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Re:sou〜超現実拡張妄想変換装置(仮)改〜  作者: 西ノ圭吾
第五章 半端もん
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Re:sou 第二十五話「石無し」


「……二十年だぞ」


その一言が、坑道の薄闇へ落ちてから、誰も動かなかった。


遠くで、水滴が石を打っている。


一滴。


もう一滴。


俺はいつの間にか息を止めていた。


先に動いたのは、ドワーフの男だった。


膝を折り、落とした鶴嘴を拾う。


手は震えていた。


それでも拾い上げると、俺たちの横を通り過ぎ、白い廊下の前まで歩いていった。


ヤンさんの方は、見なかった。


そこには、もう〈山の骨〉はない。


灰色の、なめらかで、継ぎ目のなかった壁は、跡形もなく消えている。


代わりに、古びることを知らない白い廊下が、山の奥へ口を開けていた。


男は、鶴嘴を足元へ下ろした。


そして、何もない空間へ手を伸ばした。


一度。


もう一度。


掌を滑らせる。


まるで、見えなくなった壁が、まだそこに残っているのではないかと確かめるように。


「……無ぇ」


呟きが、白い廊下へ吸い込まれていった。


「本当に、無くなってやがる」


その背中は、妙に小さく見えた。


俺より肩幅がある。


腕なんて、俺の脚ほど太い。


それなのに今は、山の中へ一人置き去りにされた子供みたいだった。


「あの」


声をかけた。


「その壁なら、俺が——」


肩に、手が置かれた。


ヤンさんだった。


強い力ではない。


ただ、そこに置かれただけだ。


それでも、続きは言えなかった。


男はしばらく、白い廊下の奥を見ていた。


やがて鶴嘴を担ぎ直し、こちらを振り向いた。


正面から顔を見るのは、初めてだった。


銀色の目。


炉の火を映していない銀。


怒っているようにも、泣いているようにも見えない。


ただ、何を見ればいいのか分からなくなった目だった。


「……行くぞ」


男は、そう言って歩き出した。


「どこへ?」


ジェスが聞く。


「家だ」


「俺たちも?」


「他に誰がいる」


男は振り返らなかった。


ジェスが俺を見る。


俺もジェスを見る。


クーリさんが肩をすくめた。


「招待、ってことでいいのかしら」


「たぶんね」


クラインさんが眼鏡を押し上げる。


「ずいぶん険しい歓迎だけれど」


ヤンさんは、いつもの歩調で男の後を追った。


俺たちも、その背中についていった。


   *


坑口を出ると、空は群青に沈み始めていた。


星が一つ、山際に灯っている。


男は、来た道とは違う斜面を下り始めた。


街道へは戻らない。


尾根の裏側を、獣道と呼ぶにも細すぎる道へ進んでいく。


「なあ」


ジェスが小声で言った。


「これ、本当に道か?」


「彼が歩いている以上、彼にとっては道なんだろうね」


クラインさんが答える。


「俺たちにとっては?」


「崖だ」


「先に言えよ!」


その声に、前を歩く男が初めて振り返った。


「うるせぇ。石が落ちる」


「石より俺が落ちそうなんだけど!」


「落ちたら拾ってやる」


「俺を?」


「荷物をだ」


「俺も拾えよ!」


男は鼻を鳴らし、また前を向いた。


その少し先で、ヤンさんの肩が、ほんの僅かに揺れた気がした。


笑ったのかと思ったが、確かめる前に元へ戻っていた。


   *


野営は、尾根のくぼ地で始まった。


男が枯れ枝を集め、火をおこす。


迷いのない手つきだった。


何百回、何千回と、知らない土地で夜を越してきた手だった。


ナナが格納領域から鍋を取り出す。


男の目が、その掌へ吸い込まれた鍋と、再び現れた鍋を往復した。


「……今のは、何だ」


『格納しました』


「どこへ」


『格納領域です』


「だから、どこだ」


『説明が困難です』


「中は熱いのか」


『熱い、という状態がありません』


「冷たいのか」


『冷たい、という状態もありません』


