Re:sou 第二十七話「親切な穴」
一次試験は、朝の一番早い刻に始まった。
広場は、すでに人で埋まっていた。石畳の上に組まれた台が七つ。その周りを、ドワーフたちが幾重にも囲んでいる。
俺は、人の波に押されて、二歩ほど横へずれた。
肩が、誰かの肩に当たった。
厚い。岩に当たったのかと思うくらい、厚い。相手は俺を一度も見ずに、前へ首を伸ばしたまま、また肩で押し返してきた。
——押し返された。
祈りの国を出てから、初めてだった。首都の北門でも、宿場町のガルドでも、俺の周りには、いつも三歩ぶんの空白があった。誰も踏み込んでこない、綺麗な円が。
ここには、それがない。
誰も俺を避けていない。というより、誰も俺を見ていない。皆、台の上の鉄しか見ていなかった。
「押すな!」
前の方でジェスが叫んでいる。
「押してんのはあんたでしょ!」
すぐにツムグの声が返ってきた。
「俺じゃねぇ! 後ろだ!」
「あんたが一番後ろだよ!」
俺は、少しだけ笑った。
*
麻束の試験から始まった。
水に浸した麻を、腕ほどの太さに束ねて立てる。それを一つずつ足しながら、一息で断つ。断てた数が記録になる。
刀を振ったのは、大会が雇った使い手だった。ドワーフの若い男で、腕は太いが、構えは丁寧だった。
一つ。二つ。三つ。
数が増えるたび、囲みがざわめいた。
「八」
「……九」
審査役の老人が、初めて顔を上げた。
「十一」
「もういい」
老人が手を上げた。
「もう、いい。数えん」
隣で、クラインさんが帳面から目を上げずに呟いた。
「去年の一位は、七だそうだよ」
「え」
「今のは、記録だね。……ただ、この国では、記録が意味を持つのは、次の試験を越えてからだ」
*
岩が、運ばれてきた。
灰色の、平たい岩だった。台の上に据えられ、審査役が立ち上がる。
「打て」
一撃目。甲高い音がして、岩の表面に、白い筋が入った。
二撃目。三撃目。
俺は、隣を見た。
ツムグは、まばたきをしていなかった。両手を腰の前で握っている。指の関節が白かった。
四撃目。
刃が、鳴いた。さっきまでの澄んだ音ではない。濁った、嫌な音だった。
五撃目。
——折れた。
鍔の少し上から、まっすぐ折れた。折れた先が石畳へ落ちて、乾いた音を立てて跳ねた。
囲みから、声が上がった。落胆ではなかった。納得だった。ああ、やっぱり、という声だった。
「五」
審査役が言った。
「不合格」
*
ツムグは、動かなかった。
使い手の男が、気まずそうに柄の方を差し出す。ツムグは、それを両手で受け取った。それから、石畳に転がった先の方を拾いに行った。
しゃがんで、拾って、立ち上がって、二つを合わせるように持った。
泣かなかった。
囲みは、もう次の出品へ動いていた。ここでは、負けた者は、すぐ景色になる。
その人の流れを、逆に割って歩いてくる者がいた。
鍛冶王だった。兵も連れず、ただ一人。背が高いわけでもないのに、ドワーフたちが勝手に道を開けていく。
王は、ツムグの前で足を止めなかった。
止めないまま、通り過ぎながら、言った。
「四つだった」
ツムグが、顔を上げた。
「……何が」
王は、答えなかった。もう、背中が遠かった。
ツムグは、しばらくその背中を見ていた。それから、自分の手の中の、二つになった刀を見た。
四つ。
五年前に、四撃目で折れた刀があった。
「……あ」
小さな声だった。
そこで初めて、ツムグの目が、少しだけ濡れた。
「一つ」
呟く。
「一つだけ、勝った」
*
そこから先が、早かった。
家へ戻る途中、ツムグはもう歩きながら喋っていた。
「腕じゃない。あの振り方、完璧だった。刃筋も入ってた。三撃目までは、岩の方が負けてたんだよ」
早口だった。目が、朝より明るい。
「四撃目で、鉄が鳴いた。あれは疲れた音。あたしの焼きの問題じゃない。地金が、あそこまでしか保たないの」
「じゃあ」
「鉄が足りない」
ツムグは、はっきり言った。
「あたしに足りないんじゃない。この大陸の鉄が、足りない」
俺は、何も言えなかった。
——言えなかったのは、それが正しいと知っていたからだ。
道場の壁に、先生の刀が掛かっていた。あれと、ツムグの刀は、形はほとんど同じだった。反りも、身幅も、切っ先の作りも。彼女は、見たこともない物の形を、母の遺した半分から、正確に導き出していた。
