眠れる森の勇者たち(5)
「キャーッ!」
「うわああああん」
「ウワーッ!」
園児たちが悲鳴を上げた。幼稚園教諭たちもパニックになっている。勝元は慌てて走り出し、仲間たちの元に向かいながら印を結んだ。
「乙弐顕現急急如律令——如意蔓!」
再び勝元の手元から蔓草が伸び、現れた妖怪の体を拘束する。勝元は衝立の横に立って妖怪の姿を観察した。妖怪は如意蔓から逃れようともがいている。
「あの女の子供はどこじゃ……」
妖怪は嗄れ声で囁いた。ガサガサで不気味な声だ。園児たちの怯えた顔が視界に入る。彼らの目にはあの妖怪の姿はとても恐ろしく映っているだろう。どうにかしなければ。勝元がそう思ったその時、何か小さなものが激しく回転しながら素早く横を通り過ぎていき、やがて妖怪の喉元に刺さった。妖怪は苦しそうに息を吸いこんだが、声が出ていない。どうやら手裏剣によって喉が潰れたようだ。ふと隣を見ると、衝立の裏から姿を出した涼介が、妖怪の前で呆然としている柚子と香織を険しい表情で見つめながら立っている。
「……」
柚子は固まっている。このたった数秒の間に様々なことを考えたに違いない。だが、今何をすべきか分かったのか、彼女は次の瞬間には王子の顔に戻っていた。
「……そうか……すべての元凶は、あなただったのか」
「えっ?」
勝元と涼介は気付けば同時に声を上げていた。
「王女様と、王女様が愛するこの国を脅かす者はこの僕が許さない!」
「あの子このままアドリブでどうにかしようとしてるの?」
門の札から剣を引き出しながら高らかに声を張り上げた柚子を見て、勝元は信じられない思いで呟いた。だが、いざ考えてみるとそれしか方法がないように思えてくる。本来の作戦では劇が終了しても妖怪が出てこなかった場合は続けてクイズ大会を開いて時間を稼ぐ予定だったが、その作戦がこの状況で活きるとも思えない。
「カハッ……ヒュッ……」
妖怪の喉から声にならない音が漏れている。妖怪はギョロギョロと目玉を動かして柚子を睨みつけた。
「それにしてもこの蔓草……まさか悪い魔法使いの……まだ力が残っていたのか……?」
「あ、ありささん巻きこもうとしてる」
柚子のアドリブを見た勝元は思わず呟いた。
王子の台詞に応えて、ありさが衝立の裏から出てきた。勝元は涼介と共に衝立の後ろへと隠れ、少しだけ顔を出して園児たちの様子を伺った。子供たちはすっかり落ち着きを取り戻して話の続きに夢中になっている。
「そう、それは私の魔法だ」
ありさはそう言いながらシュッと形代を飛ばした。形代が妖怪の背中に張りつく。その瞬間、妖怪は突然背に重いものを落とされたかのようにガクンと姿勢を崩した。
「……やはり、間に合わなかったか」
ありさが低い声で唸る。
「あの女というのは、恐らくこの国の王妃のことだろう。彼女は千年前にこの世界を闇で覆った影の女王を封じた巫女の生まれ変わりだと言われている」
「え、なんて?」
沙也香が声を上げた。
「昔、一つの予言があった……影の女王が倒れてから千年の月日が過ぎた後、巫女の生まれ変わりが影の女王を蘇らせる力を持つ子を産むという予言だ」
「ややこしいな」
涼介が大真面目な顔で呟いた。ありさは重々しい口振りで続ける。
「予言を知る者はみな王妃が子を産むことに反対していた。だが王と王妃は子に罪はないと言って王女を産んでしまったのだ! だから私は再び影の女王が蘇る前に王女を殺そうとした……しかし、失敗してしまった。永遠に目覚めなければ影の女王も甦らないと思っていたが、王女は眠りの中で無意識に力を使ってしまったようだ」
即興で考えたとは思えないほど長く複雑な台詞を平然と口にするありさに、勝元はどうしても言わずにはいられない言葉があった。
「最近ちょっと思ってたけど、ありささんってもしかして結構……」
「厨二病?」
言い淀む勝元に続けて、涼介がはっきりと口にする。二人は顔を見合わせた。
「深い眠りの中で使われた力は不完全だった……あれは封印されていた影の女王が蘇りかけている姿。完全復活するため、王女の元にやってきたのだろう」
「影の女王あんな姿なのにガッツすごいな……」
涼介がどこかずれたツッコミを入れた。
柚子を見る。彼女はしばらく静止していた。ありさが即興で作った設定を頭の中で整理しているのだろう。
「……これ、私も出るべきかしら」
