第七十話 〈空之掌握〉
「オラァ!」
「ふんっ!」
殴りかかってくる男の攻撃を躱し、踏み込んで腕を振り上げる。
が、刀身を殴打されて空振り。
咄嗟に倒れ込むように離れて、男の回し蹴りを回避。
「イイねぇ。この程度の攻撃は避けてもらわねぇとな」
「はぁ……お前の快楽に付き合わされる俺の身にもなってくれよ」
「あぁん? オマエのことなんか知るかよ。ほら、次行くぜ?」
「ったく、来なくていいのによ!」
悪態をつきながらも、男の連撃を捌いていく。
何度も響く激突音。それは輪舞曲の如く奏でられ、室内を駆け抜けていった。
にしても、こいつもやりにくいな。
今の所、互いに小手調べだと理解しているが、それでもある程度の事には気が付く。
やはり、目の前で嗤っている男は戦闘狂だ。
瞳はギラギラと輝き、口許からは獰猛な牙が覗いている。
全く、面倒な。どうして、俺が戦う敵は一癖も二癖もある連中ばかりなんだ。
零れそうになるため息を抑えつつ、男が見せる僅かな隙目掛け、突く。
後ろに下がって躱されてしまったが、彼の頬からは一筋の血が垂れる。
拳で拭ったそれを見て、男は哄笑を上げて。
「クハハハハハハッ! オレが先に傷を負わされるなんてよぉ! 面白くなってきたじゃねぇか!」
「こっちはつまらないけどな」
「クックック。そんなつれねぇこと言うなよ。闘いをもっと愉しもうぜ──」
瞬間、男の脚元から火柱が噴き上がった。
間一髪宙返りで回避した男は、殺気立った目でトワを睨む。
「──おい、テメェ。今、オレのこと狙っただろ?」
「申し訳ありませんわ。予想以上に苦戦しておりまして、貴方に気を配る余裕がないんですの」
平坦な口調で告げるトワ達の戦況は、一目瞭然だった。
全身で息をして酷く疲弊した様子のクリスティア達に対し、彼女はその場から動かずに炎の獣達を侍らせ、涼しい顔つきで采配を振るっている。
まさか、クリスティア達が一方的やられているだと?
見た限りだと致命傷は負っていないようだが、少なくとも無事とは言い難い。
ココも辛そうに顔を歪めているし、このまま彼女達が負けるのも時間の問題だろう。
正直、今すぐにでも助けに行きたいのだが。
目の前にいる敵のせいで、クリスティア達に近づく事ができない。
「あ゛あ゛? 嘘を言ってんじゃねぇ! どう見てもテメェの方が優勢じゃねぇか!」
「とんでもありませんわ。わたくしの事を過剰評価しているのではないですか? それに、狼族の長であらせられるバルフ様ならば、わたくし如きの攻撃も回避してくださると信じておりましたので」
艶然とした笑みで言葉を滑らせたトワ。
対して、男──バルフは拳を鳴らして大層不愉快そうな様子だ。
両者の間に漂う異様な雰囲気に、俺はこのまま攻撃して良いのか決めあぐねていた。
二人は仲が悪いのか?
元々あまり良さそうには見えなかったが、ここまで剣呑だとは思わなかった。
いや、トワの方はバルフを嫌っているというより、どこか強い怒りを抱いているような。
「くっ、強い」
「流石お姉様なのです……と、言いたいのですけど。今はちっとも嬉しくないのです!」
「あら、ココに褒められてしまいましたわ。うふふ、姉として嬉しい気持ちになりますわね」
「褒めてねぇなのですっ!」
「ふふっ、そんなに睨まなくても良いのですわよ?」
俺達に視線を巡らせたトワは、艶めかしく腕を振るう。
すると、トワの周囲いた炎で創られた獅子や虎や狼……炎獣達が一斉に飛びかかってきた。
左右から振り下ろされる爪に、大口に開かれる牙。
俺は身を翻しつつ、襲ってくる炎熱の群れを防ぐ。
顔目掛けて吹き荒れる火の粉。揺らめく陽炎。耳に入り込む燃え盛る音。
五感を伝って、俺に炎の恐ろしさを教えてくる。
くっ……わかっていたとはいえ、やはり人間の俺にはきついな。
さっきから大量の汗が流れているし、ひりつく痛みも増している。
近寄りすぎると火傷もしそうだ。はっきり言って、凄くやり辛い。
熱い猛攻を捌いていると、不意に一体の炎獣が掻き消える。
そして、殴った姿勢で額に青筋を浮かべたバルフが怒号を放つ。
