異世界での再就職と、大きすぎる生徒たち
異世界での再就職と、大きすぎる生徒たち
翌朝。
加藤真守の朝は早い。
午前五時半に起床し、洗面所で顔を洗うと、まずは庭に出て家庭菜園の土の様子を確認する。
「よし、日当たりも水はけも問題ない。ホームセンターで買っておいたトマトとナスの苗を植えるには丁度いいな」
三十五年のローンを組んだ我が家で、朝日を浴びながら土いじりをする。これぞ彼が夢見ていた平穏なスローライフである。
一仕事終えてリビングに戻り、IHキッチンで朝食の準備を始める。
昨日の残りの味噌汁を温め直し、フライパンで目玉焼きを焼き、炊飯器の保温ボタンを切って白米を茶碗によそう。
出汁の香りが家中に漂い始めた頃、二階の客間からドタドタと騒がしい足音が聞こえてきた。
「ふぁぁぁ〜……おはようございますわ、マモル様……。何かものすごく良い匂いが……」
目をこすりながら階段を降りてきたのは、芋ジャージ姿のリーザだ。昨晩、ふかふかのベッドの魔力に完全に敗北し、ヨダレを垂らしながら爆睡していたのを真守は知っている。
「おはよう。顔を洗ってこい、朝飯にするぞ」
「はいっ! すぐに行きますわ!」
朝食という単語を聞いた瞬間、リーザは目にも留まらぬ速さで洗面所へと消え、三分後にはダイニングテーブルの前に正座していた。
そこへ、玄関のチャイムがピンポーンと鳴った。
「こんな朝早くから誰だ?」
真守がドアを開けると、そこには安全靴にスポーティウェア姿のキャルルが、少し申し訳なさそうに立っていた。
「おはよう、マモルさん。あの……昨日の生姜焼きのお肉の匂いが、村の端っこまで漂ってきて……その、私、まだ朝ご飯食べてなくて……」
ウサギの耳をペタンと寝かせ、上目遣いでお腹を押さえている。
嘘である。どんなに良い匂いでも、気密性の高い現代住宅から村の端まで匂いが届くわけがない。完全にタダ飯を狙ってきている。
「……ちょうど三人分作ったところだ。上がってくれ」
「わぁっ! ありがとうございます!」
結局、真守は二人の異世界美少女を相手に、オカンよろしく目玉焼き定食を振る舞うことになった。
「黄身が半熟ですわーっ! お醤油を垂らしてご飯に乗せると、もう最高ですうう!」
「美味しい……! マモルさんのご飯、本当に美味しいよぉ!」
パクパクと嬉しそうにご飯を頬張る二人の姿を見ていると、真守としても悪い気はしない。
食後、真守はコーヒーを淹れながら、ふと本題を切り出した。
「ところで、キャルル。村長に相談があるんだが」
「ん? なんですか?」
口の端に目玉焼きの黄身をつけたまま、キャルルが小首を傾げる。
「いくら家があるとはいえ、俺もこの村の住人になったんだ。税金や生活費を稼ぐために、何か仕事をしたいと思ってな」
その言葉に、キャルルはパッと表情を明るくした。
「本当ですか!? マモルさんが村のために働いてくれるなら、凄く助かります! でも……マモルさんは地球で何をしていたの? 何か得意な事はある?」
真守はコーヒーカップを置き、淡々と答えた。
「俺は、公立中学校で『数学の教師』をしていたんだ」
「すうがくの、きょうし……?」
「簡単に言えば、数字の計算の仕方とか、図形の面積の求め方とかを、子供たちに教える仕事だ」
瞬間、キャルルのウサギ耳がピンッと直立した。
「先生! 凄い!」
キャルルは身を乗り出し、真守の手をガシッと握りしめた。
「ぜひ、ポポロ村の子供達に教えて下さい! この村には、読み書きや計算を教えられる人が全然いなくて、いつもニャングルが商人仕事の合間に少し教えてるくらいなんです。マモルさんが『先生』になってくれるなら、これ以上ない適任です!」
「なるほど。そういうことなら、俺の専門分野だ」
教育という言葉に、真守の血が少しだけ騒いだ。
人にモノを教えることは嫌いではない。むしろ、彼の天職だ。
「よし、引き受けよう。さっそく今日からでも構わないぞ」
「やったーっ! ありがとうございます、マモル先生!」
* * *
数時間後。
ポポロ村の広場にある、集会所を兼ねた木造の大きな建物。そこが臨時の『学校』となっていた。
真守は、異世界に来て初めて、教師らしくワイシャツの第一ボタンを締め、ネクタイを締めて教壇に立った。
