Re:sou 第三十話「糸」
「で。新しいの、作ればいいだろ」
ジェスが、切れた弦の入った木箱を、指で小突いた。
「作らない。作れないんだよ。刀鍛冶が、弦なんか、触ったこともない」
ツムグが、あっさり首を振る。
「一般には、麻を撚るか、獣の腱だ」
クラインさんが帳面を開き、それから壁の弓を、長く見上げた。
「……ただ、あれには、どっちも保たない。あの張りに、麻は切れる。それに——君の弓は、属性を通すんだろう。なら弦も、魔力を通さないと意味がない。麻も腱も、通さないよ」
「じゃあ、ミスリルの糸」
ツムグが言いかけて、自分で首を振った。
「駄目だ。伸びる。重い。……詰んでない?」
「強くて、軽くて、伸びなくて、魔力を通す糸」
俺は、指を折りながら数えた。
「一つ、心当たりがあります。蜘蛛の糸です」
全員が、こっちを見た。
「あの蜘蛛? 指で切れるやつ?」
クーリが、露骨に嫌な顔をする。
「種類によっては、同じ重さの鋼より強いと聞いたことがあります。それに、獲物を縛る糸は、あんまり伸びないそうです」
「なんで知ってんのよ」
「学校で」
「あんたの学校、何教えてんの!?」
クラインさんが、帳面へ何か書き始めた。
「鉄より強く、伸びず、そして魔物の糸なら、魔素を含む。……都合が、良すぎるな」
「その台詞、僕が言うところでした」
「言うと思ったよ」
『この前の情報が流れ込んだ時の中にモンスターの情報がいくつかありました。蜘蛛型の魔物は第十五階層に、徘徊型が一体います。』
ナナが言った。
『糸を吐きます。ただ、階を歩き回る個体のようです。通路のモンスターと違い、必ず同じ場所にいるモンスターではないみたいです。またかなり硬いみたいで近距離は不利との情報もありますね。なぜか…』
「レアな強敵枠か」
「はぐれの強い魔物というわけだね」
カイとクラインの目があう
「お互いわかってますね。みたいな目はやめろ…しかし探すしかねぇな」
ジェスが即答した。
「宝箱も、まだあんだろ」
「あんたの『ついで』、いっつも本題より大きいのよ」
問題は、その近距離に強い蜘蛛を、何で獲るか、だった。全員の目が、壁の弓へ向く。弦の、無い弓へ。
「……あのさ」
クーリが、ゆっくり言った。
「弦を作るために、弦を張った弓が、要るってこと?」
「そういうことに、なるね」
クラインさんが、眼鏡を押し上げた。
「まともな弦を獲るために、まともじゃない弦で、行く」
「詰んでる!!」
「詰んでない」
「クラインの魔法とアンタの魔法矢、カイの魔法剣と旦那のハルバードがあれば…」
ジェスが俺は?という顔もしたが無視される。
ツムグが立ち上がり、鍛冶場の隅から古い弓を一張り引きずり出した。母のそれとは比べ物にならない。短くて、粗くて、ところどころ虫が食っている。
「壊れても惜しくないやつに、ミスリルの芯を一本。属性が乗るか、試す。弦は、麻でいい」
「麻、通さないんじゃ」
「試作だもん。まず矢が飛ぶか見る。属性は、その次」
「何射、保つ?」
俺が聞くと、ツムグは麻紐を指で撫でた。
「分かんない。やったことないもん。……この張りに、麻。たぶん、二十射」
その「たぶん」を、後で恨むことになる。この時の俺は、まだ知らなかった。
矢は、ナナが組んだ。矢羽根はあの金の箱に山ほど入っていて、鏃は鍛冶場の隅の鉄屑を、ツムグが叩いた。あとは木の棒だけだ。最初の十本は、ツムグが横につきっきりで、ナナの手で作らせた。
「羽根、三枚、等間隔。ずれると飛ばない」
『はい』
「鏃はまっすぐ。少しでも斜めだと逸れる」
『——記録しました』
「記録じゃなくて、覚えて」
『……はい』