椿が困ったように声を上げる。
「あの女って、つまり私のことだよね……」
沙也香は面倒そうな顔を浮かべている。
「王妃が行くなら……俺もか……?」
涼介も迷っているようだ。
勝元は友人たちを見つめた。あの妖怪と戦うためにも、前に出る他ないだろう。だが、彼らの背中を押すにはそれよりももっと大きな理由がある。勝元はニヤッと笑った。
「行ってら!」
「すげえ嫌な笑顔……」
涼介があからさまに不快そうな顔をする。
「だってみんなのアドリブ面白そうだし見たいよね!」
「言っとくけど光宗くんも戦うんだよ」
「分かってるってー」
沙也香の言葉に勝元は呑気に返した。そんなやりとりをしているうちに、椿が一足先に衝立の前へ出ていた。
「……そういうことだったのですね」
椿は抑えた声で言った。
「悪い魔法使い……あなたのやり方は間違っています。ですが、あなたの闇の女王の復活を阻止したいという思いは本物なのでしょう。私も力を貸します」
椿はそう言うと素早く弓を番え、ちょうど如意蔓から抜け出した妖怪を狙って矢を放った。矢は妖怪の腰の辺りに刺さり、妖怪は痛みに呻いた。
「椿ちゃんもノリノリだ」
勝元が衝立の後ろから覗きこんで様子を伺っていると、背後で大きな溜息をつきながら沙也香が動き出すのを感じた。
「……私もやはりあなたを受け入れることはできません。ですが、責任を持ってやれることはやりましょう」
「この国と、この国に住まうすべての民を守るために!」
沙也香と共に前に出た涼介が毅然とした態度で言う。沙也香が印を結び始めた。
「癸壱顕現急急如律令——水ノ壁!」
沙也香が術を唱えると、大きな泡が妖怪の体を包んで浮かび上がった。上半身と下半身の境目の辺りに刺さっていた矢をようやく抜いた妖怪は、泡の中で怒り狂っている。
「え、えっとぉ」
いつの間にか揃っている登場人物たちを見て、翼は慌てた声を上げた。焦った表情を浮かべながらもナレーションを続ける。
「もう一度復活しようとしている闇の女王を倒すために、みんなが力を合わせようと勢揃いしました」
翼はそう言うと、なぜか翼はナレーターであるにも関わらずいきなり登場人物たちの元に飛びこんだ。
「そして、なんと伝説の勇者もやってきました。そう、俺のことです!」
翼は満面の笑みでそう言って、左手の親指を自分に向けて突きつけた。
「エーッ? なんかいいとこ持ってこうとしてる!」
勝元は思わず大声でツッコミを入れてしまった。何が何だか分からないがとりあえず盛り上がっている劇にかぶりついていた園児たちが、大きな声に驚いて勝元の方を見る。
「あっやば……えっと」
再び注目を浴びてしまった勝元は、まずいと思いながら園児たちと仲間たちを交互に見つめた。どうせ戦わなければならないのだ、もうどうにでもなれ!
「伝説の魔法使いもいるよ!」
勝元はそう言いながら園児たちに向かってピースサインを作ると、勇者の後に続いた。園児たちの向こうに、何だこれはという顔をしてこちらを見ているあきらと群治郎の顔が見える。
「闇の女王はまだ力を蓄えきれてない……まともな攻撃手段を持っていないはずです!」
椿が叫んだ。アドリブで劇に合わせつつ、妖怪の状態を分析して一同に伝えてくれたのだ。
「一気に行きましょう。伝説の勇者の力を借りて! 王女様! 共にこの結界を割って彼に託します!」
「ええ! 初めての共同作業ね!」
柚子が言うと、香織は刀を抜きながら嬉しそうにそう返した。
二人が同時に水ノ壁に得物を突き立てる。泡が割れて妖怪の体が落ちてきた。既に準備をしていた翼が勢いよく飛び出して、妖怪の体を真っ二つに斬る。勝元はその瞬間に不知火の術を唱えて、園児たちに妖怪のグロテスクな死体が見えないように姿を隠した。園児や幼稚園教諭たちには妖怪がまるで魔法のように焼き消えたように見えているだろう。実際、彼らの間にはどよめきが走っている。
「わあーっ!」
「きえた! きえた!」
「すごー!」
「どうなってるのー?」
園児たちは大盛り上がりだ。先程不知火の炎を出した位置からして、妖怪だけでなく柚子と香織以外の全員の姿が隠れているはずだ。
不知火の術の力が消えないうちに、勝元たちは急いで妖怪の死体を衝立の裏に運んだ。そして、衝立の後ろから柚子と香織の方を覗きこむ。二人はしばらくの間どうすればいいのか考えていたようだが、やがてどちらからともなく顔を見合わせて微笑み合った。
