表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Re:sou〜超現実拡張妄想変換装置(仮)改〜  作者: 西ノ圭吾
第五章 半端もん
30/37

Re:sou 第二十七話「親切な穴」



一次試験は、朝の一番早い刻に始まった。


広場は、すでに人で埋まっていた。石畳の上に組まれた台が七つ。その周りを、ドワーフたちが幾重にも囲んでいる。


俺は、人の波に押されて、二歩ほど横へずれた。


肩が、誰かの肩に当たった。


厚い。岩に当たったのかと思うくらい、厚い。相手は俺を一度も見ずに、前へ首を伸ばしたまま、また肩で押し返してきた。


——押し返された。


祈りの国を出てから、初めてだった。首都の北門でも、宿場町のガルドでも、俺の周りには、いつも三歩ぶんの空白があった。誰も踏み込んでこない、綺麗な円が。


ここには、それがない。


誰も俺を避けていない。というより、誰も俺を見ていない。皆、台の上の鉄しか見ていなかった。


「押すな!」


前の方でジェスが叫んでいる。


「押してんのはあんたでしょ!」


すぐにツムグの声が返ってきた。


「俺じゃねぇ! 後ろだ!」


「あんたが一番後ろだよ!」


俺は、少しだけ笑った。


   *


麻束の試験から始まった。


水に浸した麻を、腕ほどの太さに束ねて立てる。それを一つずつ足しながら、一息で断つ。断てた数が記録になる。


刀を振ったのは、大会が雇った使い手だった。ドワーフの若い男で、腕は太いが、構えは丁寧だった。


一つ。二つ。三つ。


数が増えるたび、囲みがざわめいた。


「八」


「……九」


審査役の老人が、初めて顔を上げた。


「十一」


「もういい」


老人が手を上げた。


「もう、いい。数えん」


隣で、クラインさんが帳面から目を上げずに呟いた。


「去年の一位は、七だそうだよ」


「え」


「今のは、記録だね。……ただ、この国では、記録が意味を持つのは、次の試験を越えてからだ」


   *


岩が、運ばれてきた。


灰色の、平たい岩だった。台の上に据えられ、審査役が立ち上がる。


「打て」


一撃目。甲高い音がして、岩の表面に、白い筋が入った。


二撃目。三撃目。


俺は、隣を見た。


ツムグは、まばたきをしていなかった。両手を腰の前で握っている。指の関節が白かった。


四撃目。


刃が、鳴いた。さっきまでの澄んだ音ではない。濁った、嫌な音だった。


五撃目。


——折れた。


鍔の少し上から、まっすぐ折れた。折れた先が石畳へ落ちて、乾いた音を立てて跳ねた。


囲みから、声が上がった。落胆ではなかった。納得だった。ああ、やっぱり、という声だった。


「五」


審査役が言った。


「不合格」


   *


ツムグは、動かなかった。


使い手の男が、気まずそうに柄の方を差し出す。ツムグは、それを両手で受け取った。それから、石畳に転がった先の方を拾いに行った。


しゃがんで、拾って、立ち上がって、二つを合わせるように持った。


泣かなかった。


囲みは、もう次の出品へ動いていた。ここでは、負けた者は、すぐ景色になる。


その人の流れを、逆に割って歩いてくる者がいた。


鍛冶王だった。兵も連れず、ただ一人。背が高いわけでもないのに、ドワーフたちが勝手に道を開けていく。


王は、ツムグの前で足を止めなかった。


止めないまま、通り過ぎながら、言った。


「四つだった」


ツムグが、顔を上げた。


「……何が」


王は、答えなかった。もう、背中が遠かった。


ツムグは、しばらくその背中を見ていた。それから、自分の手の中の、二つになった刀を見た。


四つ。


五年前に、四撃目で折れた刀があった。


「……あ」


小さな声だった。


そこで初めて、ツムグの目が、少しだけ濡れた。


「一つ」


呟く。


「一つだけ、勝った」


   *


そこから先が、早かった。


家へ戻る途中、ツムグはもう歩きながら喋っていた。


「腕じゃない。あの振り方、完璧だった。刃筋も入ってた。三撃目までは、岩の方が負けてたんだよ」


早口だった。目が、朝より明るい。


「四撃目で、鉄が鳴いた。あれは疲れた音。あたしの焼きの問題じゃない。地金が、あそこまでしか保たないの」


「じゃあ」


「鉄が足りない」


ツムグは、はっきり言った。


「あたしに足りないんじゃない。この大陸の鉄が、足りない」


俺は、何も言えなかった。


——言えなかったのは、それが正しいと知っていたからだ。


道場の壁に、先生の刀が掛かっていた。あれと、ツムグの刀は、形はほとんど同じだった。反りも、身幅も、切っ先の作りも。彼女は、見たこともない物の形を、母の遺した半分から、正確に導き出していた。


