丸めた新聞紙の教育的指導
丸めた新聞紙の教育的指導
「いっただっきまーしゅ!」
サケスキーの酔いと寝起きで少し呂律が回っていないルチアナが、目の前に置かれた極上のロックバイソンのステーキにフォークを突き立てようとした、その瞬間。
スパーーーーンッ!!
「あふんっ!?」
ルチアナの頭頂部に、小気味良い破裂音が響き渡った。
フォークはステーキに届く数ミリ手前でピタリと止まり、ルチアナは涙目で頭を抱えた。
「い、痛ぁいっ! な、何すんのよマモル! 神様の頭を叩くなんてバチが当たるわよ!」
「バチならもう当たってるだろうが。お前のそのパチモノのバッグの中にな」
マモルは、手にしていた特製ハリセン――『ルナミス新聞(朝刊)』をガチガチに硬く丸めたもの――を肩でトントンと叩きながら、冷ややかな視線を見下ろした。
「パ、パチモノじゃないわよ! れっきとした『ルナミス・ヴィドーン』よ! ……って、アンタ、まさか中身を見たの!?」
「俺は見てない。リーザが見た。そして、俺に報告してきた。お前がリボ払いの限度額に張り付いて、黒服の回収係に怯えているという哀れな事実をな」
「ヒッ……!」
ルチアナの顔から、サケスキーの酔いが一瞬にして吹き飛んだ。
彼女は慌ててバッグを抱え込み、青ざめた顔でブルブルと首を振った。
「ち、違うのよ! これはその……神の試練というか! あえて自分を厳しい環境に置くことで、世界神としてのモチベーションを……」
「嘘をつけ。第一章の終わりで、キュララの配信のスーパーチャットで荒稼ぎして、借金は一度完済したはずだろ」
マモルが冷徹に問い詰めると、ルチアナは観念したように視線を泳がせた。
「そ、それはそうなんだけど……。完済した直後に、推しの月人くんの『全国アリーナツアー』の開催が発表されちゃって……」
「……」
「全公演のVIP席チケットを押さえて、アクリルスタンドを全種類コンプリートして、さらに『月人くんを紅白に出そう計画』のクラウドファンディングにドカンと課金したら……気がついたら、またエンジェル・カードの限度額が……」
ルチアナは両手で顔を覆い、「推しが尊いのが悪いのよぉぉっ」と咽び泣き始めた。
リビングにいたヒロインたちが、一斉にドン引きの視線を向ける。
「わぁ……。トップ配信者の私から見ても、ちょっと引くレベルの限界オタクね……」
キュララが羽を引いて呟く。
「同情しますわ。でも、推し活は計画的にやらないと、パンの耳すら買えなくなりますのよ」
リーザは聖母のような優しい顔で、うんうんと頷いている。
マモルは、深く、深くため息をついた。
三十五年ローンを抱え、毎日スーパーの特売日をチェックし、家計簿をきっちりつけている彼にとって、ルチアナのような『後先考えない浪費家』は、まさに理解不能の宇宙人である。
「ルチアナ」
「ひっ、はい……」
「お前は、リボ払いの恐ろしさを全く分かっていないな」
マモルは、ルナミス新聞を丸めたハリセンを、黒板の指示棒のように構えた。
彼の顔は、異世界に迷い込んだ青年ではなく、完全に『生活指導のオカン系教師』のそれになっていた。
「いいか。限度額百万円、年利十五%のリボ払いで、毎月最低額しか返済しなかった場合、お前が最終的に払う利息の総額がいくらになるか計算したことがあるか?」
「えっ? えーと……ちょっと多めになるくらい……?」
ポカッ!
「あいたっ!」
マモルはハリセンでルチアナの頭を軽く叩いた。
「甘い。元本の倍近い金額をむしり取られるんだよ! お前は推しに貢いでいるつもりかもしれないが、実際はお前が払った金の半分は、カード会社の高層ビルの家賃と、カスタマーハラスメント部の黒服レスラーのプロテイン代に消えてるんだ!」
「そ、そんなぁ……! 私の月人くんへの愛が、筋肉ダルマのプロテインに……!?」
ルチアナが絶望の表情を浮かべる。
「大体な、見栄を張ってレンタカーの高級車で乗り付けてくるくらいなら、その金を返済に回せ! そもそもお前、神様なんだから空くらい飛べるだろ!」
ポカッ!
「あ痛っ! だ、だって空飛ぶと髪型が崩れるし……!」
「言い訳をするな! 神の威厳を取り繕う前に、家計簿を取り繕え!」
ポカッ!
「ひんっ! ごめんなさい、ごめんなさいぃ!」
丸めた新聞紙による、マモルのリズミカルな折檻が続く。
ダメージは全くない(ただの新聞紙である)のだが、正論という名の物理的なツッコミが、ルチアナのちっぽけなプライドを粉々に打ち砕いていく。
「マモル先生の教育的指導、相変わらず容赦ないね……」
キャルルがウサギの耳をペタンと伏せて呟く。
「でも、あの新聞紙、凄いですわ。神様のオーラごと叩き割ってますの……」
リーザが感心したように見つめている。
マモルは、ルチアナが半泣きになったところで、ようやく新聞紙を下ろした。
「……分かったか。お前は学習能力がなさすぎる。このまま天界に帰せば、また督促状の山に埋もれて、今度こそマグローザ漁船にドナドナされるのは目に見えてる」
「うぅ……助けて、マモル……。私、漁船でカニの身をほじるだけの人生なんて嫌よぉ……」
ルチアナがマモルのスラックスの裾にすがりつく。
「フッ、自業自得だ。だが、俺を異世界に転移させた恩(と借金三十五年ローン)があるからな。見捨てるのは後味が悪い」
マモルは、テーブルに置かれたまま冷めかけているロックバイソンのステーキを指差した。
「タダ飯はない。お前は今日から、このポポロ村で働いて、自分の力で借金を返済しろ。労働の対価としてなら、この家の風呂と飯くらいは提供してやる」
「は、働くぅ!? 私が!? 偉大なる世界神が、人間の村で肉体労働!?」
「嫌なら帰れ。黒服のレスラーにスーツケースに詰め込まれてな」
「やりますぅぅぅっ! 働かせていただきますぅ!」
ルチアナは、即座にプライドをドブに捨てて土下座した。
「マモル様。お困りでしたら、私がその借金、立て替えて差し上げますわよ? 石を金に変えればすぐに……」
横でニコニコと見守っていたルナが、親切心で口を挟もうとした。
「お前は黙ってろ。市場が崩壊する」
マモルは即座にルナのおでこをピシャリと叩いて封殺した。
「よし。ルチアナ、お前は明日から俺の家庭菜園と、村の農作業を手伝え。汗水垂らして働くことの尊さと、一円の重みを、その体に刻み込んでやる」
「うぇぇぇん……鬼! 悪魔! オカン!」
「最後のは悪口じゃないだろ」
マモルはため息をつきながら、ステーキの皿を電子レンジ(魔導加熱器)へと入れ直した。
こうして、借金まみれの駄女神・ルチアナの、ポポロ村での過酷な強制労働の日々が幕を開けたのである。
しかしマモルは、この時まだ予想していなかった。
『クズ女神の労働』と『天然サイコパスエルフの善意』が掛け合わさった時、ポポロ村の農業がどれほどのカオスに見舞われることになるかを。




