンさま』


 なんでだろう、と俺は思った。剣を打ったのは、ツムグなのに。


 『……大切に、します』


 ヤンさんは、ナナを見た。


 それから、剣を見た。


 「ああ」


 一言だった。


 それだけ言って、ヤンさんは、工房を出ていった。


 その背中を、俺は、なんとなく、見送った。


   *


 夕方、工房の作業台に、道具が並んだ。


 赤金の弓と、細い剣。小さい盾と、直った大盾。刃のない剣に、先の丸い飾り剣。黒い大剣。槌が、大小三つ。俺の籠手。そして、腰の刀。


 三ヶ月前、ここに並んでいたものと、ひとつも同じ形をしていなかった。


 ヒヒイロカネの延べ棒は、一本だけ、残った。


 ツムグは、並んだ道具を端から順に見て、最後に、大きく伸びをした。


 「……よし。寝る」

 「寝てください。六日起きてたでしょう」

 「七日だよ」


 彼女が奥へ引っ込みかけた、その時だった。


 外から、太鼓の音がした。


 一つ、二つ。それから、笛。それから、明らかに酔っている歌声。


 ツムグの手が、戸に掛かったまま止まった。


 「……嘘でしょ」


 工房の戸が、外から開いた。


 立っていたのは、隣の区画の親方だった。頭に手拭いを巻いて、両手に樽を抱えていた。


 「バク! 出来たんだろ!」

 「……出来た」

 「なら、飲むぞ!」

 「そうなるか」

 「そうなる!」


 親方は、答えを聞く前から、もう入ってきていた。後ろに、大通りの三兄弟がいた。その後ろに、名前も知らないドワーフが、二十人くらいいた。


 「あの、うちの炉、まだ熱いんですけど」

 「知ってる。だから炙る」


 炉で、肉を炙り始めた。


   *


 工房の前の通りが、そのまま宴会場になった。


 誰が用意したのか、板が渡されて長机になり、樽が椅子になり、屋台がいつの間にか三軒に増えていた。


 鋳込みの日から、片付けていなかったらしい。


 「これ、町のお祭りなんですか」

 「炉を積んだのは町だ」


 親方が、杯を押しつけながら言った。


 「積んだもんが動いた。祝うのは町だ。……理屈だろ?」


 理屈だった。


 この国は、そういう理屈で動いている。


 ドワーフたちは、まず、得物を見に来た。


 「持たせろ」

 「壊さないでくださいね」

 「壊れんのだろ、これは」


 クーリの弓が、最初に回った。


 一人目が持ち上げて、目を丸くした。二人目も。三人目は、二回持ち上げ直した。


 「軽い」

 「軽いな」

 「軽すぎる」


 三兄弟が、順に言った。


 「弓は軽い方がいいんですよ」

 「そうか?」

 「そうです」


 適当に答えたが、たぶん合っている。


 やがて、一人が弦に手をかけた。


 「引いてみるか」

 「あ、それは」


 止める前に、引いた。


 ドワーフの腕である。石を砕いて、金床を叩いて、一日ふいごを踏む腕だ。


 弦は、指の幅ほど動いて、止まった。


 「……ん?」


 もう一度、引いた。今度は両手で。


 同じところで、止まった。


 「動かんぞ」

 「あたしのだからね」


 クーリが、弓を取り返した。


 そして、片手で、半分まで引いた。


 通りが、静まった。


 「「「…………」」」

 「な、なんだ今の」

 「身体強化ですよ」


 俺が言うと、親方が唸った。


 「あれで半分か」

 「はい」

 「……人の前で射つな」

 「みんなそう言うんだよね」


 クーリは、けろっとしていた。


   *


 次に始まったのが、腕相撲だった。


 誰も言い出していないのに、机の真ん中が空いて、酒が退けられて、いつの間にか始まっていた。


 最初にジェスが座った。


 「よし、来い!」

 「ジェス、相手ドワーフですよ」

 「だから面白いんだろ!」


 三秒で負けた。


 「もう一回!」


 二秒で負けた。


 「もう一回!」