違ったのは、鉄だけだ。


「カイ」


ツムグが振り返った。


「あんた、今、何か知ってる顔してる」


「……してます」


「言え」


「俺の故郷の刀は、たぶん、違う鉄で打たれています。何て鉄かは、知りません。俺は、使う方だったので」


ツムグは、しばらく俺を見た。


そして、笑った。


「上等。あるってことでしょ、そういう鉄が。この世のどっかに」


   *


出発は、三日後になった。


三日、と決めたのはツムグだ。理由は、その朝に分かった。


鍛冶場の隣の台所に、鍋と、桶と、蓋つきの器が、床が見えないほど並んでいた。


「……何ですか、これ」


「見りゃ分かるでしょ」


ツムグの目の下に、隈があった。


煮込みが四種。塩漬け肉。焼いた芋。豆。硬いパンと、柔らかいパン。汁物。それが、家中に並んでいる。


「三日、寝てないでしょ」


クーリが言った。


「寝たよ。二回くらい」


「二回!?」


「回数で数えないでよ」


ツムグは、鍋の蓋を開けて、味を見て、また閉めた。


「ナナ」


『はい』


「これ、全部入る?」


『入ります』


「一週間ぶん」


『——確認しました』


ナナが掌を向けると、鍋が消えた。次の鍋も。次も。


ジェスが、口を開けたまま見ていた。


「なあ」


「何」


「多くね?」


「何日潜ると思ってんの」


「いや、それは……何日だ?」


ツムグは答えなかった。次の器をナナへ渡していた。


「あんたら、どうせ干し肉でどうにかする気だったんでしょ」


「まあ」


「山を舐めんな。三日目で口の中が切れるから」


彼女は、豆の桶を持ち上げた。


「あたし、鉱夫の娘だよ。父さんがひと月に一回、山へ入るの、ずっと見てた。……母さんは、毎回これを作ってた」


一度だけ、手が止まった。


「二日目までは、みんな笑ってる。三日目から、誰も喋らなくなるの。飯が同じだから」


そして、桶をナナへ渡した。


「そういうの、嫌なんだよ」


   *


ナナが、最後の鍋をしまい終えて、俺を見た。


『カイさま』


「ん?」


『格納領域の内部では、状態が変化しません』


「知ってる」


『はい。ですので』


ナナは、ツムグを見た。


『一週間後も、いま作られた状態のまま、お出しできます』


ツムグの動きが、止まった。


「……え?」


「え?」


「今の、何?」


『格納領域内では、時間経過による変質が発生しません』


「熱いまま?」


『はい』


「一週間後も?」


『はい』


ツムグは、しばらく黙っていた。


そして、両手でナナの肩を掴んだ。


「最高じゃん!!」


『——記録します』


「あんた、うちに住みなよ!」


『検討します』


「検討すんのかよ」


ジェスが笑った。


   *


坑道の口の前で、クラインさんが帳面を開いた。


「一応、決めておこうか。どこまで潜る?」


「決めるって、何を」


ツムグが荷を背負い直す。


「引き返す線だよ。日数でも、深さでもいい。線を引かないと、探索というのは——」


「これぞって鉱石が出るまで」


ツムグは、あっさり言った。


「行くよ」


クラインさんの手が、止まった。


「……それは、指示としては、少々」


「何が」


「……いや。何でもない」


彼は、帳面を閉じた。


——飯は、一週間ぶんある。


そのことに、俺はその時、何も思わなかった。


   *


旧坑道の口は、王から出た通行証で、あっさり開いた。兵が二人、鎖を外して脇へ寄る。それだけだ。止めもしないし、助けもしない。言った通りだった。


中は、坑道だった。


太い支柱が等間隔に立ち、天井を支えている。壁には、鶴嘴の跡が斜めに走っていた。何百年も前に、誰かが振った角度が、そのまま残っている。


足元には、崩れた木のレールと、錆びた金具。


ツムグは、歩きながら、ずっと壁を撫でていた。


「……いい仕事」


「分かるんですか」


「分かるよ。掘り方に癖がある。ここらは、右利きの、背の低い人。急いでない。ちゃんと支柱を先に入れてから掘ってる」


そう言って、少し笑った。


「四百年前の職人と、話してるみたいでしょ」


   *


半日ほど下って、道が終わった。


行き止まりだった。


崩落跡でも、掘りかけでもない。きちんと仕舞われた終点だった。壁の前に、鶴嘴が二本、立てかけたまま残っている。柄は朽ちて、頭だけが床に落ちていた。