十一本目からは、ナナの手が速くなった。格納から部材を抜き、番え、押さえ、また抜く。人の目では追えない速さだったが、それでも一本ずつ、手で組んでいた。あっという間に、二十本。
「便利だな!」
ジェスが言うと、ナナは少し間を置いた。
『……いえ。わたしが作ったのは、最初の十本だけです。あとは、同じ物を、繰り返しています』
「同じじゃねぇか」
『——速さが違います』
それきり、彼女は黙って作業を開始した。
ツムグが隣で、鎚を、落とした。
*
それから3日ほど弓の型の鍛錬と飯を新たに仕入れた後、もう呆れて慣れたポータルから10階層へ。
そして、目的の15階層まで急いで来た。
十五階は、広かった。
天井が、松明の光の届かないところまで高い。そして、罠の網を見つけた。
最初は、何も無い空間に見えた。松明を近づけると、時々、細い線が光を返す。天井から、床から、斜めに、縦に、規則もなく。
「触っちゃ駄目です。粘つくので」
「触ったの!?」
「学校で——」
「学校の話はもういい!!」
だが、主は、どこにもいなかった。糸はそこら中にあった。新しくてまだ濡れているものもあれば、埃をかぶって白茶けたものもある。クラインさんが、その一本一本を、指を触れずに目でなぞっていた。
「古いのと新しいのが、混じってる。ここは通り道だ。棲家じゃない」
「分かるんですか」
「張り方でね。棲家なら放射に張る。通り道は、渡すように張る。……これは、渡してある」
床に、乾いた殻が落ちていた。何かの魔物の、脚だけ。ヤンさんが、それを爪先で転がす。
「食い残しだ。新しい」
「近いんですか」
「いや」
彼は天井を見上げた。
「こいつは回る。同じ道を、何度も。だが、間が長い。追っても、追いつけん」
ナナの反応も、掴めなかった。
『……反応、あり。方角——』
少し置いて。
『移動しました』
また置いて。
『……消えました』
「消えた?」
『糸の中にもマナの残滓のようなものがあり、探査が乱れます。あれ自身が、糸ではありますが、マナの塊のようなものかと』
半日、歩いた。何度か痕跡を追い、何度か途切れた。ヤンさんは途切れるたびに足を止め、天井と床を交互に見ていた。やがて彼は、三方を岩に囲まれ天井の低い、袋のような広間で足を止めた。糸が、一番濃く集まっている。
「ここだ」
「いるんですか」
「いない。通る。ここは、あいつが獲物を追い込む場所だ。住処の一つといってもいいかもしれん。普通に探しても見つからん。だが、ここで待てば、いずれ向こうから来る」
「どうやって来させるんですか」
ヤンさんは答えず、糸の一本を、斧槍の石突きで、軽く弾いた。
*
糸が震えた。その震えが、糸を伝って闇の奥へ消えていく。しばらく、何も起きなかった。それから遠くで、何かが動いた。近づいてくる。速くはない。だが、止まらない。
出てきたのは、岩だった。蜘蛛の形をした岩の塊。脚の一本一本が丸太より太く、甲殻は鉱石そのもので、松明の光を鈍く弾く。八つの目だけが湿った黒で、こっちを見ていた。
「出た」
「蜘蛛じゃん」
「やるぅ」
「油断するな」
ヤンさんだけが、笑っていなかった。
『鑑定します。——ジャイアントロックスパイダー、LV45、HP1000(本体)弱点、水』
「水!?そしてこの前のゴーレムより強そうじゃない!?」
ツムグが素っ頓狂な声を出した。
「でもあれ岩蜘蛛だよ? 岩に水かけて、どうすんの」
「……待ってくれ」
クラインさんが、甲殻を睨む。
「あれは、一枚岩じゃない。鉱の粉を、魔力で固めてある。継ぎ目に水が入れば、たぶん、結びが緩む」
「そういうものです」
俺が言うと、クラインさんは、また、あの顔をした。
「そういうもの、なんだね」
「そういうものです」
