# Re:sou 第二話「ヤン」
ハジに着いた。
道中はそれなりに歩き、疲れたとだけ。
現代人がいかに獣道を歩きなれてないかが分かった。
遠くから町らしきものが見えた時は思わずガッツポーズをしてジェスに
「なんだそれ」
と笑われた。
遠くから見るハジはそれなりに高い壁に囲まれたいかにもファンタジーという町だった。
そして、いざ門をくぐった瞬間、俺は足を止めた。
音が、押し寄せてきた。
石畳を鳴らす荷車の車輪。呼び込みの声、値切る声、笑い声。
どこかで鶏が鳴き、鍛冶の槌がひとつ、遠くで律儀に拍子を刻んでいる。
夕暮れの大通りは店じまいの時刻で、商人たちが露店の布を畳みながら、最後のひと稼ぎを叫んでいた。
匂いも渋滞していた。
焼き菓子の甘い匂いに、革と鉄の匂い。家畜の匂い。香辛料の、鼻の奥を突く刺激。それらが夕餉の煙とまざって、通りの上にひとつの「町の匂い」を作っている。
「……導入の町として満点すぎる」
「ん? なんか言ったか?」
「いえ。いい町だなって」
交易都市ハジ。
マリーダ王国の、王都にほど近い商いの町——だとジェスは言った。
小さな国だが、街道の結び目にあたるから、人と物だけはよく流れてくる要衝らしい。
そして、人だけじゃなかった。
まず目に入ったのは、樽を山積みにした荷車を押す、俺の胸くらいの背丈の集団だった。
全員が見事な髭で、全員が岩みたいな腕をしている。
ドワーフだ。
実在した。
すれ違いざま、一人がジェスに片手を挙げ、ジェスも慣れた調子で挙げ返した。
その向こうの魚屋では、店主が——蛙だった。いや、蛙っぽい何かだった。
つるりとした皮膚に大きな口で、濡れた手で器用に魚を捌いている。
犬の耳と尻尾を持つ配達人らしき少年が、荷を抱えて人混みを縫っていく。
鱗に覆われた腕の男が、屋台で串焼きを買っていた。
(種族図鑑が、歩いてる……)
きょろきょろしすぎたらしく、ジェスに
「田舎から出てきたやつの顔だぞ」
と笑われた。
すみません、実際もっと遠くから来てるんです。
そんな雑踏の中で、一箇所だけ、目が引っかかった。
布地屋の前だった。
長い耳の男が二人、立っている。感動の初エルフだ。男だったけど。
片方は日に灼けた顔で豪快に笑いながら、店主相手に身振り手振りで値切り倒している。
生地を摘まんで、大袈裟に顔をしかめて、また笑う。
隣の客まで巻き込んで、もう商談なのか大道芸なのかわからない。
その隣に、もう一人が立っていた。
同じ長い耳。同じように整った顔。
なのに——違った。
肌は白磁みたいに白く、旅装なのに埃のひとつも纏っていないように見える。値切るでも、笑うでもなく、ただ立って、通りの向こうを見ている。
瞬きが、異様に少ない。
夕陽が横から差して、その瞳の中に、葉脈みたいな細い光の筋が走っているのが見えた。
綺麗だ、というより——絵画だった。
人の雑踏の中に、一枚だけ絵が立っている。
連れらしいのに、笑うエルフとその人の間だけ、空気の温度が違った。
「……?」
なんだろう、今の。
言葉にできないまま、人波が二人を隠した。
「おら、こっちだ。日ぃ暮れるぞ」
ジェスに袖を引かれて、俺は歩き出した。
「あの……ジェスさん。なんで、助けてくれたんですか。俺のこと」
歩きながら、ふと聞いた。
装備なし、身元なし、言葉は訛りだらけの行き倒れだ。普通、関わらないだろう。
「ん?」
ジェスは前を向いたまま、少しだけ間を置いた。
「……あの森で行き倒れてる奴なんてのは、放っとけねぇんだよ。なんとなくな」
なんとなく。
にしては、その横顔の笑みの奥で、一瞬だけ、何かが揺れた気がした。
聞いちゃいけないやつだ、と直感が言ったので、俺は「そうですか」とだけ返した。
*
ジェスが案内してくれたのは、大通りから一本入った通りの宿だった。
二階建て。
木の看板に、例の読めない筆記体。一階の窓から灯りと湯気が漏れて、煮込みの匂いが道まで出張してきている。扉を開けると、頭上で古い鈴が、からん、と鳴った。
中は、思ったよりも広かった。
よく磨かれた木のテーブルが六つ。長いカウンターに、樽がふたつ。壁には古い地図と、干した香草の束。床板は歩くたび、みし、と鳴くけれど、埃はどこにもない。
隅の席では、白髭の爺さんが一人、麦酒をちびちびやりながら、こっちを胡散臭そうに見ていた。
