灰吹きから蛇が出る(1)
今日は月曜日。土曜日に行われた猷秋祭の振替休日だ。陰陽師としての勤務もない自由な休日の昼下がり、柚子は沙也香と椿と共に四方通りを歩いていた。
以前にも行ったファミリーレストランで昼食を取った後、三人は今とある場所へと向かっている。
「映画館で映画観るのちょっと久しぶりー」
柚子は軽やかな足取りで言った。
「春休みに行ったきり?」
「うんそう!」
沙也香の言葉に柚子は頷いた。高校入学前の春休みに、柚子は彼女と共に海外のアニメ映画を観に映画館へ訪れた。気がつけば、もうそれから半年以上の時が過ぎている。
「私……友達と映画館に来るの初めて」
椿が呟くように言う。柚子と沙也香は一瞬顔を見合わせた。それから、柚子が椿の背中を軽く叩く。
「え、私たちと初めて来てくれたの嬉しー!」
柚子はそう言ってニカッと笑った。
「また来ようよ」
沙也香もそう言って微笑む。
「……ええ。ありがとう」
椿も嬉しそうに目を細めた。
「まあまだ映画館に着いてすらないけどね」
「ふふ」
沙也香がボソッと付け足した言葉に、椿はクスクスと笑った。
やがて、映画館に到着した柚子たちはチケットを購入するために受付の近くにある機械の元へ向かった。今日三人が観る予定の映画は、以前テレビで放送されていたコメディドラマの劇場版だ。痛快な作風はとても人気があり、公開が開始してからそれなりに時間が経っているものの映画はまだまだヒットしている。以前からこの作品が気になっていた柚子は、この休みを生かしてぜひ観に行こうと二人を誘ったのだった。
「この辺結構空いてるよー」
柚子はそう言って画面を指差した。真ん中より少し前方にある列の、中央辺りの席が複数空いている。
「ほんとだ、真ん中で三人並べるね」
沙也香も画面を覗きこんだ。
「あ……私、できれば通路側がいいわ……」
椿が少し申し訳なさそうな声で言う。
「オッケー。じゃあ……ここの三つは?」
柚子はそう言って、後方の列にある、通路側の端から三つの席を順番に押していった。隣や前後の席はまだ空いている。このまま行けばかなりリラックスできそうだ。
「いいよー」
「二人ともありがとう」
「いいえー」
「どーいたしまして!」
柚子は元気よく返すと、購入手続きに進むボタンを押した。
チケットを買った三人は、次にドリンクとポップコーンを買うためにショップの列に並んだ。上映開始まであと十五分ほどの余裕がある。ちょうどいい時間だ。
「んー……塩とキャラメルどっちも食べたいな……セットにしよっかな……」
柚子はレジの上にあるメニューを見上げながらブツブツと呟いた。昼食は済ませてきたが、こうやって見ているとやはり食べたくなってくる。
「柚子って本当によく食べるわよね……」
「ねー。私お腹いっぱい」
椿の呟きに、沙也香が腹部に軽く手を当てながら返した。
やっぱりセットにしちゃおっと。そう決めた柚子は、財布を取り出そうとバッグに手をかけた。その時、視界の隅に見覚えのある人影が写った気がしてハッと顔を上げた。
顔は動かさず、慎重に視線だけを向こうに動かしてもう一度確認してみる。チラッと見えるのは明るい茶髪の男の子と眼鏡をかけた黒髪の女の子。彼らが何者なのかを悟った瞬間、柚子は勢いよく方向転換して先程視線を向けていた部分に背を向けた。
いる!
二列離れたところに、勝元と加賀智江里がいる。
「ん? どしたの?」
沙也香が驚いた顔をする。
「ううん、なんでもない」
柚子は平静を装って答えると、こっそり溜息をついた。なんだか泣きたくなってくる。マジか……文化祭の振替の休みに映画を観に行くの被るって、高校生ってみんな考えること同じなんだ……。
柚子は下唇を噛み、絶対に振り向かないように気をつけながら、どうか二人に気付かれませんようにと祈った。
「面白かったねー!」
約二時間後、スクリーンを後にし、広々とした廊下に出た柚子は興奮しながら声を上げた。
「だね」
「そうね」
沙也香と椿も同意する。
「地味にアクションすごかったよね」
沙也香の言葉に柚子は頷いた。
「それね! かっこよかった」
「思ってたより良かった。ドラマの方も気になるわ」
「あ、椿ドラマは観てないんだっけ」
満足げに声を上げた椿に、沙也香がそう返した。椿は頷く。
「ドラマを観てなくても十分楽しめたけど……多分観ていたらちょっとした嬉しい要素があったのよね?」
「うん。ドラマの登場人物もちょこちょこ出てたよ」
「やっぱり」
柚子の答えに、椿は納得した様子で言った。
「そういうのがあると盛り上がるわよね」
「名前だけでも出てくると嬉しかったりするよね」
「分かるー」
沙也香も楽しそうに頷いている。二人を誘ってよかったと柚子は思った。映画そのものも面白かったが、友人二人が楽しんでくれたことが本当に嬉しかった。特に、家族以外と初めて映画館で映画を観た椿にとっても良い思い出になったようで柚子は安心した。そのまま感想を語りながらコンコースに出ると、柚子は二人の方に向き直った。
「私トイレ行ってくるね」
「分かったー」
「あ……じゃあ、グッズを見て待ってるわ」
椿がグッズ売り場を指差して言う。
「りょーかい!」
柚子は笑顔で頷いた。
手を洗い、ハンカチで濡れた手を拭き、鏡を見て軽く前髪を整える。早く二人の元に戻ろうと軽い足取りで女子トイレを出たその瞬間、柚子は凄まじいスピードでトイレに戻った。
またいる!
