# Re:sou 第十二話「捨てた誉れ」
孤児院での1週間を終えて、鐘が鳴ったのは、翌日の明け方だった。
町中の鐘が、一斉に。
眠りを引き裂くような、不吉な連打だった。
「スタンピードだ……!」
宿に飛び込んできたジェスの声に、俺は着の身着のまま外へ出た。
講習では、五年に一度くらいの頻度で起こるものだと聞いた。
さすがゲームクオリティ。今、来るかよ。
東の空は、まだ暗い。
その暗がりの向こう、山の方角が——ざわ、と蠢いていた。
木々が揺れている。
風のない朝に。
「北西の丘陵だ。魔物が湧いてる」
ヤンさんは、もう戦装束だった。
あの日、セラの森へ駆けつけた時と同じ胸甲。使い込まれた篭手。手には長柄の斧槍。
ただ、今日の目は、あの日ほど張り詰めてはいなかった。
死にに行く目ではない。
戦場へ戻る者の目だった。
「規模は?」
「五年前と同じ、中規模というところか」
ヤンさんは、山を見た。
「この程度でハジの防衛線は崩れん。腐っても交易都市だ——守り手は多い」
一拍。
「だが、魔物の動きが妙だ。何故これほど急に……モーリーの話どおり
やはり山の方で、何かあったか」
*
ギルドの前は、すでに騒然としていた。
冒険者が武具を鳴らし、衛兵が隊列を組み、負傷者用の荷車が何台も引き出されている。
掲示板には、大きな緊急依頼が貼り出されていた。
【北丘防衛戦 全ランク招集】
【他ギルドへの応援伝令要員も急募】
「カイ、クーリ、ナナ。俺の傍を離れるな」
ジェスが言った。
「初めてのスタンピードだ。無茶はするな」
「はい」
「クラインは?」
「魔法部隊班の増援だ。あいつの魔法は、こういう時こそ要る」
隊列が組まれ、北の丘へ向かう。
夜明けの光が、丘を照らし出したとき——俺は、息を呑んだ。
丘の斜面が、黒くうねっていた。
魔物だ。
おびただしい数の魔物が、湧き出す泉みたいに、地の底から溢れ出している。
狼。蜥蜴。猪のような何か。
角のある猿。甲殻に覆われた犬。
数え切れない。
それが町を目指して、雪崩れ落ちてくる。
「……なに、あれ」
クーリの声が掠れた。
「ゲームなら、ウェーブ防衛戦だ」
俺は、そう言ってみた。
言ってみたけれど、うまく笑えなかった。
画面の向こうの、数字で処理される敵の群れじゃない。
一匹一匹が、牙を持って、こっちに来る。
土の匂い。獣の匂い。血の匂い。
それが朝の冷たい風に乗って届く。
ゲームに、匂いはない。
*
戦いが始まった。
前線は、力押しだった。
ヤンさんのハルバードが、唸りを上げて弧を描く。
一振りで三匹、四匹をまとめて薙ぎ払う。
その動きに、迷いがない。
宿屋の親父の動きじゃなかった。
武人の動きだった。
ジェスは身体強化を全開にして、俺たちの前を固めた。
ロングソードが、獣の牙を受け、爪を弾き、間合いに入った敵を確実に斬る。
クーリの双剣が、その隙間を縫った。
小柄な身体が、獣の足元へ潜り込み、腱を斬り、喉を突く。
ナナは俺の後方から、静かに戦況を読み上げていた。
『右翼、圧力増加。左翼、前線維持。……カイさま、出力四割で範囲制圧を推奨します』
俺も、戦った。
加減の練習の成果を、こんな形で使うとは思わなかったけれど。
小さな竜巻を起こし敵を吹き飛ばし、土を隆起させて分断足止めをする。
やりすぎると味方まで巻き込みかねないから、ナナの補助を聞きながら、必死に出力を絞ったが、味方事、吹き飛ばしてしまうこともあった。
「味方の邪魔をするな!」
「すみません!」
怒鳴られた。本当にすみません。調節がむつかしいです。
必死だった。
数時間か、数十分か。
