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第七十三話 〈精霊の軍団・清らかな乙女〉

 魔方陣の上に現れたのは、清らかな雰囲気を漂わせる妙齢の美女。

 緩やかなウェーブを描いている青髪は腰辺りまで伸び、穏やかに細められている同色の瞳には慈愛の色が満ちている。

 聖女のように両手を組んでいた美女──ウンディーネは、聴く者の心を震わせるような美声で。


ご主人様(マスター)の命により、参上いたしました〉

「これは、魔方陣……? いえでも、この模様は──」

「突然呼びだして悪いな、ウンディーネ。まずは、癒してくれ」

〈イエス、ご主人様(マスター)


 困惑気味に独り言を漏らすトワを尻目に、魔力を使い果たして疲労困憊の俺は、ウンディーネに治療の依頼をした。

 俺の状態を見て、ウンディーネは僅かに目を丸くした後、真剣な面立ちで頷いて右手を翳す。

 すると、俺の脚元に魔方陣が浮かび上がり、中から淡く光る水球が現れて身体を包み込む。

 水の中でも呼吸ができる不思議な魔術に、俺は苦笑いしつつ徐々に傷が癒えていくのを感じる。


「──いけませんわ。今考えるべき内容ではありませんでした。……本当に、間が悪い」


 自分の中で結論でも出たのか、頭を振ったトワは真っ直ぐこちらを射抜いた。

 その瞳には、先ほどと違って複雑な色が浮かんでいる。

 暫し悩むように扇を口許に添え、やがてどこか決意した様子でトワは微笑む。

 その表情の変化を疑問に思いながら、俺はウンディーネに声を掛ける。


「俺の怪我が治るまで時間稼ぎを頼みたい。いけるか?」

〈うふふ。愚問ですよ、ご主人様(マスター)ご主人様(マスター)はただ、わたしに命じてください〉

「そうだったな。……やれ、ウンディーネ!」

〈イエス、ご主人様(マスター)


 たおやかな笑みを浮かべたウンディーネは、両腕を水に変化させて床に垂らしていく。それ等は途中で小さな人型に変わっていき、水で創られた女性人形へと変身する。

 対して、トワは袖から取り出した札をばら撒き、様々な種類の炎獣を召喚した。


「いきなさい、貴方達!」

ご主人様(マスター)を護るのです!〉


 互いに部下達を創造した指揮官。

 両者共に腕を振るい、彼等をぶつけ合う。

 ウンディーネの水人形部隊が数で上回っているが、どうやらトワの炎獣達の方が質が高いようだ。

 爪の一振りで敵を消し飛ばす炎虎に、水人形達は取りついて蒸発させる。トワへと向かう水人形には、上空から飛来する炎鳥が捕まえて消滅させていく。火の息吹を放つ炎蛇の口目掛けて水人形が飛び込み、同士討ちを果たす。

