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Re:sou〜超現実拡張妄想変換装置(仮)改〜  作者: 西ノ圭吾
第四章 誰がために鐘は鳴るか
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Re:sou 間話「少女」

元気な少女がいた。


小さな村に生まれ、神様より先に、木へ登ることを覚えた子だ。

朝の鐘が鳴っても手を組まず、雨が降れば空を睨み、転べば地面のせいにした。

体は同じ年頃の子らより小さかったが、走れば誰より速く、川を渡れば誰より先に向こう岸へ着いた。


祈れば雨が降ると言われても、雨は祈らない日にも降った。

神が見守っていると言われても、木から落ちれば膝は痛んだ。

少女にとって、世界はもっと直接的だった。

空腹にはパンが要り、遠い枝の林檎には、自分の手を伸ばすしかなかった。


少女には、弟がいた。


姉よりさらに小さく、細く、すぐに息を切らす子だった。

けれど、誰よりもよく祈った。

朝は鐘とともに手を組み、夜は窓辺で星へ願い、白い外套が丘の向こうに見える日は、誰より早く道端へ出た。


弟は、神殿騎士になりたがっていた。

細い腕で木剣を振り、十回で倒れ、翌日は十一回を数えた。

その木剣の柄には、母の形見だという赤い布紐に名前が書かれ、固く巻かれていた。


守るのだと、弟は素振りのたびに言った。村を。家族を。姉を。

自分の方が強いのに、と少女は笑った。

それでも弟は、いつか必ず、と信じて疑わなかった。


少女は神を信じなかったが、そんな弟が大好きだった。

それで、十分だった。


   *


巡回の騎士たちは、いつも村を守った。

魔物を追い、壊れた柵を確かめ、病人がいれば聖女に頼んで見てもらっていた。

弟はその列のいちばん前にいて、いつか自分もあの白い外套を着るのだと、信じきっていた。


けれど、ある頃から、騎士は来なくなった。


月に一度が、季節に一度になり、やがて季節をまたいでも来なかった。

遠い国境の争い。金で他国へ貸し出される騎士団。

優先して来てもらうには寄進が要ると、村長は町で告げられた。


村には、余分な金がなかった。

それでも皆で集めた。穀物を売り、家畜を減らし、冬支度を遅らせて。

ようやく来た騎士は疲れ、馬は痩せ、森の奥までは見ずに、次の村へと急ぎ去った。


弟は、その背をいつまでも見ていた。

忙しいのだと、自分へ言い聞かせるように呟いた。


その夜、弟は手の皮が剥けるまで木剣を振った。

誰かが来ないなら、自分が行くのだと。

赤い紐が、滲んだ血で少し黒くなり、文字が滲んでいた。


少女は初めて、弟の願いを怖いと思った。


   *


夏の終わり、遠くの町で警鐘が鳴った。


魔物が溢れた。

騎士団は大きな群れを抑えるために発ち、村へ来た伝令は、戸を閉じ、火を消し、外へ出るなとだけ告げて去った。


大きな群れは、村を外れた。

けれど、群から零れた獣たちは、願いとは別に、来た。


村にいた少数の冒険者と大人たちで、数日は凌いだ。

それでも、柵は保たなかった。


少女は、弟の手を握っていた。

人生の中で、一番祈った。


白い外套は、現れなかった。


願わなかった雨も降り、少女も外へ出た。水を運び、傷へ布を巻き、折れた木剣で獣を殴った。

足は震え、膝は泥に沈み、昔と同じように転んだ。

けれど、もう、地面のせいにはできなかった。


弟は、地下を出ていた。


少女が見つけた時、弟はもっと小さな子を背へ庇い、折れかけた木剣を構えていた。

その背へ、爪が落ちた。


少女は走ったが、届かなかった。


誰かが獣を槍で仕留めたあとも、足も腕も止まらなかった。


弟には、まだ息があった。

赤い紐の巻かれた手で、少女の指を握った。

守れた、と弟は言った。

背後で、助けられた子が泣いていた。


少女は、何度も頷いた。

守れたから。騎士になれるから。もう来るから。全部、大丈夫だから。


弟は、安心したように目を閉じた。

その目は、もう開かなかった。


   *


疲弊した騎士団が村へ着いたのは、翌日の昼だった。

責める力すら、残っていなかった。


白い布を掛けられた弟の前で、騎士が膝をついた。


その祈りを聞いた時、少女の中で、何かが切れた。


騎士は来ずとも、弟が信じた神は、どこにいたのか。

誰も、答えられなかった。


雨は、もう止んでいた。

けれど、少女の中には、降り続いていた。


   *


それから、少女は登らず、走らず、破らず、木剣も握らなくなった。

朝の鐘が鳴ると、誰より早く礼拝堂へ入り、胸の前で手を組んだ。


問うためだった。


なぜ、あの子だったのか。

なぜ、信じた者が死んだのか。

なぜ、祈りは、届かなかったのか。

なぜ、神は。


答えは、なかった。


