美幼女の目にも涙(ただし腹黒)
「おにいちゃん、パンテルおねえちゃん、ここはひとまず撤退するのですっ!」
キューベルちゃんに声をかけられても斎司郎はいつものへたれな顔つきとはまったく違う射抜くような鋭い視線で人影を睨みつけたままじっと動こうとしなかった。キューベルちゃんは斎司郎の傍に駆け寄りその手を引っ張った。
「九七式ちゃんをやられてこのままおめおめと逃げろっていうんですか!?」
だが、斎司郎はキューベルちゃんの手を振り払いあくまでも敵と一戦交える姿勢を崩さなかった。
「やれやれ、しかたがないですねぇ……」
キューベルちゃんはため息を吐くとその小学校低学年くらいの小さな身体にもかかわらず易々と斎司郎をお姫さまだっこで抱き抱えた。
「三十六計逃げるにしかず、なのですっ!」
「―――な、なにするんですかっ!? は、放してくださいっ!」
「こう見えてもわたちは四人乗りなのです。いくら暴れてもおにいちゃん一人くらい力ずくで連れてゆくのは朝飯前なのです!」
斎司郎はキューベルちゃんの腕の中から逃れようとして身を捩って暴れたが、キューベルちゃんはびくともしなかった。
「パンテルおねえちゃんももたもたしてないでさっさと逃げるのですっ!」
「わたしにかまわずしろ殿を安全なところへ!」
「なにをいってるのですか!? パンテルおねえちゃんだってあの人影の正体には気づいてるはずなのです」
「真正面からやりあったらわたしに勝ち目はないことくらいわかっています。しかし、しろ殿を逃がす時間稼ぎくらいはやってみせます」
「おねえちゃん……」
パンテルちゃんは口癖のように国防軍の戦車は後には引けないといっていた。それが嘘でないならここで敵に背を向けるようなまねができるわけがない。とてもではないが説き伏せている余裕はないとキューベルちゃんは諦めた。
「わかったのです。でも、くれぐれも軽はずみななまねだけはしないでほしいのです」
「むろんです。あれに真正面から突っこんだT‐34がどういう目に遭ったかはいやというほどよく見てきました」
「なら、いいのです」
刺し違えるつもりかと心配していたが思ったより冷静なようだ。キューベルちゃんは斎司郎を抱き上げたまま礼拝堂から駆けだした。
「ここまでは追ってこられないはずなのです」
残してきたパンテルちゃんのことは心配だったが機動力ならパンテルちゃんのほうが勝っている。パンテルちゃんとて身軽とはとてもいえないが、あちらは一歩踏みだしただけで床を踏み抜いてしまうほどなのだ。二階へ上がってくるのは不可能だろう。
「もう落ち着きまちたか、おにいちゃん?」
礼拝堂から逃げだして牧師館だか司祭館の、これも板を打ちつけて開かないようにしてあった扉をその細い脚でいともあっさりと蹴り破ると、キューベルちゃんは二階へと駆け上がった。そして、いくらか小奇麗な部屋を見つけるとそこで斎司郎を降ろした。
「―――――っ……!!」
だが、床に足がつくや否や斎司郎は礼拝堂へ向けて駆け戻ろうとした。
「どこへいこうというのですか、おにいちゃん!?」
しかし、後ろからキューベルちゃんに腕をむんずとつかまれてしまい、斎司郎はなん歩も前へ進むことはできなかった。
「―――放してくださいっ!! ぼくは九七式ちゃんの敵を―――――……」
「いい加減に頭を冷やすのですっ!」
いつもにこにこと笑顔を絶やさなかったキューベルちゃんが初めて声を荒らげた。
振り向いた斎司郎目がけて全身をばねにして力を貯めて飛びかかった。
「―――ぐはぁぁぁぁぁっっっ……!?」
斎司郎の顎にキューベルちゃんの頭突きがアッパー気味にめりこんだ。
小型車とはいえ大人四人を乗せて走れるキューベルちゃんに力任せにぶつかられてはたまらない。斎司郎は情けない悲鳴を上げながら床の上をごろごろと転がってゆき壁にぶつかってやっと止まった。
「―――うぅぅ、い、痛い……」
床に倒れたまま斎司郎が情けないうめき声を上げていると黒いゴム長を履いたキューベルちゃんの細い脚がその目に飛びこんできた。
「―――うっ……!?」
目を上げてみればキューベルちゃんが腕組みしたまま斎司郎を見下ろして仁王立ちしていた。
床に倒れている斎司郎がそのまま脚に沿って視線を巡らしてゆけばワイシャツの裾の奥に隠されたキューベルちゃんのパンツまで見えてしまいそうで顔を赤くして慌てて視線を逸らした。
「―――えっ……!?」
その床に倒れたままの斎司郎の頬に生暖かいなにかが落ちてきた。
あちこちが痛む身体に鞭打って斎司郎がやっとのことで自分の頬に手を当てて確かめてみるとそれは水滴だった。頬に当てた手の上にもぽたぽたと水滴が滴ってくる。
斎司郎がもう一度目を上げてみるといつの間にか組んでいた腕を解いて胸の前で拳を握り締めていたキューベルちゃんのつぶらな瞳から大粒の涙が次から次へとこぼれてくるのが目に入った。
「キューベルちゃんっ!?」
したたかでいささか腹黒いところもあったのだが外見だけはいたいけな美幼女のキューベルちゃんがぽろぽろ涙を流しているのだ。へたれな斎司郎でも身体が痛いとか泣き言をいってはいられない。慌てて身体を起こしてキューベルちゃんの肩に手を置き顔を覗きこんだ。
「―――ど、ど、どうしたんですかっ!? どこか、痛いとこでもあるんですかっ!?」
「―――――ううぅ……」
泣いている幼女をどうやってあやせばいいのかよくわからなかった斎司郎はただおろおろするばかりでなにもできなかった。
動揺のあまり壁まで吹っ飛ばされたはずみで手から離れた九七式ちゃんの部品が室内に散乱していた壊れた家具の陰に転がっていってしまったことにも気づく余裕がなかった。
そんな斎司郎の顔をキューベルちゃんは唇を噛みぐしぐしと洟を啜りながら上目遣いで見上げていた。
そのあざといまでに愛らしい表情はもし斎司郎がロリ属性の大きなお友達だったとしたら、一撃で理性も倫理観も粉々に吹き飛ばされていたくらいの凄まじいまでの破壊力を秘めていた。




