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灰吹きから蛇が出る(5)

「おりゃあああああ」


 刀を構えた翼が勢いよく腕なし様の元へ駆けていく。腕なし様はどうやら目の修復を諦めたらしい。手裏剣が突き刺さったままの目から血の涙を流しながら、翼の声に気付いて方向転換する。


「ヤバい、声で場所がバレてる!」

「えっ」


 柚子が慌てて言うと、翼も焦った声を上げた。すると、ちょうど反対方向である腕なし様の背後から声が聞こえてきた。


「ええええええい!」


 香織だ。香織は振り返った腕なし様の元まで走ってくると、その体を力任せに思いきり斬りつけた。


「サンキュー、香織パイセン!」


 翼は軽快に礼を言いながら同じように腕なし様に斬りかかった。悲鳴を上げる腕なし様に、すかさずあきらが凄まじい勢いのパンチをお見舞いする。腕なし様の体は吹っ飛びこそしなかったものの、衝撃を受けてその場にグラリと倒れこんだ。あきらは素早く回りこんで腕なし様に更に近づき、腕なし様が倒れる瞬間にありさの形代を剥がしてその場をサッと離れた。


「もうあんたたち……」


 あきらが歯を食いしばりながら翼を見つめた。それから溜息をつく。どうやら、高校生たちを戦いから退けさせることを諦めたようだった。


「絶対に言うことを聞きなさいよ!」


 あきらが吠える。


「はい!」


 柚子たちは調子よく返事をした。


「新人ちゃんたち、問題児すぎるだろ!」


 瑛玲那が叫ぶ声が聞こえる。


「普通の子供やったら絶対に参加させへんけど、陰陽師でもあるんならその矜持はぜひ評価したい……! ややこしい問題やわ……ええ子たちやけどめっちゃ心配やー……!」


 玄人はといえば、むしろ柚子たちに寄り添う形で本気で悩んでくれている。


「ここまで消耗させれば後は……」


 あきらが言ったその時、腕なし様の体から水が滲み出てきた。また波が起きるのだろうかと柚子は構えたが、違った。水は薄い膜のように広がって腕なし様の体を覆っていく。


 体にぴったりと貼りついた水のベールのようなものを纏った腕なし様は再び体を起こした。カラン、と金属が床に落ちる音が辺りに響く。涼介の手裏剣が目から飛び出して落ちた音だ。血の涙は鱗にこびりついたままだが、眼球の傷自体は回復している。腕なし様は心なしか先程までより余裕があるように見えた。体に纏う水によって傷をほとんど治してしまったようだった。


「しぶといわね……」


 あきらが呟いた。


「一旦隠れよう」


 勝元が素早く言った。一同はその場から走ってショップのカウンターに飛び乗り、反対側に隠れた。柚子がもたついている椿の手を引っ張って、どうにか全員姿を隠す。


 柚子はカウンターからギリギリのところまで顔を出して様子を確認した。あきらは腕なし様から一定の距離を保ちながら攻撃し続けているが、どうもあまり効いていないように見える。群治郎や九龍隊の一同も弾を撃ちこんでいるが、決定打にはなりそうにない。ありさや香織、他の近接攻撃を得意とする陰陽師たちは接近できずにいる。腕なし様は彼らの攻撃を流しながら柚子を探しているようだった。


「一橋」


 涼介がふと声を上げた。


「何?」


 椿と翼が同時に声を上げる。涼介は「あっ」という顔をして二人を交互に見つめた。どう呼べばいいか迷っているようだ。


「えっと……、……椿の方」

「の方、って……」


 困った顔をしながらも椿を呼ぶ涼介を見て、柚子は呆れたように言った。


「矢を一本借りてもいいか?」


 涼介の質問に、椿は面食らった顔をした。


「え? いいけど……」


 椿がそう答えながら矢を一本手に取る。椿が手渡そうとすると、涼介は「持ったままでいい」と言いながら肩からかけていた鞄から何かを取り出した。一同が涼介の手元を覗きこむ。涼介は刷毛《はけ》のようなものを持って矢先に何かを塗っていた。