時間の感覚が、なくなっていた。こんなに戦ったのは始めてだ。
魔法部隊の極大魔法陣から放たれる巨大魔法が、ごっそりと数を減らしてくれる。
だが、漏れる敵もいる。
そして——気づいた。
俺たちが、力の限り前で殴り合っている、その戦場のあちこちで。
極大魔法を生き延びた魔物も、同様に。
魔物が、次々と勝手に死んでいる箇所があった。
*
一匹の猪型が、突進の途中で突然、地面に消えた。
落とし穴だ。
深く、鋭い杭の並んだ穴に、自分から落ちていった。
別の一群が、道端に転がっていた肉に食らいつく。
次の瞬間、痙攣して、動かなくなった。
毒。
前線を抜けようとした一匹が、影から伸びた剣に脚を斬られた。
深くはない。
だが、その一匹は数歩進んだところで、痺れたように崩れ落ちた。
麻痺の剣。
その影が、ちらりと見えた。
物陰から物陰へ。
決して、群れの真ん中には出ない。
俺たちが正面で血を流している間、その男は戦場の裏側を、静かに歩いていた。
罠を仕掛け。毒をばら撒き。麻痺させ。足を奪い。
確実に。安全に。刈り取っていく。
モーリーだった。
「あの人……!」
俺は、思わず、そちらへ足を向けていた。
途端に、近くの冒険者が、俺の肩を掴んだ。
「よせ、新入り。あっちには行くな」
「え?」
「あの辺は、死神の狩り場だ。仕掛けが埋まってる。下手に近づくと巻き込まれるぞ」
言い捨てて、男は前線へ戻っていった。
死神。
昨夜、ヤンさんが口にした呼び名を、こんな所でまた聞くとは思わなかった。
なるほど、罠だらけなら、確かに近づけない。合理的な話だ。
なのに、俺の足は、なぜか止まらなかった。
俺が近づくと、モーリーがこちらを見て、面倒くさそうに舌打ちした。
「よお、宿屋の新入り。死にてぇのか、こんな前で」
「モーリーさんこそ、なんでこんな前に——」
「——おい」
声が、低くなった。
「俺に近づくな」
冗談の色が、なかった。
「罠、ですか」
「…………」
モーリーは、答えなかった。
答えずに、爪楊枝を噛み直して、目を逸らした。
「馬鹿が」
モーリーは、影から飛び出した魔物の足を、綺麗な太刀筋で斬った。
魔物が転ぶ。
そこへ別の冒険者の槍が突き刺さった。
モーリーは血の一滴も浴びていない。
「前で殴り合うのは、頭の悪い証拠だ」
「でも——」
「見ろ」
モーリーは、戦場を顎で示した。
「正面で吠えてる英雄気取りから順番に死ぬ。臆病な俺は最後まで生きる。それだけだ」
その時、横合いから、一匹の巨大な蜥蜴が俺に飛びかかってきた。
ナナの警告より、そいつの方が速かった。
「——っ」
構える間もなく。
蜥蜴の顎が、横から伸びた縄に引っかかった。
ぐん、と首が持っていかれ、巨体が明後日の方向へ転がる。
モーリーの仕込みだった。
「ヤバくなったら、逃げな」
モーリーは、俺を見もせずに言った。
「死ねば、目的を果たせねぇぜ。生きてなんぼだ、小僧」
*
日が高くなる頃、スタンピードは退いた。
湧き出していた泉が涸れるように。
魔物の数が、少しずつ減っていく。
やがて途絶えた。
前線が、じわじわと押し返し、丘の斜面には死骸だけが残った。
町の被害は軽微だった。
防衛線は、一度も破られなかった。
冒険者たちが疲れ切って座り込む中で、俺は——なんだか、うまく喜べずにいた。
勝った。
たぶん、誰も死ななかった。
少なくとも、俺の見える範囲では。
でも。
「あんな強い人が」
俺は、遠くのモーリーを見ていた。
返り血ひとつ浴びず、涼しい顔で罠を回収している男を。
「なんで、ランクBなんだろう」
隣で、クーリが汗を拭いながら言った。
「……卑怯だからでしょ。あんな戦い方」