目の前には、獣の耳を持った子供や、人間の子供たちが十数人、床に敷かれたござの上に座っている。
「静かに。今日からお前たちに算数と数学を教える、加藤真守だ。『加藤先生』か『マモル先生』と呼ぶように」
真守が低く落ち着いた声で言うと、子供たちはピンと背筋を伸ばした。
合気道四段の達人から発せられる、無意識の『気』と『教師特有の威圧感』が、騒がしい異世界の子供たちを一瞬で大人しくさせたのだ。
「まずは、足し算と引き算の復習、それから面積の考え方について教える」
真守は黒板代わりの大きな木の板に、白墨(チョークのような石)でカツカツと図形を描いていく。
無駄のない流麗な板書。
そして、生活に密着した分かりやすい例え話。
「いいか、リンゴが三つある。そこへ、畑で二つ追加で収穫した。合計はいくつか? そう、五つだ。では、この縦三メートル、横四メートルの畑の面積はどうなる? 縦と横をかければ答えが出る」
真守の授業は、ただ暗記させるのではなく、理屈を根本から理解させる『数学的思考』の育成だった。
最初は戸惑っていた子供たちも、真守の魔法のように分かりやすい解説に、次第に目を輝かせて引き込まれていく。
「あ、わかった! 十二だ!」
「すげえ! マモル先生、すげえよ!」
「正解だ。よくできたな」
真守が少しだけ微笑んで褒めると、子供たちは嬉しそうにパァッと顔をほころばせた。
教室の後ろで様子を見ていたニャングルも、腕を組んで感心したように頷いている。
「ひえ〜……。あいつ、ただの家持ちの坊ちゃんや思とったけど、教え方が上手すぎるで。計算の無駄のなさは、ワテら商人顔負けや。……こりゃ、村の帳簿の計算も手伝わせられそうやな」
金の亡者らしい打算を巡らせているが、その目には確かな敬意が宿っていた。
「よし、じゃあ黒板に書いたこの問題が解けた奴から、今日の授業は終わりだ。昼休みにするぞ」
真守がチョークを置くと、子供たちは一斉にノート代わりの石板に向かい、真剣な顔で計算を始めた。
その光景に、真守は教師としての充実感を感じながら、ふと視線を最前列へと落とした。
「…………ん?」
最前列。
子供たちが座る小さな木箱の椅子に、なぜか明らかにサイズの合わない『大きな生徒』が二人、窮屈そうに膝を抱えて座っていた。
「マモル先生! 解けましたわ! 答えは百二十五です!」
「私も解けたよ、先生! これで合ってますか!?」
芋ジャージ姿のリーザと、安全靴を履いたキャルルである。
二人は石板を頭の上に掲げ、尻尾やウサギ耳をちぎれんばかりに振りながら、真守に向かってキラキラとした熱視線を送っていた。
「……お前ら、何やってるんだ」
真守はこめかみを押さえ、低く冷たい声で突っ込んだ。
「だって! 教壇に立ってるマモル先生、すごく知的でカッコいいんだもん!」
キャルルが頬を赤く染め、両手をモジモジとさせている。
「マモル先生! 私、一番に解けましたわ! これで今日のお昼ご飯は、大盛りおかわり確定ですわね!?」
リーザに至っては、完全に食欲(タダ飯)の延長線上で授業を受けていた。
「お前らなぁ……大人が一番前の席で子供の邪魔をするんじゃない」
「えーっ! いいじゃないですかぁ、先生って呼ぶの、なんだかドキドキするし……♡」
「私にも先生の特別指導をお願いしますぅ!」
真守は深く息を吐き出し、手にした白墨を軽く投げ上げた。
「……はぁ。お前らには、後で『居残り補習』という名の庭の草むしりを命じる。覚悟しておけよ」
「「ひええっ!?」」
厳しくも面倒見の良い『マモル先生』の誕生に、ポポロ村の子供たち――そして二人のポンコツヒロインたちは、すっかり心を奪われてしまったのである。
異世界での再就職は、こうして思いのほか順調(?)な滑り出しを見せたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
「マモル先生、有能すぎる!」
「最前列に陣取るヒロインたち笑」
「リーザの目的がブレなさすぎて好き」
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次回、第7話「三節棍と自警団」!
数学教師マモルが、ついにその『武の腕前』をヒロインたちに披露します! お楽しみに!




