第十三話
近頃、朝成の様子が明らかにおかしかった。
有雅は手元の巻物からふと顔を上げる。少し離れた向こうでは、朝成が女房と親しげに話している。いつも通りに笑っている。だが、ひとたび自分のそばへ来ると、朝成は妙によそよそしくなるのだ。
視線を向ければ、弾かれたように逸らされる。近づけば、逃げるように距離を置かれる。意味がわからなかった。
「兄上」
背後から、小萩がひょっこりと姿を現した。
「どうかなさいました? 難しいお顔をして」
「別に」
「ふふ、朝成さまのことですか?」
有雅は無言になった。図星を指された密かな動揺を隠すように、冷徹な仮面をまとう。小萩はそれが楽しそうだった。
「喧嘩でもなさいましたか」
「していない」
「では、恋でしょうか」
有雅は持っていた巻物をぱたり、と静かに閉じた。
「……何故そうなる」
「だって朝成さま、兄上を見るたび、まるで泣き出しそうな、熱に浮かされたような……とにかく変なお顔をなさっていますもの。わたくしの香りを、あんなに熱心に嗅ぎ比べておいででしたし……」
変な顔。それは否定できなかった。何かを言いたそうな、何かを必死に隠しているような……その様子に有雅も気付いてはいる。そしてなぜか、その視線の熱が、有雅の胸の奥を落ち着かなくさせていた。
小萩は兄の横顔を覗き込み、にこにこと悪戯っぽく笑う。
「兄上」
「何だ」
「もしや、あの方に正体が…… 。あの日、わたくしの薄衣をまとって、あの池にいたのが兄上だと」
「――気づくはずがない」
有雅は妹の言葉を、即座に遮った。
そう。気づくはずがないのだ。
嵯峨の池は夕暮れだった。迫る薄闇の中、女の仕草をなぞり、片袖で顔を深く隠し通したのだ。蛍見の川辺は、灯火もない暗闇の中だった。
一度もまともに顔など見せていない。あの男の目を欺くために、細心の注意を払っていたのだ。気づくはずがない。はずがないのに。
――あの池で、背後から大きな身体に抱きすくめられた時の、腕の圧倒的な力強さ。ガチガチに緊張しながらも、こちらの身を案じる言葉は酷く優しく、男前で。解けた細紐を、その大きな指で、あきれるほど丁寧に、少し不器用に結び直してくれた――あの刹那。指先が一瞬、己の素肌をかすめた。その微かな刺激に、胸の奥がびくんと跳ねて息が止まったあの瞬間を、有雅は今も鮮明に覚えている。
―― 彼に己を「見つけてくれ」と願っている愚かな己がいる。




