第21章 水の精霊と温泉大魔人(つまり温泉回だよ!)
木々をかき分け、茂みを飛び越え、岩を跳び越えて。
数十秒で、湯気の立ち上る温泉にたどり着いて――
「おおっ!」
そこには。
月明かりに照らされた天然の温泉。
岩に囲まれた湯だまりからもうもうと白い湯気が立ちのぼっていて、幻想的ですらある。
だが、幻想的なのは風景だけじゃなく。
ルティナ姫。
アイネス。
クロエ。
3人が一糸まとわぬ姿で、温泉の中に腰まで浸かっている。
月の光が白い肌を照らし、湯気がその輪郭をぼんやりとベールのように包んでいて、これがまたなんとも……なんというか……
「いやいや、そうじゃなくて!」
それどころじゃない!
いや、それどころじゃないってことは分かってる。
分かっているんだけれど、人間の眼球は自動的に物体を認識するようになっていてですね!
「エルド様っ!?」
最初に俺の視線に気づいたのはルティナ姫だった。
「え、エルド様! み、見てるっ……見てますよね、わたしのこと!? あ、ああ、でも……いや、でも、エルド様なら……見られても、い、いい……かな……って」
「エ、エルドおおおおおおっ!」
するとアイネスの怒声が温泉に轟く。
「な、な、な、なにをしに来たんだっ! のぞくなと言ったではないか!」
「いや、のぞきに来たんじゃねえって! 悲鳴が聞こえたから助けに来たんだよ!」
「そ、それは……確かに悲鳴はあげたが……だからって……! み、見るなら……見るなら……せめて私だけを……おおいに見ろッ!」
「え? なにそれ?」
「はっ! い、いまのは違う! 言い間違えた! い、いや、違わないけど、違うのだ、そうじゃなくて……ああもうっ!」
アイネスはパニックの極みに達して、意味不明なことを口走っている。
見るなら私だけをおおいに見ろ、っていうのはつまりどういうことだ。それはむしろ見てほしいのか。んなバカな。
で、クロエはというと。
「…………」
腕を組んで、温泉の縁に背中を預けた姿勢のまま、微動だにしていない。 隠そうともしていない。月光に照らされたエルフの裸体は白磁の彫像のように美しく、そして堂々としている。
「クロエ。お前は恥ずかしくないの?」
「なぜ恥ずかしいと思うのだ。クロエは裸で生まれた。裸は自然だ」
すげえ理屈だ。
「そ、それよりも……ルティナ姫もアイネスもクロエも。さっきの悲鳴はなんだったんだ? あんなすごい悲鳴をあげるから、モンスターでも出たのかと……」
そう言いかけた瞬間だった。
ずぅぅぅぅん……!!
温泉の水面が、不自然に盛り上がり始めた。
ぶくぶくぶく、と気泡が立ち、湯が大きくうねる。
すると、その湯の中から……
「う、うわっ!?」
巨大な人型が、ぬぅっ、と立ち上がった。温泉の湯そのものが集まって、人間の形になっている。身長は4メートルはあるだろう。透明な水で構成された巨人が、ゆらゆらと揺れながら俺たちの前にそびえ立っていたのだ。
「こ、こ、これです! これが出たから悲鳴をあげたんですっ!」
ルティナ姫は、裸であることも忘れて俺の背中にしがみつく。柔らかい感触が背中にダイレクトに伝わってくる。い、いまちょっとそれどころじゃないが、意識しないわけにもいかないっていうか!
