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風魔忍者に転生して親孝行する。  作者: 風猫(ふーにゃん)
第三章 勅命民衆蜂起編
24/40

第24話 四国騒乱『長宗我部元親』

永禄10(1566)年11月中旬 土佐国安芸城

安芸 国虎



 先月中村館での評定を終えると間もなく、公家衆が6人、風間家配下の者が20人余。巨大な船船で大量の物資と共にやって来た。

 あっという間に、村々に高札を立てて人を集め、賦役を始めた。 

 賦役には、3度もの炊き出しの飯が出され腹いっぱい喰えるのだ。それも旨い。朝は麦飯、昼は蕎麦切りやうどん、夜は白米の飯に味噌魚、具沢山の鍋汁。そんな贅沢な飯が腹いっぱい喰えるのだ。賦役に加わらぬ者などいないわ。

 女衆も子らも、そして年寄りや障害を持つ者まで、なんらかの賦役の仕事を与える。

 賦役の間は、自前の飯を喰わんで良いのだから、朝から晩まで賦役の現場は歓声に包まれとる。飯の後と午前と午後の中ほどには、四半刻の休み時間さえあり、果物やその汁が配られる。

 

 賦役とは、このようにやるものかと驚愕した。賦役の者らを寝泊りをさせるよう、村々や寺社に命じたが、1人1文(50円)、家族で2文。これがばかにならぬ、普通の家でも寝るだけなら10人〜15人は泊められる。

 賦役の報酬は本来の作事が1日40文で、飯炊きなどの女衆や不具者は35文、子らでも10文じゃ。それに懸命に働く者には見ている監督の者が首飾りを与え、その日10文の褒美が与えられるのじゃ。休憩もあるし、皆懸命に励み、そして首飾りを誇らしげに掛けておる。それにしても首飾りを掛けている者の数が多いような気がするがな。

 そして俺は初めてだ、通り掛かると笑顔で領民から挨拶や礼を言われるなど。


 賦役を始めて3週間。ついに長宗我部元親が手を出して来た。1千余の軍勢で嫌がらせなのか攻め取るつもりなのか、なんとも中途半端な軍勢で来たものだ。

 既に戦の準備はできておる。4週間前から小太郎様の下へ兵を集められて、鉄砲足軽の訓練がなされた。

 いきなり朝から晩まで、鉄砲を撃たされ、『慣れるより慣れろ。』とか言われて、教えられるより自分で良いようにしろと言われたとか。しかしその火薬の値は如何ほどになることか。おまけに集められた兵達には、飯と報酬80文。加えて、上達した者には2段階で10文と20文の報酬加算がされる。

 3、4日経って、上達した者から集団での射撃訓練になったというが、おいて行かれた者は必死であったろうな。二日で居残りは、居なくなったそうだから。


 その鉄砲隊500名がおり、機械弓が200名長槍隊が500名おる。小太郎様からは、賦役をしておる領地には一歩足りとも入れるな。とのお達しだ。

 居並ぶ我が軍勢の後には、近くで賦役をしておる者達数多が鉄製の賦役道具を抱えて、戦が始まれば加勢しそうな勢いだ。


 盾を構えた長宗我部の先陣が領地に踏込みおったわ。すかさず、鉄砲隊の第一列が一斉射撃を放った。鉄砲に盾など効かぬ半数近くの兵が倒れ、続く第二列の射撃で立っている者が殆ど居なくなった。

 敵は恐れをなしたのか攻めて来ない。鉄砲隊の第三列が横並びに歩いて前進を始めた。

 続いているのは、機械弓隊と長槍隊だ。

鉄砲隊の第一列と第二列も弾込めが終わり、早足で追いかけている。

 俺も置いて行かれるのは困ると、後を追うが敵に接近した第三列の鉄砲が火を吹くと、長宗我部の兵達が我先にと逃げ出した。


 なおも我が軍勢は前進する。むむ、指揮官は俺か。撤退の命を出さねば止まらぬな。

 そこへ我が軍の新手がやって来た。巨大な馬が引く馬車だ。荷台には鉄砲の化け物ような物が積まれておる。


「伝令にございますっ。小太郎様から、ついでだから、近くの城を砲撃して思い知らせておけとのことでございます。」


「さようか、任せる。良いように致せ。」


 どうやら逃げた長宗我部の兵は、香宗我部

城に入ったらしい。大砲と一緒に来た馬車の兵糧で炊き出しの飯を喰い、一晩の夜営を経て香宗我部城の前に着いた。俺はただ軍勢の後をついて来ただけだが。

 大砲が10門、城に向けて並ぶと、用意ができたと報せが来た。

 砲撃を開始せよと、命を下すと、凄まじい轟音が立て続けに轟き、唖然としておるうちに、城兵が打って出て来たが鉄砲隊が殲滅しおった。

 城は炎上、敵兵はわずかに逃亡できた者らしか助からなかっただろう。

 なんか戦した気がせぬうちに、戦いが終わってしもうた。

 辺りを見回して、砲兵隊の指揮官に勝鬨を上げるように言うた。我らの勝利に違いないからな。


「エイエイオー。」


「「「「「エイエイオ〜。」」」」」




✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣



永禄10(1566)年11月中旬 土佐国瓜生野原

長宗我部元親



 儂は今、本山貞茂の籠もる瓜生野城を攻めておる。本山家は土佐七雄と呼ばれる武門の家柄で、長年この城を落とせずに苦労しておったが、どうやら今回は、あと一歩というところまで追い詰められたようじゃ。


