女神とエルフの地獄の農作業
女神とエルフの地獄の農作業
翌朝。ポポロ村に爽やかな朝日が降り注ぐ頃。
加藤真守のマイホームの庭には、絶望に満ちたうめき声が響き渡っていた。
「うぅ……どうして偉大なる世界神の私が、朝の六時から土にまみれて草むしりなんてしなきゃいけないのよぉ……」
ルチアナは、天界のコタツ部屋で着ていたものと同じ、タローマン(ルナミス帝国のホームセンター)で買った安物のエンジ色のジャージ姿で、麦わら帽子を被り、首にタオルを巻いていた。
手には軍手とシャベル。
彼女の目の前には、マモルが丹精込めて育てている『家庭菜園』の畝が広がっている。
「文句を言わない。借金を返すんだろうが。まずはそのプチトマトの苗の周りの雑草を抜け。根っこからしっかりだぞ」
マモルは、ルチアナの頭を背後から丸めたルナミス新聞で軽く小突いた。
「痛っ! 分かってるわよ! あーあ、月人くんの朝の配信が始まっちゃうのに……。手が泥だらけでエンジェル・カードの明細も確認できないじゃないの……」
「確認したところで、残高が減るわけじゃないだろ。手を動かせ」
マモルはルチアナを畑に残し、「俺は朝食の目玉焼きを焼いてくるからな。サボってたら今日の朝飯はパンの耳だけだからな」と冷酷な宣告をして家の中へ戻っていった。
「鬼! 悪魔! オカン!」
ルチアナはマモルの背中に向かってあっかんべーをした後、すぐにシャベルを放り出して、庭の縁側にドカッと腰を下ろした。
「はぁ〜、疲れた。神様って本来、労働しちゃいけない高貴な存在なのよ? ちょっとくらい魔法でパパッと終わらせて……いや、魔法を使うとまたあのオカンに新聞紙で叩かれるし……」
ルチアナがブツブツと愚痴をこぼしていると、縁側の引き戸がガラリと開き、甘い香りと共に一人の少女が現れた。
「あら、ルチアナ様。おはようございますわ♡」
「ん? あー、あんたはたしか、エルフの……ルナ、だっけ」
純白のふわふわドレスを着たルナ・シンフォニアが、天使のような(本物の天使以上に)慈愛に満ちた微笑みを浮かべて立っていた。
「朝早くから農作業、お疲れ様ですわ。ルチアナ様は神様であらせられるのに、自ら土に触れて生命を育むなんて、本当に立派ですのね」
「えっ? あ、あぁ……まぁね! 神様たるもの、たまにはこうして下々の者の苦労を知ることも大事かなーって! おーほっほっほ!」
見栄っ張りのルチアナは、褒められて即座に調子に乗った。
「でも、少しお疲れのようですわね。もしよろしければ、私が少しだけ『植物のお世話』をお手伝いいたしましょうか?」
ルナがエメラルドの瞳をキラキラとさせて提案する。
「え? 手伝ってくれるの?」
ルチアナの頭の中で、悪魔(怠惰)が囁いた。
(このエルフの子に全部やらせて、マモルには『私がやりました!』って報告すれば、タダ飯が食えるじゃない!)
「そ、そうねぇ! 私もちょうど腰が痛くなってきたところだし、ちょっとだけお願いしちゃおうかしら!」
「はいっ♡ お任せくださいませ!」
ルナは嬉しそうに庭へ降り立つと、プチトマトの苗の前にしゃがみ込んだ。
「小さくて可愛い植物さん……マモル様が毎日お水をあげている大切な子たちですわね。もっともっと、大きく元気に育ちますように……♡」
ルナは、両手で優しくトマトの苗を包み込んだ。
そして、純粋な、あまりにも純粋すぎる『善意』と共に、己の内に眠る『世界樹の魔力』を、ほんの少しだけ――彼女の感覚では、コップ一杯分の水をあげる程度の魔力を、苗に注ぎ込んだ。
――ズンッ!!
「……え?」
ルチアナが、足元の地面が揺れたのを感じて間抜けな声を漏らした。
ドドドドドドォォォォンッ!!
次の瞬間、プチトマトの苗が、尋常ではない速度で膨張し始めた。
緑色の茎が鋼鉄の柱のように太くなり、根は庭の土をバキバキと割って地中深くに根を張る。
そして、赤い実が――大玉スイカよりも大きく、バランスボールよりも巨大になり、瞬く間に『家屋サイズ』にまで膨れ上がったのだ。
「な、なにこれぇぇぇぇっ!?」
ルチアナが腰を抜かして悲鳴を上げる。
成長の限界を突破し、世界樹の魔力によって変異を起こしたプチトマトは、もはや植物ではなく『怪獣』と化していた。
巨大な赤い果肉の塊から、意思を持った太いツル(触手)が何本も生え、周囲のものを薙ぎ払おうと暴れ始めたのだ。
「うふふ♡ ルチアナ様、見てくださいませ! こんなに大きくて立派なトマトに育ちましたわーっ!」
ルナは、触手がビュンビュンと飛び交う危険地帯のド真ん中で、両手を叩いて無邪気に喜んでいる。彼女には世界樹の加護があるため、トマトの触手は彼女を避けて動いているのだ。
「いや喜んでる場合じゃないでしょ! バケモノよこれ! マモルの家が潰されちゃうわーっ!」
「あら? 元気が良すぎますわね……? 少し落ち着いて――」
バンッ!