 室内のいたる所で煙が吹き荒れ、部屋中で蒸気の音が響く。

 クリスティアが張った氷上にも穴が開き、瞬く間に戦場が変化していた。

 暫く小規模の軍団戦を観察していると、水人形がベリシュヌを抱えてこちらに来る。

 ウンディーネにお礼を告げて受け取った瞬間、脳内で喧しい泣き声が駆け抜けていく。


《妾を投げるとはどういう事じゃああああああッ!》

「トワの不意をつくにはあれしかないと考えてな……正直、すまん」

《あんまりなのじゃぁッ! ぶ、武器である妾を投擲するなんて……うぅ、ぐすっ》

「わ、わかったから泣くなよ! この戦いが無事に終わったら、ツバキの言う事をなんでも聞くから!」

《うぇぇ……なんでも?》

「うん、なんでも」


 そう返して頷くと、考え込む様子で沈黙したツバキ。

 余裕があったらクリスティア達の治療もするようウンディーネに頼んでいる間に、何やらツバキの心の折り合いがついたらしい。

 声色を明るくした彼女は、いかにも仕方がないといった口振りで。


《ま、まあ? 主君がどーしても妾に謝りたいと言うのなら、聞き入れても構わんぞ? 主君の謝罪を受け入れるのも、良い相棒である妾の度量の広さ故じゃからな!》

「調子が良い奴め」

《なんか言ったかの?》

「なんでもない。それより、これで形勢逆転か?」


 そう呟きを漏らしつつも、それは希望的観測だと悟っていた。

 ウンディーネは顔を何度か辛そうにしているし、トワも先ほどと違って雰囲気に精緻を欠いている。

 どうにか拮抗状態を維持できているが、状況が動くのも時間の問題だろう。

 そんな俺の思考がフラグだったのか、トワが身に纏う陽炎の威圧感が増大していく。


〈いけませんっ!〉

「〈狐火・結〉」


 慌てた様子でウンディーネが水人形達を一体化させた直後、九尾から放たれた光線が集って一条の閃光に変わる。

 極太のビームと化した閃光が巨大な水盾になった水人形に着弾し、呆気なく貫通してこちらへと飛来。

 しかし、既にウンディーネは次の動作を行っており、掬い上げるように腕を振るって辺りに散らばる水を閃光に巻きつける。

 螺旋状に固まった水が蛇のように絡まったのを見た後、ウンディーネは振るった拳を握り締めた。


「なっ!?」

〈お返しします〉


 トワが驚くのも無理はない。

 ウンディーネ目掛けて飛んでいた閃光が水に包まれたかと思えば、ウンディーネの意のままに動くのだから。

 ウンディーネが指揮者の如く指を振ると、閃光は孤を描いてトワの元へ戻っていく。

 着弾する前に霧散してしまうが、トワは苦い表情でウンディーネを睨む。


「本当に、わたくしの計算外ですわ」

〈うふふ。もう少しわたしの踊りに付き合ってくださいね?〉

「くっ……仕方ありませんわ」


 苦悶の声を漏らしたトワは、パンッと勢いよく手を合わせ、陽炎を両手に集結させた。

 そこで炎の力強さが増した後、トワの身体中を循環しはじめる。九尾全体が黄金色に輝き、やがてそれは蒼白い光へと変化する。

 その異様な威圧感に、ウンディーネは気圧されて追撃できないようだ。


《あやつ、何をする気じゃ?》

「わからん。ウンディーネ、今のうちに攻撃した方がいいんじゃないか?」

〈そうしたいのは山々なのですが、彼女に干渉できないんです〉


 困ったように眉尻を下げるウンディーネ。

 俺が召喚する精霊には、集中すればその属性に因んだ現象を起こす事ができるのだ。

 ウンディーネの場合、相手の抵抗が小さければ血液を操って内側から爆発させる、というような恐ろしい干渉ができる。

 まあ、理論上可能なだけであって、戦闘中の敵に干渉する余裕はないだろうが。

 ともかく、トワが攻撃してこない内に、付近に漂う空気中の水分を操ろうとしたようだが、どうやらトワの力が強すぎて無理らしい。


 そんな風に考えている間にも、トワの姿は変化していく。

 黄金色だった髪は雪のような白さに変わり、瞳の色が空のように蒼くなる。狐耳や九尾も髪と同様に白くなっていて、見た者に雪の狐という印象を与える……いや、もしかしてこれは──