「えっ……何それ」


 沙也香が怪訝な声を上げる。涼介は平坦な声で答えた。


「鴆……ちづるさんの毒」


 一瞬の沈黙が六人を包む。それから、柚子たちは「あー……」と曖昧な声を上げた。


「地味だけどこれぞ忍者って感じはするな」


 翼が呟いた。


「……どれくらい効くかは分からないけど……毒を持つ妖怪はほとんどいない。そんな簡単には分解できないんじゃないかと思う」

「……いい作戦だと思うわ」


 椿はそう言って、矢先に触れないようにしながら慎重に矢を弓に番えた。準備を終えた椿は、腕なし様の様子を見ながらゆっくりと立ち上がった。腕なし様は尾を振り回して陰陽師たちを振り払おうとしている。椿を除いた五人も首を伸ばして腕なし様の姿を確認した。弓を構えた椿に気付いてこちらを向いた腕なし様と目が合った。


「行け! 椿!」


 涼介が叫ぶ。椿は勢いよく右手を離した。


 鴆の毒が塗られた矢は真っ直ぐに飛び、腕なし様の左目に命中した。


「ギャアアアア!」


 腕なし様が叫び声を上げ、そのまま身悶えし始めた。頭を激しく振っているが、矢は取れない。腕がないから矢を抜くことができない。矢は深く刺さっているのか、簡単に落ちることはなかった。


 腕なし様の体がびくびくと波打っている。毒が効いているようだ。やがて腕なし様は痙攣し始めた。耐えようと顔を振って体勢を整えようとしているが、体の震えは治らず、一定のリズムで痙攣したり止まったりを繰り返している。陰陽師たちは何が起こっているのかよく分かっておらず、明らかに様子がおかしい腕なし様を見て混乱していた。


「早く畳みかけないと毒を分解される!」


 涼介が大声を上げた。


「乙弐顕現急急如律令――如意蔓!」


 涼介の言葉を受けて、勝元が素早く飛び出して印を結んだ。如意蔓は速く長く伸びて、腕なし様の体に絡みつく。


「戌弐顕現急急如律令《ぼにけんげんきゅうきゅうにょりつりょう》――膨膨《ぼうぼう》!」


 次に飛び出したのは沙也香だった。初めて聞いた術だ。沙也香の目の前で床が勢いよく迫り上がった。ワンテンポ遅れて、迫り上がった部分の先の床が先程よりも広い範囲で隆起する。更にもう一度その先の床が更に大きく広がって隆起。如意蔓を解こうともがいていた腕なし様は、まさに如意蔓を引きちぎったその瞬間に激しい勢いで盛り上がった床に押し出されてその場に大きく浮き上がり、ひっくり返って鈍い音を立ててその場に落ちた。


 今しかない。柚子はいつものように怪しまれない程度の猛スピードでその場を駆け抜け、腕なし様の頭の目の前までやってくると、大きく開かれた口の中に腕を伸ばし、内側から大蛇の脳天を剣で貫いた。


「ギャアアアアアアア!」


 腕なし様が今までとは比べ物にならないほど不気味で強烈な悲鳴を上げた。痛みに悶えて体を振り回す。腕なし様が体を起こしかけたその時、弾みで柚子の右腕に腕なし様の牙が思いきり食いこんだ。


「あああ痛あああああ!」


 突如右腕を襲った激痛に柚子は絶叫した。


「柚ちゃん!」

「柚子!」

「藤原!」


 仲間たちが顔面蒼白で柚子の名を叫ぶ。柚子は目の先がチカチカするのを感じた。陰陽師や警察官たちも大慌てで柚子と腕なし様の元へ駆け寄ってきた。


 腕なし様がのたうち回る。腕なし様の口の中からぶら下がって柚子の体も揺れていた。余計に痛い。さっさと腕を離して降りるべきだろうが、牙が刺さった右腕に力をこめられない。このまま最後の力で噛み砕かれてしまってはまずい。