リビングの窓が勢いよく開き、フライパンを持ったマモルが飛び出してきた。
「お前ら! 俺の畑で何をやってるんだ!!」
「マ、マモルーっ! 助けてぇ! 私じゃないわよ! このサイコパスエルフがいきなりトマトを巨大化させたのよ!」
ルチアナがマモルの足元にスライディングで逃げ込んでくる。
「マモル様! 見てください、大豊作ですわーっ♡」
ルナが笑顔で手を振っている背後で、家屋サイズの怪獣トマトが「ブシュァァァッ!」と高圧のトマトジュース(酸性)を吐き出し、アルミフェンスを溶かそうとしている。
「……はぁ。本当に、一秒でも目を離すとこれだ」
マモルは深く、深くため息をつき、フライパンを縁側に置いた。
そして、腰に差していたネギオ特製の『超合金三節棍』と、物置から取り出したタローマン製の『高枝切りバサミ(柄が3メートル伸びるやつ)』を両手に構えた。
「ルチアナ、下がってろ。ルナ、お前は後で説教だ」
「えっ? 説教、ですか……?」
マモルは、一切の恐怖を見せず、ゆっくりとした足取りで怪獣トマトへと向かっていった。
シュガァァァッ!
怪獣トマトが外敵を認識し、極太のツルをムチのようにしならせて、音速で叩きつけてくる。
大木すらへし折るその一撃。
だが、マモルの理系脳は、その軌道と質量を瞬時に演算していた。
「直線的な攻撃は、重ければ重いほど隙ができる」
マモルは半身を開き、ツルの直撃をわずか数ミリの体捌きで躱す。
と同時に、左手の三節棍をツルの側面に滑らせるように当て、運動エネルギーのベクトルを上空へと反らした。
ズゴォォォォンッ!!
ツルはマモルの頭上を通り抜け、虚空を叩いて盛大に空振りする。
「今だ」
怪獣の体勢が完全に崩れ、巨大な赤い果肉の中心――最も栄養(魔力)が集中しているヘタの付け根が、無防備に晒された。
「教育的指導(剪定)だ!!」
マモルは大地を蹴り、合気道の踏み込みの力を、右手に持った高枝切りバサミへと全集中させた。
タローマン製のただの園芸用品。だが、超絶的な技量と物理法則の最適化(ベクトルの一致)によって、その切れ味は名刀をも凌駕する。
シャキィィィィィンッ!!
銀色の刃が閃き、怪獣トマトの巨大なヘタの根元を、見事なまでにスッパリと両断した。
「ブ、ブシュルルルル…………ッ」
魔力の供給源を断たれた怪獣トマトは、断末魔の果汁を吹き出しながら、その場にドスーンッと崩れ落ちた。
太いツルは枯れ枝のようにポロポロと崩れ、後には、家屋サイズの巨大な『完熟トマト(食用)』だけがゴロンと残された。
「……ふぅ。今夜はミネストローネだな」
マモルは高枝切りバサミの刃を拭い、三節棍を腰に収めた。
「す、すごい……マモル、ただの人間なのに、あんなバケモノを一撃で……」
ルチアナが腰を抜かしたまま、ポカンと口を開けている。
「流石はマモル様! お見事な収穫ですわーっ♡」
ルナは両手を叩いて、まだ自分のしでかした事の重大さに気づいていない。
マモルは、ゆっくりと二人の前に歩み寄り、腕を組んだ。
そして、極めて冷徹な、絶対零度の『オカンの目』で見下ろした。
「……ルチアナ。ルナ。和室へ来い」
「「えっ?」」
* * *
三十分後。
マイホームの一階和室(客間)。
畳の上に、ジャージ姿の女神と、ドレス姿の次期エルフ女王が、並んで綺麗に正座させられていた。
二人の前には、丸めたルナミス新聞を持ったマモルが、仁王立ちしている。
「いいか、お前ら」
マモルの低く、静かな声が和室に響く。
「ルチアナ、お前は労働の義務を放棄し、他人の善意につけ込んでサボろうとした。これは社会人として、いや、借金を返す人間の態度として最低だ」
「うぅっ……ごめんなさい……」
「そしてルナ。お前は『善意なら何をしてもいい』という、最も危険な思想を持っている」
「で、ですがマモル様! 私はただ、植物さんを元気に……!」
ポカッ。
マモルは新聞紙でルナの頭を軽く叩いた。
「生態系の破壊だ。お前がやったことは、自然の摂理を無視したドーピングだ。もしあれが畑の外に逃げ出していたら、ポポロ村の家屋が潰され、怪我人が出ていたかもしれないんだぞ」
「あ……」
ルナの瞳が、少しだけ揺れた。
彼女は自分の『善意』が、他者にとって『災害』になり得るという事実を、マモルの論理的な言葉で初めて明確に突きつけられたのだ。
「結果オーライで済まされる問題じゃない。コンプライアンス(法令遵守)と、リスク管理を徹底しろ。世界樹の魔力は、家庭菜園にはオーバースペックすぎる」
マモルは深いため息をつき、新聞紙を下ろした。
「……反省したか?」
「は、はい……。私、自分の力がどれほど危険か、少し分かった気がします……」
ルナがシュンとして頭を下げる。
「私も……サボろうとしてごめんなさい……」
ルチアナも涙目で反省の弁を述べる。
「よし。なら、三時間の正座補習はここまでだ。立て」
マモルが許しを出すと、二人は「足が痺れたぁ〜」と情けない声を上げながら畳に転がった。
「罰として、今日の昼飯はあの巨大トマトを使った『トマト尽くしフルコース』だ。お前ら二人で、あのトマトを全部解体してキッチンまで運べ」
「「えええええぇぇぇっ!?」」
庭に鎮座する家屋サイズのトマトを思い出し、二人は絶望の悲鳴を上げた。
こうして、善意の天然サイコパスと、サボり魔のクズ女神は、マモルという絶対的なオカンの管理下で、少しずつ『社会のルール』を学んでいくのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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