男は腕を組み、しばらくナナを睨んだ。


そして、ジェスと同じ結論に達した。


「……便利だな」


「ほら!」


ジェスが嬉しそうにクラインさんを指差した。


「ドワーフもそう言ってるぞ!」


「学問の敗北を二度も見せつけないでくれないか」


クラインさんは、本気で疲れた顔をした。


   *


鍋を火にかけてからも、男はほとんど口をきかなかった。


代わりに、ヤンさんの隣へ座った。


斧槍を膝に置かせ、柄から石突まで、時間をかけて眺めている。


刃へ指を滑らせる。


柄の減りを確かめる。


小さな傷を見つけるたび、眉が動いた。


まるで、二十年間の出来事を、鉄に聞いているみたいだった。


「なあ」


ジェスが、男の隣へしゃがみ込んだ。


「あんた、名前は?」


返事はない。


「俺はジェス。あっちがカイで、眼鏡がクライン。口が悪いのがクーリで、白いのがナナ。で——」


「誰の口が悪いのよ!」


「覚えられん」


男が言った。


「六人も一度に言うな」


「じゃあ一人ずつ覚えろよ。まず俺、ジェス」


「興味がない」


「そういうこと言うなって。何日か一緒に歩くんだろ?」


男は、ようやくジェスを見た。


「バクだ」


「バク」


ジェスは満足そうに頷いた。


「よし、覚えた」


「俺は覚えてねぇ」


「ジェスだって!」


「声がでかい奴で覚えた」


「名前で覚えろよ!」


火の向こうで、クーリさんが吹き出した。


   *


食事のあとも、バクは斧槍を見ていた。


そのうち、低い声で言った。


「まだ、使うのか」


誰に向けたのか、聞くまでもなかった。


ヤンさんは火を見たまま答えた。


「使う」


それきりだった。


バクは柄の傷を、親指で一度撫でた。


「そうか」


会話は終わった。


ジェスが、俺の袖を引く。


「今ので話、通じてんのか?」


「たぶん」


「何が?」


「分かりません」


「分かんねぇのかよ」


分からない。


けれど、二人の間では、必要なことが全部終わったように見えた。


   *


しばらくして、ジェスがまた口を開いた。


「なあ、バク」


「今度は何だ」


「あんた、ヤンさんの知り合いなんだろ。あの斧槍、あんたが打ったのか?」


バクの手が止まった。


火の粉が一つ、夜へ昇っていく。


「……誰から聞いた」


「誰からも。見りゃ分かるだろ。あんた、あれ見て鶴嘴落としたじゃねぇか」


バクは答えなかった。


代わりに枝を一本、火へ放り込んだ。


炎が、ぱちりと爆ぜる。


「坊主」


低い声だった。


「一つだけ言っとく」


「ジェスだ」


「坊主でいい。昔を聞くな」


ジェスの顔から、軽さが消えた。


バクは、斧槍を見たまま続ける。


「こいつも、俺には聞かん。二十年ぶりに会って、一つも聞かん。それでいい」


「でも、それじゃ何も分からねぇだろ」


「分からなくていいこともある」


「よくねぇよ」


「聞けば、答えなきゃならん」


バクの目に、火が映った。


「答えれば、その分だけ、二十年が言い訳になる」


そして、小さく息を吐いた。


「こいつは、言い訳をしねぇ男だ」


言ってから、バクは口を閉じた。


余計なことを言った。


そんな顔だった。


ヤンさんは何も返さなかった。


けれど、斧槍を受け取る時だけ、いつもより少し深く頷いた。


   *


空気が重くなりかけたところで、ジェスが言った。


「そういや、バクって何の意味なんだ?」


クラインさんの目が、待っていましたとばかりに輝いた。


「いい質問だ」


「うわ」


クーリさんが嫌そうな顔をする。


「始まった」


「何が?」


「お兄ちゃんの長話」


「文化の解説だよ」


クラインさんは眼鏡を押し上げた。


「バクは、銀を意味する。ドワーフの生まれ名は、必ず鉱石の名なんだ」


「銀?」


俺は火の向こうを見た。


バクの目は、炎の色を映してもなお淡い。


確かに、銀だった。


「多くは、目の色にちなんだ石を与えられる。鉄色ならザット。銅色ならドン。青い目ならゴック——玉だね。絶対の決まりではないけれど、目を見れば、生まれ名の見当がつくことが多い」