違ったのは、鉄だけだ。
「カイ」
ツムグが振り返った。
「あんた、今、何か知ってる顔してる」
「……してます」
「言え」
「俺の故郷の刀は、たぶん、違う鉄で打たれています。何て鉄かは、知りません。俺は、使う方だったので」
ツムグは、しばらく俺を見た。
そして、笑った。
「上等。あるってことでしょ、そういう鉄が。この世のどっかに」
*
出発は、三日後になった。
三日、と決めたのはツムグだ。理由は、その朝に分かった。
鍛冶場の隣の台所に、鍋と、桶と、蓋つきの器が、床が見えないほど並んでいた。
「……何ですか、これ」
「見りゃ分かるでしょ」
ツムグの目の下に、隈があった。
煮込みが四種。塩漬け肉。焼いた芋。豆。硬いパンと、柔らかいパン。汁物。それが、家中に並んでいる。
「三日、寝てないでしょ」
クーリが言った。
「寝たよ。二回くらい」
「二回!?」
「回数で数えないでよ」
ツムグは、鍋の蓋を開けて、味を見て、また閉めた。
「ナナ」
『はい』
「これ、全部入る?」
『入ります』
「一週間ぶん」
『——確認しました』
ナナが掌を向けると、鍋が消えた。次の鍋も。次も。
ジェスが、口を開けたまま見ていた。
「なあ」
「何」
「多くね?」
「何日潜ると思ってんの」
「いや、それは……何日だ?」
ツムグは答えなかった。次の器をナナへ渡していた。
「あんたら、どうせ干し肉でどうにかする気だったんでしょ」
「まあ」
「山を舐めんな。三日目で口の中が切れるから」
彼女は、豆の桶を持ち上げた。
「あたし、鉱夫の娘だよ。父さんがひと月に一回、山へ入るの、ずっと見てた。……母さんは、毎回これを作ってた」
一度だけ、手が止まった。
「二日目までは、みんな笑ってる。三日目から、誰も喋らなくなるの。飯が同じだから」
そして、桶をナナへ渡した。
「そういうの、嫌なんだよ」
*
ナナが、最後の鍋をしまい終えて、俺を見た。
『カイさま』
「ん?」
『格納領域の内部では、状態が変化しません』
「知ってる」
『はい。ですので』
ナナは、ツムグを見た。
『一週間後も、いま作られた状態のまま、お出しできます』
ツムグの動きが、止まった。
「……え?」
「え?」
「今の、何?」
『格納領域内では、時間経過による変質が発生しません』
「熱いまま?」
『はい』
「一週間後も?」
『はい』
ツムグは、しばらく黙っていた。
そして、両手でナナの肩を掴んだ。
「最高じゃん!!」
『——記録します』
「あんた、うちに住みなよ!」
『検討します』
「検討すんのかよ」
ジェスが笑った。
*
坑道の口の前で、クラインさんが帳面を開いた。
「一応、決めておこうか。どこまで潜る?」
「決めるって、何を」
ツムグが荷を背負い直す。
「引き返す線だよ。日数でも、深さでもいい。線を引かないと、探索というのは——」
「これぞって鉱石が出るまで」
ツムグは、あっさり言った。
「行くよ」
クラインさんの手が、止まった。
「……それは、指示としては、少々」
「何が」
「……いや。何でもない」
彼は、帳面を閉じた。
——飯は、一週間ぶんある。
そのことに、俺はその時、何も思わなかった。
*
旧坑道の口は、王から出た通行証で、あっさり開いた。兵が二人、鎖を外して脇へ寄る。それだけだ。止めもしないし、助けもしない。言った通りだった。
中は、坑道だった。
太い支柱が等間隔に立ち、天井を支えている。壁には、鶴嘴の跡が斜めに走っていた。何百年も前に、誰かが振った角度が、そのまま残っている。
足元には、崩れた木のレールと、錆びた金具。
ツムグは、歩きながら、ずっと壁を撫でていた。
「……いい仕事」
「分かるんですか」
「分かるよ。掘り方に癖がある。ここらは、右利きの、背の低い人。急いでない。ちゃんと支柱を先に入れてから掘ってる」
そう言って、少し笑った。
「四百年前の職人と、話してるみたいでしょ」
*
半日ほど下って、道が終わった。
行き止まりだった。
崩落跡でも、掘りかけでもない。きちんと仕舞われた終点だった。壁の前に、鶴嘴が二本、立てかけたまま残っている。柄は朽ちて、頭だけが床に落ちていた。
「置いていったんだ」
