表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Re:sou〜超現実拡張妄想変換装置(仮)改〜  作者: 西ノ圭吾
第一章 世界
4/22

# Re:sou 第四話「測定不能」


夜明け前の井戸水は、手が切れるほど冷たかった。


桶を三往復。竈に火を入れて、床板を拭き上げる頃、ようやく窓の外が白んでくる。三日目にして、俺の朝はすっかりこの宿の朝になっていた。厨房からは骨を煮る匂い。今日の煮込みの仕込みだ。この匂いで腹が鳴るようになったら、もう立派な従業員だと思う。


昼までに仕事を片付けると、ヤンさんが銅貨を数枚、カウンターに置いた。磨き上げた木の天板の上で、硬貨は鈍く光った。


「登録料だ。給金から引いておく」

「……ありがとうございます」

「試験は北の洞窟だろう」


ヤンさんはグラスを拭く手を止めずに言った。この人は、大事な話ほど手を動かしながらする。


「あそこは枯れた遺跡だ。何十年も試験に使われてると聞いてる、この辺りで一番安全な穴だ。魔物もほぼ出ん。——だが」


布が、きゅ、と鳴って、止まった。


「妙だと思ったら、すぐ戻れ。銅板より命だ」


枯れた遺跡。聞き慣れない言い回しだったが、俺は頷いた。この人の忠告は、聞くものだと思う。理屈より先に、そう思わせる声だった。


   *


昼下がりの大通りは、人と荷車と呼び込みの声で満ちていた。焼き菓子の屋台の甘い匂いに、革と鉄の匂いが混じる。ジェスは当然のようについてきて、クラインまで「仕入れのついでだ」と涼しい顔で並んでいた。仕入れの荷物、どこにもないんだよなあ。絶対、数字が見たいだけだろ。


冒険者ギルドは、大通りに面した石造りの三階建てだった。両開きの扉は開け放たれ、中から喧騒がこぼれてくる。


一歩入って、俺は思わず立ち止まった。


酒場と役所を足して二で割った空間。左手には長机が並び、昼から麦酒を呷る革鎧の男たち。右手の壁は一面の掲示板で、依頼書が鱗みたいに重なって貼られている。奥には受付カウンターが三つ。天井は吹き抜けで、二階の手すりから誰かが下の騒ぎを眺めていた。剣の鞘が椅子にぶつかる音。笑い声。羊皮紙をめくる音。


(ギルドだ……本物の、テンプレのギルドだ……)


感動していると、ジェスに背中を押された。


受付のお姉さんは親切だった。ただし、登録用紙を前に、俺の手は止まった。読めない字は、当然、書けない。


「あ、読み書きは大丈夫ですよ。代筆しますね。多いんです、そういう方」


すみません、と頭を下げながら思う。俺、この世界で一番古い字なら読み書きできるんだけどな。世界最古の文盲って何だよ。


名前、歳、得物——質問に答えるたび、羽根ペンがさらさらと走る。得物の欄で「剣……たぶん」と答えたら、横でジェスが吹き出した。


「では最後に、適合率の測定です。こちらの水晶に手を」


カウンターの端に、台座に据えられた水晶球があった。人の頭ほどの大きさで、中に薄い雲がかかったような、乳白の球体。台座の縁は、長年の手垢で黒く艶が出ている。


「マナの通りがいい方ほど、強く光ります。皆さんだいたい、ぼんやり灯るくらい——数字にして二割前後ですね。三割も出れば宮仕えできますよ」


「ほれ、見本」


ジェスが横から手を伸ばして、乗せた。水晶の中心に、暖色の光が、ぼう、と灯る。ランプを布越しに見るような、柔らかい光だった。


「二割二分。ま、こんなもんよ」

「聞いてないのに測らないでください」


受付さんが苦笑して、水晶を布でひと拭きした。


「はい、ではカイさん、どうぞ」


俺は手を乗せた。


ひやりとした、硝子の感触。


一拍。


水晶が——白く、爆ぜた。


灯る、なんてものじゃなかった。真昼のギルドの中で、そこだけ雷が落ちたみたいに、視界が白に塗り潰された。悲鳴。椅子の倒れる音。壁の依頼書の一枚一枚まで、影が濃く焼きついて——


