地下室の三節棍と、先生の演武
地下室の三節棍と、先生の演武
休日の午前中。学校の授業がない日。
太陽が南の空に昇り始めた頃、加藤真守は、マイホームの地下室へと足を踏み入れていた。
この家は、三十五年のローンを組むにあたり、真守の趣味と実用性を兼ねて地下室を設けてある。本来ならカラオケや筋トレ器具を置くための防音室であり、災害時の免震シェルターとしても機能する頑丈な空間だ。
段ボール箱を開け、地球から持ち込んだ荷物の整理をしていると、奥から細長い黒い布袋が出てきた。
「……三節棍、か。懐かしいな」
布を解くと、金属製の鎖で三つに連結された樫の木の棒が現れた。表面は使い込まれて黒光りしている。
真守の武術のベースは、相手の力を利用して制圧する『合気道』である。だが、武器術として彼が修めていたのは、剣でも槍でもなく、この三節棍だった。
その理由は、この武器の軌道が「直線的ではない」ことにある。
三つの関節を持つ三節棍は、軌道が極めて不規則であり、使いこなすには高度な空間把握能力と遠心力、慣性モーメントの瞬時な計算が必要となる。相手の盾の裏や、鎧の隙間を縫うように回り込んで打撃を与えるその特性は、数学的な物理演算を得意とする真守の頭脳と、これ以上ないほど相性が良かったのだ。
「少し、身体を動かしておくか」
真守は三節棍を手に、リビングを抜けて庭へと出た。
日差しを浴びる南向きの庭先では、リーザとキャルルが『居残り補習』という名の草むしり(家庭菜園の雑草取り)をさせられていた。
「あ〜ん、泥でジャージが汚れちゃいますわ〜。どうして気高き人魚姫にしてトップアイドルの私が、こんな肉体労働を……ブツブツ」
「文句言わないのリーザちゃん。これもマモル先生の美味しいお昼ご飯のためだよ」
「ハッ! そうでしたわ! 今日はふっくらジューシーなハンバーグだと聞いております! 雑草ごとき、私の敵ではありませんわーっ!」
雑草を親の仇のように引き抜き始めた二人を見て、真守は苦笑しながら庭の開けた場所へ歩み出る。
軽く首と手首を回し、準備運動を始めると、二人も草むしりの手を止めてこちらに注目した。
「マモル様、それはなんですの? 長い木の棒が三つに折れて……?」
「三節棍という武器だ。ちょっと身体を訛らせないためにな。お前らは草むしりを続けてろ」
「はーい!」
そう返事をしたものの、二人の視線は真守の持つ奇妙な武器に釘付けになっていた。
真守はゆっくりと呼吸を整える。
深く息を吸い、丹田に落とす。
次の瞬間、真守の雰囲気が一変した。
温厚な『オカン』や『先生』の顔から、一切の感情と隙を排した『武道家』のそれへ。
ビュンッ!!