「詠唱は、僕がやる」
クラインさんが、後ろへ下がった。
「だが、水は不得手だ。陣を書きマナを充足させるまでが長い。……その間、あれを、止めてくれ」
蜘蛛が、脚を上げた。そして、吐いた。白い塊が宙でほどけ、網になって広がり、俺たちへ降ってくる。
「散れ!!」
ヤンさんが叫び、その最初の一投を、斧槍を横に薙いで受け止めた。後ろのクラインさんへは、一筋も届かなかった。
だが、逃げたつもりの足が、床に貼りついた。ジェスだ。踏み込んだ先に、渡してあった一本があった。
「うぉっ、これ、粘っ——」
「動くな! 暴れると絡む!」
ツムグが走る。彼女は、糸そのものではなく、その糸が食い込んだ岩へ、鏨を当てた。
「ジェス、槌!」
「おう!」
ツムグが鏨を押さえ、ジェスが大槌を振り下ろす。留め岩の角が、砕けて欠けた。張っていた一本が、ふっと緩む。ジェスは、緩んだ糸を、力任せに引き剥がした。俺の足も、同じだった。糸は切れない。切れないから、留めている岩を、割る。
「クーリ!!」
俺が叫ぶより先に、彼女は下がっていた。糸の届かないところまで。そして、試作弓を立てる。母のそれではない。短くて、粗い、一張り。それでも、両手で持っていた。
矢を右へ番え、頭の上まで上げ、引き下ろす。耳まで来て、止まる。狙っている、蜘蛛の目を。放した。乾いた音が、一つ。
矢は目の一つへ刺さり、甲殻が割れ、石がこぼれた。
『損耗、六十です』
ナナが言った。
「六十!?」
クーリの声が裏返る。
「あたし、二だったのよ。五百のうちの、二!」
「今のは六十だ」
ジェスが、糸から抜けながら叫ぶ。
彼女は、答えなかった。ただ次の矢を番え、また放った。当たるたび、石が崩れる。撃つたびに、少しだけ、背筋が伸びていく。
ジェスが、大槌を担いで前へ出た。
「馬鹿! また絡む!」
「絡まねぇ!」
——絡まなかった。ツムグが、その前を走っていたからだ。鏨を当て、ジェスが叩く。留め岩が割れ、糸が緩む。一歩ぶん、道になる。ジェスが、そこへ踏み込む。また当て、また叩き、また緩む。一歩。
「右!」
「おう!」
「左、そっち糸!」
「おう!」
打ち合わせなど、していなかった。三日、庭で鎚を振っていただけだ。それなのに、噛み合っていた。
蜘蛛が、脚を畳んだ。そして、跳んだ。狙いは、後ろのクーリだった。
「クーリ!」
——だが、その突進の正面に、ヤンさんが立っていた。斧槍の柄を斜めに構え、岩の身体を、真っ向から受け止める。床が、鳴った。両足が、後ろへ削れていく。それでも、止めた。
「クライン」
ヤンさんが、歯の間から言った。
「あと、少し保つ。……お前がやれ」
『外殻の崩壊を確認』
蜘蛛の甲殻は、もう半分が剥げていた。
「残り、少ないよ!」
ツムグが数えていた。序盤から、指で数えていた。
「あと三——」
クーリが、引いた。耳まで。放そうとした。
——ぶつっ。
弦が、切れた。矢は飛ばず、足元へ落ちた。
「二十って言ったじゃん!!」
「たぶんって言ったでしょ!!」
蜘蛛が、ヤンさんの柄を、じり、と押し返す。
その、後ろで。
「——世界満つる、マナの泉よ」
声がした。クラインさんだった。一歩も動いていない。糸は一本も掛かっていない。杖を掲げてもいない。ただ、指を一本、蜘蛛へ向けていた。
「その一掬いを、我に、与えよ」
「我が前の敵を覆い、逃れ得ぬ、水牢に、捕らえよ——」
「《大水球》!!」
水が、湧いた。蜘蛛の頭の周りに、人の背丈ほどの透き通った球が、何も無い場所に、いきなり現れる。八つの目が、水の向こうで揺れていた。脚が暴れる。ヤンさんが、身を引いた。球は、崩れなかった。