女子トイレを出てすぐの廊下に勝元と智江里がいる。
柚子は思わず目をギュッと閉じた。なんでこのタイミングで! だが、改めて考えてみるとむしろここまで出会わずに済んだことの方が奇跡かもしれない。柚子は映画を観る前に二人に鉢合わせずに済んだことに心の底からホッとした。
「……光宗くん、お待たせ」
「いいえー。……あー、どっかカフェでも寄る?」
「あ……うん」
二人の当たり障りのない会話が小さく聞こえてくる。柚子は死角になっている女子トイレの壁に軽く寄りかかって二人がいなくなるのをぼんやりと待っていた。
「……今日は……ごめんなさい。一緒に映画を観てくれてありがとう」
智江里が申し訳なさそうに礼を言う。
「あー……どういたしまして……?」
勝元は気まずそうにそう返した。
「……迷惑かけたよね」
智江里の様子は随分としおらしい。勝元の返事は聞こえなかった。どう返すべきか迷っているのだろう。彼女のアプローチはだいぶしつこかったらしいということは聞いている。
目の前には壁に設置された大きな姿見がある。柚子は鏡に映る自分を見て情けなくなってきた。
……私、何してるんだろ。
二人の会話を盗み聞きしても何にもならない。二人がこの先どうなろうと自分には関係ない。もうやめよう。
「余計なことをして、失敗して……無駄に時間を費やした」
「……無駄って……うーん……」
柚子は姿勢を正すと、そのまま歩き始めた。もう気付かれてもいいや。
「……こんなことになるなら始めから殺しておけばよかった」
「……えっ?」
急に聞こえてきた予想外な言葉に、柚子は立ち止まってしまった。柚子と勝元の驚いた声が同時に響く。
「えっ、あ、え? 柚ちゃん? なんでいるの?」
仰天した様子の勝元が、柚子に気付いて素っ頓狂な声を上げる。
「あっ! えっと……私も偶然沙也香と椿と来てたの!」
柚子は開き直ってそう説明したが、やはり少し気恥ずかしかった。だが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
「藤原さん、私たちのことつけてたの?」
智江里がせせら笑うように言う。
「だから偶然だってば!」
柚子は思わず声を荒げた。
「てかそれどころじゃなくて、さっき……こ、殺しておけばって……」
柚子は動揺しながら先程の智江里の言葉を繰り返した。状況が理解できない。なぜ彼女はそんなことを口にしたのだろうか。混乱しながら言う柚子を見て、智江里は無表情になった。
「同じ屈辱を味わわせてやろうと思っていたが……仕損じた。これ以上人間の男に媚び諂うなど無駄なこと。余計なことなどせずに始めから喰い殺しておけばよかったのだ」
智江里の喉から発せられているはずの声は、徐々に低くなり、しわがれた不気味なものへと変わっていく。智江里は血走った目で柚子を睨みつけていた。
「貴様のために徒に時を過ごしたこと……我にとってこれほどの恥辱はない……」
柚子と勝元は愕然として智江里を見つめていた。いや、その姿はもはや智江里とは言えない。目は切長になり、鼻は切れ込みだけになり、皮膚は白い鱗に覆われていく。彼女が口を開くと、そこからは二股に分かれた細長い舌が素早く飛び出してきた。みるみるうちに大きくなっていく体を滑らせるように動かしながら長い首をもたげるその姿はどう見ても人間のものではなく、そこにいるのはまさしく——白い大蛇。
「汚らわしい女狐め……今日こそは我が貴様を死よりも惨い苦しみの底に落としてやる!」