ツムグが、鶴嘴の頭を拾い上げた。
「戻ってくるつもりで、置いていったんだよ。……戻らなかったけど」
クラインさんが、地図を広げた。
「反応は、この先のはずだ。ナナさん、どうかな」
『——コアの反応は、この壁の下方にあります。距離、およそ』
そこで、ナナの声が切れた。
『——』
「ナナ?」
彼女は、壁を見ていた。
胸のコアが、強く光った。今まで見たことのない光り方だった。
『強大な、マナ反応』
「どこだ」
『ここです』
*
来た。
音ではなかった。まず、足の裏へ来た。
坑道全体が、跳ねた。
「うわっ」
ジェスが吹き飛ばされるように壁へぶつかる。クーリが悲鳴を上げて、クラインさんが彼女を抱えて床へ伏せた。
「崩れる!!」
ツムグが叫んだ。
鉱夫の娘の、体に染みついた反応だった。彼女は真っ先に支柱へ飛びつき、頭を抱えた。
「柱から離れんな! 天井見ろ!」
天井から、砂が降った。木が軋む。支柱が、悲鳴みたいな音を立てて撓んだ。
ヤンさんが、俺の襟首を掴んで引き寄せた。自分の体を、天井と俺の間に入れる形で。
揺れが、強くなった。
——地震じゃない。
俺は、それだけは分かった。故郷でなら、何度も経験した。あれは、下から突き上げて、横へ揺すって、ばらばらに減衰していく。
これは、違った。
規則正しかった。
大きな物が、拍を刻んで、脈打っているような。
『——書き換え』
ナナの声が、揺れの中で聞こえた。
『——規模、算定不能——』
*
そして、止まった。
嘘みたいに、ぴたりと。
砂が、まだ落ちていた。それだけが、さっきまでの音の残りだった。
「……終わった?」
クーリが、兄の腕の下から顔を出す。
「たぶん」
「支柱、全部無事だ」
ツムグが、抱きついたままの柱を、上から下まで見上げた。
「一本も、折れてない。……あれだけ揺れて?」
俺は、顔を上げた。
そして、前を見た。
壁が、無かった。
*
行き止まりだった場所に、道が開いていた。
崩れたのではない。崩落なら、瓦礫が要る。石が転がって、砂が積もって、道は塞がるものだ。
そこにあったのは、下り階段だった。
一段一段が、寸分違わぬ高さで刻まれ、まっすぐ奥へ落ちていく。両脇の壁は、なめらかで、継ぎ目がなかった。
一番上の段に、さっきの砂が薄く積もっている。
——降ったばかりの砂が。
「…………」
誰も、動かなかった。
ジェスが、最初に口を開いた。
「なあ」
「はい」
「さっきまで、壁だったよな」
「壁でした」
「壁だよな?」
「壁でしたね」
ジェスは、鶴嘴の頭を指した。ツムグが拾い上げた、あの二本。
それは、まだ床にあった。
壁の前に。
壁が無くなった、その場所に。
「……こんなこと、あるのか?」
答えたのは、クラインさんだった。
「ない」
即答だった。
「無い。断言する。僕の読んだ限り、記録にも、伝承にも、無い」
彼は、震える手で眼鏡を押し上げた。
「ダンジョンが広がるのに、何十年もかかるんだ。年に数間だ。それを、僕らは百年単位で計測してきた。……今のは、何だ」
『——推測を、申し上げます』
ナナだった。
全員が、彼女を見た。
『コアの反応は、以前から存在していました。ここへ来る前から、記録しています』
「じゃあ、今のは」
『はい』
ナナは、階段を見た。
『……周りが、今、出来ました』
「周り」
『ダンジョンの、構造です』
俺は、口の中が乾くのを感じた。
「言い直せ」
ヤンさんが言った。
低い声だった。
ナナは、少し間を置いた。
『……ダンジョンが、今、出来たのだと思います』
「思います?」
『はい。確度の低い推測です。……ですが、他の説明が、ありません』
*
しばらく、誰も何も言わなかった。
俺は、階段を見下ろしていた。
——生成された、ってことか。
そう思った。
思ってしまってから、少しだけ、変な気分になった。
俺の知っている物の中に、一つだけ、そういうのがある。入るたびに、中身が組み直される穴。同じ入口から入っても、二度と同じ道にならない。誰かが手で作ったわけじゃなくて、入ろうとした瞬間に、その人のために組み立てられる。
一人用の。
——いや、まさか。
そう思って、俺は、その考えを追い払った。
追い払ったつもりだった。
「行くのか」