クラインさんは、指を下ろさなかった。水が閉じきる、その前に。次の言葉を、重ねる。
「捕らえしものを——」
「白き氷牢にて、封ぜよ」
そして。
「——凍れぇッ!!≪氷棺≫!」
上擦った、声だった。
白くなった。音は、しなかった。一瞬で、頭の球だけが、白くなる。腹の糸は、凍らずに、垂れたまま残っていた。蜘蛛の脚が、止まる。傾いで、落ちて、床で氷が割れ、中から白い頭が転がり出た。もう、動かなかった。
『討伐を、確認』
ナナが言った。
*
しばらく、誰も、何も言わなかった。
「今の、何!?」
ジェスが叫ぶ。
「二つ、使ったでしょ、続けて!」
クーリが走ってきた。クラインさんは、まだ指を向けたまま、立っていた。指の先が、震えている。
「連続魔法?そんなの、できるの?」
「……二つの術式を、同時に保つことは一流魔法使いでも難しい…」
彼は、ようやく指を下ろした。
「少なくとも、昨日までの僕のようなね」
「お兄ちゃん。最後、何て言ったの」
クーリが言うと、クラインさんは彼女を見た。
「……ん?何か言ったかい?」
「言ったわよ。『コオレ』って」
クラインさんが、止まった。
「僕が?」
「あんた以外に、誰がいるのよ」
彼は、自分の口元へ、触れた。指先を唇の端に当てたまま、動かない。震えている。それは、恐怖の震えのようでもあり——堪えきれない笑いの、始まりのようでもあった。
「……おかしいな」
小さな声だった。そして、喉の奥で、ひとつ、笑いとも息ともつかないものが、漏れる。眼鏡の奥が、濡れて光っていた。怯えているのか、喜んでいるのか、たぶん、本人にも分からない。彼は、それ以上、何も言わなかった。
俺は、黙っていた。
学者だ。いつか、必ず、線を繋げる。——でも、今日じゃない。
「あった!!」
通路の奥から、ジェスの声が響いた。
「宝箱! 二個目!」
「今、それどころじゃないでしょ!!」
「開けるぞ!」
「聞きなさいよ!!」
と言いながらもツムグも興味津々で近づいていった。
仲良いな(笑)
重くなりかけた空気が、あっけなく壊れた。俺は、少しだけ、息を吐いた。
糸は、ナナがしまった。腹に、まだ大量に残っていた。凍らなかった、垂れたままのそれを、根元から切り取っていく。切っても切っても、白い塊が出てくる。
『——十分な量です。弦、数十張ぶん。あるいは、それ以上』
「数十!」
ツムグが目を剥いた。
「一張りでいいんだよ!」
「予備よ、予備」
「それより、さっきの」
クーリが、糸を巻き取るツムグの手元を見ながら、にやにやしていた。
「あんたたち、やけに息、合ってたわね」
「誰が」
ジェスとツムグが、同時に言った。
「……ほら」
「何が」
二人が、また同時に言う。
クーリは、それ以上、言わなかった。ただ、にやにやを、深くしただけだった。
『——記録しました』
ナナが言った。何を、とは言わない。
「記録すんな!」
ツムグが怒鳴り、ジェスが「何を記録したんだ?」と聞いて、「聞くな!」と、もう一度、怒鳴られていた。
帰り道、クラインさんは、一番前を、静かに歩いていた。帳面を、開いていない。時々、自分の指を、握ったり、開いたりしながら。
少し後ろで、ツムグが、ジェスに何か話していた。糸の巻き方だとか、鏨の当て方だとか、たぶん、そういうことだ。いつもより、喋る量が、多かった。何を話しているかは、聞こえない。ただ、ジェスが時々「おう」と返す。それだけで、成立しているようだった。
クーリが、その二人を、少し後ろから見て、また、にやにやしていた。
俺は、一番前を、もう一度見た。指を握ったり、開いたりしている、その背中を。
いい日だ、と思った。思って——少しだけ、思わなかった。
(第三十話「糸」・了)




