褐色の美幼女
「―――ふぅわぁぁぁぁぁ~~~っ……」
パンテルちゃんはビール、斎之進は日本酒と浴びるほど呑む二人につき合わされて結局昨晩も斎司郎はしこたま呑まされてしまった。しかし、前の晩にいくら呑み過ぎたとはいえ拝殿や境内の掃除、ご神前へのお供えといった仕事は斎司郎の役目で欠かすことはできない。
あくびを噛み殺しながら顔を洗い小袖と袴に着替えてから拝殿へと向かった。薄暗い灯明だけが点された拝殿へ脇から足を踏み入れ拝殿正面の観音開きの扉を内側から開く。
「う~ん、しゃばの空気は美味いのですっ!」
「―――えっ……!?」
誰もいるはずのない拝殿の奥からどこか子供っぽい舌足らずな感じのする声が聞こえたので斎司郎は驚いて振り返った。
「Guten Morgenなのですっ!!」
開け放たれた拝殿正面の扉を通して射しこんできた朝陽にスポットライトのように照らされて幼女が「よっ!」という感じに片手を挙げているのが目に入ってきた。
「―――あ、あのぅ……。どちらさまでしょうか……?」
「いやですねぇ、昨日わたちのことを買ってくれたじゃないですか、おにいちゃん?」
「―――か、か、か、買うって……!? ぼ、ぼ、ぼっ、ぼくは、―――じ、じ、じ、人身売買なんかしてないですよっ……!?」
幼女はにこにこした笑顔を浮かべたままちょこちょこと斎司郎に近づいてきた。
その幼女は背が低くどう見ても小学校低学年くらい。仔犬のようなつぶらな瞳をしたあどけない顔立ちは西洋人のものだが肌が小麦色と言うより真っ黒に日焼けしてしまっているのでライトブラウンの髪より肌の方が色が濃く見える。そのセミロングくらいの長さの髪の裾を襟首のところで首筋の側へくるくるっと巻きこんだ髪型をしていた。
着ている服がまた奇妙で頭にはアフリカ探検隊が被るようなサファリヘルメットを被り身に着けているのはだぼだぼの白ワイシャツ一枚きり。ワイシャツが大きめでいたいけなふとももを半ばまで隠していたのでその下になにか穿いているのかどうかはわからなかった。だがなにか穿いていると信じたかった。せめてパンツくらいは。
そして足許にはこれまたちぐはぐな感じの黒い長靴。
(―――こ、こ、こ、これはなにかの罠だ……。ぼ、ぼ、ぼ、ぼくをロリコンで幼女飼育願望が高じて人買いにまで手をだしてしまった変態に仕立て上げようとする某国の恐ろしい陰謀に違いない……)
恐怖に囚われた斎司郎は幼女から逃げるように後退る。
「―――――!?」
その後退った後頭部になにかが触れてびくっとした斎司郎は後ろを振り返った。
「―――ぱ、パンテルちゃん……? それに、祖父さまも……?」
斎司郎の後頭部に触れていたのはパンテルちゃんのスイスアルプスのように聳え立つ双つの頂だった。パンテルちゃんと斎司郎では頭一つ分は優に背丈が違うのでちょうどパンテルちゃんの胸の辺りが斎司郎の頭の高さだったのだ。
冷静だったら後頭部とはいえ胸に当たってしまったのだからへたれな斎司郎なら真っ赤になっているところだったが、今は焦りまくっていたのでそのことには気づいていないように見える。
「やはりのぅ」
一目見ただけですべてを察したように斎之進は鬚をしごきながらにやにやとした笑いを浮かべた。
「―――ち、ち、違うってば……!! ぼくはロリコンじゃないし光源氏のようにさらった幼女を育てようとも企んでないってば!!」
孫をからかってあたふたとするさまを見て喜んでいるのが斎之進だ。斎司郎は助けを求めるようにパンテルちゃんのほうへ視線を巡らした。
「……………」
「―――――ひっ……!?」
斎司郎の目に映ったパンテルちゃんの顔からは表情らしきものが窺えなかった。普段からあまり表情が豊かとはいえないパンテルちゃんだったので斎司郎も顔を見ただけでは怒っているのかいないのか確信は持てなかった。
だが、その碧い瞳にどこか侮蔑したような色が混じっているような気がして斎司郎は思わず息を呑んでしまった。
「しろ殿……」
「―――は、はい……。なんでしょう……?」