「置いていったんだ」


ツムグが、鶴嘴の頭を拾い上げた。


「戻ってくるつもりで、置いていったんだよ。……戻らなかったけど」


クラインさんが、地図を広げた。


「反応は、この先のはずだ。ナナさん、どうかな」


『——コアの反応は、この壁の下方にあります。距離、およそ』


そこで、ナナの声が切れた。


『——』


「ナナ?」


彼女は、壁を見ていた。


胸のコアが、強く光った。今まで見たことのない光り方だった。


『強大な、マナ反応』


「どこだ」


『ここです』


   *


来た。


音ではなかった。まず、足の裏へ来た。


坑道全体が、跳ねた。


「うわっ」


ジェスが吹き飛ばされるように壁へぶつかる。クーリが悲鳴を上げて、クラインさんが彼女を抱えて床へ伏せた。


「崩れる!!」


ツムグが叫んだ。


鉱夫の娘の、体に染みついた反応だった。彼女は真っ先に支柱へ飛びつき、頭を抱えた。


「柱から離れんな! 天井見ろ!」


天井から、砂が降った。木が軋む。支柱が、悲鳴みたいな音を立てて撓んだ。


ヤンさんが、俺の襟首を掴んで引き寄せた。自分の体を、天井と俺の間に入れる形で。


揺れが、強くなった。


——地震じゃない。


俺は、それだけは分かった。故郷でなら、何度も経験した。あれは、下から突き上げて、横へ揺すって、ばらばらに減衰していく。


これは、違った。


規則正しかった。


大きな物が、拍を刻んで、脈打っているような。


『——書き換え』


ナナの声が、揺れの中で聞こえた。


『——規模、算定不能——』


   *


そして、止まった。


嘘みたいに、ぴたりと。


砂が、まだ落ちていた。それだけが、さっきまでの音の残りだった。


「……終わった?」


クーリが、兄の腕の下から顔を出す。


「たぶん」


「支柱、全部無事だ」


ツムグが、抱きついたままの柱を、上から下まで見上げた。


「一本も、折れてない。……あれだけ揺れて?」


俺は、顔を上げた。


そして、前を見た。


壁が、無かった。


   *


行き止まりだった場所に、道が開いていた。


崩れたのではない。崩落なら、瓦礫が要る。石が転がって、砂が積もって、道は塞がるものだ。


そこにあったのは、下り階段だった。


一段一段が、寸分違わぬ高さで刻まれ、まっすぐ奥へ落ちていく。両脇の壁は、なめらかで、継ぎ目がなかった。


一番上の段に、さっきの砂が薄く積もっている。


——降ったばかりの砂が。


「…………」


誰も、動かなかった。


ジェスが、最初に口を開いた。


「なあ」


「はい」


「さっきまで、壁だったよな」


「壁でした」


「壁だよな?」


「壁でしたね」


ジェスは、鶴嘴の頭を指した。ツムグが拾い上げた、あの二本。


それは、まだ床にあった。


壁の前に。


壁が無くなった、その場所に。


「……こんなこと、あるのか?」


答えたのは、クラインさんだった。


「ない」


即答だった。


「無い。断言する。僕の読んだ限り、記録にも、伝承にも、無い」


彼は、震える手で眼鏡を押し上げた。


「ダンジョンが広がるのに、何十年もかかるんだ。年に数間だ。それを、僕らは百年単位で計測してきた。……今のは、何だ」


『——推測を、申し上げます』


ナナだった。


全員が、彼女を見た。


『コアの反応は、以前から存在していました。ここへ来る前から、記録しています』


「じゃあ、今のは」


『はい』


ナナは、階段を見た。


『……周りが、今、出来ました』


「周り」


『ダンジョンの、構造です』


俺は、口の中が乾くのを感じた。


「言い直せ」


ヤンさんが言った。


低い声だった。


ナナは、少し間を置いた。


『……ダンジョンが、今、出来たのだと思います』


「思います?」


『はい。確度の低い推測です。……ですが、他の説明が、ありません』


   *


しばらく、誰も何も言わなかった。


俺は、階段を見下ろしていた。


——生成された、ってことか。


そう思った。


思ってしまってから、少しだけ、変な気分になった。


俺の知っている物の中に、一つだけ、そういうのがある。入るたびに、中身が組み直される穴。同じ入口から入っても、二度と同じ道にならない。誰かが手で作ったわけじゃなくて、入ろうとした瞬間に、その人のために組み立てられる。