ヤンさんが聞いた。
ツムグが、鶴嘴の頭を、壁だった場所へそっと置いた。
置いてから、一度、頭を下げた。
誰も見ていないと思っている、暗がりの中で。
「行く」
彼女は言った。
「鉄は、この先だし」
*
一階層目は、坑道の形をしていた。
だが、ツムグが十歩で見抜いた。
「跡が、ない」
「跡?」
「鶴嘴の跡。鑿の跡。何にもない」
彼女は、壁を撫でたまま、後ろを振り返った。
「向こうには、ある。こっちには、ない」
「じゃあ、ここは」
「誰も、掘ってない」
クラインさんが、支柱に触れた。
「柱まで、あるのにね。……向こうと、間隔が一分も違わない。この穴は、坑道を丸暗記して、その続きを書いたわけだ」
眼鏡の奥が、光った。
「なぜ、そんなことをする?」
誰も、答えなかった。
*
最初の行き止まりは、その少し先だった。
通路が、ぷつりと途切れている。壁は継ぎ目のない一枚岩。
「戻るしかねぇな」
ジェスが言う。
俺は、壁の隅を見ていた。
「宝箱、ありますね」
「は?」
ジェスが振り返る。指した先、暗がりの中に、木箱の角が見えていた。
クーリが駆け寄って、蓋を開ける。中には、油紙に包まれた砥石が三つ。細かさの違う、三段の組だった。
「うっそ」
ツムグが飛んできた。砥石を一つ取り上げ、指の腹で撫でて、目の色を変える。
「……いい石だ。これ、うちの倍はする」
「良かったですね」
「じゃなくて。なんで分かったの、宝箱があるって」
「行き止まりだからです」
沈黙。
「……は?」
「行き止まりには、宝箱があるものじゃないですか」
ジェスが、箱を持ち上げて、裏返した。何の変哲もない、ただの木箱だった。
「なあ」
「はい」
「これ、誰が置いてるんだ?」
「ダンジョンでしょ」
俺は、そう答えた。
何も考えずに答えた。
クラインさんの筆が、止まった。
「……そういう説も、あるね」
「説?」
「説だよ。ダンジョンは意思を持つ、と唱えた学者がいる。宝も、罠も、魔物も、全部そいつが用意しているんだと。……主流ではない。証明のしようがないからね」
彼は、俺を見た。
「君は、随分あっさり言うんだね」
「あ」
俺は、そこで初めて、自分が何を言ったか気づいた。
「いえ、その」
「いや、いいんだ」
クラインさんは、帳面へ戻った。
「僕もね、たぶん、そっちが正しいと思っている。ただ、学者は、思っているだけでは書けないんだ」
*
二つ目の行き止まりにも、宝箱があった。
三つ目にも。
四つ目にも。
「多いな」
クラインさんが呟いた。
「多いんですか?」
「多いよ。……ダンジョン産の宝が珍しいのは、めったに出ないからだ。一階層に一つ見つかれば運がいい、と言われている。二つ出たら、酒場で三日は自慢できる」
彼は、帳面を見た。
「僕らは、まだ一階から降りていない。……四つ目だ」
「そういうものじゃないんですか」
「そういうものじゃないんだよ」
*
魔物は、五十歩ごとに出た。
「来るぞ」
ヤンさんが言い終わる前に、ジェスが動いている。石の甲殻を持った、犬ほどの虫が三体。ジェスが二体を斬り伏せ、残りをヤンさんの石突が潰した。魔石が三つ、床に転がる。
二十歩先で、また四体。その先で、五体。
「……多くない?」
クーリが言った。
俺は、ヤンさんを見た。
「ヤンさん、これ普通ですか」
「知らん」
即答だった。
全員が、振り返った。
「……え?」
クーリが、間の抜けた声を出した。
「知らんとは」
「潜ったことが、ほとんどない」
ヤンさんは、斧槍を担ぎ直した。
「二度だ。二十年で、二度。どちらも浅い所で用が済んだ」
「二度!?」
ジェスが飛び上がった。
「あんた、Aランクだろ!?」
「登録してない」
「そういう話じゃねぇ!」
「氾濫は、外で受けた」
ヤンさんは、そう言った。
「五年前もだ。俺は、出てくる方を、外で叩く。……中の理屈は、知らん」
俺は、その言葉を、二度、頭の中で繰り返した。
この人は、二十年、溢れた水とだけ戦ってきたのだ。蛇口の中へは、一度も。
「じゃあ、どうすんの」
クーリが言う。
ヤンさんは、少し黙った。
そして、俺を見た。
「カイ」
「はい」
「お前が決めろ」
「……俺が?」
「お前は、知ってるんだろう」
言い返せなかった。
*
階段は、すぐ見つかった。