 一秒で負けた。


 だんだん短くなっている。


 「なあ、これ強くなってんの俺か? 相手か?」

 「相手が本気になってるんです」


 ジェスは、それでも笑っていた。負けるたびに笑って、腕を振って、次の相手を手招きしていた。


 ドワーフたちが、それを気に入ったらしかった。四人目のあたりから、負けたジェスに酒が回るようになった。


 「兄ちゃん、いい負け方するな」

 「そうか?」

 「負けて凹むやつと、飲むのはつまらん」


 ツムグが、少し離れた樽に座って、それを見ていた。


 「……馬鹿だね」


 言いながら、口の端が、上がっていた。


 俺は、見なかったことにした。


 ヤンさんが、一度だけ呼ばれた。


 通りが、少し静かになった。皆、この大男が何をするのか見たかったらしい。


 ヤンさんは杯を置いて、机に肘をついた。


 三十を数える間、動かなかった。


 それから、相手の腕が、ゆっくり倒れた。


 「「「おおおおお!!」」」


 ヤンさんは、何も言わずに杯へ戻った。


 次の相手が来た。断らなかった。


 結局、七人と組んで、七人倒して、それから「もういい」と一言言って、通りの端の石に腰を下ろした。


 どの腕自慢達も拍手喝采だ。

 ヤンさんは相変わらずすごい。

   *


 騒ぎの途中で、ジェスがいなくなった。


 次に見た時、両手に皿を持っていた。


 肉と、芋と、パンと、何か煮たやつ。積み上げすぎて、傾いていた。


 それを、ツムグの座っている樽の横に、置いた。


 「食え」

 「は?」

 「六日、まともに食ってないだろ」

 「七日」

 「じゃあ七日ぶんだ」


 ツムグが、皿を見た。それから、ジェスを見た。


 「……多い」

 「足りなかったら言え。まだある」

 「いや、多いって言ってんの」

 「聞こえた」


 ジェスは、隣の樽に座った。


 そして、自分の分を食い始めた。何も言わなかった。喋りに来たわけではないらしかった。


 ツムグは、しばらく皿を睨んで、それから、芋を一つ取った。


 食った。


 もう一つ、取った。


 「……ん」

 「うまいだろ」

 「腹、減ってたんだ」

 「知ってる」


 ジェスは、それだけ言って、パンを噛んだ。


 ツムグの手が、少し速くなった。皿の半分まで、あっという間になくなった。


 それから、彼女は、急に手を止めた。


 「……なんで知ってんの」

 「盆、毎日置いてたの俺だぞ」


 ジェスは、正面を向いたまま言った。


 「戻ってきた盆、半分残ってた。毎日」


 ツムグが、動かなくなった。


 クーリが、少し離れた所で、肉を食う手を止めていた。


 俺も、止めた。


 ジェスは、気づいていなかった。本気で気づいていない顔で、二個目のパンに手を伸ばしていた。


 「……あんた」


 ツムグの声が、小さかった。


 「なに」

 「馬鹿だね」

 「よく言われる」


 ツムグは、皿を持ち上げて、ジェスの方へ、少しだけ寄せた。


 「……半分、食べて」

 「食える」

 「食えって言ってんの」

 「おう」


 クーリが、盛大にため息をついた。


 「……ねえ、あの二人、いつ気づくの」

 「僕は半月と言った」

 「クラインさん、もう半月経ってますよ」

 「延長する」


   *


 クラインさんは、三杯で駄目になった。


 「いいか、聞きなさい」


 誰も頼んでいないのに、講義が始まった。


 「土は、鉱石の配位を緩める。金は、その表面に秩序を与える。……つまり、緩めて、整える。分かるか?」

 「分かんない」

 「クーリ。君は僕の妹だぞ」

 「妹だけど分かんない」


 クーリは、肉を食っていた。ずっと食っていた。この子は宴会になると、まず量を確保する。


 「ツムグ君。君は分かるだろう」

 「分かるけど、あんたの言い方だと分かんない」

 「なぜだ」

 「難しく言いすぎ」