「オレの獲物を奪うんじゃねぇ! 邪魔すんならテメェから殺すぞ、トワッ!」
「あらあら。ミナヅキ家の当主様は随分と血の気が盛んですこと」
「あ゛? 喧嘩売ってんのかテメェ!」
「うふふ。流石は考える事も苦手なバルフ様ですわ。まともに言い返す事もできないとは。わたくしは悲しゅうごさいますわ」
「ぶっ殺すッ!」
頭に血でも上ったのだろう。バルフは全身から殺気を放ち、床がひび割れるほど脚を強く踏みしめ、トワへと殴りかかった。
対して、トワは一瞥もせず指に挟んだ札を投擲。直後には床から鉄の拳が出現。
互いが勢いよくぶつかり、室内に衝撃音が走る。
「今のは警告ですわ。次はありませんわよ?」
「……ちっ」
冷淡なトワの言葉を聞いて、バルフは舌打ちを一つ。
大きく跳び退き、苛立つように頭を掻いて脚を踏み抜く。
綺麗に空いた床の穴を一瞥した後、バルフは唾を吐いて俺に目を向ける。
対して、何故か襲いかからなくなった炎獣達を警戒していた俺は口を開く。
「いいのか? あいつに馬鹿にされたままで?」
「あ?」
「待っててやるから、先にトワを倒してこいよ」
俺としては、バルフがトワと争ってくれるのがベストなのだが。
こちらは体力を温存できて、あちらは同士討ち。これ以上ないほど、俺達側に有利な展開となるだろう。
だからこそ、バルフにはあのままトワに攻撃して貰いたかったのだ。
しかし、俺の言葉にバルフは口許に愉悦の色を含むのみ。
「テメェを倒した後で、トワをぶっ飛ばせばいいだろ。そうすれば、オレの気分もスッキリして、戦闘も愉しめる。……ま、あいつがいなきゃオレも困るしな」
《ふぅむ。清々しいほどの戦闘狂っぷりじゃな。妾としては、中々として愉快な展開になってきたぞ?》
『こっちからすれば、こんな奴の相手をして面倒な事この上ないんだけどな』
炎獣を止めてくれた事には感謝している。
バルフが怒りを表にしたからか、トワはこちらにちょっかいをかけなくなった。
トワは相変わらずの妖しい笑みで、クリスティア達を翻弄している。
つまり、今のうちに俺が速攻でバルフを倒せれば、クリスティア達の援護に行けるという訳だ。
……残念ながら、そう上手くいきそうにはないが。
「それに、今はあのいけすかねぇ女より、オマエと闘いてぇ」
「遠慮しておく。だから、俺を気にせずトワと戦ってくれ」
「ああん? なんでオマエに指図されなきゃいけねぇんだよ。ゴタゴタ言ってねぇで男なら腹くくれや!」
拳を打ち合わせた後、飛びかかってきたバルフ。
風切り音を響かせる右ストレートを、首を傾けて回避。続けて放たれるジャブの嵐も、ベリシュヌを傾けて逸らしていく。
軽い足払い。抉り込むような殴打。唸る拳の乱舞。
頬を掠めて火花が散り、ベリシュヌを握る手には痺れが走る。
目にも止まらぬバルフの猛攻に、俺は気を張り詰めて防御していく。
「クハハハハハハッ! そう、そうだ! オレはこんな闘いを待ってた! もっとだ! もっとオマエの全力をオレに見せろッ!」
「知らねぇよ! こちとらお前の行動に迷惑してんだよっ!」
「クハッ! イイ感じにテメェもイカれ始めたなァ! だがまだ足りねぇ! 腹の底から力を絞りだせ! 体力の温存なんか考えてんじゃねぇッ! テメェの強さを全部出し尽くせッ!」
「うるせぇ! なんでお前の言葉に従わなきゃいけねぇんだ!」
釣られて口調が荒くなった俺は、バルフを睨みつける。
しかし、当の本人は益々愉しげに口の端を吊り上げ、ギラギラと輝く牙を見せて。
「ハッハァッ! それでいいんだよ! 利口ぶってんじゃねぇよ。テメェもオレと同じで、闘うのが好きなんだろ?」
「そ、そんな訳ないだろ! 俺はお前と違って平穏な生活が夢なんだよ!」
互いに引いて対峙。
額に滲んだ汗を拭っていると、口から血を吐き捨てたバルフがそう告げた。
その言葉を強く否定するが、彼は痛快な様子で嗤う。
「クククッ。気づいてねぇのか? 今のテメェ、心底愉しそうに嗤っているぜ?」
「そんな筈……っ!」
ハッとして口許に手を這わせば、両端が吊り上がっていた。
まさか、俺は無意識にこの闘いを楽しんでいたのか?
