# Re:sou 第三話「魔術師」
まぁいずれ主人公は強くなる予定で話は進むはずですので、宜しければ気長にお付き合いいただければ幸いです。
目が覚めても、天井は屋根裏のままだった。
「……続いてる」
寝落ちで強制ログアウト、は無いらしい。
むしろ夢ひとつ見ないくらい熟睡した。ゲームの中で快眠って何だよ。小窓から差す朝の光が、藁布団の埃をきらきら光らせている。梁に手が届きそうな低い天井。昨日はあれだけ不安だったのに、朝になってみれば、腹が減っているだけだった。
人間、単純だ。
朝は水汲みから始まった。
井戸は宿の裏手にある。滑車の縄は思ったより硬く、手に馴染まない。最初の一杯は、汲み上げる途中で桶が傾き、半分くらい地面にぶちまけた。
「桶は八分目でいい」
背後からヤンさんの声がした。
「溢れさせるのは、運ぶ力より、置く力が下手なだけだ」
「……はい」
妙に含蓄のあることを言う。
宿屋の水汲みに人生訓を混ぜないでほしい。いや、たぶん本当に水汲みの話なんだろうけど。
それから床拭き、皿洗い、薪割り。
ヤンさんの指示は的確で、容赦がなかった。無駄な怒鳴り声はない。ただ「そこは違う」「もう一度」「力を入れる場所が逆だ」と、短い言葉が飛んでくる。
楽ではない。
だが、不思議と理不尽ではなかった。
薪割りでは、ちょっとした発見があった。
最初の一振り。
狙った位置から、指一本ぶんずれた。
二振り目も、また少しずれる。
剣道であれだけ「面!」の一点を打ち込んできたのに、なぜか刃先が思った所に落ちない。腕力の問題じゃない。もっと細かい、狙いの精度みたいなものが、この体だと妙に鈍い。
(アバターの感度が、俺の感覚と合ってないのかな)
三振り目でようやく薪が割れた。
乾いた音がして、二つに裂けた薪が左右に転がる。
俺はそれ以上、深く考えなかった。
動く。割れる。じゃあ問題なし。
テスターとしては及第点だ。細かい狂いは、慣れの範囲。そう処理して、次の薪を立てた。
昼飯——昨日の煮込みの残り。やっぱりうまい——を終えた頃、ジェスが迎えに来た。
「クラインとこ、行くぞー」
*
古書屋は、大通りの外れにあった。
人通りがまばらになる一角。少し傾いた看板に、例の読めない筆記体。扉を開けると鈴が鳴って、古い紙の匂いがどっと押し寄せた。
天井まで、本、本、本。
棚に収まりきらない本が床に塔を築き、窓辺には読みかけらしい一冊が伏せて置かれている。埃と、乾いた革と、インクの匂い。光は薄く、舞う塵が金色に光っていた。
図書館というより、本の地層だった。
「いらっしゃい。……なんだ、ジェスか」
本の塔の陰から、涼しい声がした。
「珍しいな。お前が表から入ってくるなんて。字、読めるようになったのか」
「開口一番がそれかよ」
声の主が姿を見せた。
俺は数秒、固まった。
銀色がかった、水色の長い髪。
朝の霧に光を混ぜたような色だった。肩を越えて流れる髪は細く、けれどどこか冷たい光沢がある。澄んだ青い目。そして、耳が——長い。
ただし、昨日見たエルフたちほどではない。
控えめに尖った、けれど人間のものではない耳。
(ハーフエルフだ……!)
