眠れる森の勇者たち(1)
いつもと同じ訓練を終え、終礼のために部屋に戻る。席順は決まっておらずどの席に座るかは自由だが、みんないつも同じ席に座る。左の列の一番前の席に涼介と椿。中央の列の一番前の席に柚子と勝元。柚子が空間を挟んで椿の隣になる形だ。そして柚子の後ろに沙也香が座るので翼はその隣に座る。いつもこうだ。
そう、いつもと同じ。普段通りで何も変わらない。おかしなことなんて何もない。何もかも今まで通りだ。
今朝、柚子の夢を見てしまったこと以外は。
「……あー……」
呻き声を漏らしながら翼は机に突っ伏した。
昨日、腕なし様との戦いの途中に藤原柚子の胸を触ってしまった。わざとではなく偶然のことで、それどころではなかったこともあってか柚子も気にしている様子はまったくなく他の誰にも知られていない。だが、翼の中では密かに大問題へと発展していた。あれから柚子のことしか考えられないのだ。
我ながら単純だと思う。だが、どうしても頭から離れない。やっぱり胸でけーなとか、ちょっとあったかかったとか、顔マジで可愛いよなとか、ノリいいし性格もいいよなとかそういうことが。
そうやって柚子のことを考えて落ち着かないまま就寝した結果、彼女が出てくる夢を見てしまった。内容は絶対に本人に言えない。そんな夢だ。
こんな理由で好きになるとかあるかよ。翼は心の中で吐き捨てた。もっとロマンチックな理由が欲しかった。俺めっちゃ馬鹿っぽい!
顔を上げて、斜め前にいる柚子をこっそりと見つめる。訓練中は主につぐみを頼りつつ柚子と一緒に行動をしていることが多いが、今日は彼女の顔をまともに見ることができなかった。嫌でも夢の中での姿を思い出してしまう。
「柚ちゃん」
「ん?」
勝元が柚子を呼ぶ。ぼうっとした様子だった柚子が勝元の方を向いた。
「知ってる? この動画」
勝元がスマートフォンの画面を柚子に見せる。柚子が「何?」と言いながら首を傾げて覗きこんだので、画面が見えなくなった。
「かわいー! 何これー!」
柚子が笑いの入り混じった甲高い声を上げた。何の動画を見ているのかは分からない。柚子の声で興味を持ったらしい椿が反応して柚子の方へと体を乗り出す。翼は柚子の長い髪を見つめていた。勝元の肩に髪がかかっていることに気がついた柚子が、両手で髪をまとめてから首の左側へと流す。翼は柚子のうなじに釘づけになっていた。なんだ今の。エロ。
改めて見ると、この二人の関係は一体何なんだという気持ちにさせられる。距離感は完全に彼氏と彼女だ。だが、二人は付き合っていないと聞いている。最近付き合い始めたのだろうかとも考えたが、もし交際に発展した場合は確実に勝元が自慢してくるだろう。付き合っていないこと自体は確かだ。
交際はしていないが相思相愛である二人の、曖昧で心地良い関係性。漫画やドラマなどでよく見るものと同じに見える。
二人がここまで仲良くなったのはパートナーであることだけが理由ではないのだろう。二人は椿と沙也香と同じ学校で同じクラスだし、何よりこの陰陽団基地の寮で暮らしている。共に過ごす時間は自分よりずっと長い。
光宗は実家から近い本部じゃなくて東京支部に来ることにしたからここに住んでるんだよな。以前彼からそのような話を聞いたことがあった。家から出たかったという気持ちは理解できる。……藤原はなんで寮に住んでるんだろ。家遠いのか? でも天野は実家だしなんか理由があんのか。
いいなー、光宗。俺も藤原とイチャイチャしてえ。お前がいるから頑張る気にもなれねえ。だってどう見てもお前藤原のこと好きじゃん。いや分かるよ。そんな顔良くておっぱいでけえ女子に優しくされたら俺も好きになる。てかもう好きだし。藤原も多分……光宗のこと好きなんだろうし。……好きじゃないって可能性あるかな? 女って何考えてるか分かんねえし。いやでも好きだろ。何も言われなかったら普通に付き合ってるようにしか見えねえもん。つかなんで付き合わねーの? ここまで来たらむしろはっきりしてくれや。光宗のことも嫌いじゃねーし、別にお前から藤原を奪いたいわけじゃねーんだよ。
つかあんなに女子の近くに行ける時点でわりと住んでる世界がちげえ。こいつ何者? たまに思うけど、光宗ってもしかして童貞じゃねーのかな……うわマジか……?