一人用の。


——いや、まさか。


そう思って、俺は、その考えを追い払った。


追い払ったつもりだった。


「行くのか」


ヤンさんが聞いた。


ツムグが、鶴嘴の頭を、壁だった場所へそっと置いた。


置いてから、一度、頭を下げた。


誰も見ていないと思っている、暗がりの中で。


「行く」


彼女は言った。


「鉄は、この先だし」


   *


一階層目は、坑道の形をしていた。


だが、ツムグが十歩で見抜いた。


「跡が、ない」


「跡?」


「鶴嘴の跡。鑿の跡。何にもない」


彼女は、壁を撫でたまま、後ろを振り返った。


「向こうには、ある。こっちには、ない」


「じゃあ、ここは」


「誰も、掘ってない」


クラインさんが、支柱に触れた。


「柱まで、あるのにね。……向こうと、間隔が一分も違わない。この穴は、坑道を丸暗記して、その続きを書いたわけだ」


眼鏡の奥が、光った。


「なぜ、そんなことをする?」


誰も、答えなかった。


   *


最初の行き止まりは、その少し先だった。


通路が、ぷつりと途切れている。壁は継ぎ目のない一枚岩。


「戻るしかねぇな」


ジェスが言う。


俺は、壁の隅を見ていた。


「宝箱、ありますね」


「は?」


ジェスが振り返る。指した先、暗がりの中に、木箱の角が見えていた。


クーリが駆け寄って、蓋を開ける。中には、油紙に包まれた砥石が三つ。細かさの違う、三段の組だった。


「うっそ」


ツムグが飛んできた。砥石を一つ取り上げ、指の腹で撫でて、目の色を変える。


「……いい石だ。これ、うちの倍はする」


「良かったですね」


「じゃなくて。なんで分かったの、宝箱があるって」


「行き止まりだからです」


沈黙。


「……は?」


「行き止まりには、宝箱があるものじゃないですか」


ジェスが、箱を持ち上げて、裏返した。何の変哲もない、ただの木箱だった。


「なあ」


「はい」


「これ、誰が置いてるんだ?」


「ダンジョンでしょ」


俺は、そう答えた。


何も考えずに答えた。


クラインさんの筆が、止まった。


「……そういう説も、あるね」


「説?」


「説だよ。ダンジョンは意思を持つ、と唱えた学者がいる。宝も、罠も、魔物も、全部そいつが用意しているんだと。……主流ではない。証明のしようがないからね」


彼は、俺を見た。


「君は、随分あっさり言うんだね」


「あ」


俺は、そこで初めて、自分が何を言ったか気づいた。


「いえ、その」


「いや、いいんだ」


クラインさんは、帳面へ戻った。


「僕もね、たぶん、そっちが正しいと思っている。ただ、学者は、思っているだけでは書けないんだ」


   *


二つ目の行き止まりにも、宝箱があった。


三つ目にも。


四つ目にも。


「多いな」


クラインさんが呟いた。


「多いんですか?」


「多いよ。……ダンジョン産の宝が珍しいのは、めったに出ないからだ。一階層に一つ見つかれば運がいい、と言われている。二つ出たら、酒場で三日は自慢できる」


彼は、帳面を見た。


「僕らは、まだ一階から降りていない。……四つ目だ」


「そういうものじゃないんですか」


「そういうものじゃないんだよ」


   *


魔物は、五十歩ごとに出た。


「来るぞ」


ヤンさんが言い終わる前に、ジェスが動いている。石の甲殻を持った、犬ほどの虫が三体。ジェスが二体を斬り伏せ、残りをヤンさんの石突が潰した。魔石が三つ、床に転がる。


二十歩先で、また四体。その先で、五体。


「……多くない?」


クーリが言った。


俺は、ヤンさんを見た。


「ヤンさん、これ普通ですか」


「知らん」


即答だった。


全員が、振り返った。


「……え?」


クーリが、間の抜けた声を出した。


「知らんとは」


「潜ったことが、ほとんどない」


ヤンさんは、斧槍を担ぎ直した。


「二度だ。二十年で、二度。どちらも浅い所で用が済んだ」


「二度!?」


ジェスが飛び上がった。


「あんた、Aランクだろ!?」


「登録してない」


「そういう話じゃねぇ!」


「氾濫は、外で受けた」


ヤンさんは、そう言った。


「五年前もだ。俺は、出てくる方を、外で叩く。……中の理屈は、知らん」


俺は、その言葉を、二度、頭の中で繰り返した。


この人は、二十年、溢れた水とだけ戦ってきたのだ。蛇口の中へは、一度も。


「じゃあ、どうすんの」


クーリが言う。


ヤンさんは、少し黙った。


そして、俺を見た。


「カイ」


「はい」


「お前が決めろ」


「……俺が?」


「お前は、知ってるんだろう」


言い返せなかった。


   *


階段は、すぐ見つかった。


一階の五つ目の角を曲がったところに、あった。


「あ、階段だ」


ジェスが言う。


「早ぇな」


「そうですね」


俺たちは、降りた。


二階の階段も、すぐ見つかった。


三階も。四階も。


半日で、四階降りた。


「…………」


五階の階段の前で、クラインさんが立ち尽くしていた。


「見つかったな!」


ジェスが陽気に言う。


「うん」


「五つ目だぜ」


「うん」


「早くね?」


「うん」


クラインさんは、両手で頭を抱えて、しゃがみ込んだ。


「君たちは」


「はい」


「ダンジョンというのが、どういう物か、知らないんだね」


「知りませんけど」


「広いんだよ!!」


叫んだ。


初めて聞く声量だった。


「一階層で、街一つぶんくらいある! 地図を作りながら、少しずつ進んで、何日もかけて階段を探す! 見つからなければ、また出直す! 深層まで届く隊が一流と呼ばれるのは、それを何年も続けられるからだ!」