ファンタジーの華である。
いや、本人の前で華とか思うな俺。
昨日、通りで見た二人のエルフを思い出す。豪快に笑って値切っていた片方と、絵画のように静止していた片方。目の前の彼は、そのどちらとも違う——ちょうど、あの二人の間くらいの、温度だ。整ってはいる。とんでもなく整ってはいる。だが、そこにちゃんと体温がある。
静かで、柔らかくて、それでいて油断するとこちらの内側まで見透かしてきそうな目だった。
俺の視線に気づいたのか、彼は薄く笑った。
「ハーフエルフは初めてか」
「あ、はい。すみません」
「素直だな。……ふぅん」
彼は俺を上から下まで眺めた。
嫌な感じはしない。ただ、値札のない古書を鑑定するような目だった。
「君が、噂の『拾いもの』」
「カイです。よろしくお願いします」
「クライン。しがない古本屋で、一応、魔術師だ」
「『一応』じゃねぇよ。こいつ、こう見えて腕は立つんだぜ」
「『こう見えて』は余計だ、脳筋」
軽口の応酬に、幼馴染の年季を感じる。
「で? 冷やかしじゃないんだろう」
クラインはジェスではなく、俺を見た。
「こいつが魔法を知りたいんだと。基礎から頼むわ。俺が教えると全部身体強化になっちまう」
「お前のは教えるんじゃない。ただの筋トレだ」
「身体に覚えさせるって意味では合ってんだろ」
「それは学問に対する侮辱だ」
クラインは本の塔をふたつ動かして、埋もれていた椅子を発掘した。
本屋で椅子が発掘されるという表現を使う日が来るとは思わなかった。
俺を座らせると、クラインは細い指で机の上を軽く払った。埃が舞う。その所作ひとつで、雰囲気が変わった。
さっきまでの幼馴染に毒を吐く顔ではない。
教師の顔だ。
心なしか、楽しそうでもある。
ああ、この人、講義が好きなタイプだな。
「まず。この世界には〈マナ〉が満ちている」
クラインは静かに言った。
「目に見えない霧のようなものだ。どこから来るのか、なぜ在るのか——それは誰も知らない。教会では『神々の恵み』と説く。学者は『世界の息』と呼ぶ者もいる。言い方は違うが、結局のところ同じだ」
彼は机の上に指先で小さな円を描いた。
「人は、マナなしには魔法を使えない。魔法とは、このマナに『式』を刻み、望む事象を起こす技術だ」
(マナ=魔力資源ね。はいはい、基本仕様)
「式の刻み方は、大きく三つに分けられる。起点。座標。事象」
クラインは指を一本ずつ立てた。
「自分を起点にする。どこで起こすかを定める。そこで何を起こすかを組む。火なら火の理、水なら水の理。ただし、これを毎回頭の中で一から組むのは大仕事だ。だから——」
三本目の指を折り、一本だけ残す。
「短縮がある。詠唱だ。例えば」
クラインはすっと息を吸った。
そして、歌うように唱えた。
「——万象の源たるマナよ、我が指先に小さき火を灯せ」
指先に、蝋燭ほどの火が、ぽ、と点った。
「おお……」
声が出た。
初めて見る魔法だ。
CGでもエフェクトでもない。少なくとも、俺の目にはそう見えない。熱がある。揺らぎがある。指先に生まれた小さな火が、クラインの青い瞳に反射している。
素直に感動した。
感動したのだが——それとは別のところで、俺は固まっていた。
(今の詠唱……全部、意味わかるんだけど)
というか、普通に日本語じゃん。
「詠唱は古の言葉だ」
クラインは火を消しながら続けた。
「意味は誰も知らない。『こう唱えればこうなる』——そういうものとして丸暗記で受け継がれている。ただ、発音がとにかく難しい。半分も正しく発音できれば、一人前だ。上級の神官や魔術師は、この発音を保つためだけに何年も費やす」
「……こう、ですか」
俺はさっき聞いた言葉を、そのまま口にした。
「——万象の源たるマナよ、我が指先に小さき火を灯せ」
言い慣れた言葉で、普通に、言った。
クラインの笑みが、止まった。
「…………今、一度聞いただけだな?」
「え? はい」
「完璧だ」
声が少し低くなる。
「発音が。……長老級の神官より綺麗だ」
「はあ。……どうも?」
え、何。
褒められてる……のか?