「はあ……」
心の底から大きな溜息を吐き出すと、隣からも同じように溜息をつく音が聞こえてきた。翼は驚いて沙也香の方を見た。
「え……何?」
口をポカンと開けてパートナーを見つめる。沙也香は怪訝な顔をして翼を睨んでいた。あれ? もしかしてこいつ……。
「あーそういうことか!」
翼は思わず声を上げていた。
「は?」
沙也香は意味が分からないという顔をしている。
「お前さ……」
「食堂行く人ー!」
話を切り出そうとしたところで、柚子が大きく手を伸ばしながら朗らかな声を上げた。
「はーい」
勝元がやる気のない声で挙手する。
翼が悶々と柚子と勝元のことを考えているうちに終礼は終わっていたらしい。沙也香が手を挙げようとしたその時、翼は声を張り上げていた。
「あっ! 俺と天野、ちょっと話あるから……後で行く!」
「え?」
沙也香が目を丸くした。
「さっきから何なの?」
沙也香が眉を寄せる。
「わりい、すぐ終わるから!」
「分かったー」
嫌そうな顔をしている沙也香を尻目に、柚子はなぜかどことなく嬉しそうな声で答えた。
「私も行くわ。都くんは?」
そう言いながら椿が立ち上がる。
「……行くか」
涼介ものっそりと立ち上がる。
「じゃ行こ! 二人とも先行ってるねー」
柚子がそう言って沙也香と翼に軽く手を振る。その様子を見て勝元が口を開いた。
「なんか柚ちゃんめっちゃ嬉しそうじゃない?」
「だってみんな前より仲良くなってるじゃん? 都くんなんて今椿のこと名前で呼んでるんだよ?」
「え、そうだっけ?」
「まあ……流れで……」
「じゃあ俺も椿ちゃんって呼んでいい?」
「え? い、いいけど……」
「ねー私と沙也香の時許可取ってなくない?」
「椿ちゃんはこーいうの慣れてなさそうだと思ったから遠慮してたんですー」
「お前そんな気遣いできるのか」
「俺とんでもない男だと思われてない?」
ぺちゃくちゃと喋りながら四人が部屋を出ていく。襖が閉まったところで、いきなり沙也香が口を開いた。
「話って何?」
沙也香は面倒くさいという感情を一切隠さない表情を浮かべている。だが、翼は慌てずもったいぶるようにして言った。
「俺は今初めてお前との共通点を見つけて……ちょっと感動してる」
「共通点?」
沙也香が怪訝な顔をする。
「ん」
翼はおおげさに重々しく頷いた。
やけに光宗に対して当たり強いよなって、ずっと思ってたんだよな。
「嫉妬してんだろ? 光宗に」
翼が軽い口調で言うと、沙也香は目をぱちくりと瞬いた。
「……は?」
明らかに動揺している。翼は構わず続けた。
「友達としてか、恋愛感情があんのかは知らねーけど。でも藤原が光宗と仲良くしてんの、嫌なんだろ」
「べ、別に……」
「どうなん? 友達として? 恋愛ならちょっとむずかしーよな。藤原の恋愛対象は多分男だし……」
「な、何言ってんの?」
沙也香が大声を上げる。右の肘を机について頭を手で支えながら先程までの柚子と勝元の距離を思い出していた翼は、彼女の声に驚いて目を大きく見開いた。沙也香は顔を真っ赤に染めて激しく狼狽している。パートナーがこんな顔をしているところを、翼は今まで一度も見たことがなかった。
「……好きなんじゃん」
沙也香の顔を見て、ボソッと呟く。
「ちが……」
沙也香はもはや泣きそうになっていた。
「つれーよな。俺も訳あって藤原のこと好きになっちったんだけど、勝ち目なくて泣きてえ」
「だから違うって!」
沙也香が声を荒げた。もう一度彼女の顔を見る。今度は顔面蒼白になっていた。