「へえ」


ジェスがバクの顔を覗き込もうとする。


バクが無言で鶴嘴を持ち上げた。


ジェスはすぐ元の位置へ戻った。


「で、面白いのはここからだ」


クラインさんの声が弾む。


「功を立てると、鉱石の前に冠が足される。〈輝ける〉、〈厳かなる〉、〈不壊の〉。手柄の数だけ、名前が長くなるんだ」


「じゃあ、偉い奴ほど、自己紹介が長ぇのか」


「そうなるね」


「戦ってる途中に日が暮れそうだな」


「だからこそ、略してはいけない。冠を一つ削ることは、その者が積み上げた功を一つ消すことになる。最大の侮辱だよ」


ジェスが真面目な顔で考え込んだ。


「俺も名前、伸ばそうかな」


「何を足すのよ」


クーリさんが聞く。


「〈百戦の〉とか」


「〈手入れを忘れし〉でいいでしょ」


「やめろ。長い上に格好悪い」


「〈毎朝寝癖の〉」


「功じゃねぇだろ!」


久しぶりに、焚き火の周りで笑い声が上がった。


バクだけは笑わなかった。


けれど、火へ入れた枝の先が少しずれていた。


たぶん、手元が狂ったのだ。


   *


笑いが収まってから、クラインさんがバクへ目を向けた。


「ところで、バクさん」


バクの眉が動く。


「〈バク〉。それだけなのですか」


場が、静かになった。


ジェスがクラインさんとバクを見比べる。


「それだけって?」


「二つに一つだ」


クラインさんは、静かに言った。


「まだ何も成していないか」


一度、言葉を切る。


「あるいは、自ら冠を降ろしたか」


火が爆ぜた。


バクは、長い間、何も言わなかった。


やがて、鼻を鳴らす。


「要らなくなったんでな」


「そうですか」


クラインさんは、それ以上聞かなかった。


帳面を閉じ、懐へしまう。


ジェスも、今度は何も言わなかった。


その代わり、火へ枝を一本足した。


   *


夜が更けてから、俺は焚き火を離れた。


星が、驚くほど近い。


祈りの国とも、ハジとも違う空だった。


『カイさま』


ナナが隣に立つ。


「うん」


『よろしいのですか』


「何が?」


『壁のことです』


俺は黙った。


『あの方は、長い間、あの壁を割ろうとしていたものと推測されます』


「……だろうな」


『そして、カイさまが消しました』


淡々とした声だった。


責めているわけではない。


ただ事実を並べている。


だからこそ、胸へ刺さった。


「言った方がいいと思うか」


『判断は、カイさまの権限です』


いつもの答えだった。


ナナは少し黙ってから、続けた。


『ですが、一つだけ申し上げます』


「何?」


『あの方は、壁が消えたことを、まだ誰のせいとも思っていません』


俺はナナを見る。


『それは、あの方が優しいからではありません。壁が消えるという事態そのものが、理解の外にあるからです』


「理解の外」


『割れる、なら分かります。崩れる、でも分かります』


ナナは白い月を見上げた。


『ですが——無くなる、は、鍛冶の言葉にありません』


   *


三日目の朝。


下り坂の向こうに、見覚えのある屋根が見えた。


石造りの、ずんぐりした町。


関所を越えて、最初に泊まった町だった。


「……ここ、俺たちが出た町じゃねぇか?」


ジェスが立ち止まる。


「二日歩いた先から、三日かけて戻ってきたのか?」


「回り道をした」


バクが答えた。


「なんでだよ!」


「話があった」


ジェスは、ヤンさんとバクを交互に見た。


「ほとんど斧槍見てただけだろ!」


「話した」


「何を?」


「鉄とだ」


「俺たちがいる意味あった!?」


バクは無視して歩き続ける。


その隣で、ヤンさんが言った。


「三日も要らなかった」


バクの足が止まった。


「お前が歩くのが遅い」


「お前が道を間違えた」


「間違えてねぇ。確かめただけだ」


「三度もか」


「山は動く」


「動かん」


ジェスが、目を丸くして俺を見る。


俺も同じ顔をしていたと思う。


クーリさんが、小さく笑う。


「ちゃんと知り合いみたいね」


二十年ぶりに会った二人は、昔のことを一つも話さないまま、道を間違えた回数で揉めていた。


少しだけ、安心した。


   *


町の外れ。


槌の音がひときわ大きい一角に、バクの家はあった。


石造りの小さな家だ。


他の家より、さらに低く、さらに厚い。


窓の一つは割れたままで、木の板が打ちつけてある。


裏手には鍛冶場があった。


炉の火は落ちていない。


金床の前で、小柄な人影が鎚を振っていた。


一定の間隔で、火花が散る。


右。


左。


正面。


鎚が落ちるたび、赤い鉄が少しずつ形を変えていく。


茶色の髪を高い位置で束ね、汗に濡れた前髪が額へ張りついている。


袖のないシャツから伸びる腕は細い。


けれど鎚を振るたび、肩から肘へ筋肉が浮いた。


小麦色の肌には、煤がいくつも跳ねている。


その人影が、鎚を止めた。


振り向く。


青い目だった。


昨夜聞いた名前が、頭へ浮かぶ。


——ゴック。玉。


「……誰?」


低く、刺のある声だった。


バクが家の陰から進み出る。


娘の目が大きくなった。


「父さん?」


驚きは、一瞬で怒りへ変わった。