いや、そんな筈はない。前の世界の出来事のせいで、俺は平穏な生活を好ましく思うようになったのだから。
……でも、実際に俺は笑っていて。
この変化に気が付いた今では、心の奥底から歓喜の感情が湧き上がっているのを感じる。
どうやってバルフを倒そうか思考を巡らし、強敵に勝つために神経を尖らせるこの瞬間が──
「そう、だったな」
「あん?」
《主君?》
不思議そうな面立ちのバルフの姿が目に入るが、どうでもいい。
それより、俺は零れそうになる笑い声を抑えるのに必死だった。
何故、今までこの事を忘れていたのだろうか。
そうだったではないか。前の世界に召喚された時、最初は闘う事に拒否感を持っていたけれど。
自身が強くなっていくのに比例して、誰かと闘う事が好きになっていたではないか。
新たな技を覚えた喜び、実戦で上手くいった嬉しさ。強敵を打ち倒した達成感に、仲間達と強さを競い合う楽しさ。
どれも、あの世界で手に入れた俺の大事な感情だ。
確かに、今でもスローライフを目指しているのは変わらない。
しかし同時に、俺は強敵と闘う事が好きなのだ。
……俺も、シオンの事を笑えないな。
本質的に、俺はあいつと殆ど同じなのだろう。
俯いて肩を震わせていると、戸惑い気味なツバキの声が脳内に響く。
《しゅ、主君? もしや、どこか傷でも開いたのか?》
「く、くくっ……い、いや。なんでもない。心配かけて悪いな」
「あ? なにブツブツと言ってんだ?」
どうやら、思わず口に出していたらしい。
怪訝な声色のバルフに、俺は顔を上げて獰猛な笑みを向ける。
身体から覇気を迸らせ、室内の至る所に亀裂を走らせていく。
場にいる全員から視線が集まる中、思わずといった様子で尻尾を逆立てていたバルフが。
「ク、ククッ……クハハハハハハッ! オイオイオイどうしたよぉっ! さっきまでのテメェとは大違いじゃねぇか!」
「ちょっと昔を思い出しただけだ。それより、第二回戦を始めようか」
「クハッ! いいぜいいぜ! さっさと続きをやろうぜぇ!」
クリスティア達の様子も気になるが。
今は、今だけはこいつとの闘いに没頭したい。
他の雑音は無視して、俺はバルフだけに意識を集中していく。
全身から荒々しい殺気を放ち、愉悦を含んだ口許をギラつかせ。
爛々と輝く瞳でこちらを射貫くバルフは、尻尾を揺らしながら脚を強く踏み抜き。
「ハッハァッ!」
「来いッ!」
俺は半身になってベリシュヌを構え、バルフの攻撃を迎え撃つのだった。
「はぁ……はぁ……」
──あれから、どのぐらいの時が経っただろうか。
数十秒か、数分か、はたまた数時間か。
時間感覚が曖昧になるほど集中していた俺は、ふと意識が広がるのを感じた。
前には全身から血を流すバルフがおり、ふらつく脚で構えている。
片耳が斬り飛ばされ、右腕からは大量の血が噴きだしていた。
対して、俺は身体中に打撃を食らい、左腕が折れ曲がっている。
アバラ骨にもヒビが入っており、意識を繋ぐのに精一杯だ。
流石に、三連戦からのこの闘いには堪えたな。
正直、この後に控えているトワとの戦闘を考えると、気が滅入ってしまう。
「ククッ……もう死にそうじゃねぇか」
「そういうお前も随分と顔色が悪いぞ」
「みてぇだな。……どうやら、お互いにもう限界らしいな」
不本意だが、バルフと同意見だ。
左腕だけで構えるバルフからは、先ほどまでの威圧感がなかった。
目の焦点がズレているし、大きく息を乱している様子は弱々しい。
しかし、青白い表情には力強さが宿っており、とても満身創痍には見えないだろう。
《主君! 気が付いたのか!? 妾の声が聞こえておるかの?》
『あ、ああ。さっき意識が戻った』
《ほっ……良かったのじゃ。先から妾が声を掛けても主君が全く反応しなくての。妾も困っておったのじゃ》
『心配かけて悪いな』
《本当にの! 主君にはまだ次の闘いが残っておるのじゃぞ? もちろん、妾としても血肉が湧き踊る素晴らしき戦闘じゃったが、流石に今の闘いは無謀じゃったぞ》
呆れを滲ませたツバキの声に、俺は申し訳ない表情を浮かべるしかなかった。
全く、ツバキの言う通りだ。
