閑話 第四話 クリスティア・前編
──クリスティアにとって、春斗は己の全てとなった。
クリスティアは、ベリティエ家の長女として誕生した。
初めての子供という事もあり、ベリティエ家の家族全員から祝福された誕生だったが、それもクリスティアの髪色を見るまでであった。
本来、ベリティエ家の家系では紅髪で産まれるのが常識とされている。
他家から嫁いできた人や使用人達を除いて、ベリティエ家で紅髪以外はいない。
当然、クリスティアも紅髪を持って産まれると思われていたが、産まれてきたのは氷を連想させる藍髪。
瞳の色もルビーのような鮮やかな紅色ではなく、サファイアのような深い蒼色。
そんなベリティエの異端児として産まれたクリスティアは、家族からだけではなく使用人達からの風当たりも悪かった。
愛情を注がれないのは当たり前として、食事は最低限で貴族での嗜みである乗馬や、家庭教師から受ける勉強もなかったのだ。
ただ、クリスティアにとって幸運だったのは、ベリティエ家が他の貴族より良心的だった事だろう。
欲深い貴族の家だった場合、最悪奴隷として売られていた可能性もあった。
そんな育児放棄一歩手前な状態で、クリスティアは成長していくのだった。
「──えっと、これは……こうで……こうかな?」
五歳となったクリスティアは、自発的に書庫に行って勉強をしていた。
クリスティアが一人でも行動できるようになった時から、粗末な部屋に押し込まれて使用人達からも煙たがられてたので、誰かに勉強を習う事ができなかったのだ。
他人の言葉を一生懸命聞いて辞書を引いて調べる。
そんな生活を続けていたからか、クリスティアはその歳では珍しいほどの知識を身につけていた。
皮肉な事に、幼少の頃からその才能の片鱗を見せていたクリスティア。
もし、クリスティアが異端児として産まれなければ、その才能を活かして素晴らしい貴族の当主になっただろう。
「……できたっ」
無事に悩みを解決できたのか、クリスティアは満面の笑みを浮かべて本を閉じた。
そのままクリスティアが本を本棚に戻して別の本を取ろうとした瞬間、書庫の扉が大きな音を立てて開かれる。
その音に振り向いたクリスティアの目に入った光景は、瞳を輝かせている自分と同じ歳ぐらいの女の子だった。
「──おねえさま!」
「わっ、どうしたのマリレーヌ?」
勢いよく飛びついたマリレーヌを抱きとめ、クリスティアが首を傾げて尋ねた。
その問いかけにも、マリレーヌはニコニコと楽しそうに微笑むのみ。
どうやら、マリレーヌはクリスティアと会えた事がとても嬉しいようだ。
「ごほんをよんで?」
「うん、いいよ。どれを読みたい?」
「えっと……これっ!」
クリスティアから離れたマリレーヌは、本棚から一冊の本を取り出す。
『淑女の言葉遣い・ですわ編』という題名の本を見て、クリスティアはマリレーヌの選択に苦笑いしている。
どうやら、マリレーヌはこの本を読む事が最近のお気に入りなようで、クリスティアに読んでもらう時は大体このシリーズだった。
「じゃあ読むよ?」
「うんっ!」
「えっと、淑女として──」
書庫に置いてあった椅子に隣り合あわせで座り、クリスティアの朗読にマリレーヌは楽しげに身体を揺らしながら耳を傾けていく。
暫しの間、クリスティアの静謐な声が書庫に響き渡っていたが、再び入口の扉が開かれた事で朗読が中断されてしまった。
書庫の扉を開けたのはベリティエ家で働く使用人で、マリレーヌを見つけた彼女は慇懃な礼をする。
「マリレーヌ様。当主様が御呼びです」
「えー、もうちょっと」
「なりません」
「……はぁい」
使用人の言葉にマリレーヌな残念そうに呟きを漏らし、椅子から飛び降りてクリスティアに向き直った。
本を閉じて膝に置いたクリスティアも、背筋を伸ばして真っ直ぐマリレーヌを見つめる。
「ごほんをよんでくれてありがとう、おねえさま。またよんで!」
「うん。頑張ってねマリレーヌ」
「ばいばい!」