「なんで今帰ってくるの! 予定より一日遅いんだけど!」


「道を確かめた」


「迷ったんでしょ」


「山が動いた」


「動かないよ!」


ヤンさんと、まったく同じ返事だった。


バクは気まずそうに咳払いする。


「客だ。泊めてやれ」


「はぁ?」


娘は腰へ手を当てた。


「誰なの、この人たち」


「知らん」


「知らない人を六人も連れてきたの!?」


娘は俺たちを上から下まで眺めた。


「人族が四。半端が二」


「何が半端よ!」


クーリさんが、昨日と同じ勢いで噛みついた。


娘はまったく悪びれない。


「この国じゃ、そう呼ぶの。文句なら国に言って」


「じゃあ、まずあんたに言うわ!」


「聞くだけなら聞くよ。直さないけど」


「感じ悪っ!」


一触即発かと思ったが、娘の視線が俺の腰で止まった。


「……その剣」


声の温度が変わった。


「見せて」


「え?」


「見せてって言ってんの」


有無を言わせない口調だった。


俺は迷った末、鞘ごと剣を差し出した。


娘はまず柄を握った。


指の腹で、巻き方と留め具を確かめる。


次に鞘の継ぎ目を撫でた。


「古い」


呟く。


「でも、傷んでない。誰が手入れしてるの、これ」


答える前に、鞘を払った。


刃が、炉の明かりを鈍く返す。


娘は、しばらく刃を見つめていた。


角度を変える。


峰を見る。


爪先で、刃の直前を軽く弾く。


「……何これ」


眉間へ皺が寄った。


「鉄は悪くない。焼きも生きてる。刃筋も、素人じゃない。むしろ、かなり上手い」


褒めているはずなのに、どんどん機嫌が悪くなっていく。


「なのに、なんでこんな勿体ない研ぎ方してんの」


「勿体ない?」


「刃を丸めてある」


「丸めて?」


娘は苛立たしげに剣を掲げた。


「本気で研げば、もっと斬れる。ずっと斬れるようになる。刃を起こす腕があるのに、最後のところで、わざと殺してる」


わざと殺してある。


答えは、一人しか思い浮かばなかった。


俺は、鍛冶場の入口を見る。


ヤンさんは、炉の火を見ていた。


こっちは見ていない。


娘は剣を鞘へ戻し、俺へ突き返した。


「気に入らない」


「俺がですか?」


「研いだ奴が」


ヤンさんの眉が、ほんの少し動いた。


   *


「へえ。すげぇな、あんた」


ジェスが感心した声を出した。


そして何の警戒もなく、自分の剣を差し出した。


「じゃあ俺のも見てくれよ」


やめた方がいい。


そう思った時には、もう遅かった。


娘は剣を受け取った。


鞘を払う。


その顔から、表情が消えた。


「…………」


さっきの苛立ちとは違う。


もっと静かな。


炉が噴き上がる直前みたいな沈黙だった。


「あんた」


低い声だった。


「これ、最後にいつ見た」


「え?」


「手入れしたのは、いつ」


「この前、油は差したぜ」


「この前って、いつ」


「……いつだっけな」


娘が顔を上げた。


「いつだっけな?」


爆発した。


「油差しゃいいってもんじゃないんだよ! 峰を見ろ! 歪んでるだろ! 刃筋が寝てる! これ、あんたが叩きつけた癖だ! 何回やった!」


「いや、叩くだろ。剣だし」


「叩くな!」


剣先が、ジェスの鼻先へ突きつけられる。


「剣は叩く物じゃない! 通す物だ! 押し込むから歪むんだよ! この鉄が、あんたに何したの!」


「何もしてねぇけど」


「じゃあ、なんで殴るんだ!」


ジェスは目を丸くした。


それから、笑った。


「悪ぃ悪ぃ」


「笑うな!」


「だって、俺が悪いんだろ?」


「そうだよ!」


「じゃあ、しゃあねぇじゃん。で、どう直せばいい?」


娘の動きが止まった。


怒鳴り返されると思っていたらしい。


謝られるとも。


まして直し方を聞かれるとも思っていなかった顔だった。


「……あんた、なんで笑ってんの」


「怒られたくらいで泣く歳じゃねぇからな」


「そこを誇るな!」


クーリさんが、あくびをしながら口を挟む。


「それ、無駄よ」


「何が」


「その人、怒られるのに慣れてるから」


「おい」


「あたしが十年怒鳴っても効かないもの」


クーリさんは事もなげに言った。


「何を言っても、へらへらしてんの」


「俺が寛大だからだろ」


「馬鹿だからでしょ」


「妹に言われる筋合いはねぇ」


「妹じゃないし!」


いつものやり取りが始まる。


娘は、剣を持ったまま二人を見比べた。


「……何、こいつら」


「そういう生き物だと思ってください」


俺が言うと、娘は初めて少しだけ笑った。


   *


「おい、ツムグ」


バクが低い声で咎めた。


「客の得物に、そんな口を利くもんじゃねぇ」


娘——ツムグは頬を膨らませる。


「だって父さん。こんなの見せられたら、鍛冶師なら怒るでしょ」


「怒鳴る必要はねぇ」


「父さんが喋らなさすぎるんだよ。足して二で割ればちょうどいいの」


「誰とだ」


「父さんとあたし」


「お前が減らせ」


「父さんが増やして」


親子は睨み合った。


先に目を逸らしたのは、バクだった。


ツムグは勝ち誇ったように鼻を鳴らし、鎚を作業台へ置いた。


その直前。


一瞬だけ、頭を下げる。