パンテルちゃんの深い海のような色の美しい瞳で見据えられると少なくとも突如顕れたこの幼女に関する限りはなんらやましいところのなかった斎司郎でもなぜか思わず土下座をして懺悔したいような気分になってしまう。
ぐぐぐぅぅぅぅぅ~~~~~っ……
そのとき拝殿の中にお腹が鳴る音が盛大に鳴り響いた。それも、前と後ろの両方からステレオで。
「わたしはお腹が空きました。たぶん、その娘もそうでしょう。早くFruehstueck(朝食)を作ってください」
顔は無表情だが心なし頬が赤く見えるパンテルちゃんが拝殿奥の幼女を指差した。その幼女は「えへへへへぇ~~~」と満面の笑みを浮かべながらお腹を擦っていた。
そしてパンテルちゃんの横では斎之進が「いっそ、ほんとに幼女でもさらってくるくらいの甲斐性でもあればわしも安心なんじゃがのぅ……」とため息を吐いていた。
「おい、斎司郎、ビールくらいだしたらどうじゃ?」
茶の間のちゃぶ台に朝食を並べていた斎司郎に、斎之進が文句をつけた。
「えっ、朝からビール呑むの……?」
斎司郎は顔をしかめたがそんなことにはおかまいもなく「なにかた苦しいことをいっておるのじゃ? キューベルちゃん顕現の祝いではないか!」とどやされてしまった。
いくらなんでもこんな幼女にビールなんか呑ませていいものかとそっとパンテルちゃんの顔を窺ってみると「見てくれは子供ですがわたしと同じガソリン・エンジンです。ビールのアルコール度数など水みたいなものです」ときっぱりいい切られてしまった。
「はいはい、わかりましたよ……」
どうせ斎之進とパンテルちゃんに逆らってもむだなのだ。斎司郎はぶつくさいいながら茶の間の隣の台所からビールとコップを持って戻ってきた。パンテルちゃんの前には栓を抜いたビールを一本置き、斎之進と幼女の前に置いたコップにビールを注ぐ。
「斎司郎、お前も呑まんかい?」
「えっ……? だって、ぼく、これから学校だよ……?」
「ビールくらいなん本呑んだところでお前なら顔すら赤くならんじゃろうが!」
「…………」
しばらくの間斎之進を睨めつけていたが、やがて諦めたように小さくため息を吐くと斎司郎はもう一つコップを持ってきて自分でビールを注いだ。
「では、キューベルちゃんの顕現に乾杯なのじゃ!」
「Prosit!」
「Prositなのですっ!」
「……」
コップと瓶が触れ合う軽やかな音が茶の間に鳴り響き、それぞれが手にしたビールを呑み乾した。
「うひょ~ぉ!! 水平対向四気筒に染み渡るのですっ!?」
コップ一杯とはいえビールを一息に呑み乾した幼女が両目を『<』みたいな形にして空になったコップを頬に当てていた。
「その気持ち、よくわかります。わたしも初めてビールを呑ませてもらって少尉殿たちがこの液体を口にしたときになんであんなに幸せそうな顔をしていたのかが理解できました」
自分のことを大切に整備してくれていた戦車兵たちのことを思いだしたのか、空になったビール瓶を手にしたままパンテルちゃんが遠い目になっていた。
「この様子ならビールくらいじゃ酔いそうもないよね?」
外見だけならすこぶるつきの美幼女だがやはり中身はただものではないことは確かなようだ。斎司郎は苦笑いしつつ台所からビールをなん本か追加で持ってくると栓を抜いてパンテルちゃんと幼女の前にそれぞれ一本ずつ置いた。
「ありがとうなのですっ!」
新しいビールの瓶を見ると美幼女は顔をにぱっと輝かせラッパ呑みでぐびーっと煽り始めた。
(なんだかなぁ……)
小学校低学年くらいにしか見えない美幼女がビール瓶をラッパ呑みしている光景はあまりにもシュールで斎司郎はまた苦笑いを浮かべた。
「わたちはTyp 82というのです。むしろ、Kuebelwagenといったほうがわかりやすいでしょうか?」
キューベルワーゲンとは第二次大戦中のドイツ軍の有名な小型軍用車で、アニメの『うる星やつら』の中で大財閥の御曹司である面堂終太郎が運転手つきで愛用していた車としても知られている。