「エルド! こ、これはなんだ! モンスターか!?」
「いや、違う……」
俺は、冷静に水の巨人を見つめた。
見覚えがある。正確には、見覚えがあるわけじゃないが、知識としてこういう存在を知っている。
「これは精霊のいたずらだ」
「精霊……?」
「ああ。水の精霊がいたずらして、温泉の湯を巨大な人型に変化させてるんだ。未来の世界にも、こういう悪ふざけをする精霊がいたんだよ。――危険はない。ただの悪ノリだ」
俺は右手を水の巨人に向けた。
「【ディフォルム】!」
変化解除の魔法を唱える。
すると、水の巨人は、ぱしゃあああ、と音を立てて形を崩し、温泉の湯に還っていった。
と、同時に。
湯の中心に、ひとつの光が浮かび上がる。
光はだんだんと人の形になっていき、やがてそこに――
「あっちゃ~。バレちゃった?」
青い髪の女性が、温泉の中に腰まで浸かった状態で現れた。
長い青髪は水面に広がり、波打つように揺れている。瞳も深い青色で、どこか底知れない深さを感じさせる。しかしその表情は実にチャラい。にへら、とした笑みがやたらと人間くさく、どう見ても二十代後半の、酒場でグビグビやっていそうなお姉さん、みたいな雰囲気だ。
「あ、あなたが水の精霊?」
「そうそう! あたしが水の精霊! 名前はウェンリシア! でもね、ウェンリシアって長いから……」
彼女は、ぱちん、とウインクをして、
「ウェンちゃんって呼んでね♪」
語尾が軽かった。
ルティナ姫とアイネスは呆然としている。
こういう精霊がいるとは思わなかったんだろうけど、俺だって思わなかったよ。ノリ軽すぎ。
「な、なんだこの精霊は。まるで酒場の常連みたいではないか」
「アイネス、それ本人に聞こえてるからな」
「酒場の常連って言ったのキミかな、金髪ポニテちゃん? 合ってるよ! あたし酒場大好き! って、精霊に酒は関係ないけどね、あっはっは!」
ウェンちゃんは豪快に笑い、温泉の水を手ですくってぱしゃぱしゃと遊んでいる。
自由すぎる、この精霊!
「ウェンちゃん。……って呼ぶけど、いいスか?」
「もちろん! あんたイケメンだしそれくらい許す!」
「俺がイケメン! 精霊とはいえイケメン扱い! 生きててよかった……」
「エルド様はいつでもイケメンですよ♪」
「おおお、聞き間違いじゃないよね! 俺は……俺は……」
「話が先に進まんぞ、エルド。正気に戻れ」
「はっ。そ、そうだな。ありがとう、アイネス。……それで、俺、ウェンちゃんに聞きたいことがあるんだ」
「おっ、なになに? あたしに答えられることなら何でも聞いてよ。……あ、ちなみに年齢と体重はナイショだからね? 精霊にも乙女心ってもんがあるのよ?」
「この森の中に、狩人の夫婦が住んでいた。そしてその夫婦には、アリアという名前の子供がいたはずだが――」
「ボケをスルーされてしまったわ。ウェンちゃん、修行が足りないみたい……」
「本当に話が進まない」
「だって尋ねたら失礼じゃないスか、年齢とか体重とか」
俺がいた時代じゃ、そういうのをハラスメントというからね。口にしたら最後、社会的生命が絶たれかねないからね。
「冗談はマジでさて置いて。ウェンちゃん、アリアのことを知らないか?」
ウェンちゃんの表情が、ふっと変わった。
ちゃらんぽらんな笑みが消え、深い青の瞳に真剣な色が宿る。
「……知ってるよ」
「本当か?」
「この山で起きたことは、ぜんぶ水が知ってる。川も、泉も、雨粒も。ぜんぶあたしの目であり耳なの。……狩人の夫婦は優しい人間たちだったよ。この山でひっそりと暮らして、子供を育てて」
ウェンちゃんは、湯面に視線を落とした。
「でもね、3年前。魔王軍が来たの。何十体ものモンスターを引き連れてね」
「魔王軍が……!?」
ルティナ姫が息を呑む。
「夫婦は殺された」
「!」
「夫婦はもちろん抵抗したけれど、相手が悪すぎた。……狩人は強かったけど、それでも魔王軍の大群には勝てなかった」
すると、あの小屋にあった二人分の白骨は、やはり狩人の夫婦。
つまりアリアの両親、か。……魔王軍め、酷いことをしやがる……!
「それで、アリアは……?」
「アリアは――」
ウェンちゃんは、目を伏せて――やがて語った。