ほんの僅かな一礼。


誰も気づいていないようだった。


けれど、俺には分かった。


日本人なら、見落とさない動きだった。


「ヤンさん」


俺は小声で呼ぶ。


「今の、見ました?」


「何がだ」


「鎚を置く前に、頭を下げました」


ヤンさんは少しだけ、ツムグを見る。


「……ああ」


「この国の作法ですかね」


「さあな」


いつもの答えだった。


けれど今日は、少しだけ違って聞こえた。


   *


家の中は狭かった。


土間に竈と、粗末な机が一つ。


壁には、打ちかけの刃物がいくつも布に包まれて立てかけてある。


その中に、一つだけ、明らかに形の違う物があった。


細長い。


緩やかに反っている。


「見るな」


背後からツムグの声が飛んできた。


「あれは、見せる物じゃない」


俺は慌てて目を逸らした。


けれど、見た。


一瞬だけだったが、確かに見た。


反りのある片刃。


刀だ。


   *


夕飯は、芋と塩漬け肉の煮込みだった。


味は濃い。


山道を歩いた体へ、塩気と脂が染み込んでくる。


「美味い!」


ジェスが一口目で叫んだ。


ツムグは顔をしかめる。


「食べながら喋るな」


「おかわりある?」


「今の話、聞いてた?」


「聞いた。おかわりある?」


「あるよ!」


怒鳴りながら、椀へ山盛りにする。


「優しいじゃない」


クーリさんが言う。


「余ったら明日の朝もこいつの顔を見なきゃいけないでしょ」


「俺、朝も食えるぞ」


「今夜中に全部食べろ!」


なんだかんだ言いながら、ツムグは全員の椀をよく見ていた。


減っていれば足す。


肉の少ない椀には、さりげなく多めに入れる。


ナナの前にも、他と同じように椀を置いた。


『わたしは、食事を必要としません』


「知るか。客なら置いとく」


『ですが』


「食べないなら父さんにやって。あの人、放っとくと何日でも同じ干し肉食べるから」


バクは否定しなかった。


どうやら事実らしい。


「料理も上手いんだな」


ジェスが言った。


「別に」


ツムグはそっぽを向く。


耳が少し赤い。


「母さんのレシピだから」


母さん。


その一言で、場が少しだけ静かになった。


ツムグは、こちらが聞くより先に続ける。


「二年前に死んだ。病気で。あっという間だった」


慣れた言い方だった。


何度も口にして、ようやく普通の声で言えるようになった言葉なのだと思う。


「刀鍛冶だったの。皇国の人で、名前はツナデ」


皇国。


俺の中で、何かが反応した。


「皇国の、刀鍛冶」


思わず繰り返す。


ツムグの青い目が、俺を捉えた。


「知ってるの?」


「噂程度なら」


「変なの。この大陸で皇国を知ってる奴なんて、滅多にいないのに」


少し疑うような目をしたが、すぐに肩をすくめる。


「まあいいや。母さんは、海の向こうから流れ着いたんだって。嵐で船ごと。帰る方法が見つからなくて、そのまま小国群に住みついた」


ツムグは、初めて父親を見た。


「そこを、父さんが口説いた」


バクの匙が止まった。


「ツムグ」


「いいじゃん。減る話じゃないし」


「俺の何かが減る」


「何が?」


「……分からんが、減る」


ツムグは楽しそうに笑った。


「父さんね、母さんが鍛冶してるところを、何時間も突っ立って見てたんだって。何にも言わないで」


「いつも通りじゃない」


クーリさんが言う。


「でしょ? 母さんも気味悪かったらしくてさ。呆れて聞いたんだって」


ツムグは、低い声を作った。


「『惚れたかい、ドワーフの旦那』」


バクの耳の先が赤くなる。


ツムグはさらに続ける。


「そしたら父さん、なんて答えたと思う?」


俺たちは顔を見合わせた。


ツムグは胸を張り、父親の口真似をした。


「『惚れた。共に打ちたい』」


「まあ」


クーリさんの顔が、ぱっと明るくなった。


「素敵じゃない!」


こういう話になると、クーリさんもちゃんと女の子なんだなと思う。


「おい」


バクが初めて慌てた声を出した。


「やめろ」


「なんで? いい話じゃん」


「やめろと言ってる」


「これ、ドワーフの求婚なんだよ。〈共に打ちたい〉って、そういう意味なの」


バクはもう、止めるのを諦めた顔をしていた。


「母さんも意味は分かってたんだって。分かってて、こう返したの」


ツムグが匙を置く。


「『腕を見たい』」


「それで?」


クーリさんが身を乗り出す。


「見せたんだって。その場で炉へ火を入れて」


「それから?」


「結婚した」


「途中が知りたいのよ!」


「母さん、そこから先は教えてくれなかったもん」


「父さんは?」


「喋ると思う?」


全員の視線がバクへ集まる。


バクは無言で煮込みを口へ運んだ。


誰も異論を挟めなかった。


   *


「なあ」


ジェスが、空になった椀を置いた。


「あんた、ツムグっていうんだよな」


「そうだけど」


「ツムグって、何の石だ?」


俺は口を開きかけた。


遅かった。


匙が、椀の縁へ当たった。


小さな音がした。


ツムグの手が止まっている。


バクは顔を上げなかった。


「ジェス」


クラインさんが静かに呼ぶ。