隣の台所で朝食の支度をしながら話を聞いていたのだが、拝殿にどこからともなく顕れた美幼女の正体もパンテルちゃんと同じ九十九神だった。パンテルちゃんがどうも気になるというので蚤の市で買ってきたあのハンドルが神社のご神気の助けを借りて九十九神として顕現したということらしい。
「キューベルちゃん、よかったら冷めないうちにどうぞ」
「わたちは、人間の食べものを口にするのは初めてなんですよねー……」
拝殿では盛大にお腹を鳴らしていたのだがやはり初めての食べものを口にするのはちょっと不安なようだった。ビールならガソリンと同じ液体なので抵抗はないようだったが。キューベルちゃんはちらっとパンテルちゃんのほうを窺った。
「心配ありません。しろ殿の料理はとても美味しいですよ?」
パンテルちゃんが先割れスプーンでちゃぶ台の上の玉子焼きを突き刺し口に運んで見せた。先割れスプーンはどうしても箸が上手く使えなかったパンテルちゃんのために斎司郎がかっぱ橋の道具街までわざわざ足を運んで買ってきたものだ。
「なるほどビールも美味しかったのですが、これもいけるのですっ!!」
パンテルちゃんが食べる姿を見て安心したのかキューベルちゃんも先割れスプーンを使って料理を口へ運び始めた。
(よかった……。キューベルちゃんはパンテルちゃんみたいな大飯喰らいじゃないみたいだ)
キューベルちゃんの食べかたをそっと窺っていた斎司郎は内心ほっと胸をなで下ろしていた。さすがにパンテルちゃんほどの大飯喰らいが二人に増えてしまったら食事の用意がおおごとになってしまう。
「ところでキューベル殿はどこの所属だったのでしょうか?」
「わたちですか? わたちはアフリカ軍団第15装甲師団の所属でした。ハルファヤ峠でオーキンレックのくそ爺にやられちゃいましたけど……」
「―――で、で、では、ロンメル元帥閣下の指揮の許で戦っておられたということなのでしょうか?」
「えへへへへぇ~! そのことはわたちの誇りなのです!」
ビールを呑み口いっぱいに食べものを頬張りながらキューベルちゃんが答えている。やはり七十年ぶりの食事(?)なのでお腹は空いているようだった。
「くそぅ……。せっかく別嬪さんが二人もおるのに誰もわしにはお酌もしてくれんのかのぅ……」
女の娘二人で楽しそうに話している姿を恨めしそうな目で眺めつつ斎之進が手酌でビールを煽っていた。
(パンテルちゃんも仲間ができて楽しそうだね)
七十年以上部品の姿のまま誰とも話をできなかったのだから色々話もあるのだろう。斎司郎は台所から追加のビールをなん本か運んできて二人の前に置いてあげた。
「そうだ、拝殿にある魂鎮めのすんだ預かりものをそろそろ蔵へしまっておかないと……」
学校があるので自分の朝食は手早くすませた斎司郎は食器を片づけながら拝殿の整頓もしなければならないことを思いだした。
「忘れるといけないから今のうちにすませちゃっておくか……」
食器を台所の流しへ置いた後、拝殿へと向かった。そこから魂鎮めを終えた曰くのある品々を持って蔵へと足を運ぶ。
「この蔵の鍵も油を刺しておかないといけなよね……」
手にしていた預かり物ものいったん下に置き、蔵の錠前の鍵を取りだした。あまり開けることもないので錆びついて回りにくくなってしまった錠前を四苦八苦しながらようやくと開け、蔵の引き戸に手をかけがらりと引き開ける。すると、引き戸の中からかび臭く埃っぽい空気が漂ってきた。
「――――――――――へ……?」
間の抜けた声が斎司郎の口から漏れ手にしていた鍵がぽろりと蔵の床に落ちた。なぜなら灯り一つない真っ闇な蔵の中、入り口の引き戸から射しこむ陽の光の陰にひっそりと隠れるように巫女服姿の少女が三つ指をついて頭を下げている姿が目に入ってきたからだ。
「―――あ、あの……。も、もしかして、怒ってらっしゃいますか……? ―――ご、ご、ごめんなさい……」
気弱な瞳で上目遣いに見上げてくる少女の姿を見てぱくぱくするばかりの斎司郎の口からは言葉がでてこなかった。