そうかもしれない。
でも、と俺は思う。
あの卑怯な戦い方で、今日、何匹の魔物が始末されたんだろう。
あの落とし穴が。
あの毒が。
あの縄が無ければ。
前線は、何人、余分に死んでいたんだろう。
極大魔法から漏れた魔物が、町に入っていたら。
誰も、知らない。
ただ、罠を片付けて、ギルド員に金をせびりに行っていた。
*
撤収の際、俺は、ヤンさんとモーリーが話しているのを見た。
少し離れた、丘の陰。
二人だけだった。
俺はなんとなく、聞いてしまった。
「……妙だな」
ヤンさんの声だった。
「ああ。妙だ」
モーリーが応じる。
いつもの野次を飛ばす口調ではなかった。
「気づいたか、旦那」
「中規模だ。数は、確かに中規模だった。だが——一匹一匹が硬すぎた」
ヤンさんが、丘を見上げる。
「あの丘のダンジョンは、こんな上物を吐く穴じゃない」
「同感だ。餌が良すぎる」
モーリーは爪楊枝を噛んだ。
「まるで、急に肥え太ったみてぇにな」
二人は、しばらく黙って山を見ていた。
「これで終いじゃねぇな。山が、震えてるぜ」
モーリーが言った。
「これは小手調べだ。……本番が来るぜ。それも、そう遠くねぇ」
「だろうな」
「旦那の見立ては?」
「……近い。それも、これの比じゃない。デカいのが、いるな」
風が、二人の間を吹き抜けた。
俺は、その会話の意味を、半分も分かっていなかった。
ただ、二人が、同じ嫌な予感を、かなりの精度で嗅ぎ当てているのだけは分かった。
そして——遠い山の奥で、赤い光が脈を速めていることを、俺はまだ知らなかった。
*
異変は、その夜だった。
孤児院から、子供が一人、宿まで走ってきた。
トゥイだった。
息を切らして、青い顔で。
「シスターが……シスターが、倒れた……!」
*
俺たちが駆けつけると、シスター・ルシアは寝台で荒い息をしていた。
熱だった。
高い熱だ。
スタンピードの日、避難する子供たちを一人で仕切って、走り回ったのだという。
歳と疲れが、一度に出たのだろう。
命に関わる病ではない、とクラインは言った。
けれど熱は、なかなか下がらなかった。
俺たちは、交代で看病した。
額を冷やし、水を飲ませ、汗を拭う。
子供たちは廊下で身を寄せ合い、じっと待っていた。
いつも怒鳴っている老婆が、弱っている。
それだけで、孤児院の空気はひどく頼りなかった。
夜半。
熱が、いちばん高くなった。
シスターが、うわ言を言い始めた。
はじめは、聞き取れなかった。
だが、耳を寄せると——それは、名前だった。
「……モー…リー」
俺は、息を止めた。
「モーリー……あんた、また……」
熱に浮かされた目は、天井の、誰もいない場所を見ていた。
そこに、誰かがいるみたいに。
「……やめとくれ。あたしは、あんたのお袋なんかじゃないよ」
しわがれた声が、いない相手に話しかけていた。
「施しは、いらないって、何度も言ってるだろう……庭に、また埋めただろう。金を……掘り出すのに、どれだけ苦労したと思ってるんだい」
俺の隣で、ジェスが動きを止めた。
クーリが、口を押さえた。
「全部、とってあるんだ……」
シスターの声が、少し震えた。
「あんたが、命を削って稼いだ金だ。あんな汚い戦をして。傷だらけになって。嫌われて。恨まれて。……その金を、なんで、こんなボロ院に……」
皺だらけの手が、宙を探した。
「自分のためにお使い。……もう、ここは……あんたの、家じゃないんだよ……」
そこで、力尽きたように、手が落ちた。
その落ちかけた手を、クーリが、咄嗟に、両手で受け止めた。
考えるより先に、動いた手だった。
クーリが、目を閉じる。