「殿、上手く行きましたな。収穫前に周辺の田畑を焼き払いましたからな、籠城も長くは保たないでしょう。」


「そうよな、主膳。本山貞茂めがいくら武勇があろうが関係ないわ。戦とは、このようにやるものよ。ふふふ。」


『だっだっだっ』そこへ伝令の者が掛け込んで来た。


「伝令っ伝令っ、申し上げます。香宗我部城が安芸の軍勢によって落城されましたっ。

 敵は見たことのない大型の鉄砲を使った模様にて、城は炎上、城兵は打って出ましたが全滅とのことにございます。」


「なんじゃとっ。安芸に攻め込んだ兵はどうしたのじゃっ。」


「はっ、安芸軍に敗れて香宗我部城に敗走、

城兵と共に討ち取られましてございます。」


「いかん、一条が攻めて来るぞ。安芸と繋がっておるはずじゃ。急ぎ、岡豊城へ戻るぞ。

 兵を引くのじゃあ。急げっ。」



「殿っ、長宗我部の兵がっ、兵が引いて行きますぞっ。」


「むっ、何かあったか。」


「おそらくは、一条家が動いたかと。先頃一条家では代替りして、都の一条本家が後見に就いたとか聞き及んでおりまする。」


「うむ、例の詔に従ったか。一条家は公家の家柄、帝に従うは是非もなし。

 丹左、俺は一条家に臣従するぞ、このままでは本山家ばかりか、領民にも被害が出るばかりじゃ。田畑を焼かれて今年の冬を越えられるかも分からん。

 丹左、一条家に使者に立て。帝に従い民を守ろうぞ。」




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永禄10(1566)年11月下旬 四国土佐国中村

風間小太郎



 土佐の瓜生野原の土豪 本山貞茂が一条家に臣従を申し出て来た。


「初めて御意を得ます、本山貞茂が家臣石谷丹左と申します。」


「こちらにおわすのが一条当主内政君です。俺は当主代行の風間小太郎と申します。

 して此度の御用の趣はなんでしょうか。」


「我が本山家を、一条様の家臣にお加え願いたく参上仕りました。何卒お願い申し上げまする。」


「一条家は帝の臣下であり、領地も帝に返上していることはご存知かな。

 ましてや、帝の詔から半年も過ぎております。今更何故、臣従を願い出られますか。」


「僭越ながら、この四国では帝の新政を疑う者ばかりにて、当家も長宗我部家に毎年攻め入られているあり様。新政に従うと名乗りを上げますれば、他の勢力にも攻め入る口実を与えるだけと判断致してございました。」


「口実ですね。内々に文を寄越すこともできたでしょう。真実は帝を信じられなかったから。丹左殿、そうでありましょう。」


「 · · はぁ、羞恥の限りにございます。なれど、我が本山家は存亡の危機に至りましてございます。我ら武士は戦に敗れ討ち死にしても悔いはありませぬが、主 本山貞茂は

領民に被害が及ぶことを懸念し、悔やんでも悔やみ切れず、こうして一条様にお縋りすべしと、某を遣わした次第にございます。

 何卒、何卒お慈悲を賜り我が領民をお救いください。」


「 · · 領民を救うこと以外に望みはないのですね。」


「はい、その望み叶えていただけるならば、我ら尖兵となりて、討ち果てる所存にございます。」


「 · · 一条家への臣従は、認めませぬ。 

 民をそのように慈しむ本山殿は、我が風間家の下で、帝の尖兵となっていただきましょう。よろしいですかな。」


 臣従の願いが民を守りたい、そのためならどんな条件でも構わないという決意と知り、俺の直臣に加えることにした。



 瓜生野原は、四国の山中にあり、海からの補給も水利も不便な土地であったため、領民の大半を春まで安芸に移住させ、安芸の普請に従事させることにした。

 残した農民兵達で、秋蒔きの麦と蕎麦を植えさせた。来年の食糧の足しにするためだ。

 移住させた領民達は、伊豆で作らせた布張小屋ゲルを住居とし、食事は普請の炊き出しか、共同の炊飯とした。


 一条家を始め、新政を行う領地では農地の改良普請が行われ、鉄製の農具や建設道具が貸し出され、安価で便利な生活用品が揃う伊豆市場が出店して、普請で潤った民達の購買で活気に溢れていた。

