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犯人

 校内の空気が、少しずつ元の色を取り戻しつつあった。

 田角先輩の葬儀が終わり、教室の掲示板から彼女の写真が外されたころ、ようやく「日常」という言葉が皆の口にのぼるようになった。

 けれど、私の中では何も終わっていなかった。

 あの朝に見た、青白い指と、どこか遠くを見つめるようなあの目の色が、まぶたの裏に焼き付いて離れない。

 いまだに、閉じた瞼の奥で先輩がこちらを見ている気がする。

 ——見つけたのに、助けられなかった。

 その事実が、私の胸を締めつけていた。


 「みか、聞いた?」

 放課後の廊下で、西村かえでが息を弾ませながら駆け寄ってきた。

 彼女の目は、いつものように明るく見えて、どこか焦りを帯びていた。

 「警察、容疑者を確保したって」

 その一言に、私は思わず足を止めた。

 「えっ、ほんとに?」

 「うん。新聞社の人が職員室に来てたって。先生が話してるのをちょっと聞いたの」

 かえでは声を潜めて、周りを気にするように私の腕を引いた。

 「田角先輩の財布、見つかったんだって。山のふもとの廃屋の近くで。中に指紋があって、それが地元の不良グループの男のものだったらしいよ」

 「……そうなんだ」

 私の声は、やけに冷静に聞こえた。

 

 放課後の部室は、まだ誰もいなかった。

 夕焼けがカーテン越しに差し込んで、白い壁に赤い筋を描いている。

 かえでは机の上に広げたノートを指で叩きながら、興奮気味に話を続けた。

 「ねえ、遺体の時の傷の位置、覚えてる? 首の右側と、あと左手の甲」

 「うん」

 「もしその人が右利きなら、あの角度であの傷はつけにくいって。だから複数犯の可能性もあるって、警察の人が言ってたらしい」

 「じゃあ……その不良って人が犯人じゃないかもしれないってこと?」

 「うーん、でも財布の指紋が決め手でしょ? 直接殺したかはともかく、事件には関わってたってことじゃない?」

 かえでの言葉に、私は頷きながらも、胸の奥に重たいものが残った。

 …違和感。

 ——だって、あの人たちに、田角先輩を殺す理由なんてない。


 その週の金曜日、犯人逮捕の速報がテレビで流れた。

 画面には、ぼかしのかかった若い男の顔と、「傷害致死の疑いで逮捕」との文字。

 町の人々は安堵したように頷き合い、学校でも「解決してよかったね」という言葉が行き交った。

 みんながようやく笑い始めたのに、私は笑えなかった。

 あの夜、月明かりの下で見た田角先輩の表情を、思い出してしまったからだ。

 あの顔は、恐怖でも苦痛でもなく、何かを訴えようとしていた。

 まるで——誰かを呼んでいたみたいに。


 

 事件が「解決」してから数日後、私は田角先輩の母親に呼び出された。

 場所は、先輩の家の近くの喫茶店。

 淡いレースのカーテンから差す光が、彼女の顔の皺を柔らかく照らしていた。

 けれど、その目には温かさの欠片もなかった。

 「——あなたが、最初に見つけたのね」

 「……はい」

 「それなのに、どうして助けなかったの」

 彼女の声は静かだった。でもその静けさが、胸を貫いた。

 「すぐに先生を呼んだんです。けど、もう息が——」

 「本当にそうなの? 本当は、怖くて逃げたんじゃないの?」

 私は息を呑んだ。

 「違います……そんなこと——」

 「あなたがもっと早く見つけてくれたら、あの子はまだ生きてたかもしれないのよ」

 喫茶店のBGMがやけに耳についた。優しいピアノの旋律が、私の胸の奥をひりひりと焼く。

 その日、家に帰ってからずっと、私は自分の手を見つめていた。

 冷たい指先。震える掌。

 ——助けられなかった手。


 かえでは何度もLINEを送ってきた。

 「大丈夫?」

 「気にしすぎないで」

 けれど、私は返せなかった。

 


 既読だけが静かに積み重なっていく。

 


 鏡に映る自分の顔が、日を追うごとにやつれていく。

 


 何を食べても味がしない。

 


 教室のざわめきが、遠くから聞こえるように感じる。

 


 私は、田角先輩の母親の言葉を何度も反芻した。

 ——あなたがもっと早く見つけてくれたら。

 あの一言が、呪いのように胸に残っていた。


 ある日、放課後の廊下で、かえでが私の肩を叩いた。

 「ねえ、元気出してよ。あの人のこと、あんたのせいじゃないって。先生も言ってたよ」

 「……でも、もし私がもう少し早く気づいてたら」

 「そんなの結果論でしょ。誰にも分かんないよ」

 かえでの言葉は優しかった。けれどその優しさが、かえって私を苦しめた。

 「ねえ、かえで」

 「ん?」

 「先輩、誰かに呼ばれてたと思うの」

 「呼ばれてた?」

 「そう。あの時、私が駆けつけた時、先輩が誰かに手を伸ばしてた気がするの。

 誰かに助けを求めてたんじゃなくて……誰かを、信じてたみたいな」

 かえでは少し黙って、窓の外を見た。

 夕日が差し込み、彼女の横顔に長い影を落とす。

 「……そっか。でも、もう終わったんだよ。忘れよう」

 彼女の声は優しかったけれど、どこか震えていた。

 私はそのとき、初めて気づいた。

 かえでも、あの出来事で何かを失っていたのかもしれないと。


 それでも、私の心は晴れなかった。

 ニュースで流れた「容疑者自供」の言葉も、どこか上滑りして聞こえた。

 夜、眠る前になると、田角先輩の笑顔が浮かぶ。

 部活帰りに一緒にコンビニに寄って、くだらない話で笑い合ったあの日々。

 あんなに優しかった人が、どうして——。


 「本当に、終わったのかな」

 独り言のように呟いた声は、誰にも届かなかった。

 そしてその夜、私の夢の中で、田角先輩がまた私を見ていた。

 真っ暗なグラウンドの真ん中で、微笑みながら、何かを言おうとしていた。

 けれど、唇は動かない。

 風の音だけが、私の耳を掠めていった。




前作のランクインありがとうございます。

明日の7:50に次の話を投稿したいと考えています。

高評価をお願いします。

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