淡い緑の光が、その手のひらから滲んで、老婆の身体を、そっと包んだ——ように、見えた。
シスターの呼吸が、少しずつ、ゆっくりになっていく。
熱の波が、引いていく。
やがて、寝息が、深くなった。
光が、消える。
その瞬間、クーリは、弾かれたように、手を引いた。
まるで、熱いものにでも触れたみたいに。
「……ク、クーリ?」
俺が声をかけると、彼女は、こちらを見なかった。
「……見ないでよ」
小さな声だった。
「別に。……手が、勝手に、動いただけ」
言い訳みたいに、そう呟いて、彼女は立ち上がった。少し、ふらついた。
回復を、使える。
そのことは、なんとなく、知っていた。得意なはずなのに、性格に合わないとかで、嫌がっていることも。
でも、咄嗟に、あそこまでできるとは、思わなかった。誰にも言わずに、どこかで、練習でもしていたんだろうか。
聞けなかった。
聞いてはいけない気が、した。
彼女の背中が、その力から、逃げるみたいに見えたから。
「……ジェス。悪いけど」
「おう。……こっち来い。休め」
ふらつくクーリを、ジェスが支えて、部屋を出ていった。
しばらく、シスターの様子を見た。
寝息が、和らいでいる。
熱は、峠を越えたようだった。
俺たちは、一度、引き上げることにした。
*
廊下に出ると、ヤンさんが壁にもたれて立っていた。
いつからいたのか。
腕を組み、天井を見ていた。
「……ヤンさん」
「聞いたか」
「はい」
俺は、聞かずにいられなかった。
「あの孤児院と、モーリーさんは……」
ヤンさんは、少しの間、黙っていた。
それから、低い声で言った。
「あそこは、スラムのすぐ隣だ」
廊下の灯りが、ヤンさんの横顔を淡く照らしていた。
「あんな場所の孤児院が、なぜ今まで潰れずに来たか。……分かるか」
俺は、首を振った。
「あいつが、うろついているからだ」
ヤンさんは目を閉じた。
「モーリーが、あの辺を縄張りにしている。それだけで、悪い連中が寄りつかん。人買いも、破落戸も、あの男がいる限り、あの院には手を出せん」
一拍。
「あいつは番犬だ。誰にも頼まれていない番犬だ」
「……なんで、そんな」
「さあな。本人は、口が裂けても言わんだろう」
ヤンさんは、廊下の窓の外を見た。
夜の闇を。
「スラムで野垂れ死にかけたガキを、あいつは時々拾う。ボコボコに殴って、無理やり、あの院に叩き込む。……『売るぞ』と脅しながらな」
窓の外。
孤児院の傾いた柵の、そのさらに向こう。
暗がりの中に、ぽつんと、影が一つ立っている気がした。
敷地の外に。
いつものように。
「あいつなりの、やり方なんだろう」
ヤンさんは、それだけ言って、目を伏せた。
「不器用な男だ」
隣で、ナナが、ぽつりと言った。
「……複雑ですね。大人も」
*
その夜、俺はなかなか眠れなかった。
宿に戻っても、シスターの声が耳に残っていた。
庭に埋められた金。
全部とってある、という言葉。
ここはもう、あんたの家じゃないんだよ、という声。
「なあ、ナナ」
「はい」
「モーリーさんって、いい人だったんだな」
ナナは、少しだけ沈黙した。
「……その評価は、記録に留めます」
そして、続けた。
「ただし、ひとつ。訂正を求めます」
「なに」
「『だった』は、過去形です。モーリーは、現在、生存しています」
俺は、小さく笑った。
「そうだな。悪かった。……いい人、なんだな」
「はい。……そう、記録します」
窓の外、遠くの山で、赤い光が脈を速めていた。
その光が、あの番犬の男を、どこへ連れて行くのか。
この時の俺は、まだ、何も知らなかった。
(第十二話・了)




