灰吹きから蛇が出る(2)
白い大蛇はギロリと柚子を睨んだが、柚子には攻撃せず、シュルシュルと体をしならせながら凄まじい勢いでコンコースの方へ出ていった。
「ヤバいッ!」
柚子と勝元は同時に叫び、慌てて大蛇を追いかけた。
尊大で不気味な話し方。柚子への異様なほどの憎しみ。それから大きな蛇の姿……柚子の頭の中でパズルのピースがはまっていく。彼女こそが腕なし様だったのだ。まさか加賀智江里の正体が腕なし様だったなんて! 柚子は心の中で絶叫していた。道理で恨まれているはずだ。勝元とのことなど初めから関係なかったのだ。
「ぎゃあああああああ!」
コンコースでは人々が悲鳴を上げながら逃げ惑っている。ショップのスタッフたちも飛び出してきて館内は大混乱だった。腕なし様は我先にと出口へ走っていく人たちを追いかけ、そのうちの誰かに狙いを定めて頭をもたげる。危ない! 柚子は急いで剣を取り出すと、腕なし様に向かって思いきり投げた。
「アアアアアア!」
剣が体に刺さると、腕なし様はこの世のものとは思えない不気味な呻き声を上げた。再び周囲から悲鳴が上がる。普通の人間には出せない力やスピードでの技だったが、人々は逃げることに夢中で柚子のことなど見てすらいなかっただろう。だが気をつけなければ。腕なし様はゆっくりと柚子の方へ振り返った。さて、どうやって剣を取り戻すべきか……。
「どういう状況なの?」
人混みの中から椿の声が聞こえてきた。
「てかなんで光宗くんがいるの?」
沙也香の驚愕した声も聞こえてくる。
「ごめん詳しくは後で! えっと……」
柚子は早口に言った。腕なし様が猛スピードでこちらにやってくるのが見える。
「避難誘導と通報をお願い!」
柚子は二人にそう託すと、勝元の腕を引いて人にも見られても大丈夫な速度でその場から走り出した。しかし、腕なし様はそれよりも速い。
「丁壱顕現急急如律令――火ノ壁!」
勝元が柚子の手を解き、走りながら素早く印を結んだ。今までに見たものよりも二倍以上の大きさの火ノ壁が柚子と勝元の目の前に現れる。日頃の修行の賜物だ。
だが、腕なし様は火ノ壁をものともせずに突っこんできた。顔が燃えるのも厭わずに二人に噛みつこうと牙を剥く。柚子は勝元の手を引いて勢いよく後退した。
「えええなんで?」
勝元は動転している。柚子は咲也の話を思い出してハッとした。
「腕なし様は水神って言ってた! 水の力を持ってるから火行があんまり効かないのかも!」
「……最悪じゃーん」
こんな状況だと言うのに、勝元の声はどこか抜けている。
ふと視界の隅で椿と沙也香がスクリーンの方へ駆け抜けていくのが見えた。取り残された客やスタッフを探しているのだろう。二人に見られてはいけないと考えると、存分に力を奮うこともできない。
勢いよく床に噛みつく形となった腕なし様は、ようやく頭を上げて再度二人を睨みつけた。どうやら頭が重いのか、攻撃の動作は少し遅いようだ。
腕なし様は再び大きく口を開けて襲いかかってきた。今度は二人はギリギリまで腕なし様を引きつけると、左右に散って攻撃を避けた。
「まだ練習中だからちょっと微妙だけど……!」
柚子が腕なし様の背に刺さっている剣をどうやって取り戻すか考えあぐねていると、勝元がそんなことを口走った。柚子が勝元の方を見ると、勝元は今までとは異なる形の印を結んでいる。
「乙弐顕現急急如律令――如意蔓!」
勝元が術を唱えると、勝元の手元から蔓草が伸び、腕なし様の体にぐるぐると巻きついた。
「え!」
柚子は思わず顔を綻ばせた。以前任務で訪れた海水浴場で複数の陰陽師たちが使用していた技だ。
「オアアアア!」
腕なし様は如意蔓を解こうともがいている。今のうちだ。柚子は腕なし様の体に乗り、落とされないようにしがみつきながらどうにか剣を抜き取った。腕なし様の鱗はぬるぬるしている。なんだか不思議な触り心地だ。
「甲壱顕現急急如律令――」
勝元がまた違う術を唱え始めた。暴れる腕なし様から柚子が飛び降りた瞬間、勝元が印を結び終える。
「――茨槍!」
「アアア!」
いばらが飛び出してきて、槍のように腕なし様の体に突き刺さった。腕なし様は痛みに声を上げている。
柚子は剣を持つ手に力をこめた。このまま斬れば殺せるかもしれない! 剣を構え、腕なし様を狙って勢いよく振りかぶる。だが、腕なし様は柚子が彼女を斬りつけようとやってきた瞬間に如意蔓を引きちぎり、柚子に向かって大きな尾を叩きつけてきた。
「っとっとっと……」
慌てて方向を変え、クルッと回転しながら腕なし様の攻撃を避ける。
「だめか!」
柚子がそう言うと、腕なし様はまた噛みつこうとしてきた。
「乙壱顕現急急如律令《おついちけんげんきゅうきゅうにょりつりょう》――木ノ壁!」
