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Re:sou〜超現実拡張妄想変換装置(仮)改〜  作者: 西ノ圭吾
第三章 初衝動
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Re:sou 第十五話「死神」

ヒュー。

ヒュー。


笛の音が、鳴っていた。


天幕の中に。

薬と、血と、湿った土の匂いの中に。


モーリーさんは、担架の上にいた。


右足は、膝から先がなく、布で固く縛られている。

胸にも脇腹にも、幾重にも包帯が巻かれていた。

顔は、蝋みたいな色をしていた。


それでも、胸は上下していた。


ヒュー。

ヒュー。


鳴っている間は、生きている。


俺は、その横に座っていた。

こめかみの包帯の下で、頭の中がまだ揺れている。


天幕の外は、割れた鍋の中みたいな騒ぎだった。


担架。怒号。呻き声。

誰かを、呼ぶ声。


そして遠く、稜線の向こうから、蒸気の柱がまだ上がっていた。


頭の奥には、細い雨。


——イタイ。


遠く、細く。

まだ、降っていた。


   *


「……よお」


掠れた声に、顔を上げた。

モーリーさんの目が、薄く開いていた。


「モーリーさん……!」

「でけぇ声、出すんじゃねぇよ……頭に、響く」


俺は、口を噤んだ。


「……クーリ、呼んできます」

「よせ」


短く、言われた。


「……あの嬢ちゃんの手が、届かねぇのは……俺が、いちばん分かってる」


ヒュー。


「二十年……そういうのを、見分けて……生きてきたんだ」


死神モーリー。

死の間合いが、誰より見える男。


勝てるか。逃げられるか。生き残れるか。

それだけを見分けて生きてきた男が、自分を測って、そう言った。


「なんで……」


声が、震えた。


「なんで、俺なんか庇ったんですか」


モーリーさんは、少しだけ笑ったみたいだった。


「……ばーか」


ヒュー。


「あそこで、いちばん……死にそうな面、してたのが……てめぇだった。それだけだ」


嘘だ。


あの人には、見えていた。

俺にだけ見えていなかったものが——俺が死ぬところまで、きっと見えていた。


「……なあ、坊主」


天幕の天井を見たまま、モーリーさんは言った。


「……死にたく、ねぇなあ」


ヒュー。


「ずっと……死なねぇ算段、してきたんだがなぁ」


声に、初めて、年齢があった。


悪党でも、死神でもない。

ひとりの、疲れた男の声だった。


俺は、何も言えなかった。


あの人は、それきり少し黙った。

笛の音だけが、続いていた。


それから、急に、俺の袖を掴んだ。


思いがけない、強さだった。


「……ババァには」


ヒュー。


「……俺が、てめぇらを囮にして……逃げた、と伝っ——」


音が。


止まった。


袖を掴んだ指から、力が抜けていく。


笛の音が。


もう、鳴っていなかった。


   *


「モーリーさん」


返事は、なかった。


「モーリーさん!」


肩を掴んだ。揺すった。

頭が、力なく揺れただけだった。


——嫌だ。


俺の中の何かが、考えるより先に走った。


治れ。

塞がれ。

戻れ。


指先から、俺の全部が流れ出ていくのが分かった。


こめかみの包帯の下で、鈍い痛みが弾ける。

鼻の奥で何かが切れて、血の味がした。


構うか。


——治れ!!