空気が変だ。
ジェスまで真顔になっている。
「……次だ」
クラインは机に置いてあった薄い金属皿を俺の前へ寄せた。
「目を閉じて、火を思い浮かべてみろ。マナを感じるんだ。——と言っても、普通は感じられるまで数週間は」
火。
ライターの火。
親指の先に、これくらいの。
ぽ。
俺の指先で、火が点いた。
「…………………」
「…………………」
沈黙。
クラインの手から、本が滑り落ちた。
床に落ちる音が、やけに大きく聞こえた。
「え。あれ? すみません、勝手に。——のとおりにやっただけで」
「……また訛った」
クラインは小さく呟き、それから首を振った。
「いや、それより。詠唱は? 式は?」
「え? ……要るんですか?」
クラインが、ゆっくりと額を押さえた。
「無詠唱。外部式なし。初見で。……ジェス」
「お、おう」
「お前、何を拾ってきた」
「知らねぇよ!? 俺が聞きてぇよ!」
それからクラインは、矢継ぎ早に注文を出した。
消せ。
点けろ。
大きく。
小さく。
色を変えろ。
右手から左手へ。
全部、思った通りになった。
だってゲームだし。
むしろこの程度で驚かれるほうが困る。序盤も序盤だぞ。火を出すだけでここまで大騒ぎされたら、上級魔法のチュートリアルはどうなってしまうんだ。
ただ——ひとつだけ、妙なことがあった。
「炎を、蝋燭ほどの大きさで、一定に保て」
言われて、火を灯す。
灯るには灯った。
だが、その炎が、ゆらゆらと揺れた。
大きくなったり、小さくなったり、俺の意図と無関係に、勝手に脈打つ。
「一定」が、できない。
点けるのも消すのも思いのままなのに、「同じ大きさで留める」という、ただそれだけが、指の間からこぼれ落ちる。
「……あれ?」
「どうした」
「いや、大きさが、揃わなくて」
俺は炎を睨んで、意識を集中した。
それでも、炎は落ち着きのない子供みたいに、ちらちら揺れ続けた。
薪割りのときの、あの「指一本ぶんのずれ」と、同じ感触だった。
できる。
なのに、細かいところで、合わない。
「……ふぅん」
クラインが、その揺れる炎をじっと見ていた。
何か言いかけて——やめた。
「まあ、些細なことだ」
小さく呟く。
だが、その目は「些細」なんて言葉を少しも信じていなかった。
「疲労は? 頭痛は。目の奥が重いとか。吐き気は」
「特に、何も」
「……普通初めてでそれだけ行使すれば、今ので鼻血が出る」
クラインは深く、長く、息を吐いた。
それから、目だけで笑った。
さっきまでの教師の目じゃない。
研究者の目だった。
「ギルドへ行け。測定水晶にかざせば、適合率——魔法の才が数字で出る。……見てみたい。お前の数字を」
「お、それだ」
ジェスが膝を打った。
「カイ、冒険者になれよ。登録すりゃ身分証にもなるし、依頼で稼げる。お前なら余裕だって」
身分証。
そういえば俺、「ないです」三連発の男だった。
なるほど、冒険者登録で身元問題も解決、と。
導線が綺麗だなあ、このゲーム。
「じゃあ……明日、行ってみます」
「決まりだな! 登録試験くらい、今のお前なら楽勝——」
「試験の中身も知らない脳筋の太鼓判ほど、あてにならないものはない」
「うっせぇな!」
帰り際、クラインが思い出したように付け加えた。
「ああ、ジェス」
「なんだよ」
「クーリが今日もお前のことを聞いていた」
「おう。また今度、稽古つけてやるって言っといてくれ」
「そう言うと思ったから、もう言っておいた」
「先に言うなよ」
「お前はどうせ同じことしか言わない」
くーり。
誰だろう。
新キャラの気配だけ置いていくじゃん。
*
その夜。
客の絶えた古書屋で、クラインはひとり、店のいちばん奥の棚の前に立っていた。
灯りは小さなランプがひとつ。
昼間は雑然として見えた本の塔も、夜になると別の顔をする。影が棚と棚の隙間に溜まり、古い革表紙の背だけが、かすかな光を吸って鈍く光っていた。
クラインは一冊の写本を取り出した。
革の綻びた、古い本だった。
神代の伝承を集めたものだ。
頁をめくる。
紙は乾き、指先だけで崩れそうなほど古い。
——曰く、神代の民は、詠唱を持たず、式を持たず。
——ただ思うことのみによって、マナはその意に従った。
頁をなぞる指が、止まる。
昼間の、あの少年の火を思い出す。
何もかもを一瞬でこなし、鼻血ひとつ出さず。
それでいて、炎ひとつを「一定に保つ」ことが、できなかった。
「……力が、器を追い越している」
万能に見えて、細部が追いつかない。
まるで、あまりに大きな力を、あまりに新しい器に、注ぎたてたような。
「まさか、な」
クラインは薄く笑った。
笑って、本を閉じる。
だがその笑みは、すぐに消えた。
閉じた表紙には、彼には読めない文字で、題が刻まれている。
カイならば、こう読めただろう。
——『創世記』と。
ランプの火が、小さく揺れた。
窓の外で、夜風が古書屋の看板をかすかに鳴らす。
クラインは閉じた本に指を置いたまま、しばらく動かなかった。
まるで、自分が笑い飛ばしたはずの可能性が、まだそこに残っているかを確かめるように。
(第三話・了)
感想評価等お待ちしております。
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