眠れる森の勇者たち(4)
せいわ幼稚園にやってきた陰陽師たちは不安げな表情を浮かべていた。劇を成功させることができるのかということだけではなく、そもそもこの作戦が上手く行くのかどうかすらも分からない。だが、ここまで来たら太郎の言葉を信じてやりきるしかない。
太郎曰く、園児の保護者には不審者は見つかり然るべき処置を受けたという嘘の報告をしたらしい。園児たちは今までと同じように登園している。幼稚園の関係者の数名のみが事実を知っており、かなり警戒している様子だ。保護者たちへの報告が虚偽だと判明してしまえばかなり問題になるだろうが、妖怪を誘き寄せるためにはどうしても園児たちが必要であるためにこのような形を取ったようだ。一体太郎がどのようにして関係者を納得させたのかは不明だが、ここは何が何でも作戦を成功させて妖怪を討つ他ない。
あやめ組とぼたん組の間の壁をスライドさせて大きな部屋となったその一室に、園児たちが集合している。二つの教室のちょうど真ん中の辺りに、陰陽師たち手製の簡易的な衝立が置いてある。柚子たち演者はその裏でスタンバイしていた。待機係である勝元と付き添いのあきらと群治郎、それから見学している貴史は五人の幼稚園教諭たちと共に園児たちの背後に立っている。幼稚園教諭の中の二人のみが事実を知っており、その二人の目はかなり厳しい。
「……上手く行くといいね」
衝立の裏で香織が囁く。
「最悪劇が失敗したとしても、絶対に被害を出さないようにしましょう」
椿が言うと、一同は頷いた。
「みんなー! 今日はお兄さんとお姉さんたちが劇を見せてくれるそうです! 楽しみだね!」
女性の幼稚園教諭が衝立の前に立って園児たちに声をかけた。嬉しそうに声を返す子もいれば、興味のなさそうな子もいる。それくらいは想定の範囲内だ。
「それじゃあ、そろそろ始まるからみんな静かにしましょうねー」
教諭はそう言うと、部屋の脇に寄った。すると、衝立の後ろから冊子を持った翼が出てきた。雰囲気を壊さないためにと翼も衣装を着ているが、彼が着用している有名なロールプレイングゲームの勇者のような服装はナレーターにしては少し豪華すぎるように見える。ちなみに、これでも一応仕事中なので勝元やあきらたちはいつも通りの団服だ。
「昔々あるところに、王様とお妃様がいました」
翼が元気よく台本を読み始める。それぞれ王と王妃の格好をした涼介と沙也香が衝立の後ろからゆったりと歩いて出てきた。
「……楽しませてもらおうじゃない」
一風変わった作戦を立てた新人陰陽師たちの姿を見て、あきらはそう呟いた。
「ある日、王様とお妃様の間に元気な赤ちゃんが産まれました。お姫様の誕生です!」
翼が言うと、涼介と沙也香は隠し持っていたおもちゃの赤子の人形を掲げた。園児たちの一部が声を上げる。
「お祝いに、お城では盛大な誕生パーティーが行われることになりました。たくさんの人々に加えて、不思議な力を持つ良い魔法使いもパーティーに招待されました」
白いローブを着た椿が出てきた。いつ何が起こってもいいように、背中にしっかりと梓弓を装備している。王女の誕生パーティーに武装して参加するのはおかしい、というのは野暮なツッコミというものだ。
「こんにちは、良い魔法使いさん」
赤子の人形を抱えた沙也香が挨拶をする。
「今日は来てくれてありがとう」
涼介も静かに言う。
「こんにちは。こちらこそ、招待してくださってありがとうございます」
椿は恭しく頭を下げた。少し緊張しているようだ。
「この度はおめでとうございます。王女様の誕生を心からお祝いいたします」
椿は胸に手を当ててそう返した。涼介と沙也香が微笑む。
「この子もきっと喜んでいます。ぜひパーティーを楽しんでいってくださいね」
「はい」
椿が沙也香の言葉に頷いたその時、衝立の後ろから黒い衣装に身を包み、丸めた新聞紙を繋げて作った杖を持った女性が出てきた。その瞬間、ワッと園児たちが大きな声を上げる。
「ルサルカだー!」
「ALISAだぁー!」