きぃん、と細い音が鳴って。


ぷつん。


消えた。


水晶は、墨を流し込んだように黒ずんで、二度と光らなかった。焦げたような匂いが、微かに鼻をつく。


ギルド中が、静まり返っていた。


その沈黙の中で。黒く濁った水晶の芯に、一瞬だけ、白い澱のようなものが浮かんだ。細かい、几帳面な、光の文字列。


【エラー 測定上限ヲ超過】


読めてしまった。次の瞬きの間に、それは溶けて消えた。


「……い、今の」受付さんの声が裏返る。

「え、なに、今の。こんなの、出たことありません……! 五十年ものの水晶ですよ!?」


「弁償っ!?」


素っ頓狂な声は、俺の喉から出た。財布の中身、ゼロなんですけど。


「今の何!? 光った!? 爆発!?」


掲示板の前から、黒髪の女の子がすっ飛んできた。腰の後ろに短剣が二本。青い目に、見覚えのある形の——少しだけ尖った耳。


「うそ、水晶死んでる! 水晶壊した人、初めて見た!」

「クーリ。騒ぐな」

「だって兄さ——兄さん!? なんでギルドに? あとジェスまで!」

「よお、チビ助」

「チビ助って言うな!」


なるほど、この子がクーリか。クラインの妹。全然似てない、と思ったが、耳と目の形だけは同じだった。


「はいはい、注もーく! ハジ一の魔双剣士見習い、クーリちゃんとはあたしのことよ! で? そこの水晶キラーは誰?」

「カイです……あの、それより弁償が」


受付さんは慌ただしく規定集をめくり、やがて、ほっとしたような困ったような顔で言った。


「……職員立ち合いの測定中の破損?は、ギルド負担です。規定にもあります。——この規定が実際に使われたの、私、初めて見ましたけど」


助かった。膝から力が抜けた。


「い、一応、予備で測り直しましょう。こちらの携帯用で」


受付さんが奥から持ってきたのは、拳ほどの小さな水晶だった。俺は恐る恐る、今度は指一本で触れた。


ぴかっ。ぷつん。


「ひっ」

「二個目ぇ!?」


周りの冒険者たちが、すす、と半歩下がった。やめて。俺が一番怖いんだよ。


受付さんは震える手で、書類にこう書いた——【測定不能】。


「て、適合率が測れなくても、冒険者にはなれますから! だ、大丈夫です!」


「測定不能って何?」クーリが書類を覗き込む。「ゼロってこと? 最強ってこと? どっちよ」

「知らねぇよ。……なあ、クライン?」

「——さあ、な」


騒ぎの間、クラインだけが、黒ずんだ水晶を黙って見ていた。それから、誰にともなく、低く呟いた。


「水晶は、通ったマナの量に応じて光る。……灯心と同じだ。灯心が焼き切れるのは、炎が弱いからじゃない」

「え?」

「——独り言だ」


(電球のフィラメントが飛んだ、あの感じだったな……仕様バグかな。報告案件だぞ、柾兄)


俺の脳内報告書の上に、クラインの横目がじっと刺さっていたことに、この時の俺は気づいていない。


   *


「では、登録試験のご説明です!」


気を取り直した受付さんいわく——町の北、徒歩一時間の試験洞窟。最奥の祠に置かれた刻印の銅板を、一枚持ち帰る。洞窟内は単独行動、付き添いは入り口まで。魔物はまず出ない。