「嫉妬なんてしてない……好きだなんて……絶対違う……違う……!」
沙也香は頭を抱えて悲痛な声を絞り出した。明らかに様子がおかしい。翼は腕を離して体を起こした。
「お、落ち着け? そこまで否定しなくたっていいだろ」
翼は真面目な声で言った。今日恋心を自覚したばかりの自分よりもずっと柚子と一緒にいるはずの沙也香の表情はとても辛そうだ。ずっと一緒だったからこそ苦しいということだろうか。
「……私なんかが……好きになっていい人じゃない……」
苦しそうに声を出す沙也香を見て、翼は面食らった。
「そこまで? なんでそんな風に思うんだよ? お前結構重いタイプ? ……あ、女友達だからか」
柚子は沙也香のことを中学時代からの親友だと思っている。沙也香の好意はその関係を揺るがしてしまうような感情であることは確かだ。
「いやまあ……本人にバレたら考えさせちゃうだろうからその辺はキツいかもしれねーけどさ……悪いことではねえだろ」
「……」
沙也香は黙っている。そこで翼はハッとした。
「いや待て、もしかして自覚してなかった……? お、俺のせいで気付いた的な……」
ようやく自分の発言のデリカシーのなさに気がついた翼は、顔を真っ青にしてパートナーを見つめた。
「いや俺最低すぎじゃね? ご、ごめん……マジで、ごめん……」
もしかしたら、同じ人物に叶わぬ恋心を抱く者同士でちょっとした愚痴くらいなら言い合えるようになるのではないかと、そう思って軽く発言しただけのつもりだった。だが、翼は沙也香の反応を見て事の重大さに気付いた。彼女にとって、柚子への感情はそんな簡単な問題ではなかったのだ。
「……大丈夫」
沙也香が口を開いた。いつの間にか、普段通りのドライな雰囲気の彼女に戻っている。
「嘘をつくのは得意だから、絶対にバレない」
申し訳なさそうな顔をして隣を歩く翼を見て、沙也香は小さく息を吐いた。
「別に怒ってないから、普通にしてくれる?」
「え……いやほんとごめん……」
「大丈夫だって。……柚子とどうなりたいとかそういうのはないし」
沙也香は小さく呟いた。それから、少し考えて続ける。
「私、少なくとも男にそういう興味はないなってずっと思ってたんだよね」
沙也香の告白に翼は目を瞬いた。一方で、沙也香も驚いていた。自分で自分の発した言葉に対して驚愕したのだ。
「……なんでこんなこと教えてるんだろ」
沙也香は恐ろしく小さな声で言った。それから、すぐに考え直して投げやりに口を開く。
「まあ、どうでもいいことだけどね」
翼はもはや何と言葉をかけるべきなのか分からないのか、黙って沙也香の聞いていた。
「光宗くんより一橋くんの方がまだ許せるかも」
「えっ……」
翼は一瞬嬉しそうな顔をしてから、すぐにしおらしい表情に戻った。
「……えっ、なんで?」
「ムカつく要素が少ないから」
「何だそれ……」
沙也香の答えに、翼は困ったように唸った。
「……確かに、あいつの女子に慣れてます感はちょいムカつくけどな」
翼がブツブツと言う。沙也香は何も言わなかった。
中学生の頃、沙也香は虐められていたことがあった。その時自分を庇ってくれたのが柚子だ。それをきっかけに二人は一緒に過ごす時間が増え、やがて絆を深めていった。
柚子は優しい。仲良くなってから、彼女の魅力をたくさん知った。本当に良い子だと思う。
彼女は自分が好きになっていい人ではない。他人に嫉妬するなんて以ての外だ。思い上がるのもいい加減にしろ。沙也香は自分に言い聞かせた。こんなこと、絶対に許されない。