一階の五つ目の角を曲がったところに、あった。
「あ、階段だ」
ジェスが言う。
「早ぇな」
「そうですね」
俺たちは、降りた。
二階の階段も、すぐ見つかった。
三階も。四階も。
半日で、四階降りた。
「…………」
五階の階段の前で、クラインさんが立ち尽くしていた。
「見つかったな!」
ジェスが陽気に言う。
「うん」
「五つ目だぜ」
「うん」
「早くね?」
「うん」
クラインさんは、両手で頭を抱えて、しゃがみ込んだ。
「君たちは」
「はい」
「ダンジョンというのが、どういう物か、知らないんだね」
「知りませんけど」
「広いんだよ!!」
叫んだ。
初めて聞く声量だった。
「一階層で、街一つぶんくらいある! 地図を作りながら、少しずつ進んで、何日もかけて階段を探す! 見つからなければ、また出直す! 深層まで届く隊が一流と呼ばれるのは、それを何年も続けられるからだ!」
「へえ」
「へえじゃない! エベレの秘境はね、三百年、誰も五十階へ届いていない! 理由は単純だ! 広すぎて、階段が見つからないからだよ!」
彼は、しゃがんだまま、階段を指した。
「半日で、四階」
「はい」
「三百年」
「はい」
「半日で、四階!!」
「クラインさん」
「三百年!!」
クーリが、兄の背中を見下ろして、ため息を吐いた。
「壊れたわ」
「壊れてない! 壊れたのは僕じゃない! 学問だ!」
*
その日から、ジェスが人格を変えた。
「全部回ろうぜ」
「は?」
クーリが言う。
「行き止まり。全部」
「正気?」
「宝箱だぞ!?」
「魔物も出るのよ!?」
「宝箱だぞ!!」
「同じこと二回言った!」
俺は、口を挟んだ。
「まあ、全部回るものですよね」
三人が、一斉に振り返った。
「「「何!?」」」
「え、行き止まりは、全部見るものじゃ」
「なんでだよ!」
「もったいないので」
「もったいないの基準がおかしい!」
叫びながら、ジェスはもう歩き出していた。
*
結果から言えば、全部回った。
そして、全部にあった。
革の手甲が出た。ジェスの手にぴったりだった。
魔石が五十ばかり出た。クーリが袋を抱えたまま、しばらく口を開けていた。
ミミックが出た。ジェスが腕を噛まれて、ツムグの鎚が横から入って、二撃で潰した。中身は、細身の鏨の一揃いだった。
「……あの」
ツムグが、鏨を並べながら言った。
「これ、たぶん、うちの国じゃ作れない」
「そうなんですか」
「焼きが、変。硬さがおかしい。こんな細さで、この硬さは、出ない」
彼女は、しばらく黙って、それから、ぼそりと言った。
「……次の行き止まり、どっち」
ジェスが、爆笑した。
「乗ってきた!」
「乗ってない! 道具が可哀想だから拾ってるだけ!」
「箱、可哀想じゃねぇだろ」
「中身が可哀想なの!」
*
鎚が出たのは、六階だった。
ツムグは、それを両手で持ち上げて、しばらく動かなくなった。
握りが、彼女の手に合っていた。柄の長さも、頭の重さも。まるで、彼女の腕を測ってから作ったみたいに。
「…………」
「どうしました?」
「……いや」
彼女は、それを背中の自分の鎚と持ち比べて、少し笑った。
「気持ち悪いくらい、合ってる」
そして、担いだ。
「よし、次」
「乗ってきた!」
「うるさい!」
*
七階で、ゴーレムが出た。
人の背丈ほどの、石の塊だった。腕も脚も、ただの直方体で、顔は無い。それが、床から起き上がって、こちらへ歩いてきた。
ジェスが斬りつけて、剣が跳ね返った。
「痛ぇ!! 手が痺れた!」
「石を斬るなよ!」
ツムグが、前へ出た。
低い姿勢から、腰で回す。鎚の頭が、ゴーレムの膝へ入った。
——割れた。
石が、拳ほどの塊になって飛んだ。ゴーレムが片膝をつく。
もう一撃で、肩が落ちた。三撃目で、胸の中の光る石が剥き出しになった。
「そこ!」
ジェスの剣が、その石へ通った。
ゴーレムは、崩れた。
「……お前」
ジェスが、痺れた手を振りながら言った。
「なんで割れんの?」
「石は、殴るもんでしょ」
ツムグは、鎚を担ぎ直した。
「刃で石を斬ろうとする方が、どうかしてる」
*
ゴーレムは、そのあとも出た。
八階でも。九階でも。
「なあ」
八階の廊下で、ツムグが言った。