静寂を切り裂き、鋭い風切り音が鳴り響いた。
真守の腕の振りから生み出された力は、一つ目の棒から鎖を伝わり、二つ目、三つ目の棒へと加速しながら伝播していく。
バチィッ! という破裂音が空気を叩いた。
三節棍の先端が、常人では目で追えないほどのスピードで空間を走る。
ただ力任せに振り回しているのではない。真守の頭脳は、棍の重心、角速度、遠心力、そして目標地点への到達時間をミリ秒単位で演算していた。
踏み込み、転換し、身を沈め、跳ねる。
合気道の流麗な足捌きと、三節棍の予測不能な乱舞が見事に融合している。
敵の攻撃を受け流す円運動の直後、相手の死角へ回り込んで打ち砕くための、複雑怪奇な三段曲がりの軌道。
「ふっ!」
短い呼気と共に放たれた最後の一撃は、庭の端にある太い切り株の数ミリ手前で、ピタリと静止した。
もし当たっていれば、切り株など容易く粉砕するほどの運動エネルギーが込められていたことは明白だった。
真守がスゥッと息を吐き、残心をとって構えを解くと、庭に再び静寂が戻った。
「「…………」」
リーザとキャルルは、口をぽかんと開けたまま、持っていた雑草をポロリと地面に落としていた。
「どうした? 草むしりは終わったのか?」
真守がいつもの調子で声をかけると、二人は弾かれたようにビクッと肩を揺らした。
「す、凄いわ、マモルさんっ♡」
キャルルが、ウサギの耳をピンと立たせて、興奮気味に駆け寄ってきた。
「あんな動き、見たことない! 魔法も闘気も使ってないのに、棒の先が消えて見えたよ! あんなの、どんな達人でも絶対に避けられないわ!」
元・近衛騎士隊長候補であるキャルルは、真守の武の完成度が、ただの素人のものではないことを正確に見抜いていた。
「流石私のマモルP♡ お料理とお掃除と計算だけじゃなくて、棒振りまでプロフェッショナルですのね! これならどんな悪党が来ても、一生私を守って養ってくれますわーっ!」
リーザが泥だらけの手で足元にすがりついてくる。
「汚い手で触るな。だから養わないって言ってるだろ。それに、ただの体操だ」
真守は三節棍を折りたたみながら、呆れたように言った。
しかし、キャルルの興奮は収まらなかった。
レッドボアを一撃で沈めた時も驚いたが、今の演武を見て確信したのだ。
この男は、本物の『強者』だ。しかも、異世界の力(魔法やステータス)に一切頼らない、純粋な技術と理の結晶。
「マモルさん!」
キャルルは、真守の両手をガシッと握りしめ、上目遣いで懇願した。
「お願いがあります! 私と一緒に、村の『自警団』の訓練所に来て下さい!」
「自警団? なんで俺が」
「ポポロ村は三国が交わる緩衝地帯だから、はぐれ魔物や野盗がよく出るの。自警団のみんなも一生懸命やってくれてるんだけど……どうしても実力不足な子や、逆に血の気が多すぎて力任せに戦っちゃう子が多くて……」
キャルルは、真守の目を見つめて熱く語る。
「マモルさんのその『技』と『教え方』なら、きっとみんなの力になってくれると思うんです! どうか、お願いしますマモル先生!」
「……俺は数学の先生であって、兵法の指南役じゃないんだが」
「そこをなんとか! どうしてもマモルさんを、みんなに紹介したくって!」
真守の袖を引っ張り、ウサギの耳をぺしょんと垂らして頼み込むキャルル。
一方、リーザは「マモルPが自警団の偉い人になれば、お給料も弾んで、毎日ステーキが食べられますわね!」と横で邪悪な笑顔を浮かべている。
真守は小さくため息をついた。
(まあ、この村の治安が悪化すれば、俺の家の平和も脅かされる。自衛の意味でも、村の戦力は底上げしておいた方が合理的か……)
「分かった。見学と、俺にできる範囲の助言くらいならしてやる。ただし、期待しすぎるなよ」
「やったぁっ! ありがとうございます、マモル先生!」
キャルルは嬉しさのあまり、真守に抱きつきそうになるのをぐっとこらえ、その場でピョンピョンと跳ね回った。
こうして、家庭菜園と教壇を愛する数学教師は、キャルルに手を引かれて異世界の自警団へと顔を出すことになった。
だが、血気盛んな異世界人たちが、得体の知れない人間の『先生』の言葉を素直に聞き入れるはずもなく――真守の前には、面倒なトラブルメーカーが待ち受けていたのである。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
「三節棍×物理演算=最強」
「マモル先生、文武両道すぎる」
「リーザの目的が常にブレなくて草」
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次回、第8話「鼻息の荒い竜人」!
自警団でイキり散らす竜人族に、マモル先生が対峙します。お楽しみに!