 漁師町や村には水産加工場が建ち、干し魚ばかりでなく佃煮や塩辛が作られ、船で畿内へ売りに出された。

 もちろん、漁法も大型の漁網や鉄製の銛などが用いられ、近海の捕鯨もなされた。

 あちこちに、取れたばかりの新鮮な魚を刺身や味噌漬け、味醂漬け、それと野菜や漬物などを売る小売店が増えた。


 わずか1〜2ヶ月で、この賑わいとなったのを見た他の領地の商人や農民達は、新政の暮らしぶりを目にし、自分達も帝に従うべきだとの意識が浸透すると同時に、領主に不満をいだき始めた。




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永禄11(1567)年5月下旬 土佐国須崎

風間小太郎



 冬の間おとなしくしていた長宗我部元親は春の田植えが終わるやいなや、一条家の本拠中村を目差して、1万4千の軍勢で侵攻して来た。

 忍びの報せでは、居城の岡豊城に2千だけ残し、他の城にはほとんど兵を置いてないと言うから、全力で背水の陣の覚悟なのだろう。須崎の新荘川を防衛線として、6千余の軍勢で迎え撃った。

 内訳は鉄砲隊2千、機械弓1千、長槍隊が1千、土豪の軍勢700余、砲兵3百名大砲60門。そして風魔騎馬軍団が1千騎である。


 新荘川から西には、普請で作った中村へと続く巾5間の海岸線の街道があり、その街道の両脇には、100人程の鉄砲隊が入る塹壕が散在している。大軍が侵攻するには絶好の道となっている訳だ。


 案の定、長宗我部軍はこの街道の侵攻を選んだ。最前線の3つの塹壕からの連続射撃で300人余の被害を与えると、敵兵が塹壕に到達する前に鉄砲兵は撤退。500m後方には第二の塹壕があり、そこを駆け抜けて行く。

 第二の塹壕でも陣の鉄砲隊により、200人余の被害を与えると、素早く撤退して行く。


「鉄砲は、近づいてしまえば逃げるだけぞっ。一挙に突撃すれば崩せるのだっ。掛かれっ、掛かれっ。」


「「「「わぁー、わぁー。」」」」


 長宗我部の軍勢は、被害を出すと先陣を入れ替えながら、4km程街道を進んだ。

 その間に被害は、死傷者1が千人以上に及んでいた。


「まずい、このまま被害を出し続ければ、兵の士気が落ちてしまうぞっ。」


「それでは、どうするのだっ。」


「馬だっ。騎馬で突撃するのだっ。初めに被害は出るだろうが、逃げる鉄砲隊に追いついてしまえば、味方がいて撃てまい。」


「おおっ、一気に崩せるか。よし、騎馬隊の用意をさせようぞっ。」




「ほう、敵さんも馬鹿ばかりじゃねぇですね。馬で来ますか。しかし、小太郎様の方が上なんだよねぇ。漁師隊用意はいいか。」


「へいっ、任せてくんなせいっ。」


「第8隊は撤退しろっ。後は漁師隊の出番だっ。機械弓隊も後は任せたぞっ。」


「「「「「おおっ。」」」」」


 およそ、400騎程の長宗我部の騎馬隊が列をなして、突撃して来た。2連射して30騎程を倒した鉄砲隊が撤退すると、塹壕陣地を騎馬が駆け抜けようとしたその時。

 塹壕に隠れていた漁師達が飛び出し、その手から次々と投網が投げられた。

 投網に掛かった騎馬は、転倒したり暴れて武者を振り落としたり、それに続く後続も、転倒に巻き込まれた。

 その喧騒の最中、周囲に展開した機械弓兵達が接近して、確実に騎馬武者を討ち取って行った。全滅である。

 そして、それを見過ごせずに突撃して来る長宗我部軍にさらなる悲劇が待っていた。


 砲兵隊の一斉射撃がなされたのである。

 街道の巾に固まって前進する長宗我部軍は、榴弾の威力に一溜りもなく、次々と吹き飛ばされて行った。

 そして、一旦砲撃が止み煙が晴れると山側には、鉄砲を構えて槍衾を連ねる足軽隊が、ずらりと並んでいたのである。


 すると長宗我部軍の中から、足軽の農民兵達から悲鳴と悪態をつく声が上がり、次々と槍を捨て海へと逃亡しだしたのだ。

 たちまち、長宗我部軍は武士だけが取り残され、戦意を失って立ち尽くしている。

 それで終わりではない。後方で唖然としている長宗我部の本陣1千に風魔の鉄砲騎馬隊1千騎が二方から襲いかかったのである。

 長宗我部の本陣は、農民兵ではなく武士達で護られていたが、突撃する騎馬隊の鉄砲で崩され突入されると、長宗我部軍とは比べものにならない大きな馬体の騎馬に蹴散らされ銃剣槍で叩き伏せられて行った。

 本隊はもう戦場の体をなしていなかった。そこは阿鼻叫喚の蹂躙場で、騎馬隊が突撃を繰り返す度に、立っている者が姿を消して行った。

 そしてその混乱の最中に、長宗我部元親も騎馬に蹴られて、その生涯を終えていた。



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