光の粒が、モーリーさんの体に、雪みたいに降り積もった。


足を縛った布の下で、肉の動く気配がした。

胸の傷が、塞がっていく。

折れた骨が、正しい形へ戻っていく。

青白かった唇に、色が戻る。


「……っ」


誰かが、息を呑んだ。


いつの間にか、天幕の入り口に、みんなが立っていた。


ジェスが。クーリが。ヤンさんが。


クーリの目が、見開かれていた。

自分の手が届かなかった場所へ、光が届いていくのを、見ていた。


傷が、塞がった。

血の気が、戻った。


眠っているように、しか見えなかった。


俺は、待った。

みんな、待った。


瞼が動くのを。

もう一度、あの笛の音が鳴るのを。


……


目は。


開かなかった。


   *


「なんで……」


俺は、ナナを見た。


『……肉体の修復、完了』


ナナの声は、いつも通りだった。

いつも通りなのが、刃だった。


「完了って……目、覚まさないんだけど。……おい、ナナ!」


ナナは、三秒、黙った。


『……マスタ——』


声が、途中で切れた。


機械が、最適な言葉を探して、見つけられなかった音だった。


『魂の帰還は——本端末の権限表に、該当する項目が、存在しません』


「……無いって、どういう意味だよ」


『上位権限での、照会が必要です』


「良い人間を生き返らせられない権限って、なんだよ!!」


ナナは、答えなかった。


俺は、上を見た。


天幕の天井なんか、見えていなかった。

もっと上の——この世界の、外側を見た。


「柾ィィィ!!」


叫んでいた。


「これ、お前のゲームなんだろ……!! なら、なんとかしろよ……!!」


「NPCなんだろ、この人は!! データなんだろ!! なら直せよ!! ロールバックでも、セーブでも、なんでもあるだろ!!」


言いながら、分かっていた。


口から出た瞬間から、全部、嘘だと分かっていた。


この人は、データじゃない。


さっき、死にたくないと言った。

袖を掴んだ。

ババァには、と言った。


その人間を、俺は——自分に都合のいい言葉で、もう一度NPCに戻そうとしていた。


「なんでっ……なんで、」


言葉に、ならなかった。


ジェスの手が、俺の肩を掴んでいた。

強く。痛いくらいに。


俺の叫びは、誰にも届いていなかった。

みんなの耳には、訛った異国の音にしか聞こえていない。


この世界で、俺の言葉は。


ただの、音だった。


クーリが、へたり込んでいた。


「……また」


それだけ、聞こえた。


その一言の奥を、俺はまだ知らない。


ジェスは、何も聞かなかった。

ただ、彼女の隣に、黙って膝をついた。


ヤンさんが、動いた。


自分の外套を脱いで、モーリーさんの上に、静かに掛けた。


顔までは、覆わなかった。


   *


地面が、揺れた。


天幕の外で、誰かが叫んだ。


「稜線だ!! ——戻ってくるぞ!!」


頭の中で、雨が強くなった。


——イタイ。

——アツイ。

——コロシテ。


俺は、モーリーさんの顔を見た。


眠っているように、しか見えない顔を。


——コロシテ。


……お前は。


それを、俺にくれって言うのか。


   *


外は、逃げ支度の渦だった。


「退げ!! 動けん奴から荷車に乗せろ!! 担架を詰まらせるな!!」


ネンジさんの嗄れ声が、飛んでいた。


泥だらけで、血まみれで、腹の出た冴えない中年。

なのに、その声だけが、まだ戦場を動かしていた。


「ネンジ殿! ミルウーダの神殿騎士団は、まだですか!」


伝令が、駆け込んでくる。


「まだ来ん!」


ネンジさんが、吐き捨てた。


「奴らの天使召喚があれば、話は変わる。……だが、呼んだところで連中がくるのにどんな急いでも半日かかる」

「では——」

「間に合わん! 籠城だ! 歩ける奴から、壁の中へ退がらせろ!!」


天使、という言葉に、何人かが、すがるように顔を上げた。


間に合わない、と聞いて、また俯いた。


高台の上で、白金の髪は、動いていなかった。


「陣は」


クルスさんの問いに、術者が首を振った。


「……全滅です。クライン様も、もう、立てません」


「そう」


女の人は、稜線から目を離さなかった。


「では——次は、ありません」


湯気の向こうで、影が盛り上がりはじめていた。


   *


『カイさま』


ナナの声がした。


『可能性が、一つだけ、あります』


俺は、顔を上げた。


『ただし、二つの条件が要ります。カイさまの演算野の、完全修復。そして——わたしの、コアの修復』