勝元は思わず苦笑した。こうなることも予想済みだ。少し退屈そうにしていた園児たちの目の輝きが俄然増したと考えれば、これも戦略のうちの一つと言えるだろう。見れば、幼稚園教諭たちも驚きながらも嬉しそうな顔をしている。
「おや、おや、おや」
ありさがもったいぶった声を上げる。王たちはありさの方を向いた。
「盛大なパーティーですね。どうして私は招待されなかったのでしょう?」
「ありささんノリノリだな」
大仰に言うありさを見て勝元は呟いた。当然ながら、明らかに高校生たちよりも演技力が抜きん出ている。
「なんと、パーティーに悪い魔法使いが乱入してきました」
翼が切羽詰まった声で言った。彼の朗読もなかなかの出来だ。
「あなたは……」
沙也香が怯えたような声を出す。
「王女様の誕生を祝して、私から魔法の贈り物をさせていただきましょう」
ありさは皮肉っぽい声で言いながら王たちの元に近づいた。沙也香が腕の中の赤子を庇うように体を背ける。涼介も「悪い魔法使いの贈り物などいらない!」と声を上げた。だが、ありさは構わず口を開く。
「王女よ……お前は十五歳の誕生日に、糸車の針に指を刺して死ぬ!」
声高らかに王女に魔法をかけ、杖を大きく振りかざしたありさはそのまま滑るようにして衝立の背後へと戻っていった。
「そんな……!」
沙也香が悲痛な声を上げる。
「なんてことだ……」
涼介も悲しげに言った。そんな二人に、椿が優しく声をかける。
「私にお任せください。彼女の魔法はとても強力なので呪いを完全に消すことはできませんが……私の魔法で王女様をお守りします」
沙也香と涼介が顔を上げる。椿は魔法をかけるように手を緩やかに動かした。
「王女様は死ぬのではなく、ただ眠りにつくだけ。真実の愛のキスによってその深い眠りから目を覚ますでしょう」
椿がそう言うと、涼介と沙也香は不安そうに顔を見合わせながら歩き始めた。椿もその後について、三人は衝立の後ろへと戻っていく。
「お姫様にかけられてしまった呪いは、良い魔法使いの魔法のおかげで少し弱まりました。王様はお姫様を守るために、国中の糸車を燃やすように命令しました。……そして、十五年が経ちました」
翼がナレーションを読み上げる。すると、今度は衝立の後ろから一人の女性がくるくると踊りながら現れ出た。
「KAORIだー!」
「KAORIもきたー!」
再び園児たちの高い声が響き渡る。王女役の香織はドレスをふわりと揺らしながら子供たちの声に小さく微笑んだ。ちなみに、王女もしっかりと帯刀している。
「はーあ、何かいいことはないかしら。今日は誕生日だけど、パーティーが退屈でこっそり抜け出してきちゃったわ」
香織がうんざりとした様子の声で言う。それから、香織はその場にしゃがみこんでもじもじと指で床をなぞっていじけ始めた。その後ろで、衝立の向こう側から金髪のかつらを被って王子様の格好をした柚子が出てきた。王子の姿はかなり様になっている。柚子は手に何かを持って香織の元へと近づいていった。
「おや? あなたはもしや……」
柚子が声を上げると香織は振り向いた。柚子は少し声を低くしている。できるだけ王子になりきろうとしているようだ。
「あら? どなた?」
香織がキョトンとした顔をする。柚子はパチパチと目を瞬いてから、柔らかく微笑んだ。
「こんにちは。僕は通りすがりの者です。ここで何をしているのですか?」
「退屈で家を抜け出してきたの。何か楽しいことはないかしら……あなたは何をしているの?」
香織がそう言って立ち上がった。香織の方が柚子よりも背が高いが、王女は可愛らしく、王子は凛としたオーラを醸し出している。アイドルの香織さんはともかく柚ちゃんは何者なんだ、と勝元は心の中で呟いた。既に何かが芽生えそうな雰囲気が二人の間に生まれている。
「……僕も似たようなものです。狩りに来ていたのですが、なんだかあまり気乗りしなかったので仲間たちの元から少し離れて休んでいました」
「そうだったのね。……その手に持っているものはなあに?」