「へえ」


「へえじゃない! エベレの秘境はね、三百年、誰も五十階へ届いていない! 理由は単純だ! 広すぎて、階段が見つからないからだよ!」


彼は、しゃがんだまま、階段を指した。


「半日で、四階」


「はい」


「三百年」


「はい」


「半日で、四階!!」


「クラインさん」


「三百年!!」


クーリが、兄の背中を見下ろして、ため息を吐いた。


「壊れたわ」


「壊れてない! 壊れたのは僕じゃない! 学問だ!」


   *


その日から、ジェスが人格を変えた。


「全部回ろうぜ」


「は?」


クーリが言う。


「行き止まり。全部」


「正気?」


「宝箱だぞ!?」


「魔物も出るのよ!?」


「宝箱だぞ!!」


「同じこと二回言った!」


俺は、口を挟んだ。


「まあ、全部回るものですよね」


三人が、一斉に振り返った。


「「「何!?」」」


「え、行き止まりは、全部見るものじゃ」


「なんでだよ!」


「もったいないので」


「もったいないの基準がおかしい!」


叫びながら、ジェスはもう歩き出していた。


   *


結果から言えば、全部回った。


そして、全部にあった。


革の手甲が出た。ジェスの手にぴったりだった。


魔石が五十ばかり出た。クーリが袋を抱えたまま、しばらく口を開けていた。


ミミックが出た。ジェスが腕を噛まれて、ツムグの鎚が横から入って、二撃で潰した。中身は、細身の鏨の一揃いだった。


「……あの」


ツムグが、鏨を並べながら言った。


「これ、たぶん、うちの国じゃ作れない」


「そうなんですか」


「焼きが、変。硬さがおかしい。こんな細さで、この硬さは、出ない」


彼女は、しばらく黙って、それから、ぼそりと言った。


「……次の行き止まり、どっち」


ジェスが、爆笑した。


「乗ってきた!」


「乗ってない! 道具が可哀想だから拾ってるだけ!」


「箱、可哀想じゃねぇだろ」


「中身が可哀想なの!」


   *


鎚が出たのは、六階だった。


ツムグは、それを両手で持ち上げて、しばらく動かなくなった。


握りが、彼女の手に合っていた。柄の長さも、頭の重さも。まるで、彼女の腕を測ってから作ったみたいに。


「…………」


「どうしました?」


「……いや」


彼女は、それを背中の自分の鎚と持ち比べて、少し笑った。


「気持ち悪いくらい、合ってる」


そして、担いだ。


「よし、次」


「乗ってきた!」


「うるさい!」


   *


七階で、ゴーレムが出た。


人の背丈ほどの、石の塊だった。腕も脚も、ただの直方体で、顔は無い。それが、床から起き上がって、こちらへ歩いてきた。


ジェスが斬りつけて、剣が跳ね返った。


「痛ぇ!! 手が痺れた!」


「石を斬るなよ!」


ツムグが、前へ出た。


低い姿勢から、腰で回す。鎚の頭が、ゴーレムの膝へ入った。


——割れた。


石が、拳ほどの塊になって飛んだ。ゴーレムが片膝をつく。


もう一撃で、肩が落ちた。三撃目で、胸の中の光る石が剥き出しになった。


「そこ!」


ジェスの剣が、その石へ通った。


ゴーレムは、崩れた。


「……お前」


ジェスが、痺れた手を振りながら言った。


「なんで割れんの?」


「石は、殴るもんでしょ」


ツムグは、鎚を担ぎ直した。


「刃で石を斬ろうとする方が、どうかしてる」


   *


ゴーレムは、そのあとも出た。


八階でも。九階でも。


「なあ」


八階の廊下で、ツムグが言った。


「ドワーフの国のダンジョンは、硬いのが多いって聞くけど」


「そうだね」


クラインさんが答える。


「土神の土地だ。石も、金属も、この国の魔物は土から出来ている。それは記録とも合う」


「でもさ」


ツムグは、崩れたゴーレムの残骸を、爪先でつついた。


「こんなに、揃う?」


「揃うとは」


「一体も、柔らかいのがいない。全部、石か、金属か、殻。……あたし、山で狼にも会うし、蝙蝠にも会うよ。虫だって、柔らかいのがいる」


彼女は、顔を上げた。


「ここ、一匹もいない。全部、硬い」


「鉱山ですし」


俺は、言った。


「ゴーレムは、いますよね」


三人が、また振り返った。


「……君はまた」


クラインさんが、額を押さえた。


「あのね、カイくん。ゴーレムというのは珍しいんだ。魔物の中でも、ごく一部だ。生涯で一度も見ずに引退する冒険者の方が多い」


「え」


「僕は今日、四体見た」


「…………」


「そして君は、それを『鉱山ですし』で済ませた」


彼は、帳面を閉じた。


閉じてから、また開いた。そして、また閉じた。


「……もういい」


   *


九階の手前で、クーリが陥落した。


「もう一個だけ」


「お前が言うのかよ」


ジェスが言う。


「だってさ、出るんだもん」


彼女は、袋の口を縛りながら言った。


「あたし、今まで採取の依頼で、丸一日這いつくばって、薬草を銅貨十枚ぶんとか、そんなのばっかりだったのよ。それが、曲がって、突き当たって、蓋開けたら魔石五十よ。……なんかもう、怒る気力が失せた」


