底辺の絆と茹で卵
底辺の絆と茹で卵
加藤真守のマイホーム、一階リビング。
わナンバーの高級車で乗り付けてきた女神ルチアナが、ドカッとふかふかのカウチソファの中心に陣取っていた。
彼女は巨大なサングラスを頭の上に乗せ、足を組み、まるで自分がこの家の主であるかのようにふんぞり返っている。
「はー、やっぱりエアコンの効いた部屋は最高ね! 天界の私の部屋なんて、万年コタツしかなくて夏は地獄なのよ。……ちょっと、そこの羽の生えたの! 肩を揉みなさい!」
「ひぃぃっ! やだぁ、なんでトップ配信者の私がこんなババ……ゲフンゲフン、先輩の肩を揉まなきゃいけないんですかぁ!」
「何か言ったかしら?」
「い、いえ! ただいま極上のマッサージを提供させていただきますぅ!」
キュララが涙目でルチアナの肩を揉み始める。
ルチアナは満足げに頷き、キッチンに立つ真守に向かって大声で命じた。
「マモル! とりあえず一番高いお酒! それから、お肉を焼いてちょうだい! 私、最近推しの追っかけで金欠……じゃなくて、神のお仕事が忙しくて栄養不足なのよ!」
「はいはい。今用意しますよ」
真守は、営業用のスマイルを崩さずに頷いた。
そして、冷蔵庫の奥に隠しておいた、ポポロ村の特産品『サケスキー』のボトルを取り出した。米麦草から作られた、度数四十五度を誇る強烈な酒である。
真守は、リビングの端でパンの耳をかじっている『タダ飯人魚』のリーザに視線を送った。
「リーザ、ちょっとこっちへ来い」
「なんですの? マモルP。私の出番ですか?」
「あそこの偉そうな女神の接待をしてやれ。この酒を、相手のグラスが空く前にどんどん注ぐんだ。いいか、絶対に機嫌を損ねるなよ」
真守がサケスキーのボトルを渡すと、リーザの瞳の奥でチャリンッ、と金貨の鳴る音がした。
(ははぁ〜ん。なるほど、分かりましたわ。あのおばさん……いえ、女神様を泥酔させて、お財布からお小遣いを巻き上げろというマモルPの高度な作戦ですのね!)
リーザの貧乏神属性が、邪悪な閃きを受信した。
あの女神が持っているバッグは、どう見ても高級ブランド品だ。酔い潰れた隙に財布をすって中身を少しばかり拝借すれば、タローマートの惣菜を一年分独占できる。
「お任せくださいませ! 私、ルナミス帝国で培ったヨイショの技術には自信がありますの!」
リーザは芋ジャージの襟を正し、満面の笑みを浮かべてルチアナの元へ駆け寄った。
「女神様! 遠路はるばる天界からお越しいただき、誠にありがとうございます! ささ、まずはこの一杯をどうぞ!」
「あら? アンタ、見かけない顔ね。随分とみすぼらしいジャージを着てるけど、気が利くじゃないの」
ルチアナは、リーザが注いだグラスのサケスキーをグイッと煽った。
「ぷはぁーっ! きっつー! でも美味しい! 五臓六腑に染み渡るわねぇ!」
「流石は女神様! 飲みっぷりも美しく、まるで神話のワンシーンを見ているようですわ! ささ、もう一杯!」
「ええ〜? そう? 私ってやっぱり華があるかしら? 仕方ないわねぇ、グビグビ!」
リーザの神がかった接待スキルにより、ルチアナは上機嫌でサケスキーを煽り始めた。
度数四十五度のアルコールが、空腹の女神の胃袋に容赦なく叩き込まれていく。
「だいたいさぁ! 聞いてよジャージの子!」
「リーザと申しますわ! なんでもお聞きしますの!」
「天界のヴァルキュリアって委員長女がさぁ、私のクレカの明細見て5時間も正座説教するのよ!? 推しの月人くんのVIP席チケットなんだから、ちょっとくらい国費から回したってバレないじゃないのよぉ〜! ヒック!」
「そ、そうですわね……(国費横領……?)」
ルチアナの愚痴は止まらない。
ものの三十分でサケスキーのボトルを半分空けたルチアナは、顔を真っ赤にしてソファに倒れ込み、「月人くぅ〜ん、次の新曲も最高よぉ〜……むにゃむにゃ」と、完全に泥酔して寝落ちしてしまった。
「……フッ、チョロい女ですわ」
リーザは、悪党のような笑みを浮かべた。
周囲を確認する。マモルはキッチンで肉を焼いているし、キャルルやキュララはテレビゲームに戻っている。天然サイコパスのルナは、庭の雑草をニコニコと愛でている。
今だ。
リーザは、ルチアナが傍らに放り出していた高級バッグにそっと手を伸ばした。
(ふふふっ、この『ルイス・ヴィトーン』とかいう高級ブランドのバッグ。さぞかし金貨がザクザク入っているんでしょうね……! ……ん?)