村の者は、あの子は変わったと言った。

礼儀正しく、よく働き、よく学ぶ娘になったと感心した。

けれど、少女の中の雨音は、誰にも聞こえていなかった。


十五の春。

いつものように祈っていると、金白の奇跡が、胸の奥へ降りてきた。

——守れ、と告げられた気がした。


少女は、泣いた。

遅い、と最初に思い、しかし次に、今度こそ、と思った。


神託を受けた少女は、聖女見習いとして、首都へ送られた。


   *


聖女見習いの通う官舎には、騎士見習いも暮らしており、幾人かは顔見知りになった。


その中に、よく目につく青年がいた。

剣は上手いのに、要領が悪い。

困っている者がいれば自分の仕事を後回しにし、食事を抜いた者へ黙ってパンを置いた。

少女が無理をしていると、余計なことを言わずに、水を差し出した。


その青年の剣の柄には、古びた赤い布紐が巻かれていた。


一度だけ、少女は目を止めた。

——赤い布には、名前があった。

弟と、一字違いの。


青年はやがて騎士となり、少女は聖女となった。

別々の任地へ送られ、顔を合わせることは、なくなった。

それでも、別れの日に見た赤い布紐だけは、長く記憶に残った。


   *


教王庁で、少女は一人の神父の下についた。


痩せた男で、法衣は古く、靴も擦り減っていたが、民から届く訴えを一枚も粗末にしなかった。

貴賤はない——その男に信念を見て、少女は信じた。

今度こそ、届くと思った。


けれど、村々から届く紙には、弟が死んだ頃と同じ言葉が並んでいた。


神父は、書類を持って直訴し、弁舌を振るった。

だが、ある朝、書類が消えていた。

ほどなく、彼は遠い町へ移された。

表向きは、栄転だった。誰も、そうは思わなかった。


教王は、少女が見習いの頃より前から病に伏せており、たまにしか姿を見なかった。

教王庁は、別の者たちの声で動いていた。

騎士団は金と共に動き、巡回の順は寄進の順、税は重くなった。


教王庁が、悪魔の居に思えてきた。

そこにいながら、何も変えられない自分も。

少女は神父を追いかけたが、神父は、そこからも姿を消していた。


   *


二十の冬の、黄昏時。


信じる者すら消えた礼拝堂の裏口に、一人の男が立っていた。

顔を見るまで、分からなかった。


痩せ、老け、法衣を失っていたが、目だけは変わっていなかった。

信じた者は、外れた者になっていた。


祈りでは届かぬ場所もあると、彼は言った。

代わりに、契約するのだ、と。

神は、正しさを見る。

悪魔は、対価を見る。


それでも、この道は罪だと知っている顔を、していた。

思わず、同道を申し出た。

少女も、このままでは祈り疲れそうだったから。

男は頷かず、そこでいい、とだけ言った。


   *


男は、たまに顔を出した。少女は、世間話をした。

役人が通る日。倉庫が空になる夜。

男は、黙って聞くだけだった。


しばらく、誰も死ななかった。

奪われた穀物が貧民街へ戻り、隠された帳簿が広場に貼られ、不正を重ねた役人が姿を消しただけで。


少女は、少しでも人を救えた気がした。


次に渡した紙は、少し重かった。

警備の薄い日。裏口の位置。高位の者の、移動の刻。

胸の内側へ、黒い染みが増えた。


それでも、飢えた子が減り、無実の家族の家に、灯が灯った。


だから、やめられなかった。

やめれば、また、届かない声へ戻る気がした。


ある日、男は一枚の紙を見せた。

契約の、雛型。

そこには、誓約が書かれていた。


その夜、弟の夢を見た。

十歳のまま、木剣を持っている。

けれど振り返った先には、騎士の鎧の青年が立ち、剣の柄に、赤い布紐を結んでいた。

顔は、見えなかった。


   *


少女は、ずっと問い続けていた。

自分へ。騎士へ。国へ。そして、神へ。

なぜ、と。


誰も答えないから、答えを、選ぼうとした。

それが正しいかどうか、分からないまま。

情報を渡し、罪を重ねた。


心の雨は、止まらぬまま。

ただ、昔より、慣れただけだった。


やがて祈りの国へ、一人の少年が来た。

黒い髪。何も知らない顔で、人を救おうとする少年。

その隣には、すべてを視ている、白い娘がいた。


少女は、恐れた。

知られることを。止められることを。

それ以上に——止めてほしいと思っている、自分を。


路地で声をかけられた時、心臓が強く鳴った。

まだ、引き返せると言われた気がした。


その幼い顔立ちが、弟に、少しだけ重なった。


その夜も、祈ることができなかった。

祈れば、何かを選び、捨てなければならない気がした。

どれも、捨てられなかった。


雨は、降り続いていた。

けれど、遠くで、一度だけ、鐘が鳴った。


挿絵(By みてみん)


(間話「少女」・了)


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