香織が首を傾げる。柚子は持っていたものをよく見えるように掲げた。
「これは……休んでいる最中に作っていた花冠です」
「わあ、綺麗!」
香織がパッと顔を輝かせる。柚子は再び微笑んだ。
「よかったら、差し上げますよ」
柚子がそう言うと、香織は嬉しそうな顔をしながらもう一度その場にしゃがみこんだ。柚子が香織の頭の上にそっと花冠を載せる。
「よくお似合いです」
柚子がにっこりと笑う。香織の頬に赤みが差したのは、演技のようには見えなかった。
「……ねえ、通りすがりさん。私、あなたともっと仲良くなりたいな」
香織が言う。だが、柚子は首を横に振った。
「僕も同じ気持ちです。ですが、もう戻らないと怒られてしまう……。また会いましょう。きっとすぐに会えますよ。そんな気がするのです」
柚子は申し訳なさそうに言うと、小さく頭を下げてからその場を去ってしまった。香織が残念そうな顔をする。やがて、香織は溜息をついてから柚子とは反対方向から衝立の向こうへと戻っていった。
「……劇は順調」
勝元はそう呟きながら辺りを見回した。園児たちはなんだかんだで劇を楽しげに観てくれている。ルサルカの二人がいてくれてよかった。勝元は改めてそう思った。だが、問題は……。
「……妖怪、出てこないですね」
貴史が小さな声で言う。勝元は頷いた。
劇はそろそろクライマックスだ。終幕するまでに妖怪に出てこなかった場合のことも事前に考えてはいるが、計画が上手く行かないとなるとやはり不安になってくる。
「どーなっちゃうのかなー……」
勝元は腕を組んで仲間たちを見守った。ありさが糸車を持って衝立の裏側から出てきたところだ。
「ふんふんふーん」
花冠をつけたままの香織が鼻歌混じりにスキップしながら出てくる。
「あの人、素敵だったなぁ。もっとお話したかった……あら?」
香織はありさの姿に気付いて立ち止まった。ありさは香織に背を向けて床に座り、糸車を回して糸を紡いでいる。ちなみに、この糸車は陰陽団の経費を使って通販サイトで購入したものである。
「ルサルカだー」
「KAORIとALISAだ!」
園児たちは再び嬉しそうに甲高い声を上げた。
「あなたは誰? そこで何をしているの?」
香織が不思議そうに声を上げる。
「糸を紡いでおります」
「それ、どうやってやるの? 見せて!」
香織は興味津々な様子でありさに近づいた。
「わあ、くるくる回ってる! 面白ーい!」
「KAORIあぶないー!」
「だめー!」
香織が指を突き出すと、園児たちは彼女を守ろうと声を上げ始めた。だが王女は止まらない。糸車の針に指を近づけていく。
「これ、どうなってるの……」
そう言って針にそっと触れた途端、香織はその場に力なく倒れてしまった。園児たちが「ああー!」と残念そうな声を上げる。
「……ふふふ。……はははは」
ありさがにやりと笑う。やがて、その笑い声は次第に大きくなっていった。
「あっはははははは!」
ありさは両手を広げて天を仰いだ。園児たちは若干怖がっている。
「良い魔法使いが私の呪いを弱めたようだが……問題はない。この城も封印してやろう。蔓草よ! 城を覆い尽くすのだ!」
「乙弐顕現急急如律令……如意蔓」
勝元は小さな声でブツブツと術を唱えた。その途端、勝元の手元から蔓草が伸び、衝立の周りをぐるぐると覆い始める。本当は原典のように茨槍を使いたかったところだが、あれはその名の通り槍のように鋭く危険なので如意蔓を代用することにしたのだ。
「……五行結印術をこんなことに使う人初めて見たわ」
あきらが何とも言えない声で呟いた。
「わー! なにこれー!」
「あのひとからでてる!」
「わ、マジか」
突然園児たちの注目を浴びてしまった勝元はギョッとした。前見て、前! 劇を見て! と心の中で叫ぶ。
だが、そのおかげで園児たちにせっせと簡易ベッドを準備しているところを見られずに済んだ。王と王妃と良い魔法使いが王女を簡易ベッドに横たわらせる。沙也香は泣き真似をしていた。
「ああ……どうしてこんなことに……」
「守ってやれなかった……」