「だろ!」


「でも、変よ」


クーリは、俺を見た。


「絶対、変」


「そうですか?」


「変なのよ! ……でも、もう一個だけ」


   *


「あった!! 十二個目!!」


ジェスの声が、通路の先から響いた。


「数えてんの!?」


「当たり前だろ!!」


ツムグが、走っていって、先に蓋を開けた。


「開けんの早ぇな!!」


「あんたが開けると、噛まれるでしょ」


「一回だけだろ!」


「二回!!」


クーリが、その後ろから頭を突っ込んでいる。


「何、何が入ってた」


「あんた、さっきまで嫌がってたじゃん」


「嫌がってない! 心配してただけ!」


「うそつけ!」


クラインさんは、少し離れたところで、帳面へ何か書いていた。


書きながら、笑っていた。


ヤンさんは、壁にもたれて、それを見ていた。


いつも通りの顔で。


でも、たぶん、いつもより、少しだけ。


   *


俺は、その全部を、見ていた。


そして——


「はは」


   *


声が、出た。


出てから、気づいた。


   *


全員が、こっちを見た。


「…………」


俺は、口を押さえた。


「すみません」


「いや」


ジェスが、言った。


変な顔をしていた。


「お前」


「はい」


「笑うんだな」


「え?」


「初めて聞いた」


   *


俺は、答えられなかった。


——三月。


この世界へ来てから、三月だ。


長かった。


いろんなことがあった。思い出せるものも、思い出したくないものも。


その中に、これは、無かった。


   *


「あの」


俺は、言った。


「俺、ゲームが好きだったんです」


「げーむ?」


「……遊びです。故郷の」


「へえ」


「その中に、こういうのが、あって」


俺は、通路を見た。


暗い。曲がっている。行き止まりの奥に、意味もなく宝箱が置いてある。


「穴に入って、迷って、宝を探して、変な物が出てきて、みんなで馬鹿みたいに騒いで、飯を食って、また潜る」


「それが、遊びなの?」


クーリが言う。


「遊びです」


「命懸けじゃない!」


「そこは、遊びなので」


「あー」


彼女は、納得したような、しないような顔をした。


「そういうのが」


俺は、言った。


「やりたかったんです。ずっと」


   *


「じゃあ」


ジェスが、宝箱を担ぎ上げた。


中身は入れっぱなしだった。箱ごと持っていく気らしい。


「今、やってんじゃねぇか」


   *


俺は、彼を見た。


そして、もう一回、笑った。


今度は、押さえなかった。


「……はい」


   *


「楽しいですね」


「そりゃそうだ!」


「ダンジョン、楽しいです」


「当たり前だろ!!」


ジェスは、そう言って、次の角へ走っていった。


「箱、置いてけ! 重いでしょ!」


ツムグが怒鳴りながら、追いかけていく。


「もったいねぇだろ!」


「中身だけ持てばいいんだよ!!」


「箱もダンジョン産だ!」


「箱に価値はない!!」


クーリが笑いながら、その後を追った。


クラインさんが帳面を閉じて、ついていった。


ヤンさんが、壁から離れる。


「行くぞ」


「はい」


   *


俺は、その背中を追った。


——楽しかった。


本当に、楽しかった。


この三月で、たぶん、一番。


俺は、この穴が、好きになっていた。


   *


九階に、部屋があった。


魔物が、入ってこない部屋だった。


『反応が、途絶えます』


「途絶える?」


『この空間の内側にのみ、魔物の生成反応がありません』


ジェスが、真っ先に飛び込んで、大の字に寝転がった。