「あああー痛い痛い痛い痛い痛い……」


 柚子は涙を流しながら悲痛な声で何度も呟いた。目の前が白くなってきた……。その時、ふと体が軽くなったような気がした。


「うおりゃあ!」


 翼の声だ。腕なし様が再び悲鳴を上げる。やっとの思いで後ろを振り向くと、翼が柚子と同じように刀を腕なし様の脳に突き刺していた。更には、右腕で柚子の体を支えている。やがて、力尽きた腕なし様が体を横たわらせると、翼は左手を刀から離して柚子を背後から抱きしめる形でクッションになった。


「はあ……はあ……」


 腕なし様の顔に覆い被さられながら、翼の体の上で柚子は荒い息を吐いた。


「大丈夫か……アッ!」


 翼はいきなり大きな声を上げたかと思えば、パッと両手を離した。


「ご、ごごごめん」


 翼がかなり焦った様子で謝ってきた。手が胸に当たっていたことを謝罪しているのだろうが、そんなことはどうでもよかった。柚子は翼の手が離れた隙に、力を振り絞って腕なし様の牙から腕を引き剥がした。


「あああ痛いいい!」


 柚子はそのまま転がって、翼から離れて右腕を体で隠すようにうつ伏せにうずくまった。


「マジで大丈夫か? いや大丈夫じゃねえよな? 早く誰かに診てもらわねえと!」


 翼の切羽詰まった声が上から聞こえる。


「うう……大丈夫……ありがとう……」

「いやいやいや!」


 翼は激しく否定している。


 体全体で右腕を隠しながら少しだけ顔を上げると、勝元たちがこちらに駆け寄ってくるのが見えた。


「大丈夫?」

「起きれる?」

「傷は?」

「無理すんな!」


 仲間たちが声をかけてくる。先程まで死ぬほど痛かったのは事実だが、当然もう傷は治り始めている。絶対に見られてはいけない。柚子は相変わらず体で右腕を覆うようにしながら答えた。


「だいじょぶ……」

「いや絶対大丈夫じゃないでしょう!」


 椿が怒鳴り声に近い声で言った。


「立てるか? 無理そうなら誰かを呼んでくる。えっと……」


 涼介が余裕のない声でそう言って辺りを見回す。


「あ、ぐっさんとハルさん来る」


 勝元が言った。既に玄人のことをハルさんと呼んでいる。二人が柚子たちの元へ走ってくるのが見えた。


「我々がついておったのに、ほんまに申し訳ない。守れへんかって情けない……今すぐ救急車呼ぶわ」


 玄人は真っ青な顔をしてそう言い、スマートフォンを取り出した。しかし、群治郎がそれをやんわりと止めるように腕を伸ばした。


「妖怪による傷なんで、一旦こっちで診ます」

「え……いや、確かにそっちの方がええか。でも骨折れてるんちゃう? 大丈夫なんか?」


 玄人は心の底から柚子の身を案じてくれているようだ。


「柚子ちゃん、大丈夫? 体起こせる?」


 群治郎は柚子が返事をする前に続けた。


「柚子ちゃんは俺が基地に連れていくよ。みんなはあそこに……ほら、みんな集まってるでしょ、あっち行ってて大丈夫」


 群治郎はそう言いながらどこかを指差した。映画館の出入口付近に陰陽師たちが集合している。


「でも……」


 椿が心配そうに声を上げた。


「大丈夫、先に帰ってすぐ月隊の人に診てもらうから。とりあえず応急処置だけしよう。柚子ちゃん、それまで我慢できる?」

「はい」

「よし、じゃあ行こう。みんなも早く、ほら、集まってるから」


 群治郎はそう言って一同を急かした。事情を知っている勝元は妙な顔をしたまま何も言わない。勝元以外の四人は納得が行かないというような表情で柚子と群治郎を見ていたが、やがて気が引けるといった様子でたまにこちらを振り返りながらも陰陽師たちの元へと向かっていった。