「ドワーフの国のダンジョンは、硬いのが多いって聞くけど」
「そうだね」
クラインさんが答える。
「土神の土地だ。石も、金属も、この国の魔物は土から出来ている。それは記録とも合う」
「でもさ」
ツムグは、崩れたゴーレムの残骸を、爪先でつついた。
「こんなに、揃う?」
「揃うとは」
「一体も、柔らかいのがいない。全部、石か、金属か、殻。……あたし、山で狼にも会うし、蝙蝠にも会うよ。虫だって、柔らかいのがいる」
彼女は、顔を上げた。
「ここ、一匹もいない。全部、硬い」
「鉱山ですし」
俺は、言った。
「ゴーレムは、いますよね」
三人が、また振り返った。
「……君はまた」
クラインさんが、額を押さえた。
「あのね、カイくん。ゴーレムというのは珍しいんだ。魔物の中でも、ごく一部だ。生涯で一度も見ずに引退する冒険者の方が多い」
「え」
「僕は今日、四体見た」
「…………」
「そして君は、それを『鉱山ですし』で済ませた」
彼は、帳面を閉じた。
閉じてから、また開いた。そして、また閉じた。
「……もういい」
*
九階の手前で、クーリが陥落した。
「もう一個だけ」
「お前が言うのかよ」
ジェスが言う。
「だってさ、出るんだもん」
彼女は、袋の口を縛りながら言った。
「あたし、今まで採取の依頼で、丸一日這いつくばって、薬草を銅貨十枚ぶんとか、そんなのばっかりだったのよ。それが、曲がって、突き当たって、蓋開けたら魔石五十よ。……なんかもう、怒る気力が失せた」
「だろ!」
「でも、変よ」
クーリは、俺を見た。
「絶対、変」
「そうですか?」
「変なのよ! ……でも、もう一個だけ」
*
「あった!! 十二個目!!」
ジェスの声が、通路の先から響いた。
「数えてんの!?」
「当たり前だろ!!」
ツムグが、走っていって、先に蓋を開けた。
「開けんの早ぇな!!」
「あんたが開けると、噛まれるでしょ」
「一回だけだろ!」
「二回!!」
クーリが、その後ろから頭を突っ込んでいる。
「何、何が入ってた」
「あんた、さっきまで嫌がってたじゃん」
「嫌がってない! 心配してただけ!」
「うそつけ!」
クラインさんは、少し離れたところで、帳面へ何か書いていた。
書きながら、笑っていた。
ヤンさんは、壁にもたれて、それを見ていた。
いつも通りの顔で。
でも、たぶん、いつもより、少しだけ。
*
俺は、その全部を、見ていた。
そして——
「はは」
*
声が、出た。
出てから、気づいた。
*
全員が、こっちを見た。
「…………」
俺は、口を押さえた。
「すみません」
「いや」
ジェスが、言った。
変な顔をしていた。
「お前」
「はい」
「笑うんだな」
「え?」
「初めて聞いた」
*
俺は、答えられなかった。
——三月。
この世界へ来てから、三月だ。
長かった。
いろんなことがあった。思い出せるものも、思い出したくないものも。
その中に、これは、無かった。
*
「あの」
俺は、言った。
「俺、ゲームが好きだったんです」
「げーむ?」
「……遊びです。故郷の」
「へえ」
「その中に、こういうのが、あって」
俺は、通路を見た。
暗い。曲がっている。行き止まりの奥に、意味もなく宝箱が置いてある。
「穴に入って、迷って、宝を探して、変な物が出てきて、みんなで馬鹿みたいに騒いで、飯を食って、また潜る」
「それが、遊びなの?」
クーリが言う。
「遊びです」
「命懸けじゃない!」
「そこは、遊びなので」
「あー」
彼女は、納得したような、しないような顔をした。
「そういうのが」
俺は、言った。
「やりたかったんです。ずっと」
*
「じゃあ」
ジェスが、宝箱を担ぎ上げた。
中身は入れっぱなしだった。箱ごと持っていく気らしい。
「今、やってんじゃねぇか」
*
俺は、彼を見た。
そして、もう一回、笑った。
今度は、押さえなかった。
「……はい」
*
「楽しいですね」
「そりゃそうだ!」
「ダンジョン、楽しいです」
「当たり前だろ!!」
ジェスは、そう言って、次の角へ走っていった。
「箱、置いてけ! 重いでしょ!」
ツムグが怒鳴りながら、追いかけていく。
「もったいねぇだろ!」
「中身だけ持てばいいんだよ!!」
「箱もダンジョン産だ!」
「箱に価値はない!!」