「〈狐火・空狐〉」

《うぅむ。恐ろしいほどの気迫を感じるのじゃ》

「全くだな……ウンディーネ一人じゃキツそうだな。身体が治りきれていないけど、仕方ないか」


 ため息をついて立ち上がり、水球の中から抜けた。

 自分の状態を確認すると、大まかな傷は癒えている。流石に左腕は折れたままだが、流れていた血は止まり、魔力の方もある程度回復している。

 いつになく厳しい表情を浮かべるウンディーネの隣に並び、トワから目を離さずベリシュヌを構えて腰を落とす。


ご主人様(マスター)、気をつけてください。彼女、どうやら切り札を使ったみたいですよ〉

「ああ、警鐘がバンバン鳴ってる」

「ふぅ……まさか、これを使わされるとは思いませんでした」


 口許から一筋の血を垂らしたトワは、両手を合わせたまま九尾を波打たせた。

 冷たさを感じる炎という矛盾する氷炎に身を包み、辛そうに息を乱している。


「俺が前に出るから、ウンディーネは後衛を頼む!」

〈オーダー、承りました〉


 ウンディーネに一声掛けた後、俺は身を屈めて駆けていく。


「くっ!」

ご主人様(マスター)はやらせません!〉


 トワは閃光だけではなく、蒼白い火の玉や場に残っていた炎獣を繰り出してくる。

 最初にいた炎獣達はウンディーネに倒されるのだが、新たに創造された白の炎獣に俺達は苦戦してしまう。

 身体能力が格段に上がっており、使ってくる技も増えている。

 ドロっとした炎のブレスや、空気中に漂う嫌な熱気。


「なんて面倒な敵なんだ!」

「それはこちらのセリフですわ」


 背後から飛んでくるウンディーネの援護で動きを止める炎獣に、俺はベリシュヌに魔力を込めて振り下ろす。

 嫌な弾力に抵抗されたが上手く断ち切れ、直後に一歩下がって横から来る攻撃を回避。

 ウンディーネの的確な援護のお蔭で、今の所なんとか攻防を繰り広げられている。

 左からの噛みつきには、蹴り砕いた氷をぶつけて防ぐ。体当たりで飛び込んでくる炎獣を、刃を寝かせて吹き飛ばす。

 暑いのに汗が流れず、粘つく熱気にやりづらく感じながら、俺はウンディーネと協力して炎獣を倒していくのだが……


「はぁ……はぁ……」

〈隙が見当たりません〉


 緩急織り交ぜられる連撃に、俺達は徐々に追い詰められていた。

 正直、このままだと非常にまずい展開だ。ウンディーネの顕現時間が過ぎてしまえば、後はトワに嬲られる未来しか見えない。

 焦りが隙を生み、余計に悪い状況に変わってしまう悪循環。

 幸いなのは、トワの方もそれほど余裕がなさそうな事だが。


「ぐっ……まだですわ!」


 口から血を噴きだしたトワは、上空に火の玉を撃ち放ち、次に連続して閃光を放つ。

 掠めて身を焦がす光線に四苦八苦していると、瞬く間に巨大化した火球が雲のような形に変わり、ポツポツと白い雨を降らす。

 それに当たった瞬間、触れた場所から燃えるような痛みと、凍えるような激痛が駆け抜けていく。


「ぐぁぁぁ!?」

ご主人様(マスター)!?〉

「だ、大丈夫だ! それより、あれは炎の雨だ! 絶対に当たるんじゃないっ!」

《熱っ! 武器なのに妾も熱いんじゃが!?》

「我慢してくれっ!」


 身体のあちこちから煙を吹きつつ、俺は炎獣を倒さず吹き飛ばしていた。

 どうせトワに補充されてしまうのだから、先に術者本人を倒そうと考えたのだ。

 できるだけ多くを巻き込むように攻撃を放ち、足を止めないでトワの元へ目指していく。

 半身になって飛び込んでくる炎獣を躱し、ベリシュヌを使って横に薙ぎ払う。


「ぐぅぅ!」

《主君! 何をしておるのじゃ!?》


 ツバキが大声を上げるのも無理はない。

 連続して撃たれた蒼白の閃光に、俺は腹部を貫かれたのだから。

 正直、このままではジリ貧でこちらが負けると思ったのだ。だからこそ、リスクを承知で賭けに出る必要があった。

 貫かれた衝撃で後ずさるが、気合いで持ち直して駆けだす。


〈ハァッ!〉

「この期に及んで……!」


 直後、阿吽の呼吸で俺の意思を読み取ってくれたウンディーネが、殆ど溶けてなくなった氷を水に変え、トワへと浴びせかけた。

 大量の水流と化したそれ等から身を守るためか、トワは結界を展開して防ぐ。

 波の群れにトワの姿は隠されてしまい、お互い(・・・)の状況がわからなくなる。

 そう。水のカーテンで視界を封じた今なら、トワの知覚外から攻撃できる──!