ナナは、クーリを見た。


クーリは、まだ、へたり込んだままだった。

指先が、小さく震えている。


さっき、届かなかった手だ。


『クーリさま。……先ほど、預かっていただいたマナを』


クーリの肩が、揺れた。


「……あんたのあれ、こういう意味だったの」

『はい』

「最初から……こうなるって、分かってて?」

『いいえ』


ナナは、静かに言った。


『分かっていたのは——まだ要る、ということだけです』


クーリは、袖で乱暴に目元を拭った。


立ち上がった。


「……二人とも、動かないで」


光が、灯った。


さっきまでより、ずっと細い。

最後の、光だった。


光は、まず俺のこめかみに沈んだ。

頭の中の揺れが、波が引くみたいに消えていく。


それから、ナナの胸へ。


裂けた装甲の奥、墨色の亀裂の走るコアに、光が染み込んでいく。


亀裂が。


塞がって、いく。


『……演算能力、全域復旧』


ナナがそう言った瞬間、クーリの体が傾いだ。


ジェスが、抱きとめた。


「クーリ!」

「……ん。……平気……」


平気じゃ、なかった。

目の焦点が、もう合っていなかった。


ジェスは、彼女を背負った。


それから、俺を見た。


何か言いかけて、やめて、一言だけ言った。


「——死ぬんじゃねぇぞ」


そして、走っていった。


撃つ場所が、空いた。


   *

腕も直したナナと外に出て、やつを待ち構える。

『解析、完了』


ナナの声が、頭の中へ流れ込んでくる。


『あの個体の再生は、肉体に由来しません。体内の一点から、再構築の指令が発信され続けています。波形照合——ダンジョンコアと、同一です』


「コア……」


『あれは、コアを取り込んだダンジョンの主。あるいは——コアに、内側から喰われた主です。肉を、どれだけ削っても』


「核が無事なら、戻る」


『はい』


丘の上に、あれが、姿を現した。


氷は、もう跡形もなかった。

溶けかけの巨体が、湯気を纏って、稜線を越えてくる。


——イタイ。

——コロシテ。


『コアの位置は、質量の奥。物理的な到達は、不可能です。ただし』


ナナは、一拍、置いた。


『干渉波の発信源。——カイさまが受信している「声」の座標と、完全に一致します』


俺は、目を閉じた。


雨の降ってくる方角が、分かる。


ずっと、分かっていた。


聞こえるということは。

そこに、いるということだ。


『座標を掴めるのは、この戦場で、カイさまだけです』


   *


俺は、歩き出した。


今度は、ふらふらとじゃない。

自分の足で。


隣に、大きな影が並んだ。


ヤンさんだった。

ハルバードを、肩に担いでいた。


何も、聞かれなかった。

止められも、しなかった。


「……時間は、俺が作る」


それだけ言って、ヤンさんは俺の前に立った。


俺たちは、死体だらけの斜面を登った。


あれが、近づいてくる。

一歩ごとに、粉が雪みたいに舞う。


——イタイ。


雨が、豪雨になる。


『補助演算、接続。……カイさま。この行使は、現在の権限の上限を超過します』

「知ってる」

『器に、損傷が出ます』

「知ってる」

『回復不能の、可能性があります』

「……それでも」


一拍。


『——開始します』


俺は、足を止めた。


世界が、軋んだ。


俺を中心に、空気が重く撓む。

足元の灰が、燐光の粉が、渦を巻いて流れ込んでくる。


地面が、静かに沈んだ。


丘の下で、誰かが声を上げた。


「なんだ、あれ……」

「あの圧、周りが歪んでねぇか?……人間、なのか……?」


多人数による極大魔法にも劣らぬマナの高まりを一人で生み出す俺に

後ずさる音が、いくつも聞こえた。


「……化け物か」


誰かの呟きが、風に乗って届いた。


さっきまで、あれに向いていた恐怖が。


今、俺に向いていた。


前に立つヤンさんが、一度だけ振り返って——何も言わずに、前へ向き直った。


構わなかった。


目を、閉じた。


雨を、遡る。


一滴ずつ。

声のする方へ。


熱くて、暗くて、どこまでも肉の続く闇の——その奥。


いちばん、大きな声のする場所。


そこに、小さな、硬いものがあった。


壊れながら、作り直されながら。

叫び続けている、硬いものが。


——コロシテ。


「……ああ」


聞こえたから。

返事を、した。


そして、書いた。


ここではない、どこかへ。


そして。


——潰れろ。


挿絵(By みてみん)