クーリが笑いながら、その後を追った。
クラインさんが帳面を閉じて、ついていった。
ヤンさんが、壁から離れる。
「行くぞ」
「はい」
*
俺は、その背中を追った。
——楽しかった。
本当に、楽しかった。
この三月で、たぶん、一番。
俺は、この穴が、好きになっていた。
*
九階に、部屋があった。
魔物が、入ってこない部屋だった。
『反応が、途絶えます』
「途絶える?」
『この空間の内側にのみ、魔物の生成反応がありません』
ジェスが、真っ先に飛び込んで、大の字に寝転がった。
「うおおお生き返る」
「まだ確認してないでしょ!」
部屋は、四角かった。床が平らで、天井が高い。中央に、火を焚いた跡があった。
その脇に、薪が積んであった。乾いた、割ったばかりの薪が、綺麗に組んで。
クーリが、動きを止めた。
「……誰が置いたの、これ」
誰も答えなかった。
ヤンさんが、薪の山の前へしゃがんだ。一本手に取り、断面を見る。
「使うな」
「なんでだよ、寒ぃぞ」
「知らん奴の飯は食わん」
「薪だぞ?」
「同じだ」
ジェスは、しばらく口を尖らせていた。そして、三十を数えるくらいの間に、薪を火にくべた。
「おい」
「だって寒ぃもん」
*
『——お出しします』
ナナが、掌を火の脇へ向けた。
鍋が、現れた。
蓋を開けた瞬間、湯気が上がった。
肉と、香草と、脂の匂いが、部屋いっぱいに広がった。
ジェスが、跳ね起きた。
「うっそ」
「熱ぃ!?」
「熱いです」
俺は、器を受け取って、思わず持ち替えた。本当に、熱かった。
四日前の朝、鍛冶場の隣の台所で、湯気を立てていた、あの鍋のままだった。
クーリが、一口食べて、動きを止めた。
「……ちょっと」
「何」
「泣きそうなんだけど」
「大袈裟」
ツムグは、そっぽを向いていた。耳が、少し赤かった。
「地面の下だぞ」
ジェスが、二杯目をよそいながら言った。
「地面の下で、出来立ての飯食ってんだぞ、俺たち」
「食べながら喋るな」
「幸せすぎて怖ぇ」
「じゃあ返して」
「返さねぇ」
*
椅子に気づいたのは、クーリだった。
「ねえ」
壁際を指す。
石を削り出した、背もたれのない腰掛けが、並んでいた。
一つ。二つ。三つ。
「……七つ」
クーリが、数え終わって、こっちを見た。
「あたしたち、七人よ」
部屋が、静かになった。薪の爆ぜる音だけがした。
俺は、椅子を見て、それから、皆の顔を見た。
「……人数、合ってますね」
言ってから、気づいた。
誰も、笑っていなかった。
ジェスは器を持ったまま固まっている。クーリは俺の袖を掴んでいた。クラインさんは帳面を持ったまま、書いていない。ツムグは、拾った鎚の柄を、握り直していた。
ヤンさんだけが、俺を見ていた。
「カイ」
「はい」
「今、なんて言った」
「人数が、合ってると」
「合ってるとは、何と何がだ」
俺は、答えようとして、口を閉じた。
——七人になったのは、ついこの間だ。
ドワーフの国へ来た時、俺たちは六人だった。ツムグが加わったのは、あの朝。この穴は、二日前に出来た。
椅子は、七つある。
「……あ」
俺は、初めて、寒気を感じた。
*
『カイさま』
ナナが、隣に立った。小さな声だった。
『この階層の魔物は、すべて通路の幅に沿って、一列で接近しました』
「……列?」
『はい。洞窟性の魔物は、通常、壁面を這って側面から来ます。ですが、この階層の個体は、すべて正面から、順に来ました』
俺は、思い出した。
確かに、そうだった。全部、正面から、一体ずつ来た。
俺は、それを、当たり前だと思って斬っていた。
『それと、もう一つ』
「何」
『宝箱の内容物に、共通の刻印がありました』
ナナは、少しだけ間を置いた。
『——〈使用者に適合〉』
「誰の」
『記載が、ありません』
*
火が、大きく揺れた。
ジェスが薪を足したらしい。ツムグが「あんた、燃やしすぎ」と怒鳴って、クーリが「あたしの毛布に火の粉が飛んだ!」と叫んで、クラインさんが「実に興味深い」と言いながら二人から距離を取っていた。
ツムグは、拾った鎚を膝に置いて、柄を布で拭いている。何度も、同じところを。
——誰かが、俺たちを数えている。
それは、たぶん、悪意ではない。悪意なら、椅子は六つのままでいい。
数えて、足したのだ。ちゃんと。