「その質問は——」


「ないよ」


ツムグが言った。


平気な声だった。


平気すぎる声だった。


「石、ないの。あたしの名前」


ジェスが目を瞬く。


「石がない?」


「そう。だから、石無し」


ツムグは笑った。


「生まれた時から、ずっとそう呼ばれてる」


彼女は指で、自分の目の下を示す。


「見れば分かるでしょ。青い目」


炉の明かりを弾く、鮮やかな青。


「この国なら、青い目の子には〈ゴック〉——玉の名をつけることが多い」


クラインさんが、小さく補足した。


ツムグは頷く。


「みんな、あたしの目を見た瞬間に分かるんだ。ああ、こいつはゴックのはずだって」


笑ったまま、自分の胸を指す。


「でも、名前にはない」


誰も何も言わなかった。


「面白いでしょ」


ツムグは言う。


「何だったはずか、見れば分かる。あるはずのものが無いことも、一緒に分かる」


この娘は、何かを隠されているわけではない。


むしろ、見えすぎている。


目を見た全員が、彼女の名前に入るはずだった石を知る。


そして、入っていないことまで知る。


初対面のたびに。


毎回。


「母さんがつけたんだ」


ツムグは椀の底を見た。


「父さんは、名前も何もかも、母さんに任せたから」


バクの指が、僅かに動いた。


「母さんは、この国の決まりなんて知らなかった。ツムグって名前に、たまたま濁った音が一つ入ってたから、名前らしくは聞こえたみたいだけど」


「〈グ〉か」


ジェスが言う。


「そう。〈グ〉だけ」


ツムグは、少し笑う。


「石はない。だから石無し」


沈黙が落ちた。


ジェスは、しばらく考えていた。


やがて頭を下げる。


「悪ぃ」


ツムグが意外そうな顔をする。


「別に。知らなかったんでしょ」


「ああ」


ジェスは頭を上げた。


「じゃあ、聞き直す」


「何を?」


「何の石かじゃなくて、お前、何を打つんだ?」


ツムグは、目を瞬いた。


それから、壁に立てかけた細長い包みを見る。


「……刀」


「そっか」


ジェスは、それだけ言った。


「じゃあ、今度見せてくれ」


「嫌だよ。あんた、剣もまともに使えないじゃん」


「直すって言っただろ」


「まだ言ってない!」


「直し方は聞いた」


「あたしが直すとは言ってない!」


「でも直せるんだろ?」


「直せるよ!」


「じゃあ頼む!」


「話を聞け!」


怒鳴り声が家へ響いた。


重くなりかけた空気が、綺麗に吹き飛んだ。


バクが椀を置く。


「食い終わってからやれ」


「父さんは黙ってて!」


「俺の家だぞ」


「鍛冶場はあたしの場所!」


親子の言い争いを眺めながら、クーリさんが俺へ小声で言った。


「案外、似てるわね」


「どこがです?」


「人の話を聞かないところ」


それには、俺も頷いた。


   *


食事のあと、俺はツムグと並んで椀を洗った。


「……あんた」


「はい」


「カイ、だっけ」


「そうです」


ツムグは俺を見ないまま、椀を布で拭く。


「さっきの剣。悪気はなかった」


意外な言葉だった。


「気にしてません」


「気にしなよ」


「え?」


「自分の使ってる物を悪く言われたんだよ。少しくらい腹立てな」


ツムグは、口元だけで笑う。


「良い物が、勿体ない使われ方してるのを見ると、頭に来るタチなの。でも、あんたのせいじゃない。研いだ奴の問題」


俺は答えなかった。


「ねえ」


ツムグが声を落とす。


「あんた、剣を使うんでしょ」


「はい」


「強いの?」


「そこそこです」


「そこそこって、一番信用できない答えだよ」


「じゃあ、まだ弱いです」


「それはそれで頼りないな」


どちらを言っても駄目らしい。


ツムグは濡れた手を振り、水を切った。


「……あたしの打った物、使ってくれる奴、いないんだよね」


小さな呟きだった。


「使ってくれる人が?」


聞き返すと、ツムグは慌てて口を閉じた。


「何でもない。忘れて」


「でも」


「忘れてって言った」


強い声だった。


これ以上は踏み込むな、という線が引かれる。


俺は頷いた。


「分かりました」


ツムグは少し驚いた顔をした。


食い下がられると思っていたらしい。


「……あんた、変な奴だね」


「よく言われます」


「だろうね」


今度の笑いは、さっきより自然だった。


   *


その夜、俺たちは鍛冶場の隣にある物置を借りた。


狭かったが、山の野営に比べれば天国だった。


屋根がある。


床がある。


クーリさんが服へ入った藁と格闘している。


ジェスは借りた毛布を三枚重ね、ナナは眠る必要もないのに、俺の隣へきちんと座っていた。


ヤンさんだけは、家に残った。


バクと二人きりで。


「大丈夫ですかね」


俺が言うと、クラインさんが眼鏡を外した。


「大丈夫かどうかは、僕らが決めることじゃないよ」


「そうですけど」


「たぶん、今夜も大した話はしない」


眼鏡を布で拭きながら、静かに続ける。


「積もったものは、一晩で下ろせるほど軽くない。けれど、同じ火の前へ座れるなら、それで十分な夜もある」


物置の壁越しに、低い声が一度だけ聞こえた。


何を言ったのかは分からなかった。