「ヤンさん、ただいま! 客っつーか、拾いもんっつーか——連れてきた!」
「また拾いもんかい」と爺さんが茶々を入れる。「先週は迷子の山羊だったな」
「うっせぇぞ爺さん。あれは山羊のほうから懐いてきたんだよ」
「山羊にも見る目があるってことかね」
「褒められてる気がしねぇ」
カウンターの奥から出てきたのは、背の高い男だった。
四十絡み。白髪の交じった銀髪を短く刈っていて、宿屋の親父にしては、立ち姿がやけに真っ直ぐだ。
道場で一番構えの綺麗な先生が、ちょうどこんなふうに立つ。
力が入っているわけじゃない。
ただ、どこにも隙がない。
「拾いもん、ね」
ヤンさんと呼ばれた男は、俺を上から下まで一度だけ見た。
値踏みというより、確認に近い視線だった。
「カイです。森で、ジェスさんに助けてもらいました」
「こいつ、セラの森でウルフ二頭相手に枝一本で粘ってたんだぜ」
「……ほう」
セラの森。
あの森、そういう名前なのか。
その名を聞いた時、ヤンさんの目の奥が、ほんの少しだけ暗くなった気がした。
飯時前の空いた食堂で、俺は事情を話した。
といっても、話せることは少ない。
「俺は、——の——をしてて、気がついたら、あの森に倒れてました」
「な? ヤンさん、聞いたろ」
ジェスが顔をしかめる。
「ところどころ、こういう聞いたことねぇ言葉が混じるんだ。訛りってレベルじゃねぇ」
「金は」
「持ってないです」
「身元を証すものは」
「……ないです」
「行く当ては」
「……ないです」
我ながらひどい。
三連続「ないです」。詰み確定の初期ステータスにも程がある。
隅の爺さんが「豪気だねえ」と他人事の感想を漏らした。
ヤンさんはしばらく黙っていた。
怒るでも、呆れるでもない。ただ、こちらの言葉の重さを量っているような沈黙だった。
それから、思いがけないことを聞いた。
「名は、カイだけか。家の名は」
家の名。
名字のことか。
「あります。……書いたほうが早いかもしれません」
カウンターに帳面と炭筆があった。宿帳だろう。
俺は端の余白を借りて、書いた。
久遠寺 開
書き慣れた四文字。
それを見たヤンさんの目が——初めて、動いた。
「ジェス。表の樽を中に入れておけ」
「え? 今?」
「雨が来る」
「爺さんも、そろそろ看板だ」
「わしゃまだ半分——へいへい、わかったよ」
ジェスが首を捻りながら出ていき、爺さんが杯を干して銅貨を二枚置いて出ていく。
扉が閉まる。
鈴の余韻が消えるまで、ヤンさんは待った。
それから、声を落とした。
「坊主。これがなんの文字か、分かって書いたか」
「なんのって……普通の、——語です」
また訛った、らしい。
ヤンさんの眉がわずかに寄った。
「これは遺跡文字だ。神代の遺跡の壁に刻まれている文字——読める人間は、この国にはいない。俺も、形をいくつか知っているだけだ」
「……遺跡、文字」
頭が一瞬、処理に詰まった。
俺にとっては小学校で習った、ただの漢字だ。
それがここでは、誰も読めない神代の文字。
没入演出としては最高だ。最高だけど——目の前の人の声がここまで低くなる類の演出だとは、思っていなかった。
「もうひとつ」
ヤンさんは帳面の一点を、指で押さえた。
「この家名は、なんと読む」
「クオンジ、です」
指が、止まった。
「……人神クオンジー」
その名を口にした時だけ、ヤンさんの声が少しだけ変わった。
祈りではない。
恐れでもない。
ただ、長く遠いものの名を呼ぶ声だった。
「人族も亜人も、大抵のやつが祈る先の御名だ。ほとんど同じ音だぞ、坊主」
ヤンさんは帳面のその頁を破り、竈の火に落とした。
四文字が、黒く縮れて、灰になる。
俺は黙って見ていた。
自分の名前が燃えるところなんて、普通は一生見るものじゃない。
「悪いことは言わん」
ヤンさんは火から目を離さずに言った。
「家名は捨てろ。名乗るな、書くな。今後、お前は『カイ』——それだけだ」
(名前入力で隠しフラグが立つタイプのゲーム……? いや、それにしては)
それにしては、この人の目は、演技に見えなかった。
「はい」と、俺は素直に頷いていた。
ヤンさんは頷き返すと、何事もなかったように腕を組んだ。
「行く当てがないなら、ここで働け。条件を言う。屋根裏の部屋と、朝晩の飯。それで寝床代と飯代はちゃらだ。働きが良ければ、日に銅貨十枚まで小遣いを出す」