親切に。
「カイ」
ヤンさんが、火の向こうから言った。
「怖いか」
俺は、少し考えた。
「……たぶん」
正直に答えた。
「怖がるのが、遅すぎたと思います」
ヤンさんは、頷いた。それきり、何も言わなかった。
*
「なあ、明日はどこまで行く?」
ジェスが、毛布に潜りながら言った。
俺は、答えようとして、ツムグを見た。
彼女は、鎚を拭く手を止めずに、あっさり言った。
「これぞって鉄が出るまで」
「そりゃそうか」
ジェスが笑って、すぐ寝息を立て始めた。
——飯は、あと五日ぶんある。
誰も、その先の話は、していない。
その夜、俺たちは七つの椅子のうち、六つを使った。
一つだけ、空けておいた。
誰が言い出したわけでもなかった。
*
十階への階段は、翌朝、四半刻で見つかった。
クラインさんは、もう何も言わなかった。ただ、帳面へ短く書いて、閉じた。
降りた。
*
階段を、降りきる。
そこに、道は無かった。
正確には、道は、あった。三歩ぶんだけ。
三歩先に、扉があった。
高さは、天井まで。幅は、通路いっぱい。灰色の、継ぎ目のない一枚岩。
それだけだった。
分かれ道も、通路も、部屋も、行き止まりも、無い。
階段と、三歩と、扉。
それが、十階だった。
「…………」
クラインさんが、階段の最後の一段で、止まっていた。
「クラインさん?」
「いや」
彼は、言った。
「うん。十階ごとに、守護者がいるのは、おかしくない」
「そうなんですか」
「そうだよ。どの国の記録でも一致している。ダンジョンは十層ごとに区切りを持つ。深い層へ行くには、そこを越えねばならない。……そこは、いい。そこは、まだ、いいんだ」
彼は、扉を指した。
指が、震えていた。
「なぜ、階段の目の前にあるんだ」
「え?」
「十階に着いたら、まず十階を探すんだよ!!」
叫んだ。
「何日もかけて! 迷って! 地図を作って! それでやっと、守護者の間がどこにあるか分かる! そこまで来て、初めて、挑むかどうかを決めるんだ! 十階というのは、そういう階だ!」
彼は、三歩の通路を指差した。
「これは何だ!? 降りたら、扉!? 三歩!? 三歩だぞ!!」
「ボス部屋ですね」
「ボス!?」
「……いえ、なんでも」
*
クラインさんは、しゃがみ込んだ。
頭を抱えて、しばらく動かなかった。
やがて、ゆっくり立ち上がった。
もう、叫ばなかった。
「……六度目だ」
小さな声だった。
「いや」
彼は、眼鏡を外して、袖で拭いた。
「もう、数えるのは、やめよう」
*
『——扉の向こうに、反応があります』
ナナが言った。
「何体だ」
ヤンさんが聞く。
『一体です』
「他には」
『ありません』
「他には?」
『はい。……この階層には、部屋が一つと、それが一体。それだけです』
「階が」
クラインさんが、掠れた声で言った。
「……階が、部屋なのか」
*
扉には、取っ手が無かった。
押す場所も、引く場所も、鍵穴も、何も。
ジェスが、剣の柄で叩いた。鈍い音がした。分厚かった。
「開かねぇぞ」
「そうですか」
「どうやって開けんだ、これ」
俺は、一歩、前へ出た。
出ただけだった。
『——反応が、こちらを向きました』
扉が、開いた。
音もなく、左右へ。
誰も、触っていなかった。
「なんで開くんだよ!!」
「近づいたからじゃ」
「近づいたら開く扉があってたまるか!!」
*
中は、広かった。
天井が、見えないくらい。この階全部が、この部屋なのだと、それだけで分かった。
その真ん中に、それは座っていた。
膝を抱えるみたいな格好で、うずくまっている。
——銀だった。
灯りは無いのに、光っていた。自分で光っているのではない。俺たちの角灯の、ほんの少しの光を、全部拾って、返していた。
それが、頭を上げた。
顔は無かった。
けれど、確かに、こちらを見た。
立ち上がる。
天井の見えない部屋の中で、影が、俺たちの上まで伸びてきた。
「…………」
隣で、ツムグが、鎚を握り直す音がした。
「カイ」
小さな声だった。
「はい」
「あれ」
彼女は、それを見上げたまま、言った。
「あれ、たぶん」
声が、少し震えていた。
怯えているのとは、違った。
「——ミスリルだよ」
(第二十七話「親切な穴」・了)




