眠れる森の勇者たち(2)
「あれ? ワンちゃんだ」
翌日、学校から帰ってきた柚子は陰陽団基地の玄関を見るなり声を上げた。一匹の黒い柴犬が丸くなって眠っている。
「えーなんでいるのー? かわいー!」
柚子は真っ先に柴犬の元へ駆け寄った。沙也香と勝元と椿も柚子を追いかける。柚子と椿はしゃがみこんで柴犬を観察した。とても大人しい。
「お、みんなおかえり」
玄関から声が聞こえてきた。群治郎だ。隣には太郎もいる。柚子と椿は立ち上がった。
「それ、うちの子。おばあちゃんだから優しくしてやってね」
群治郎が言う。
「ぐっさん犬飼ってたんですねー」
「可愛いですね」
勝元が少し驚いたような声を上げる。椿はそう言って微笑んだ。
「ありがとう」
「名前はなんていうんですか?」
沙也香が尋ねる。
「……スミレ」
「スミレちゃん! 可愛いねー」
柚子は小さな子供に話しかけるような口調で言いながらそっとスミレに手を伸ばした。嫌がる素振りはない。柚子はスミレの頭を軽く撫でた。短い毛がふわふわしていて気持ちいい。椿も再びしゃがみこむと、ウズウズしている様子でスミレを見つめ、やがてスミレの体を優しく撫で始めた。
「なんでスミレちゃんがここにいるんですか?」
沙也香が問うと、群治郎は小さく息をついた。
「……俺、しばらく寮で生活することにしたんだ。だから連れてきたんだよ」
「え! 寮ってペットオッケーなんですか?」
柚子が手を止めて尋ねる。すると、太郎が大げさに首を横に振る。
「ほんとはだめだよ。でもどうしてもって言うから特別に」
「団長、頼めば何でも許してくれる説あるよね」
勝元がボソッと呟いた。
「まあ基本大人しいみたいだし、団員たちの心の癒しになるならそれもありかなと思ってね。世話はちゃんと自分でやってもらうけどねえ」
「それは当然ですよ」
太郎の言葉にしっかりとそう返すと、群治郎もまたその場にしゃがみこんだ。「ほれほれ」と言いながらスミレの喉の辺りをくすぐる。スミレは気持ちよさそうにしている。
「あっ! ワンコいる!」
ふと声が聞こえてくる。振り向くと、ちょうど翼と涼介がやってきたところだった。二人は最近放課後に待ち合わせて一緒に基地に来ることが多いらしい。翼はすぐさまスミレの元に駆け寄ってきた。
「スミレちゃんって言うんだってー」
柚子がスミレを撫でながら言うと、隣にやってきた翼は一瞬固まってから「そ、そうか」と答えた。頬が赤く染まっている。いや分かりやすすぎる。柚子は心の中でそう呟いた。
まだ陰陽師としての勤務開始時間には少し余裕がある。柚子たちがスミレの前に群がって彼女に癒されていると、更にもう一人誰かが門を潜り抜けて基地の玄関前にやってきた。柚子たちより少し年下に見える、あどけなさの残る可愛らしい雰囲気をした少年だ。
柚子たちが凝視するのを無視して、少年は真っ直ぐに太郎の元へ歩いていく。右手には大きな瓶を持っている。どうやら日本酒が入っているようだ。
「誰……?」
「え、酒瓶直持ち?」
沙也香が引いたような声を上げる。
「大集合だね」
少年を見た群治郎がそう言った。
「はい、おみや」
男の子は太郎の目の前にやってくると瓶をぐいっと前に突き出した。太郎が瓶を受け取る。それから、瓶に貼られたラベルをしげしげと眺めた。
「五郎八か……まあ嫌いじゃない。ありがとさん」
「団長、それ一人で飲むんですか?」
群治郎が淡い期待をこめた口調で言う。
「うん、そうだよ」
太郎が無慈悲に返す。群治郎は露骨に残念そうな顔をした。
「あの……そちらの男の子は?」
立ち上がった椿が遠慮がちに尋ねる。太郎は慌てて「ああ!」と声を上げた。
「君たちは初めてか。僕の息子の貴史だよ」
「えっあっ……息子さん?」
沙也香が面食らった声を上げる。
「そういえばいるって言ってた」
「次期団長ってことか」
柚子が言うと、勝元もそう呟いた。
「ほら、挨拶しな」
太郎がそう言って息子の両肩に手を置く。貴史は柚子たちを見て小さく頭を下げた。柚子と翼は立ち上がった。椿が「よろしくお願いします」と言いながら丁寧に頭を下げる。
少し眠たげな顔をした、独特の雰囲気を持つ男の子だ。貴史は高校生たちを確認するように順番に視線を向け、やがて柚子の方を見た。貴史はじっと柚子を見つめたまま動かない。柚子はだんだん居心地が悪くなってきた。
「ジロジロ見るのはやめなさい」
太郎がぴしゃりと言う。貴史はハッとすると、再び小さく頭を下げた。
「すみません」
「いっ、いえいえ……」
柚子は苦笑いしながら小さく手を振った。
