第23話 四国騒乱『土佐一条家』
永禄10(1566)年1月上旬 伊豆諸島三宅島
風間小太郎
帝の詔、並びに新政を行うにあたり、朝廷には一つの懸案事項があった。
そして、今年の正月にはこんな会話がなされていた。
「土佐一条家は、関白であった一条教房殿が応仁の乱を逃れて、応仁2(1468)年に一条家の領地のあった土佐国幡多荘に下向し、四万十川下流の中村の館に逗留したのが始まりなのじゃ。
その後、関白殿は都へ戻られたのじゃが、次男の房家殿がそのまま残られて、土着したのが土佐一条家の始まりなのじゃ。」
「ちと厄介なのは、儂のご先祖である将軍家足利義教公が諱を与え、幕臣になっておることであるがな。」
「それでじゃ、土佐一条家の兼定殿は公卿なのだが、その家臣達は武家。武家を公家にする訳には行かぬ。どうしたものかと思うて、そなたに相談する次第なのじゃよ。」
関白近衛前久殿と足利義輝様が俺に説明している。同じような懸念は、義輝様の幕臣についてもある。まともな幕臣の忠臣達をどうするか、見捨てることは人材の損失になる。
「大名、土豪達のような領地を欲する武家は無くすべきですが、棒禄で召抱える代官達は必要です。
風間家、松平家、上杉家の家臣達も時を掛けて、新政の直臣とするつもりですから。」
「小太郎、それならば帝の詔に従い、臣従すると申した大名や土豪はどうするのじゃ。」
「義輝様、戦乱の世を失くすには、心から民達を亡きものにしたことを悔いて、二度とそうしない信念を持つ者でなければ意味がありません。
自分の信念を持たず、ただ強い者、有利な方につく者などを、生き残らせておいては、再び下剋上の戦乱を招くことは間違いありません。
足利幕府は、そんな者達に踏みにじられたではありませんか。同じ愚を犯されるなら、ここをお立ち去りください。」
「いやいや、儂はそんな者らを生かすつもはないぞ。腐った幕臣どもで懲りておる。
ただ、小太郎の覚悟と存念を聞いておきたかっただけじゃ。許せ。
お前に叱られたと分かると、奥の者達から総攻めを喰うのじゃ。はははっ。」
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永禄10(1566)年10月上旬 四国土佐国中村
一条 内基
「内基卿、遠路遥々のお越し恐縮にございます。また帝のご新政なるは誠に目出たきことこの兼定、心よりお祝い申し上げまする。」
「兼定殿、此度は帝の勅使として、兼定殿の存念を確かめに参った。確と心得られよ。」
「 · · この土佐一条家は、房家公以来、朝廷をお護りするためにある家柄にございます。此度、晴れてそのお役目を果たす所存なれば、帝のご下命をいただきたく、畏まってございます。」
「さようか。ならば聞く、過ぐる年、伊予の宇都宮豊綱の娘と離別し、豊後の大友義鎮の長女を娶り大友氏と結んだのは何故でおじゃるか。それと並び、我が一条本家とも疎遠になっておじゃるな。
帝はこう申された。土佐一条が武家の大名になり下がっておれば、討伐して滅ぼしてしまえとな。」
「そ、そのようなことは。しかし、この戦国の世にあって当家も生き残りを図らぬばなりませぬ故。」
「それは、土佐一条家が戦国大名であるということでおじゃるな。」
「それはそうですが、我が土佐一条家は帝の臣としてあるべく努めておりまする。」
「聞くところによると、兼定殿はキリシタンの教えに帰依されたとか。キリシタンの教えには戦して、民を殺めることを良しとしておじゃるのかな。」
「キリシタンの尊い教えに従わぬ者達は、異教徒であり敵でありますれば、やむを得ずに討ち果しておりまする。」
「ほう、日の本の民は全て帝の子らであることを承知の上でおじゃるな。
しからば、従三位左近衛中将の叙階を剥奪致す。以後、朝敵として討伐致す。」
「お、お待ちくだされ。なんなり、なんなりと思うし付けください。この兼定、帝に従いまする。」
「 · · · 本心でおじゃるな。」
「心よりの本心にございます。」
「では申し渡す。兼定は隠居、嫡子吉房子に我が諱を与え『内政』として、家督を譲ってたもれ。当主は幼きこと故、この内基が後見致す。よろしいでおじゃるな。」
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永禄10(1566)年10月中旬 四国土佐国中村
風間小太郎
太政大臣一条内基殿から、土佐一条家を残すことで決着したとの報せを受けて、後始末をすべく土佐にやって来た。
着くなりさっそく、土佐一条家の家臣一同が待ち受ける大広間で、一条内政くんの家督相続と、土佐一条家の改編を話さねばならない。
「一同の者。此度、当主兼定殿が隠居し、嫡子吉房子改め、一条内政殿が当主となられる。また、その後見人はこの一条内基が致すが当分の間、守役と代理を風間小太郎殿に務めてもらう。皆の者よいな。」
「お待ちくだされっ。此度のこと、我ら家老になんの相談もなく、無謀極まりない仕儀にござる。これでは土佐一条家は立ち行かん。」
大声で喚きながら、鎧甲冑に身を固めた三人が奥から現れ、広間を進んで来た。