「転ばないことが、一番のコツです!」

「その『まず』ってのが世界の罠なんだよなあ」とジェス。

「試験より帰り道のほうが危ないくらいだ」とクライン。

「あたしも行く! 水晶キラーの試験、見届けたい! ……ねえ、監督役って報酬出る?」

「出ません」

「出ないの!? ……ま、まあ、今日は特別。無料タダで見届けてあげる。べ、別にジェスと一緒に行きたいわけじゃないから! 新人が心配なだけ!」


誰も聞いてないのに。


   *


北へ延びる街道は、丈の低い麦畑の間を縫っていた。風が渡るたび、緑の穂が波になって走る。遠くの丘の上には風車がひとつ。雲は高く、鳶がゆっくりと輪を描いていた。


作り物だと分かっていても、綺麗なものは綺麗だった。


「ねえねえ水晶キラー。あんた、どこの出身?」

「えっと、——ってところです」

「……うっわ、ほんとに訛りキツ。今の、地名? 地名なの?」

「らしいぜ。な、面白いだろこいつ」


ジェスが笑い、クーリが「面白がるとこ?」と眉を寄せる。その後ろでクラインが、半歩分だけ俺に寄って、声を落とした。


「昨日の火のことは、誰にも見せるな。……ギルドのあれで、もう十分すぎるほど目立った」

「……はい」


なんで隠すんだろう、とは思った。思ったが、レア属性の初期キャラが目をつけられるのは、ゲームでもお約束だ。素直に頷いておく。


   *


試験洞窟は、丘の中腹にぽっかりと口を開けていた。入り口には古びた木の看板と、歴代の受験者が残したらしい落書き。中から流れてくる空気は、ひんやりと湿っていて、微かに土と苔の匂いがした。


「じゃ、行ってきます」

「おう。転ぶなよ!」

「水晶キラー、がんばれー!」

「……妙だと思ったら、戻れ」


クラインの言葉が、今朝のヤンさんとまったく同じで、少しだけ引っかかった。


洞窟の中は、思ったより明るかった。壁のところどころに光る苔が張り付いて、青白い明かりを落としている。水滴の音が、遠くで規則正しく響いていた。


入口からいくかの道は迷路めいていたが、奥へ進むほど、通路は「整って」いった。


最初はごつごつした、ただの洞窟だったのが、だんだんと壁が滑らかになる。天井の高さが揃う。床が平らになる。足音まで変わった——湿って吸い込まれるような洞窟の反響が、いつの間にか、廊下を歩くときの硬い音になっている。


(手抜きモデリング……にしては、逆か。奥のほうが作り込んである)


壁に手を這わせてみる。石だ。石なのに、継ぎ目がない。どこまでも一枚の、冷たい石。


やがて、突き当たりに出た。


小部屋ほどの空間。中央に、木の祠がぽつんと置かれている。硬質な石壁に対して、その祠だけが明らかに「後から持ち込まれた」風情で、少し傾いでいた。祠の中には、掌ほどの銅板が積まれている。表面には統一言語の刻印。


これを持ち帰れば、俺も晴れて冒険者だ。


一枚、手に取った。


その瞬間。


足元から、細い光の線が、すぅ、と走った。


線は床を伝い、壁を這い上がり、天井へ。血管のように、回路図のように枝分かれして、部屋中に淡い光の脈が浮かび上がる。低い音がした。地鳴りでも、羽音でもない。強いて言えば——起動音だ。


そして、行き止まりのはずの正面の壁一面に、光の文字が浮かんだ。


読めない筆記体じゃ、ない。


読める。俺には、読めてしまう。


【生体反応ヲ検知 —— 照合中】


「……なんて?」


【照合完了】


壁が、音もなく割れた。いや——開いた。石が石のまま、襖みたいに滑って、左右へ。その向こうを興味本位で覗いてみた。

暗闇じゃなかった。淡く発光する壁面が、遥か下まで続く——深い、深い、竪穴。


「え、ちょっと待っ——」


途端に直前まで立っていた床が、消えた。


正確には、足元の床が光の粒に解けて、俺の体は支えを失った。落ちる。銅板を握りしめたまま、光る竪穴を、落ちていく。頬を打つ風。浮き上がる内臓。回る視界。


(隠しダンジョン!? 初回登録特典……にしては、演出が、ガチすぎる——!)


悲鳴の代わりに、頭の中で言い訳めいたツッコミが回る。回り続ける。だって、そうでも思っていないと。


流れ落ちていく壁面に、光の文字が次々と浮かんでは、消えた。


【第七研究所 管理区画】

【権限——確認】


そして最後に流れたひと文字列を、俺は、確かに読んだ。


【おかえりなさい】


挿絵(By みてみん)



(第四話・了)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