返事も聞こえない。


それでも、二人ともまだ、同じ部屋にいる。


今夜は、それでいいのかもしれない。


   *


夜半。


喉が渇き、水を飲みに外へ出た。


鍛冶場の脇に井戸がある。


その縁に、ツムグが座っていた。


膝を抱え、月を見ている。


「起きてたんですか」


「あんたもね」


俺は少し離れて、井戸の縁へ腰を下ろした。


槌の音が、遠くで鳴っている。


この町は、夜も鉄を打っていた。


「ねえ」


ツムグが口を開く。


「あんたら、父さんとどこで会ったの」


「山です」


「北の?」


「はい」


ツムグの眉が寄る。


「あの穴?」


俺は頷いた。


彼女は長いため息を吐いた。


「馬鹿だな、父さん」


「あそこを知ってるんですか」


「〈死んだ石〉でしょ。何百年も前に捨てられた鉱山」


ツムグは膝へ顎を乗せる。


「父さん、去年から通ってたんだ。ひと月に一回くらい」


俺は何も言わなかった。


「何しに行くと思う?」


答えは分かっていた。


「壁を殴りに行くの」


ツムグは笑った。


「〈山の骨〉。ドワーフが千年かけて諦めた壁。それを、鶴嘴一本で割ろうとしてた」


笑いながら、声が少し震えている。


「もう、自分の物なんて打たない人がさ。母さんが死んでからは、あたしの相槌か、鍋を直すくらいしかしない人が」


ツムグは月を見上げた。


「鶴嘴だけは、自分で打ったんだ」


   *


「一度だけ聞いたことがある」


声が低くなる。


「なんで、あんな所へ行くのって」


ツムグは少し黙った。


「そしたら、父さん、なんて言ったと思う?」


「……何て」


彼女は、低い声を作った。


「『世界で一番、硬ぇ物がある』」


父親の口真似だった。


食卓でした時より、ずっと似ていた。


「『あれで打てば』」


続く言葉を、俺は聞きたくなかった。


「『お前の刀は、折れねぇ』」


何も言えなかった。


「馬鹿でしょ」


ツムグは笑う。


「あたし、頼んでないのに。素材が欲しいなんて、一度も言ってないのに。勝手に行くんだよ」


袖で目元を乱暴に擦る。


「割れるわけないじゃん。千年、誰も割れなかったんだよ。国中の鍛冶師が負けた壁なんだよ」


声が、掠れた。


「なのに、帰ってくるたびに言うんだ」


月を見たまま、笑った。


「次はいけるかもしれん、って」


   *


風が、井戸の水面を撫でた。


月が揺れる。


俺が消した。


千年、割れなかった壁。


国中の鍛冶師が敗北を刻み、諦めた壁。


一人の男が、二十年ぶりに自分の道具を打ち、毎月通っていた壁。


娘の刀を、折れない物にするためだけに。


俺は、それを指一本で無くした。


票を一つ拾うために。


壁だけじゃない。


あの人が、もう一度、自分の鎚を握った理由まで。


消してしまったのかもしれない。


「ねえ」


ツムグが俺を見る。


「あんた、なんでそんな顔してるの」


「……別に」


「別にって顔じゃないよ」


「山道で疲れただけです」


「三日も回り道したからね」


ツムグは立ち上がった。


「ほんと、父さんって馬鹿」


歩き出し、数歩先で止まる。


「あ」


「はい」


「さっきの剣のこと」


振り返らずに言う。


「あれを研いだの、あんたの連れの背の高い人でしょ」


俺は顔を上げた。


「どうして分かったんですか」


「刃が似てた。あの人と」


「刃が?」


「斬れるのに、斬りすぎないようにしてる」


ツムグは、少し考える。


「気持ち悪い研ぎ方」


褒めているのか、貶しているのか分からない。


「でも、腕はいい。悪かったって伝えといて」


「自分で言わないんですか」


「嫌だよ。怖いもん、あの人」


初めて、十九歳らしい答えを聞いた気がした。


「それと」


ツムグは家の扉へ手をかける。


「明日の朝、あんたの剣の振り方を見せて」


「俺の?」


「あたしは刀を打てる。でも、刀を使う奴を見たことがない」


青い目が、月の下で光った。


「あんた、あれを見て、刀だって分かったでしょ」


ばれていた。


「隠すの、下手だね」


ツムグは少し笑う。


「おやすみ、カイ」


扉が閉じた。


俺は井戸の縁へ残された。


月が、水面で揺れている。


   *


明け方。


鎚の音で目が覚めた。


一人分の音だった。


物置から外を覗く。


ツムグが、鍛冶場に立っている。


火は入っていない。


金床の上には、木で作られた練習用の型。


一定の速さで。


一定の角度で。


何度も、同じ場所へ鎚を落としている。


昨日より一寸右。


次は半寸左。


一度ごとに、自分で確かめ、また振る。


何百回目か分からない動作が終わる。


ツムグは息を整え、鎚を作業台へ置いた。


その前に、一礼した。


誰も見ていないと思っている、朝の光の中で。


俺は、その動きを知っている。


道場で竹刀を置く時。


稽古の前と後。


誰も見ていなくても、そうしろと言われた。


物へ礼をする。


道具ではない。


自分を映す相手へ。


この大陸のどこにもない作法。


海の向こうから、嵐に乗って流れ着き、それきり帰れなかった女が、娘へ遺したもの。