「名乗らぬか、無礼者どもめっ。」
「土佐一条家家老羽生監物。同じく、為松若狭守。安並和泉守じゃ。
本家とは言え、他家が家督に手を出すとはお家乗っとりではないか。」
「分かった分かった。お前たちが一条家を護れるというなら、今この場で俺を倒して見せよ。掛かって来い。」
「なにを小童っ、生意気なっ。」
広間の前まで進んで来た三家老を挑発し、刀を抜かせて、斬りかかって来るところを、最初の一人は刀を持つ右腕を抱えて一本背負いで投げ、二人目は出足払から払腰で。そして、三人目は顔面に回し蹴りを叩き込み、体落としで叩き伏せた。硬い鎧を付けている分、衝撃が強く派手に投げられた最初の一人は気を失っている。
「ほかに、帝のお言葉を聞かずに逆らう者はおるか。相手を致すぞ。」
起き上がって来た二人に、内政くんが駆け寄り『ふちゅうものめっ。』と竹光刀の脇差で斬りつけて叩いている。
叩かれている家老達は抵抗もできず、呆然としている。
「見よっ、幼き当主と、馬鹿にするでない。
今は幼くとも、20年後も今日のことは、覚えておるぞ。その方らの忠義ぶりをな。
小太郎殿、話してくだされ。」
俺は、涙ぐみながら、家老の二人を叩き続ける内政くんを抱き上げて、上座に戻ると一同に話し出した。
「今日、今より、当主一条内政君の下、土佐一条家は帝の軍となる。
帝は、この国の民を殺めることを許さぬ。
常に殺められた家族の者と、共に有られるのだ。
その方らに厳しく申し付ける。乱取りは許さぬ。破った者は、その家族の命亡きものと心得よ。
我らは、私利私欲のために戦乱を起こし、民の暮らしを命を奪う大名土豪を討伐致す、民衆の軍勢である。
このこと夢々忘れるでないぞ。」
「「「「「ははあ。」」」」」
このあと、三家老は内政くんの手により、髷を切られ剃髪させられ出家隠居となった。
また、前当主一条兼定は、キリシタンの為妻の大友義鎮の長女ジュスタと共に屋敷を与え暮らすようにさせた。
そうして、離縁させられた内政くんの実母
宇都宮豊綱の娘、輝姫を呼び戻した。
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永禄10(1566)年10月中旬 四国土佐国中村
風間小太郎
俺は、改めて四国の大名土豪達に、戦を止め領地を帝に返上の上で、帝への臣従をするようにと使者を送った。
当主内政の叔父で土佐国人の安芸国虎殿伊予の宇都宮豊綱殿と、土佐の豪族数人が従っただけで、従わないのは伊予の河野通宣、西園寺公広、讃岐の十河存保、阿波の三好長治、そして臣下ながら独立を企む長宗我部元親がいた。
中村の館の書院に、主だった家臣を集めて四国討伐の軍議を開いた。
6才の当主内政くんとその母、筆頭家老の土居宗珊、内政くんの祖父の宇都宮豊綱と、叔父安芸国虎、重臣の津野定勝である。
「小太郎様、女の身でこのような軍議に出ていてよろしいのでしょうか。」
「お方様は、聞くだけにしていただきます。が、内政君は当主。話しを聞いておらねばなりませぬ。あとでわからないことを聞かれたら、お方様から教えてください。」
「さて宗珊殿、説明を。」
「皆様ご承知のとおり、前当主兼定公は大内家と結び伊予の統一を目論んでおりました。
しかし西園寺家はともかく、河野家と争えば毛利家の介入があるは必定。勝算はありませぬ。
阿波の三好、十河兄弟は畿内の覇権を取り戻そうとしておりましたが、なけなしの1万の畿内への援兵が過ぐる日、小太郎様の伊豆水軍によって壊滅して弱体化しております。
そして、我らから独立を図る長宗我部元親がその隙を狙い動いております。」
「宗珊殿、新政の噂の様子はどうか。」
「ここ四国では、あまり民達には信じられておらぬようで、一揆にはならぬかと。」
「皆様、なにか申すことはありますか。」
「小太郎様、隠居させた三家老の者達に長宗我部の者が出入りしておる様子。裏切りを重ねるかも知れませぬ。」
「津野殿、承知しております。だが今は捨て置きましょう。彼らに民を思う気持ちがあるのか試させて見ましょう。
皆様、この秋の収穫を終えた後、領地で賦役をやって貰います。この賦役には飯と報酬を出します。女衆には賦役の現場で飯を作らせ、子らには鯉の稚魚集めや薪集めをさせてください。
賦役の報酬は一日20文。飯炊きの報酬は一日15文、稚魚集めは10匹1文、薪集めは背負籠一杯で5文。
この銭と賦役の工具は今月末までに皆様の下へ、公家衆と配下の者とともに届けます。
やることは、田と畑の区画直し。水路の整備、併せて直線街道と橋の敷設、その他公家衆が来て必要と判断したことがらです。
皆様には、この計画の地図を渡します。地図に記した区画ごとに監督する者を選び配してください。
来春の田植えまでに、終わらせますよ。」
「小太郎様、この間に攻め入られたら、どうなさるので。」
「賦役の管理をする者以外を集めて、三軍を編成します。第一軍を伊予の宇都宮豊綱殿の下へ、第二軍を安芸国虎殿の下へ配します。
攻めて来るなら上々、返り討ちにするだけです。」