「大丈夫です」
椿が力強い声で言った。
「強い意志を持つ者がこの城に近づいているのを感じます。きっとその人が王女様を助けてくれる……信じましょう」
椿はそう言うと、二人をこの場から離れるように促した。
「ここにいては危険です。蔓草に閉じこめられてしまう……私はこの城に近づく者に力を貸してまいります。あなた方はどうか逃げてください」
椿がそう言うと、涼介と沙也香は頷き、衝立の裏へと戻っていった。
「悪い魔法使いの魔法によって、お城は完全に蔓草に覆われてしまいました。そんな中、あの時お姫様が出会った男の人がお城に近づいていました……」
翼が神妙な声で台本を読む。柚子が衝立の後ろから出てきて、中央から少し離れたところで辺りをキョロキョロと見渡した。
「あの時の女性はきっとこの国の王女様……せっかくだから一言きちんとご挨拶をと思ったが、この蔓草は一体?」
「……あなたは、隣の国の王子様ですね」
椿が柚子に近づいて口を開いた。柚子は椿を見て驚いたような顔をする。
「はい、そうです。これは一体……? この国で今何が起こっているのですか?」
柚子が尋ねると、椿は悲しげに目を伏せた。
「悪い魔法使いの呪いによって、王女様が深い眠りに落ちてしまっているのです。王女様を救うためには真実の愛の力が必要……あなたは王女様をご存知なのですか?」
「……ええ、一度お会いしたことがあります。助けに行かせてください!」
柚子が強い声で言っておもちゃの剣を勢いよく抜いた。椿は頷いた。それから、魔法をかけるように両手を掲げる。勝元は術を解いた。柚子が剣を振るうのに合わせて、蔓草がみるみるうちに消えていく。園児や幼稚園教諭たちは圧倒されているようだった。種も仕掛けもない、正真正銘の魔法のように見えているだろう。
「王子様は良い魔法使いと一緒に城の中に入り、困難を乗り越えて奥までやってきました。そこには、ぐっすりと眠るお姫様と悪い魔法使いが待っていました!」
椿と共にゆっくりとした歩きで簡易ベッドの元へ近づいてきた柚子は、ありさと向かい合って厳しい顔をしていた。
「あなたが悪い魔法使いか……覚悟しろ!」
「やれるものならやってみるがいい!」
ありさは上擦った声で言った。園児たちはもはや完全に彼女を怖がっている。
「ありささん、悪役楽しそうだな」
勝元は思わずそう呟いていた。
柚子がおもちゃの剣を、ありさが作り物の杖を構える。二人は「おおおおお!」と声を上げながら互いの方に走り出した。なかなかの白熱ぶりである。やがてすれ違った二人が立ち止まると、ありさが苦しそうな声を上げながらその場に倒れた。
「ううう……うああ……ああああああ!」
「いや本気でやりすぎでしょ」
ありさの呻き声に怯えている園児たちを見ながら、勝元は冷静な声を上げた。
ありさと椿が素早く衝立の向こう側へと去っていく。柚子は剣を鞘に戻すと、ゆっくりと香織の元に近づいていった。
もうクライマックスだ。だが未だ妖怪は出てこない。ここは観念して次の作戦に切り替えるべきだろう……そう思いながらも、勝元は仲間たちの演技を観てどこか楽しんでいた。
「王女様」
柚子が静かに口を開く。
「僕もあなたのことをもっと知りたい。そのためにあなたを助けに来ました。……どうか目を覚ましてください」
柚子はそう言うと、ベッドに手をかけ、園児たちに見えないように背を向ける形で香織にキスをする、ふりをした。
柚子が体を離す。香織がぱちくりと瞬きをして目を開いた。香織と柚子が見つめ合う。
「……あなたなのね」
香織が嬉しそうな声で言う。
「はい」
柚子も優しい声でそう返した。
その時、ボトッという鈍い音が聞こえてきた。天井から何かが落ちてきたようだ。ちょうど柚子と香織のすぐ近くに落ちてきたそれは、半裸の女性のような姿をしていた。脚がなく、下半身は蛇のように伸びている。黒く長い髪の毛が、生気のない顔にべったりと貼りついている。
「今ッ?」
陰陽師たちの素っ頓狂な叫び声が、せいわ幼稚園に響き渡った。