「これからたまに任務を見学させようと思ってるんだ。まずは簡単な任務からとなると、君たちのお世話になることになる。どうぞよろしくねえ」
太郎はそう言ってにやりと笑った。
「ちょうど君たちに任せられそうな依頼も入ったしね。……そろそろお仕事の時間にしようか?」
陰陽団基地の中に入り、普段から使用して部屋に集合する。部屋にはあきらと香織とありさが待っていた。
「さて」
柚子たちがそれぞれ席についたことを確認すると、太郎は口を開いた。あきらと群治郎は隅の方に立っている。貴史は太郎の隣にいる。
「あの子だあれ?」
香織がコソコソと言う。
「団長の息子さんの貴史くんです」
椿が囁き返した。
「昨日、新陽区のとある幼稚園に不審者が現れたという通報が入った」
太郎の言葉に、柚子たちは姿勢を正した。
「目撃した子供たちの話を聞くに、どうも様子がおかしいみたいでねえ。普通の人間じゃなさそうなんだ。だから僕たちの元に連絡が来た」
太郎はそう言って意味ありげな笑顔を浮かべた。
「幼い子供を狙う妖怪の強さなんてたかが知れている。だから君たちにどうにかしてもらおうと思ってね。あきらくんと群治郎くんには一緒にいてもらうけど、極力何もしないように頼むよ。あと、今回は僕の息子に見学させてやってくれるかな」
太郎は貴史の肩に手を置いた。
「山川貴史、十二歳。陰陽師としては役に立たないけど、僕と同じように呪術師としての才はある。とりあえず君たちの仕事を見せてやってくれるかな?」
「見学してもらう分には構わないのですが、大丈夫なのでしょうか? まだ義務教育が終わっていないのに……」
椿が発言すると、太郎は大きく頷いた。
「その辺は気にしなくていいよ。山川家は関係ないから。それに、ついていっても大丈夫そうな任務だからお願いしてるわけだし」
山川家は関係ない。それでいいのだろうか。だが、太郎は実に朗らかな声で答えた。
「とりあえずみんなにはその幼稚園に行ってもらおうか。後は頼んだよ!」
一同は陰陽団基地から十数キロ離れた先にある、せいわ幼稚園へという場所へとやってきた。
現在は臨時で園を閉めているらしく、子供たちの姿はない。幼稚園側が準備してくれたバスを降りるなり、香織が「幼稚園とか懐かしいね!」と元気に声を上げた。
「香織ちゃんは変わってないね……あの頃からアイドルになりたがってた……」
ありさが青白い顔をして言う。どうやら車酔いしてしまったらしい。
「ありさちゃんも幼稚園の時にはもう陰陽師になる気満々だったよね! からかわれたこともあったのに貫いてて……かっこよかった!」
「まあ、それが宿命だと思ってたからね……」
ありさは妙に気取った口調で囁いた。酔い止めを片手に持っているせいでまったく格好がついていない。
「きゅ、急なルサルカの裏話! あとありささんは乗り物酔いするのね……お大事に……」
椿が感激して泣きそうになりながら二人を見つめている。
やがて、柚子たちは幼稚園の園長に案内してもらいながら園内を回った。園長は壮年の女性だった。あきらと群治郎と貴史は大人しくついてきている。
「ここが妖怪が出たと思われる場所です」
園長がそう言って立ち止まった。「あやめ組」と書かれている。年中クラスの教室の一つのようだ。
「どんな風に出てきたんですか?」
勝元が尋ねる。
「壁に貼りつくようにして出てきたと……園児たちは言っていました。髪が長い女の人だったとも……」
「そんなん急に出てきたらガチでビビるな」
翼が冷静な声で言った。
「……ここ、壁なくせるようになってるのか」
「ん? あ、ほんとだ」
ふと涼介と沙也香が声を上げた。涼介の言う通り、あやめ組と隣のぼたん組の教室の間の壁が横にスライドできるようになっている。仕切りをなくして二つの教室を繋げて、大きな一つの部屋として使うことができるようだ。
「ああ、はいそうなんです。大人数を集める際や大きな動きをする際に使えるようになっています」
「あー、私の通ってた幼稚園もこんな感じだったかも」
柚子はなんとなく思い出しながら声を上げた。
「妖怪が現れた時、あやめ組はどういった状況だったんですか?」
「自由時間でした。雨が降っていたので、みんな教室の中で遊んでいました」
椿の質問に園長が答える。一同はその答えに納得して小さく頷いた。
それから柚子たちはあやめ組を中心に辺りをよく見回ったが、異変は何も見つからなかった。結局妖怪を発見することができないまま、一同は一度陰陽団基地へ帰ることとなったのだった。