   *


光は、なかった。

音も、なかった。


あれの体の、深いところで。


何かが、ただ、無くなった。


巨体が、一歩の途中で、止まった。


首が、ゆっくりと落ちていく。


腹の側で、蝋みたいに垂れ続けていた肉が。


垂れるのを、やめた。


溶けるのが、止まった。


前脚が折れ、後脚が沈み、山みたいな体が、斜面に崩れていく。


最後に、体表の燐光が、一度だけ、大きく舞い上がった。


雪みたいにとても綺麗で。


とても、静かに溶けて消えていった。


そして。


雨が、上がった。


   *


体の奥で、細い音がした。


何かに、罅の入る音に似ていた。


『——記録。限界行使・座標圧潰。……微量の、マナ漏出を検知』


ナナの声が、遠い。


膝が、地面についた。

胃の中のものが、全部出た。


「おい……!」


ヤンさんの腕が、俺を支えた。


丘の下で、誰かが剣を掲げかけた。


掲げかけて——足元に転がるものを見て、下ろした。


歓声は、なかった。


丘には、死体が多すぎた。

旗も、拾う者のない金貨も、多すぎた。


みんな、ただ立っていた。

あるいは、座り込んでいた。


倒れた巨体から立ち上る湯気を、黙って見ていた。


高台の上で。


白金の髪が、じっと、こちらを見ていた。


   *


ヤンさんの肩を借りて、丘を下りた。


すれ違う人垣が、割れていく。


道を開けてくれたんじゃ、ない。


……離れて、いったんだ。


頭の中は、静かだった。


降るものは、もう、何もなかった。


天幕の前に、外套を掛けられた人が、寝かされていた。


血の気の戻った、綺麗な顔だった。


眠っているように、しか見えなかった。


「モーリーさん」


呼んでみた。


雨は、上がったんだ。

あんたの言った通り、生き残ったんだ。


だから。


……。


目は。


開かなかった。


   *


少年は、遺体の横で、糸が切れたように眠った。


ヤンは、その体を抱え上げた。


軽い。


こんな軽さで、あの山を——と、思いかけて、やめた。


天幕の間を抜けていくと、声が、勝手に耳へ入ってきた。


「……見たか、さっきの」

「あのガキが、やったのか」

「嘘だろ。あの化け物を、詠唱もなしで……」

「空間が、歪んで見えたぞ……」

「英雄様、か」

「……化け物は、どっちだ」


囁きに、悪意はなかった。


ただの、恐れだった。


腕の中の少年は、何も知らずに眠っている。


「……カイ」


呟いた時、ふいに、あの夜の酒場がよみがえった。


  ——なあ、旦那。あの坊主……秘めたる力は、旦那を超えるんじゃねぇか。


カウンターの三つ向こうで、あの男は、グラスを回しながら言った。


  ——詠唱もなしで、あれこれやってのける。で、本人は、それがどれだけのことか、まるで分かってねぇ面をしてる。……ありゃあ、危ういぜ。


  ——あいつは、いずれ、ココの器じゃ収まらねぇ。だが……教える人間は、必要だぜ?


「……死神のカンか」


そう返すと、男は、へっと笑った。


  ——実体験さ。


あの時は、聞き流した。


酔漢の軽口だと。


……軽口なものか。


お前は、あの晩から、これを見ていたのか。


ヤンは、腕の中の寝顔を見た。


それから、北の空を見た。


灰は、もう止んでいた。


「……腹を、決めねばな」


森の奥の、石の女の顔が、浮かんだ。


「いつまでも動かんと——セラにも、笑われる」


(第十五話・了)


挿絵(By みてみん)

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