リーザの手が止まった。
バッグのロゴをよく見ると、『ルイス・ヴィトーン』ではなく、『ルナミス・ヴィドーン』と書いてある。どう見てもルナミス帝国の露店で売られているパチモノだった。
(ま、まぁ、お金持ちは案外こういうところで節約するものですわ! 要は中身の財布ですの!)
リーザはバッグから、分厚い長財布をそっと抜き取った。
ずっしりとした重みがある。金貨の束に違いない。
ゴクリと息を飲み、祈るような気持ちで財布のジッパーを開けた。
「…………え?」
リーザの動きが、完全にフリーズした。
財布の中に、金貨は一枚も入っていなかった。銅貨すら見当たらない。
代わりに、財布をパンパンに膨らませていたのは、分厚い『紙の束』だった。
リーザは震える手で、その紙の束を広げてみた。
そこには、天界の文字で赤々と、以下のように印字されていた。
『エンジェル・カード キャッシングリボご利用明細』
『お支払い残高:99万8千円(限度額100万円)』
『重要:先月分のお支払いが確認できておりません。至急お振込みください』
『最終督促状:このままお支払いが無い場合、カスタマーハラスメント部より黒服の回収係を派遣いたします』
「…………」
リーザは、その督促状の束を、そっと、本当にそっと財布の中に戻し、ジッパーを閉めた。
そして、パチモノのバッグの中に財布を丁寧にしまい直した。
(……なんということでしょう)
リーザの目から、先ほどまでの邪悪な強欲さが完全に消え失せていた。
代わりに浮かんでいたのは、まるで悟りを開いた聖母のような、底知れぬ慈愛と哀愁の眼差しだった。
この女神は、自分と同じだ。
いや、自分以下かもしれない。
パンの耳をかじり、公園の雑草を茹でて飢えを凌いでいる自分は、確かに貧しい。だが、リボ払いの天井に張り付き、黒服の回収係に怯えるような借金は背負っていない。
レンタカーで見栄を張り、パチモノのバッグを持ち、タダ飯を食うためにわざわざ異世界までやってきた、哀れな見栄っ張り。
「……お仲間、ですわね」
リーザの瞳から、ツーッと一筋の涙がこぼれ落ちた。
底辺には底辺にしか分からない、深く暗い連帯感。
リーザは、自分のジャージのポケットに手を入れた。そこには、今日の彼女の唯一の非常食であり、命綱である『茹で卵』が一つ、大切にしまってあった。
リーザは、その茹で卵を取り出し、ソファで泥酔していびきをかいているルチアナの額に向けた。
コンッ。
「あふんっ!?」
額に軽い衝撃を受け、ルチアナがビクッと目を覚ましかける。
リーザは鮮やかな手つきで茹で卵の殻を剥くと、ぽかんと口を開けているルチアナの口に、それを優しく突っ込んでやった。
「もぐっ……? な、なにこれ……?」
「食べなさいな。タンパク質は、大事ですのよ……」
リーザは、ルチアナの頭を優しく撫でながら、聖母のように微笑んだ。
「無理して見栄を張らなくても、ここは優しいマモルPのお家ですの。いっぱい食べて、明日からまた、一緒に日雇いのバイトでも探しましょう……?」
「は……? アンタ、急になに言って……モグモグ」
ルチアナは状況が理解できないまま、とりあえず口に入れられた茹で卵を咀嚼した。
「おい。何をやってるんだ、お前ら」
キッチンから、こんがりと焼けたロックバイソンのステーキを運んできたマモルが、その異様な光景を見て怪訝な顔をした。
「マモルP……この方、とっても可哀想な方なんですの。ステーキの一番美味しいところ、この方に食べさせてあげてくださいませ……」
「は? リーザ、お前が自分の肉を他人に譲るだと? 熱でもあるのか?」
「いいえ、心が通じ合っただけですわ……」
リーザはジャージの袖で涙を拭いながら、力強く頷いた。
マモルは、ルチアナの高級バッグ(偽)と、少しだけ開いたままの財布のジッパー、そしてそこからチラリと覗く赤い文字の『督促状』を見て、すべてを察した。
「(……なるほど。完済したはずの借金が、また限度額に張り付いてるんだな。しかも、リボ払いで)」
マモルは、手にしたステーキの皿をテーブルにドンッと置き、深い深いため息をついた。
異世界にまで借金取り(の恐怖)を持ち込んでくる駄女神。
三十五年ローンを堅実に返済しようとしているマモルにとって、一番許せないタイプの人間(神)である。
「ルチアナ」
「んん……? あら、お肉焼けたの? いただきまーしゅ」
「起きろ、クソ女神」
マモルの手には、いつの間にか『ルナミス新聞』をガチガチに丸めた、対神様用の特製ハリセンが握られていた。
借金まみれの駄女神に対する、オカン系教師の『教育的指導(労働の強制)』が、今まさに始まろうとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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