 クラインさんは、たいそう傷ついた顔をして、四杯目を飲んだ。


 そして、五分後には、ナナに向かって喋っていた。


 「君は、聞いてくれるね」

 『はい。記録しています』

 「記録!?」

 『後日、正確に読み返せます』

 「やめてくれないか」


 ナナは、酒を飲まない。


 かわりに、いつの間にか、飲み比べの記録係になっていた。


 『親方さま、十四杯。三兄弟の長兄さま、十一杯』

 「まだいける!」

 『次兄さま、九杯。……ただし、六杯目以降は、半分こぼしています』

 「言うな!!」


 通りが、どっと笑った。


 ナナは、少し不思議そうな顔をして、それから、また記録を続けた。


 やがて、誰かが立ち上がって、足を踏み始めた。


 踊りだった。


 両手を腰に当てて、片足で床を三つ打って、回る。単純だが、二十人でやると、地面が鳴った。


 「娘っ子! 来い!」


 ナナが、名指しされた。


 『わたしは、記録係です』

 「記録は明日でいい!」

 「行っといでよ」


 クーリが、背中を押した。


 ナナは、輪の中へ引っ張り込まれて、それから、足元を、じっと見ていた。


 三つ、打った。


 回った。


 完璧だった。


 一度見ただけで、完璧にやった。踏む間も、腕の角度も、隣のドワーフと寸分違わなかった。


 「「「おおおおお!!」」」

 「筋がいいぞ!」

 『……再現です』

 「なんでもいい!」


 二周目で、ナナは、少しだけ、速くなった。


 三周目で、隣の男が追いつけなくなった。


 四周目で、輪の全員が、ナナを見ていた。


 俺は、樽に座って、それを見ていた。


 覚えるのが、速い子だ。前から知っている。


 でも今、こいつが覚えているのは、戦い方じゃない。


 夜に、意味もなく、足を踏んで回るやつだ。


 輪から抜けてきたナナは、髪が少し乱れていた。


 『……速すぎた、でしょうか』

 「いや」

 『はい』

 「楽しかったか?」


 ナナは、少し黙った。


 『——記録します』

 「そうか」


 俺は、笑ってしまった。


   *


 夜が、更けた。


 太鼓が止んで、笛が止んで、歌だけが残って、それも一人ずつ抜けていった。


 通りの端で、机に伏せて寝ている者が、何人かいた。


 俺は、樽に座って、なんとなく空を見ていた。


 崑崙は、暗くてよく見えなかった。


 少し離れた石に、バクが座っていた。


 膝に杯を持って、炉の方を見ていた。もう火は落ちている。


 「バクさん」

 「……ああ」


 俺は、隣に座った。


 しばらく、二人とも黙っていた。


 この人は、そういう人だ。三ヶ月一緒にいて、それは分かっていた。


 「……よく、出来た」


 やがて、バクが言った。


 「型の話ですか」

 「弓だ」


 杯を、少し傾けた。


 「あれは、全部、あいつの手で終わった。……糸から、弦から、鉄から、最後まで」


 俺は、頷いた。


 「途中で、俺が入る所が、無かった」


 バクは、そう言って、笑った。


 笑ったのだと思う。口の形は、そうだった。


 「相槌を、打たせてもらえなかった」


 それが、この人の言い方だった。


 「……ツナデには」


 声が、少しだけ、変わった。


 「ツナデには、そういうもんが、一つも無かった」


 俺は、何も言わなかった。


 言うことが、なかった。


 二十六話で、鍛冶王が言っていた。ツナデの刀は、四撃目で折れた。この国では、それが評価だった。


 「あいつは、一人で試して、一人で書いて、誰にも見せなかった」


 バクは、杯の中を見ていた。


 「見せる相手が、ワシ以外には居らんかった。ツムグは多く見つけたようだ。……」


 そこで、言葉が、止まった。


 長かった。


 「旅に出るんだろう、世界を見るんだろう、…娘を頼む。」