名残惜しそうに何度も振り返りながら、マリレーヌは使用人に連れられて書庫を出ていった。
それを見送ったクリスティアは、一瞥もしなかった使用人の態度を見て悲しげに肩を落とす。
「勉強しても誰も見てくれないのかな……?」
本当は理解している考えに気が付かない振りをしつつ、クリスティアは勉強用の本を取り出すのだった。
クリスティアが十歳を過ぎた頃。
既にマリレーヌとの交流が途絶えたクリスティアは、独りでいつも通りに毎日を過ごしていた。
この頃になるとクリスティアの表情は固くなっていき、幼少の頃のように笑みを浮かべる事もなくなっていたのだ。
表情が変化するとしても、殆どが卑屈な表情や愛想笑い等負の感情。
およそ十歳を越えた幼子がするべきではないその姿に、家族や使用人達が益々不気味がってしまう悪循環。
自分に向けられる嫌な視線に気が付いていたのだが、クリスティアは半ば諦めてこの現状を受け入れていた。
「……はぁ」
憂鬱そうにため息を零しつつ、クリスティアは廊下を俯いて歩いていく。
今日の勉強の分が終わったので、クリスティアは自分の部屋に戻るために向かっているのだ。
平民としては上質だが貴族としては粗末な服を揺らしながら、誰とも目を合わせないように歩んでいると、不意に前方からマリレーヌがやってくるのにクリスティアは気が付く。
「あ……」
思わずといった様子で声を漏らしたクリスティアに対して、マリレーヌは数瞬顔を歪めてから何事もなかったように視線を逸らす。
視線を逸らされて辛そうに顔を俯かせるクリスティアを通り過ぎ、マリレーヌは使用人達を引き連れて去っていった。
「……部屋で休もう」
気を取り直して顔を上げたクリスティアは、重い足取りで自分の部屋に向かうのだった。
クリスティアが十五歳を越える頃になると、負の感情すら表に出さない人形のような面立ちになっていた。
侮蔑の眼差しを送られても全く気にせず、陰口を叩かれても堪えた様子も見せない。
当然、そんなクリスティアの様子に周囲は気味悪がるのだが、当の本人は特に傷ついた素振りをしなかった。
現在、周囲から氷の人形と揶揄されていたクリスティアは、マリレーヌに呼び出されて彼女の部屋にいた。
何者も映さない空虚な瞳で佇むクリスティアに対して、マリレーヌはイライラした様子で扇子を開け閉めしている。
「貴女は城の使用人として雇われる事になりましたわ」
「かしこまりました」
「……反論しないですの?」
「特に何もありません」
「そう……」
マリレーヌは椅子に座ったままクリスティアを見上げ、やがて視線を逸らして脚を組み替えた。
開いた真紅色の扇子で口許を隠しながら、マリレーヌは目を伏せて暫し考え込む仕草をする。
それに対して、次の言葉が出るまで無表情で待機しているクリスティア。
十年の月日でここまで心の距離が離れるとは、当時のクリスティア達は思いもしなかっただろう。
「まあいいですわ。とにかく、クリスティアは直ちに荷物を纏めて登城しなさい」
「かしこまりました。では、私はこれで」
「──クリスティア!」
その言葉に頭を下げて踵を返したクリスティアは、マリレーヌから掛けられた声にドアノブから手を離して振り向く。
何故かマリレーヌは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべており、その姿にクリスティアは疑問を感じて首を傾げる。
やがて、手に力を入れているマリレーヌがため息をつき、嫌な音を鳴らしていた扇子を閉じてクリスティアに目を向けて口を開く。
「ふぅ……なんでもありませんわ。呼び止めて申し訳ないですの」
「いえ。それでは失礼しました」
「──これでお姉様を守れる」
扉が閉じる瞬間にマリレーヌの安堵の声が聞こえたが、クリスティアはそれを幻聴だと思ったのか、何事なかったように足を進める。
唐突に変わる環境にも眉一つ動かさず、クリスティアは淡々とした足取りで部屋に戻っていくのだった。