いくら昔を思い出したとはいえ、戦闘に没頭してしまうとは。
らしくないミスをしてしまい、結果としてかなり意識がまずい状態。
……さっさとこいつを倒すしかないな。
悲鳴を上げる身体に叱咤を入れた俺は、ベリシュヌに今まで以上の魔力を込めていく。
刃全体が真紅の輝きを放ちはじめ、現れた赤黒い波紋が波打つ。
「次の攻撃で、終わりにしよう」
「構わねぇぜ。……テメェをぶっ飛ばして、オレは更なる高みへ行く」
「いや、お前はここで終わりだ」
バルフは鋭い牙をギラつかせて、左拳を握り込む。
膝を曲げて尻尾を揺らしながら、黄緑色の瞳を光らせてこちらの隙を窺っている。
対して、俺は目を瞑って視覚を閉ざす。
静かに意識を集中していき、バルフの気配を感じ取る。
辺りの喧騒が聴こえなくなり、どこか不思議な感覚が伝わった。
《──》
ツバキが何か語りかけてくるが、それも耳に入らない。
今感じているのは、ただただ己の身体から湧き上がるモノ。
右手に握るベリシュヌと俺の魔力が共鳴するように高まっていく。
目を閉じていても、バルフの状態が手に取るように理解できる。
「──!」
遠くの方で、バルフの声が聞こえた気がした。
時間が幾重にも引き伸ばされたのか、酷く遅緩な動きでこちらへと駆け寄っている。
対して、俺は一つの行動を自然と開始した。
頭に思い浮かんだ複数の魔方陣を周囲に描き、自分の身体を包み込ませる。
暗くなった視界を照らす、温かな蒼い光。
脳内で欠けたパズルのピースがハマった錯覚を抱いた瞬間、俺はある確信を持って一つの呪文を紡ぐ。
「〈空之掌握〉」
直後に突いたベリシュヌから、肉を穿つ感触を覚えた。
目を開けた俺の視界には、バルフの背中が映る。
捻ってベリシュヌを回し、引き抜く勢いでそのまま蹴飛ばす。
バルフは抵抗しないまま転がっていき、やがて仰向けになった所で動きを止めた。
《む、むむ、むむむ?》
「ガ、ハァ……ク、ククク」
「ふぅ……気分はどうだ?」
強い疑問の声を上げるツバキを無視して、俺は焦点の合わないバルフの顔をのぞき込む。
小さな笑い声を零していたバルフは、虚ろな目のまま口を開く。
「よくわからねぇ……がよぉ……オレは負けたんだな」
「ああ。お前の腹に見事な穴が空いてるぞ」
「そうかァ……ク、クク……クハハハハハハハハッ!」
身体から溢れる鮮血を気にする事なく、口許からも大量の血を垂らしながら。
壊れたレコードのように、バルフは哄笑を上げはじめた。
意外と元気なその姿に、思わず俺は呆れた表情を浮かべてしまう。
「なんで笑ってるんだよ?」
「ハハハハゴボッ、ゴホッ。んなの面白れぇからに決まってんだろ! ここまで楽しかった闘いは初めてだからなァ!」
「そうかい、そりゃ良かったな……さて、遺言は?」
ベリシュヌの切っ先を向けて尋ねると、バルフは暫し悩むように沈黙した後。
「……一つだけ、ある」
「聞くだけ聞いてやる。言ってみろ」
「ありがとよ。……オレの部下どもは見逃してくれねぇか?」
「いや、襲ってきたら返り討ちにするぞ?」
「ああ、それは構わねぇ。だが、オマエからアイツらを殺そうとはしないでくれ。それだけでいい」
「それならまぁ、構わない。俺も自分から殺しにいきたいとは思わないし」
「なら、いい。……もう、オレに言い残す事はねぇ。殺せ」
そう告げたバルフは、瞳を閉じて全身から力を抜いた。
大の字で無抵抗を晒すその心臓に、俺はベリシュヌを突き刺す。
ビクンと動く身体を見て、無意識に言葉を滑らせる。
「お前との闘い、結構楽しかったぞ」
俺の声が届いていたのか。
バルフは僅かに口角を上げた後、それっきり動かなくなかった。
ベリシュヌを抜いて血糊を拭い、俺はぶり返す痛みに顔を歪ます。
なんとかバルフは倒せたとはいえ、今の状態だとまずいな。
このままではクリスティア達の足を引っ張ってしまう。
……そういや、さっきからクリスティア達の戦闘音が聴こえないな。
思わず顔を上げて振り返った俺は、ある光景に目を見開く。
「なっ……!?」
そこには、全身から煙を噴きだして倒れ伏すクリスティアに、力なく壁にもたれかかるココの姿があるのだった。