「当然、読んでおりましたわ」


 モーゼの如く水流が割れた瞬間に突きを放つも、トワの眼前で食い止められてしまう。

 どうやら結界を二枚展開していたようで、その内側の方に止められたらしい。

 しかし、無茶な行使をしたのか、トワの顔色が明らかに悪くなっている。

 この程度か、と瞳に落胆の色を湛えるトワへと、俺はニヤリと口角を吊り上げていく。


「もちろん、知ってたさ!」


 ベリシュヌを持っていた俺──ではなく、ウンディーネが創造した水人形の陰から飛びだし、抉り込むような殴打を放つ。

 その攻撃を見たトワは、目を大きく見開いてもう一枚結界を張った。

 目を充血させて顔の穴という穴から血を流しながら、トワは苦悶の表情で防御。

 拳が空間に埋まり、風圧でトワの髪を撫でる。床に大量の血液を吐き捨てた後、トワは口許に微笑を滲ませて。


「こ、これで貴方様は動けなくなりましたわ……ごほっ……わたくしの、読み勝ちですわ」

「そう……だろうな。俺ではお前の考えの上をいく事ができなかった」


 だから、トワならこの攻撃も止めると確信していた。

 意識が明滅を繰り返し、正直立っているのもやっとだ。

 しかし表情に浮かぶのは、獰猛な笑み。

 当然、俺の顔を見ていたトワも気づいて怪訝そうな面立ちで口を開こうとした瞬間、弾けるように顔をウンディーネの方に向ける。


「まさかっ!?」

「やれ、ウンディーネッ!」

〈イエス、ご主人様(マスター)


 結界の展開に精一杯だったのだろう。トワは部屋の天井付近に浮かぶ、水で創られた槍を感じ取れなかったのだから。

 部屋中の水を凝縮されたそれは、ウンディーネの力も込められ、どこか神聖な印象を与える。

 淡く輝く蒼槍の切っ先がトワの方へと向き、ウンディーネが清楚に微笑んで指を振るう。


 ──〈蒼天穿つ破邪の槍(ロンギヌス)


 慌てた様子でトワが結界の維持を止め、歯を食いしばって頭上に結界を張り直した。

 瞬間、放たれた蒼槍がぶつかり、酷く鋭い音が轟く。

 結界を斜めに構えたお蔭か標準が徐々にズレていき、このままだとウンディーネの攻撃も防がれてしまうだろう。

 刹那の思考でそう結論づけた俺は、横に一回転して重力に従って落ちようとしているベリシュヌの柄を掴む。

 そのまま回転によって生じたエネルギーを力に乗せ──


「はぁぁぁぁぁぁッ!」


 ──踏み込んで放った突きは、トワの腹部を貫通していた。

 貫かれてから初めて俺の存在を思い出したのか、ゆっくりと顔を下げたトワと目が合う。

 暫し無言で見つめ合い、逸らされた蒼槍が轟音と共に壁に着弾した後、トワは手で口許を覆って溢れる血を塞き止める。


「ごほっ、ごふっ……」

「はぁ……はぁ……俺達の勝ち、だな」


 ベリシュヌを抜いて飛びずさり、警戒しながら勝利を告げた。

 膝をついて俯いたトワは、どこかぼんやりとした口調で口を開く。


「あれも囮だったとは……まさに、数の暴力ですわ」

「そうでもしなきゃ勝てなかったからな」


 維持できなくなったのか、溶けるように消滅する炎雲や炎獣達を尻目に、俺は賭けに勝った事に胸を撫で下ろしていた。

 今回俺が狙ったのは、トワのキャパオーバーだ。彼女の様子から、あちらもそう余裕がない事はわかっていた。全て必殺級の攻撃だから防がなければならず、しかしどれもが次の攻撃の囮。

 結果、無理をして結界の展開をしていたトワは、脳の処理限界を超えて最後の俺の攻撃を防御できなかったという訳だ。

 上手くいくかは賭けだったが……なんとか無事に成功して良かった。


「これで終わればいいんだけど」


 もう一波乱ありそうで、思わず身体が倒れ込みそうになる。なんとか堪えるが、できれば杞憂であって欲しい。

 こちらに近寄るウンディーネを待ちつつ、密かに息をついてトワの様子を窺うのだった。


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