「ほんまに大丈夫なんか?」


 玄人は胸を痛めている様子で言う。その優しさに柚子は申し訳なくなった。


「……大丈夫です。ありがとうございます」


 柚子は顔を上げて玄人の目を見つめた。とても真っ直ぐに光る瞳だった。


「……ほな、陰陽団さんに任せます。ほんまにお大事に。あとは俺たちはしばらく現場を捜査していきますさかい、よろしくお願いします」

「はい。いろいろとありがとうございました」


 玄人の言葉に、群治郎は礼儀正しく頭を下げた。玄人は小走りで九龍隊の仲間の元へ向かっていく。


「……ありがとうございます」


 柚子は体を起こすと、小さな声で礼を言った。血だらけではあるものの傷一つない右腕に、群治郎が包帯を巻き始めた。まだチラチラとこちらを見ている仲間たちに怪しまれないためにだ。


「どういたしまして」


 群治郎は何でもないことのように返した。柚子は自分の右腕を見つめながら黙っていた。


「柚子ちゃん」


 群治郎に名を呼ばれて、柚子は顔を上げた。群治郎の表情と声色は普段よりずっと真剣だ。


「自分は簡単には死なないからって無茶しがちになってるんだろうけど……みんなは知らないから心配するよ」

「……でも……」


 群治郎の言葉に柚子は詰まった。群治郎の言いたいことはよく分かる。でも、無茶をしないわけにはいかないのだ。


「私以外の誰かが傷つくことになるより、正体を知られないまま私の力でどうにかできるならそっちの方がよくないですか?」


 柚子は思っていることをそのまま口にした。勝元や沙也香たちは怪我をしてもすぐには治らない。致命傷を受けたらそのまま死んでしまう。そんなことは絶対あってはならない。もう、誰も失いたくない。


「まあ……確かにその方が一応平和だけどね」


 群治郎はやりきれない、とでも言いたげな様子だ。


「本当はもっと早く簡単に妖怪を倒せるはずなのに正体を知られたくないから本気で戦ってないなんて、すごく卑怯なことだと思うんですけど……でも、どうしたらいいか分からない……」


 柚子はそう言って俯いた。小さく拳を握りしめる。


「柚子ちゃんは本気で戦ってるでしょ」


 包帯を巻き終えた群治郎が軽い声音で言う。


「え?」


 柚子は顔を上げて目を見開いた。


「こんなの全然……全然本気じゃないですよ」


 自分で言って自分で辛くなってくる。自分は普通ではないのだということを、嫌でも理解しなくてはいけない。


 だが、群治郎は変わらぬ口調で続けた。


「バレないようにしながらみんなと協力して勝つにはどうすればいいか、本気で考えてるでしょ?」

「……」

「柚子ちゃんが頑張ってるのは伝わってるよ」


 柚子は黙ったままだった。下唇をギュッと噛みしめる。


「柚子ちゃんには俺よりもできることがたくさんあるだろうし、それを抑えろなんて俺には言えないけど、無理はしちゃだめだよ」


 群治郎はそう言うと、柚子の頭を軽くポンポンと叩いた。


「分かってても、俺も心配しちゃうからね」


 そう言って、優しいながらも少し寂しげな微笑みを浮かべる。群治郎のそんな顔を見たのは初めてだった。


「よし、じゃあ誤魔化すために外まで支えながら歩こうと思うけど、大丈夫? あきらの方がいいか?」

「……ぐっさんの方がいい」


 柚子が呟くと、群治郎は小さく笑った。


「あいつ怖いもんな。それじゃちょっとそこまで……こっちにおいで」


 群治郎はそう言って右腕を伸ばした。柚子はその腕をじっと見つめた。柚子よりずっと太くて逞しく、優しい腕だ。


「……失礼します」

「失礼されます」


 群治郎の返事に柚子はクスクスと笑った。群治郎の右腕に左腕を絡め、体重をかける。「歩くよー」と言って群治郎が動き始めると、柚子は群治郎の二の腕にそっとこめかみの辺りを押しつけた。


 お父さんがいたら、こんな感じだったのかなぁ……。

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