たぶん、ツムグは意味を知らない。


ただ、母親がそうしていたから、同じように頭を下げている。


それでも、形は残っている。


意味を知らなくても。


名に石がなくても。


受け継いだものは、確かにそこにあった。


「よう」


背後で声がした。


ジェスが、剣を抱えて立っている。


寝癖のついた頭で、大きなあくびをした。


「何してんだ、こんな時間に」


「見てただけです」


「ふうん」


ジェスは鍛冶場を顎で示す。


「俺、あいつに剣を見てもらう」


「また怒られますよ」


「知ってる」


へらっと笑った。


「怒られんの、久しぶりなんだよな」


「クーリさんが毎日怒ってるじゃないですか」


「あれは怒鳴ってるだけだ」


「違いが分かりません」


「俺の剣を見て怒っただろ、あいつ」


ジェスは、鞘を軽く叩いた。


「俺じゃなくて、こいつのことを心配して怒った。そういう奴なら、預けてもいい」


そう言って、鍛冶場へ歩いていく。


「あの人、ちゃんと見てますよ」


俺が言うと、ジェスは振り返らず、片手を上げた。


「だから行くんだよ」


   *


すぐに怒鳴り声が聞こえた。


「だから峰を叩くなって言ってんだろ!」


「悪ぃ悪ぃ」


「謝る前に構えろ! あんた、普段どう振ってんの!」


「こう」


「力任せに振るな! 鉄と喧嘩すんな!」


「剣って敵と喧嘩する物じゃねぇの?」


「まず、あたしと喧嘩したい?」


「それは負けそうだな」


「笑うな!」


鍛冶場の前へ、仲間たちが一人ずつ集まってきた。


クーリさんは眠そうに目を擦り、クラインさんは楽しそうに帳面を開く。


ナナは俺の隣に立ち、ヤンさんは家の壁へ腕を組んでもたれている。


最後に、バクが出てきた。


昨夜、何を話したのか。


何も話さなかったのか。


顔からは分からない。


ただ、ヤンさんの斧槍は、昨日より綺麗になっていた。


柄の小さな傷へ、新しい革が巻かれている。


   *


「そういや」


ジェスが、ツムグに剣を構えさせられながら言った。


「昨日の山の穴、壁の向こうに白い廊下があったぞ」


ツムグの鎚が止まった。


「白い廊下?」


「ああ。変な虫もいた。下の方には、ダンジョンがあるらしい」


ツムグが、ゆっくり俺を見た。


「……ダンジョン?」


「反応はありました」


俺が答える。


「深いところに、コアがあるみたいです」


ツムグの青い目が輝いた。


さっきまで眠そうだった顔から、一瞬で眠気が消える。


「鉱石は?」


「分かりません」


「壁は? 床は? 魔物は何を食べてた? 採掘跡は? 熱は? 深さは?」


「一度に聞かないでください!」


ツムグは剣を放り出し、家へ駆け込もうとした。


「道具取ってくる!」


「どこへ行く気だ」


バクが首根っこを掴む。


「決まってるでしょ! ダンジョン!」


「今日は町へ行く」


「明日!」


「武具大会を見てからだ」


「見なくても知ってるよ! どうせまた刀を笑うだけだ!」


一瞬だけ、ツムグの顔から明るさが消えた。


けれど、ヤンさんが言った。


「見ろ」


短い声だった。


ツムグが振り返る。


「何を」


「お前の物を使わない連中が、何を良い物だと思っているのか」


「……それで?」


「知らなければ、壊せん」


ツムグは黙った。


バクが首根っこから手を離す。


「まず大会だ」


「でも、ダンジョンが」


ツムグは山の方向を見た。


「穴は逃げん」


バクが言った。


ほとんど同時に。


「穴は逃げん」


ヤンさんも言った。


二人が顔を見合わせる。


二十年ぶりに再会してから、初めて同じ言葉を口にした。


ジェスが吹き出した。


クーリさんも笑う。


ツムグだけが納得できない顔で二人を睨んでいた。


「あんたたち、そういうところまで似てるの?」


「似てねぇ」


二人の声が、また重なった。


今度は、全員が笑った。


   *


「分かったよ!」


ツムグが負けたように叫ぶ。


「先に大会! そのあとダンジョン!」


俺を指差す。


「あんたは刀の振り方を見せる!」


次にジェス。


「あんたは剣の使い方を一から直す!」


クーリさんへ向く。


「あんたは人の話に割り込まない!」


「何であたしまで怒られるのよ!」


「眼鏡の人は、遺跡の文字を全部読む!」


「喜んで」


「白い子は、物をたくさん運べるんだよね?」


『以前より、格納可能量は増加しています』


「最高」


「俺は?」


バクが聞いた。


ツムグは父親を見る。


少しだけ迷ってから、言った。


「父さんは——ちゃんと帰ってきて」


バクは答えなかった。


ただ、一度だけ頷いた。


ツムグはすぐに顔を背ける。


「よし。決まり!」


何が決まったのか、俺にはまだよく分からない。


けれど彼女の中では、もう大会の先まで道が伸びているらしい。


石のない名を持つ娘が、誰より楽しそうに、これから見つける石の話をしていた。


石の国の朝は、鎚の音と怒鳴り声と、少しの笑いで始まった。


(第二十五話「石無し」・了)


挿絵(By みてみん)

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