「そして、闇の女王はいなくなり、みーんないつまでも平和に幸せに暮らしました。めでたしめでたし!」
王子がそう言ってとびきり爽やかなスマイルを浮かべると、園児たちは手を叩いて歓声を上げた。
「……どうにかなった……」
階段を下りながら、柚子は心の底から安堵の声を上げた。
無事に任務を終えた一同は、団服に着替えてそれぞれ荷物を抱えて幼稚園の玄関へと向かっているところだった。柚子たち女子陣は自分の衣装のみを、勝元たち男子陣は衣装以外の道具も運んでいる。涼介の荷物が一番大きい。衝立を折り畳んでそのまま持っている。
「ほんとにね……」
あきらが皮肉っぽく言う。
「肝が冷えたよ」
群治郎も心から安堵した様子で言った。
「柚ちゃんがアドリブで続けようとした時はビビったよ」
自分の衣装がない代わりに糸車や赤子の人形などの小道具と涼介の衣装を持っている勝元が呑気な声で言った。
「え……でもそうするしかなくなかった?」
「まあ、そうだな」
柚子が返すと、涼介が足元から目を離さないままそう言って頷いた。
「ありささんのおかげで話もまとまったしよかった!」
柚子の言葉に、ありさは無言で照れながらも誇らしげな表情を浮かべていた。やはり彼女はああいったものが好きなのだろう。
「てか一橋くん、一人だけいいとこ持ってこうとしてたよね」
勝元がそう言って振り向いた。
「そのつもりだったけど更にお前持っていこうとしただろ。なんだよ伝説の魔法使いって!」
翼が噛みつく。翼は自分の衣装と簡易ベッドを両手に持っている。
「伝説の魔法使いとか言われたら良い魔法使いも悪い魔法使いも霞んじゃうよね」
ありさも口を尖らせた。
「ねー、椿ちゃん」
「え? あ、えっと、そうですかね……?」
突然話を振られた椿はポカンとしてから曖昧に答えた。特に自分の役にこだわりがないようだ。
「かっけーシーン作ってもらえたんだからいいじゃん」
沙也香が言うと、翼はニヤッと笑った。
「まあな。とどめは俺が刺したからな! サンキュー藤原!」
翼がそう言ってニヤッと笑った。柚子は目を瞬いた。最近は自分を意識してばかりの様子の彼に少し遠慮していたが、今この瞬間は気にしなくてよさそうだ。
「どーいたしまして!」
柚子はそう言って満面の笑みを浮かべた。
「……園児たちにはとどめを刺したのは光宗くんに見えてると思うけどね……」
沙也香が翼に聞こえないように小さな声で呟く。柚子は苦笑した。
「ところで、あれってなんていう妖怪だったの?」
香織が尋ねる。
「多分、子とろ子とろです」
椿が淀みなく答えた。
「女性の嫉妬の感情から生まれる妖怪で、幼い子供を好んで喰べます。なんでも、妬ましく思っていた女性の子供を探し続けているとか……」
「ふーん……座学では習わなかったけど、弱かったね」
柚子は先程の戦いを思い出しながら言った。あの状況の中で被害を出さずに妖怪を討伐することが最大の課題であっただけで、妖怪自体はお世辞にも強いと言えるようなものではなかった。
「大して強くないのに都合で影の女王だなんて大層な名前をつけられて倒される妖怪って……何だかな」
涼介が何とも言えない声で言った。
玄関が見えてきた。一同は外に出ると、重い荷物を地面に下ろした。帰りのバスも幼稚園側で手配してくれるとのことなので、準備が終わるのを待っている。
「……あっ! ねえねえ!」
香織が突然大きな声を上げた。一同が彼女の方を向く。
「せっかくだから打ち上げしようよ! 自分たちだけの力だけで妖怪を倒した記念!」
香織は楽しそうに笑っている。
「幼稚園のみんなも無事だったし、私たち結構頑張ったと思う!」
「……確かに。ここにいる人間みんな頑張った」
自分に言い聞かせるようにして声を上げる香織に、ありさが頷きながらそう返す。なんてことのない軽口だったが、柚子は思わず体を強張らせた。
「いいですねー」
勝元がのんびりとした声で賛成する。
「あ……でもお二人がこの辺りでいきなりお店に入ったらちょっとした騒ぎになってしまうかもしれないですよね。普段行ってたお店って……どういう……?」
椿が遠慮がちに尋ねると、香織とありさは互いに顔を見合わせた。
「そっかー、あんまり行かない方がいいのかぁ」
「お店は……連れていってもらうことの方が多かったね」