「うおおお生き返る」


「まだ確認してないでしょ!」


部屋は、四角かった。床が平らで、天井が高い。中央に、火を焚いた跡があった。


その脇に、薪が積んであった。乾いた、割ったばかりの薪が、綺麗に組んで。


クーリが、動きを止めた。


「……誰が置いたの、これ」


誰も答えなかった。


ヤンさんが、薪の山の前へしゃがんだ。一本手に取り、断面を見る。


「使うな」


「なんでだよ、寒ぃぞ」


「知らん奴の飯は食わん」


「薪だぞ?」


「同じだ」


ジェスは、しばらく口を尖らせていた。そして、三十を数えるくらいの間に、薪を火にくべた。


「おい」


「だって寒ぃもん」


   *


『——お出しします』


ナナが、掌を火の脇へ向けた。


鍋が、現れた。


蓋を開けた瞬間、湯気が上がった。


肉と、香草と、脂の匂いが、部屋いっぱいに広がった。


ジェスが、跳ね起きた。


「うっそ」


「熱ぃ!?」


「熱いです」


俺は、器を受け取って、思わず持ち替えた。本当に、熱かった。


四日前の朝、鍛冶場の隣の台所で、湯気を立てていた、あの鍋のままだった。


クーリが、一口食べて、動きを止めた。


「……ちょっと」


「何」


「泣きそうなんだけど」


「大袈裟」


ツムグは、そっぽを向いていた。耳が、少し赤かった。


「地面の下だぞ」


ジェスが、二杯目をよそいながら言った。


「地面の下で、出来立ての飯食ってんだぞ、俺たち」


「食べながら喋るな」


「幸せすぎて怖ぇ」


「じゃあ返して」


「返さねぇ」


   *


椅子に気づいたのは、クーリだった。


「ねえ」


壁際を指す。


石を削り出した、背もたれのない腰掛けが、並んでいた。


一つ。二つ。三つ。


「……七つ」


クーリが、数え終わって、こっちを見た。


「あたしたち、七人よ」


部屋が、静かになった。薪の爆ぜる音だけがした。


俺は、椅子を見て、それから、皆の顔を見た。


「……人数、合ってますね」


言ってから、気づいた。


誰も、笑っていなかった。


ジェスは器を持ったまま固まっている。クーリは俺の袖を掴んでいた。クラインさんは帳面を持ったまま、書いていない。ツムグは、拾った鎚の柄を、握り直していた。


ヤンさんだけが、俺を見ていた。


「カイ」


「はい」


「今、なんて言った」


「人数が、合ってると」


「合ってるとは、何と何がだ」


俺は、答えようとして、口を閉じた。


——七人になったのは、ついこの間だ。


ドワーフの国へ来た時、俺たちは六人だった。ツムグが加わったのは、あの朝。この穴は、二日前に出来た。


椅子は、七つある。


「……あ」


俺は、初めて、寒気を感じた。


   *


『カイさま』


ナナが、隣に立った。小さな声だった。


『この階層の魔物は、すべて通路の幅に沿って、一列で接近しました』


「……列?」


『はい。洞窟性の魔物は、通常、壁面を這って側面から来ます。ですが、この階層の個体は、すべて正面から、順に来ました』


俺は、思い出した。


確かに、そうだった。全部、正面から、一体ずつ来た。


俺は、それを、当たり前だと思って斬っていた。


『それと、もう一つ』


「何」


『宝箱の内容物に、共通の刻印がありました』


ナナは、少しだけ間を置いた。


『——〈使用者に適合〉』


「誰の」


『記載が、ありません』


   *


火が、大きく揺れた。


ジェスが薪を足したらしい。ツムグが「あんた、燃やしすぎ」と怒鳴って、クーリが「あたしの毛布に火の粉が飛んだ!」と叫んで、クラインさんが「実に興味深い」と言いながら二人から距離を取っていた。