銅貨十枚。
さっき爺さんが麦酒二杯で銅貨二枚置いていったから……一枚がだいたい百円玉の感覚か。
時給に直すと考えたくない数字だが、衣食住込みと考えれば——いや、そもそも初期資金ゼロの身だ。選択肢なんてない。
むしろ経済チュートリアルとしては手厚い方だぞ、これは。
「やります。お願いします」
「よし」
「……いいんですか、こんな簡単に」
「あの森で行き倒れてた奴を放り出したとあっちゃ、寝覚めが悪い」
そこへジェスが樽を抱えて戻ってきた。
「雨なんか、降りそうもねぇけど?」
「気のせいだったな」
ヤンさんは何食わぬ顔で言った。
ジェスが「この人、たまにこうなんだよ」とでも言いたげに肩をすくめる。
俺は笑いかけて——その前に、竈の中の灰をもう一度だけ見ていた。
*
その夜の飯は、角兎の煮込みだった。
ホーンラビット。
ジェスの今日の獲物だ。
「……うまっ」
嘘だろ。
味まで完璧かよ。
柔らかい肉に、根菜と香草。角の生えた兎というビジュアルとの落差がすごい。夜の食堂には客が数組戻ってきていて、皿とジョッキの音、笑い声、厨房の火の音が、ひとつの温度になっていた。
「だろ? ヤンさんの煮込みは町一番なんだ」
ジェスが自分の料理みたいに胸を張る。
「作ったのヤンさんですよね」
「獲ってきたのは俺だ」
「半分だけ胸張る権利ですね」
「半分もありゃ十分だろ」
そう言って、ジェスは笑った。
その笑い方が、さっき森で俺を助けた時と同じだったので、少しだけ安心した。
飯を食いながら、俺は一番聞きたかったことを聞いた。
「あの——魔法って、どうやったら使えるんですか」
ジェスの匙が止まった。
「あー……才能によるな」
その顔は、少しだけ渋かった。
「俺は身体強化しか使えねぇ。つっても、大体のやつはそんなもんだ。ちゃんと知りてぇなら、クラインのとこだな」
「クライン?」
「俺の幼馴染。古書屋やってる魔術師だ。腕は……まあ、認めたかねぇけど、いい」
認めたかねぇ、の部分だけ妙に力が入っていた。
「明日連れてってやるよ」
魔法。
チュートリアルの続きは、そこか。
*
寝床は屋根裏の小部屋だった。
藁の詰まった布団は、思ったより悪くない。天井は低いが、小窓がひとつあって、知らない星座が見えた。
知らない星座。
その言葉が、なぜか胸の奥に引っかかった。
だが、目が冴えて眠れなかった。
ログアウトなしで迎える、最初の夜だ。
このまま寝たら、どうなるんだろうな。
……そもそも、このテスト、いつまでなんだろう。
考え始めると、止まらなくなった。
セーブポイントの説明もない。中断の方法もない。柾兄からの連絡も、運営からのアナウンスも、何もない。
デバッグでこんなに放置されたことは、今まで一度もない。
あの人は口は悪いが、テスト中は必ずログを見てて、必ず——
必ず、声をかけてくる人だ。
「…………」
布団の中で、俺は寝返りを打った。
やめだ、やめ。
考えても仕方ない。長期テストってだけだ。じっくり遊べってことだ。明日は魔法だぞ。魔法。ファンタジーの花形。楽しみが先だ。
そう自分に言い聞かせて——喉が渇いていることに気づいた。
水でも飲むかと階段を下りかけて、足が止まった。
食堂に、まだ灯りがある。
低い声がふたつ。
「——で、セラの森の、どの辺りだ」
「像の、すぐ近く。……やっぱ気になるか? ヤンさん」
「装備なし、路銀なし、身元なし。それで、遺跡文字を書く」
「……字ぃ? あいつ、いつの間に字なんて」
「……いや。なんでもない」
しばらくの沈黙のあと、ヤンさんの声がした。
ひどく、静かな声だった。
「あの森で『拾われる』人間なんてのはな。——普通はいまい」
俺はそっと階段を戻った。
喉の渇きは、どこかへ消えていた。
(NPC同士が自律会話するのか。すごい技術だな……)
すごい技術だ。
そう思うことにして、布団に潜り込む。
心臓が少しうるさかったのは、きっと、慣れない藁の匂いのせいだ。
窓の外で、知らない星がひとつ、瞬いた。
俺の知っている空には、そんな場所に星はなかった。
それでも俺は、目を閉じた。
まだ、ゲームだと思いたかった。
(第二話・了)
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