二人はそう言って考えこんでしまった。すると、意外なことに涼介が口を開いた。
「……コンビニとかで適当に食べたいもの買って、みんなでダラダラ食うとかどうすか?」
「お、それいーな」
涼介の提案に翼が食いついた。
「コンビニなら、お二人の食べたいものも代わりに買ってこれますね」
沙也香がそう言って微笑む。だが、香織は険しい顔をしていた。
「商品見て決めたい……!」
「気持ちは分かる……」
ありさもしんみりと呟いている。
「コンビニのお菓子っていっぱいあるよね! ちょっと前に出た番組でもいろいろ紹介されてた……気になってるのが何個かあるんだよねー」
「え、じゃー軽く変装します?」
「行けるかなぁ?」
かなり悩んでいる様子の香織に勝元が尋ねる。香織が本気の表情で返すと、一同は笑い声を上げた。
「なんか急に思ったんだけど、妖怪ってお菓子とか食べるのかなー? 人を喰べちゃう奴が多いけど」
「人間がデザートに見えているのかもしれない……」
能天気な調子で疑問を口にした香織に、ありさがふざけて怖い声で返した。仲間たちが再び笑い声を上げる。柚子は笑わなかった。
「こえー」
翼が冷やかすような声で言う。
「妖怪の種類によっては、あながち間違いでもない気がするわ……」
椿は考えながらそう言った。
「まあ、こんなにいろいろ種類があって美味しいのは人間のお菓子だけだよねー!」
「いや、そんなことはないかもしれませんよ」
朗らかな様子で言う香織に、沙也香が意地悪く声をかけた。
「妖怪にとって人間はいろんな種類があって美味しいのかもしれない……」
「想像したくないー!」
脅すような声の涼介の呟きに、香織は更に楽しそうに高い声を上げた。
柚子はずっと黙っていた。深い意味はない冗談だと分かっている。勝元以外、誰も何も知らないのだ。だが、あまりいい気分ではなかった。
「……あきらさんとぐっさんも一緒にダラダラします?」
勝元が少し離れたところに立っているあきらと群治郎に声をかける。
「私たちはいいわ」
あきらが首を横に振る。
「頑張ったみんなで楽しみなー」
群治郎もそう言って笑った。
「貴史くんは? 一緒にお菓子とか食べる?」
香織が膝に手を当てて貴史に視線を合わせた。ずっと黙って横で一同を見ていた貴史は、急に話しかけられて戸惑っているようだった。
「じゃあ、ちょっとだけ……あ、帰ったらまず父さんに報告に行かなくちゃいけないんですけど……」
「全然いいよ! 終わったらみんなで食べよ!」
香織は優しい声でそう返した。
「何食おっかなー」
翼がワクワクした様子で声を上げる。
「私、コンビニにどんなお菓子があるのか全然知らない……」
「まあ、じっくり見て決めればいいだろ」
困った様子でそう言う椿に、涼介が軽く声をかけた。
「うええ、やっぱり私も直接見て決めたいよー!」
「こうなったら私たちみんなで頑張って隠しますよ、お二人のこと」
香織が大きな声で嘆く。沙也香がそう言うと、香織とありさはガバッと沙也香の顔を見た。
「神……」
ありさが呟く。
「ありがとう……! あっじゃあ、時間かかんないように候補だけでも決めとくね!」
香織は感激して目を潤ませながらそう言うと、急いでスマートフォンの画面をつけてコンビニの商品を確認し始めた。
「……柚ちゃんは? 何か好きなコンビニスイーツとかあるの?」
ふと声をかけられて、柚子はハッと我に返った。
私、ここにいていいんだよね。人間じゃないけど。妖怪だけど。だって、みんな仲間だし……。
「なっ、何でも好き! 食べられるなら何でも!」
慌てて声を上げると、勝元は思いきり吹き出した。
「食べられるなら何でもってめっちゃ範囲広くない?」
「だってー、嫌いなものないんだもん! 甘いものは好きだけど!」
柚子が言い訳するように言うと、勝元は目を細めて笑った。
「知ってる」
バスのエンジン音が鳴り響いた。準備ができたようだ。一同は荷物をもう一度持ち直すと、ぞろぞろとバスに乗りこんだ。みんな、心なしか足取りが弾んでいる。柚子にはそう見えた。
「……それで、ちゃんと見てきたのか?」
太郎が低い声で唸るように尋ねる。陰陽団基地東京支部に帰るなりすぐに父親の部屋にやってきた貴史は、ゆっくりと頷いた。それから、どこか遠くを見つめるような顔をする。
「……あれが白面金毛の娘かぁ」