ツムグは、拾った鎚を膝に置いて、柄を布で拭いている。何度も、同じところを。


——誰かが、俺たちを数えている。


それは、たぶん、悪意ではない。悪意なら、椅子は六つのままでいい。


数えて、足したのだ。ちゃんと。


親切に。


「カイ」


ヤンさんが、火の向こうから言った。


「怖いか」


俺は、少し考えた。


「……たぶん」


正直に答えた。


「怖がるのが、遅すぎたと思います」


ヤンさんは、頷いた。それきり、何も言わなかった。


   *


「なあ、明日はどこまで行く?」


ジェスが、毛布に潜りながら言った。


俺は、答えようとして、ツムグを見た。


彼女は、鎚を拭く手を止めずに、あっさり言った。


「これぞって鉄が出るまで」


「そりゃそうか」


ジェスが笑って、すぐ寝息を立て始めた。


——飯は、あと五日ぶんある。


誰も、その先の話は、していない。


その夜、俺たちは七つの椅子のうち、六つを使った。


一つだけ、空けておいた。


誰が言い出したわけでもなかった。


   *


十階への階段は、翌朝、四半刻で見つかった。


クラインさんは、もう何も言わなかった。ただ、帳面へ短く書いて、閉じた。


降りた。


   *


階段を、降りきる。


そこに、道は無かった。


正確には、道は、あった。三歩ぶんだけ。


三歩先に、扉があった。


高さは、天井まで。幅は、通路いっぱい。灰色の、継ぎ目のない一枚岩。


それだけだった。


分かれ道も、通路も、部屋も、行き止まりも、無い。


階段と、三歩と、扉。


それが、十階だった。


「…………」


クラインさんが、階段の最後の一段で、止まっていた。


「クラインさん?」


「いや」


彼は、言った。


「うん。十階ごとに、守護者がいるのは、おかしくない」


「そうなんですか」


「そうだよ。どの国の記録でも一致している。ダンジョンは十層ごとに区切りを持つ。深い層へ行くには、そこを越えねばならない。……そこは、いい。そこは、まだ、いいんだ」


彼は、扉を指した。


指が、震えていた。


「なぜ、階段の目の前にあるんだ」


「え?」


「十階に着いたら、まず十階を探すんだよ!!」


叫んだ。


「何日もかけて! 迷って! 地図を作って! それでやっと、守護者の間がどこにあるか分かる! そこまで来て、初めて、挑むかどうかを決めるんだ! 十階というのは、そういう階だ!」


彼は、三歩の通路を指差した。


「これは何だ!? 降りたら、扉!? 三歩!? 三歩だぞ!!」


「ボス部屋ですね」


「ボス!?」


「……いえ、なんでも」


   *


クラインさんは、しゃがみ込んだ。


頭を抱えて、しばらく動かなかった。


やがて、ゆっくり立ち上がった。


もう、叫ばなかった。


「……六度目だ」


小さな声だった。


「いや」


彼は、眼鏡を外して、袖で拭いた。


「もう、数えるのは、やめよう」


   *


『——扉の向こうに、反応があります』


ナナが言った。


「何体だ」


ヤンさんが聞く。


『一体です』


「他には」


『ありません』


「他には?」


『はい。……この階層には、部屋が一つと、それが一体。それだけです』


「階が」


クラインさんが、掠れた声で言った。


「……階が、部屋なのか」


   *


扉には、取っ手が無かった。


押す場所も、引く場所も、鍵穴も、何も。


ジェスが、剣の柄で叩いた。鈍い音がした。分厚かった。


「開かねぇぞ」


「そうですか」


「どうやって開けんだ、これ」


俺は、一歩、前へ出た。


出ただけだった。


『——反応が、こちらを向きました』


扉が、開いた。


音もなく、左右へ。


誰も、触っていなかった。


「なんで開くんだよ!!」


「近づいたからじゃ」


「近づいたら開く扉があってたまるか!!」


   *


中は、広かった。


天井が、見えないくらい。この階全部が、この部屋なのだと、それだけで分かった。


その真ん中に、それは座っていた。


膝を抱えるみたいな格好で、うずくまっている。


——銀だった。


灯りは無いのに、光っていた。自分で光っているのではない。俺たちの角灯の、ほんの少しの光を、全部拾って、返していた。


それが、頭を上げた。


顔は無かった。


けれど、確かに、こちらを見た。


立ち上がる。


天井の見えない部屋の中で、影が、俺たちの上まで伸びてきた。


「…………」


隣で、ツムグが、鎚を握り直す音がした。


「カイ」


小さな声だった。


「はい」


「あれ」


彼女は、それを見上げたまま、言った。


「あれ、たぶん」


声が、少し震えていた。


怯えているのとは、違った。


「——ミスリルだよ」

挿絵(By みてみん)


(第二十七話「親切な穴」・了)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