勝元が唱えると、柚子の目の前に一本の大木が生え、腕なし様の攻撃を防いだ。勝元の新しい技の数々にちょっとした感動を抱きながらも、あることを思いついた柚子は、木の幹に頭をぶつけてふらふらしている腕なし様を狙って木ノ壁を剣で一気に斬り倒した。大きな木が折れて、鈍い音を立てて腕なし様の頭の上に倒れこむ。その隙に勝元が再び如意蔓を出し、腕なし様の体を固定した。
今度こそ斬る! 柚子が剣を握りしめ、腕なし様の体を狙って駆け出した途端、突如白い大蛇の体から大量の水が滲み出てきた。その水は大きな波となり、真っ直ぐに柚子を狙って襲いかかってくる。一瞬の出来事だったが、柚子にとってはスローモーションのように感じられた。正体を知られてでもこの視線の先に見える高波から逃げるべきか、あるいは恐らくどうせ死なないのだから攻撃を浴びるか、素早く思考したその瞬間。
「己壱顕現急急如律令――土ノ壁!」
沙也香の声が聞こえてきた。すると、床から迫り上がるようにして土でできた高い壁が柚子の目の前に現れる。まるで防波堤のようなそれに道を遮られた波は、勢いよく周囲に弾け散りながらも周囲に被害を出さずに跳ね返るようにして収まった。
「え……かっこいい!」
柚子は振り返り、間一髪の危機を救ってくれた親友の姿を目を輝かせて見つめる。
「すごい! ありがとう! ヒーローじゃん! 沙也香も新しい術使えるようになったんだね!」
柚子が歓喜の声を上げる。沙也香は大真面目な顔で「無事でよかった……柚子が死んだら私も死ぬ」と呟いていた。
「美味しいとこ持ってくのやめてー」
勝元が悲しみの声を上げる。
「みんなちゃんと逃げれた?」
柚子が尋ねると、沙也香と椿は頷いた。
「通報もしたわ。それと……一応翼にも連絡を入れた」
「都くんにも」
沙也香が付け加える。
「なんで?」
「私は今武器がないから」
勝元が聞くと、椿はそう言って気まずそうな顔をした。
「この状況で自分は戦えないって……申し訳ないから。多分、団から来る陰陽師の方が早いとは思うけど」
「そっか、今弓持ってないもんね。……都くんにはどうして連絡したの?」
柚子の質問に、沙也香はなぜかしばらく黙っていた。それから、自分でも納得が行っていないような妙な顔をして答える。
「それは……みんなが戦ってるのに自分だけ知らなかったっていうのは嫌かな……と思って」
沙也香の言葉に柚子は思わず目を瞬いた。あまり彼女らしくない発言だと思ったのだ。だが、おかしなことなど何もない。なぜなら沙也香は陰陽師であり、涼介は陰陽師として大切な仲間なのだから。
「まあ、本来は休みだし来るか来ないかは自由だけど」
早口にそう続けた沙也香を見て、柚子は小さく笑った。
「それで、どういう状況なの?」
椿が真面目な声で問う。柚子は少し考えてから口を開いた。
「えっと……勝元と加賀さんも偶然同じ映画館に来てて……それで、加賀さんが腕なし様だったの」
「ええっ?」
沙也香と椿が驚いた声を上げる。当然の反応だろう。
「えっあれ腕なし様なの?」
沙也香は動揺している。
「加賀さんがってどういうこと?」
椿もすっかり混乱していた。
「私も詳しいことは全然分かんない! でもそうなの。トイレの前で鉢合わせてこんなことに……」
「そんなに柚子に怒ってるってこと? やばいね」
沙也香はそう言って腕なし様の方を見た。腕なし様はのたうち回っており、激しく床に体を叩きつける音が響いている。もう一度如意蔓を解こうとしているのだろう。
「腕なし様は水神だったんだって。だから勝元の火行も沙也香の水行も効かない」
「だった、ってどういうこと?」
椿が食いつく。柚子は咲也の話を思い出していた。
「前に咲也さんに腕なし様についてちょっと話を聞いたことがあるんだけど……その時に腕なし様は妖怪に堕ちていてもおかしくないって言ってたの。だから多分、もう神様じゃないと思う」
柚子が言ったその時、激しい音が響き渡った。拘束を解いた腕なし様が、思いきり土ノ壁を破壊したのだ。四人は素早く後退し、椿を守るようにしてそれぞれ構えを取った。土ノ壁がボロボロと壊れながら消えていき、やがて土埃の中から巨大な影が浮かび上がる。
「その忌々しい名で呼ぶな!」
腕なし様は低い声で唸った。腹の中が震えるような気味の悪い感覚に陥る。
「腕がないのではない。脚がないのではない。腕も脚も要らぬ! 我にとって四肢など枷。この姿こそが至高なのだ!」
「自己愛が強いなぁ」
勝元が腕なし様を見上げながら呑気にそんなことを言う。
「……元神様の妖怪とか言っても大したことないよね」
柚子は軽い口調で言った。腕なし様がぐるりと首を動かして柚子を睨みつける。柚子も負けじと睨み返した。
「だって、こんなチャラ男一人の誘惑もまともにできないんだから」
腕なし様は怒りに任せて大きく口を開け、牙を剥き出しにして尾を細かく震わせた。巨大な威嚇音に思わず耳を塞ぎたくなる。
「なんか俺間接的にめちゃくちゃディスられてない?」
まさに臨戦態勢といった状況の中、勝元の素っ頓狂な声が響いた。