 バクは、空を見上げた。それから、手の甲で、目を一度、拭った。


 一度だけだった。


 「……酒が、悪い」


 そう言った。


 「そうですね」

 「悪い酒だ」

 「はい」


 俺は、そう答えた。


 少し離れたところで、足音が止まった。


 ツムグだった。


 小槌を持ったまま——たぶん、宴会中もずっと持っていたんだろう——そこに立って、父親の背中を見ていた。


 バクは、振り返らなかった。


 ツムグも、近づかなかった。


 それから、彼女は、小槌の柄を、両手で握り直した。


 「……酒臭い」


 声が、少し掠れていた。


 「泣いてない」

 「言っとらん」


 「言う前に言った」

 「そういうとこ、そっくりだね」


 ツムグは、鼻を一度すすって、それから、上を向いた。


 目のあたりを、袖で、ぐいっと拭った。


 そういう拭い方だった。刀身を拭く時と、同じ手つきだった。


 ——そこで、後ろから、盛大な音がした。


 「うわあああああん!!」


 クーリだった。


 全力で泣いていた。


 「ちょっ、クーリ!?」

 「だっ、だって、だってさぁ!!」


 顔がぐしゃぐしゃだった。手には、まだ肉の串を持っていた。


 「そういうの、無理なんだよぉ! 父娘の、そういうの!」


 ジェスが、慌てて駆けてきた。


 「わかった、わかったから、串置け! 危ないから!」

 「置かない!」

 「置け!」


 ツムグが、目を丸くして、それから、脱力した。


 「……なんであんたが一番泣いてんの」

 「知らないよぉ!」


 クラインさんが、ゆっくり歩いてきた。


 酔っているのに、足取りが、しっかりしていた。


 彼は、妹の頭に、手を置いた。


 何も言わなかった。


 妹の隣に座って、自分の杯を、置いた。


 それだけだった。


 俺は、二人の父親のことを、思い出していた。


 五年前。ドラゴンが故郷を襲い。

 庇って、死んだと聞いている。


 この二人は、目の前で、それを見ている。


 だからか、と思った。


 だからこの子は、父娘が仲良く並んでいるのを見ると、思い出してしまうのかもしれない。


 バクが、困った顔をしていた。


 この国で一番寡黙な男が、他人の娘に泣かれて、どうしていいか分からない顔をしていた。


 「……そんなに、大したことは、言っておらん」

 「言ったよぉ!」

 「言っておらん」

 「言ったし!」


 クーリが、串を振り回した。


 「ジェス! 串!」

 「取るな!」

 「危ないだろ!」


 結局、ジェスが串を取り上げて、そのまま自分で食った。


 「あーっ! あたしの!」

 「泣いてる奴に食う権利はない」

 「ある!」


 通りに、また笑いが起きた。寝ていた連中まで、何人か起きた。


 ツムグは、その騒ぎを見て、それから、俺を見た。


 「……あんたら、うるさいね」

 「はい」

 「旅って、毎日こんななの?」

 「大体こんなです」


 ツムグは、しばらく黙って。


 それから、小さく、笑った。


 「……悪くないね」


 バクが、その顔を、見ていた。


 何も言わなかった。


 ただ、杯の残りを、一息で飲んだ。


   *


 朝、工房の戸を、誰かが叩いた。


 叩かれても、誰も起きなかった。通りには、まだ何人か転がっていた。


 俺が開けると、立っていたのは、王城の兵だった。革の前掛けの上に、正装の帯だけ締めた、妙な格好の兵だった。


 その顔も、うっすら赤かった。


 「バク殿。ツムグ殿。……それと、旅の方々に」


 兵は、息を整えて、言った。


 「陛下が、お呼びです」


 奥から、呻き声がした。


 ツムグが、机に伏せたまま、片手だけ上げた。


 「……寝てからじゃ、駄目?」


 (第三十七話「弦」・了)


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