いざ給え(3)
「それでは講習を始めます。担当は私桜庭です。よろしくね」
「よろしくお願いしまーす」
一同は朗らかに挨拶を返した。厳格なあきらではなく和泉が教えてくれるというだけでも少しは気が楽になるというものだ。初めて出会った時、あきらが柚子の正体を知った瞬間に態度を変貌させたことを思い出す。憎しみのこもった顔で銃を突きつけられたことを、簡単には忘れられそうになかった。
「では……今日は陰陽師にとっての基礎知識を教えます。必要に応じてメモを取ってね。そんなに難しくないから心配せんでいいよ」
和泉はそう言って微笑んだ。
「まずは妖怪について簡単に説明するね。妖怪とは、人間の負の感情が長い時間をかけて実体化したり、あるいは怨念となって生き物や物体に取り憑いたりしたものだと言われています。妖怪は眷属を生み出すことができるのも多くおって、そうやって生まれてきたもののことも我々は妖怪として認識してます。また、稀にいわゆる神様と呼ばれる存在が妖になってしまうことや、取り憑いた人間の負の感情が大きすぎて逆に飲みこまれて、更に強大な妖怪となってしまうことがあります」
柚子は鎌鼬と融合したような姿になっていた敦を思い出していた。彼は、鎌鼬を取りこんだというわけでもなさそうな奇妙なことになっていた。一体どういうことだったのだろう。
「妖怪にはたくさんの種類があって、強さも種類によって変わります。やけど、人間に被害を及ぼす妖怪たちは基本的にみんな人間よりも身体能力が高く、傷を修復する力を持っとるけん、よほど強力な一撃でも与えない限り即死することはほぼありません。また、人間の姿に化けることができる妖怪も多いです。デフォルトで我々人間の方が圧倒的に不利です。やけん私たちは複数人で協力して戦う」
和泉の言葉に、一同は固唾を飲んだ。
「まあ例えば戦車でドカーン! ってやったらさすがにその辺の妖怪には勝てると思うけど、妖怪は基本そういうのが使える場所には現れんけん陰陽師が頑張って戦ってます」
和泉は無念そうな声で言った。
「ちなみに警察にも妖怪に関わることに対応する課はちゃんとあるとよ。地域によっては陰陽師より早く現場にいてくれることもあって、お互いに協力し合ってます。例えば向こうは災害時の対応みたいなこともしてくれるから、こっちが戦いに専念できたりね」
「へえ」
翼が少し驚いたような声を上げた。
「今までに陰陽団が戦ったことのある妖怪は、どんなことをするのか、どんな風に戦えばいいのかっていう記録が残っとるから、みんなは陰陽師になってすぐはまずその辺りを学ぶことになります。やけん具体的にどういう妖怪がいるのかって話はその時でいいと思うんやけど、一人だけ今みんなに話しておきたい妖怪がおります。それは、この世で最も恐れられた妖怪について」
真剣に話を聞いていた柚子は、不意に聞こえてきた言葉に体を強張らせた。
「陰陽団は、いろんな妖怪と戦います。人間を襲ったり、害を与えたりする妖怪を狩るのが我々陰陽団の仕事です。……妖怪が人間を襲うことに、大きな意味はないと言われています。人間を襲う理由は捕食……悪戯……あるいは、縄張りにやってきた人間を撃退しようとしとるってのもあるかも。でも基本はそんなもので、大きな目的はないとされています。これは妖怪だけではなく、西洋で発見されているモンスターも同様やね。やけん陰陽師や他の対モンスター組織の世界では、『目的』を持って行動する存在はかなり特異で危険だとされています」
高校生たちは、黙って和泉の話に耳を傾けている。
「……過去に、明確かつ邪悪な目的を持っていた妖怪がいました。その妖怪は、たくさんの人間を殺し、妖の世を作るという意思の元に行動していた。才気に溢れ、膨大な知力と強大な妖力を持っていたと言われている……。『白面金毛九尾の狐』と呼ばれる妖怪です」
柚子は、声を出しそうになるのを必死に堪えた。
「白面金毛九尾の狐とは、その名の通り白い顔と金色の毛並み、そして九本の尻尾を持つ狐の妖怪です。九本の尻尾には、それぞれ特別な力が宿っとったと言われる……。白面金毛は三千年ほど前から悪事を働いていました。彼女は、相手にとって都合の良い姿に化けて魅了してくると言われています。美しい女性はもちろん、赤ちゃんや男性にも化けられた。白面金毛はかつて中国、インド、そして日本においてその力を使い、美女に化けて権力者に取り入り、国を滅ぼそうとしました。初めてその姿を発見されたのは中国最古の王朝、殷です。白面金毛は妲己という女性として現れて紂王の妻となり、彼を堕落させて実際に殷王朝を滅ぼしました。彼女は本当に邪悪で……当時の記録を見る限り、人を殺すことを楽しんでいたとしか思えんような残虐な行いをたくさんしています。例えば……」
和泉は「殷」、「妲己」、「紂王」とそれぞれの名をホワイトボードに書かながら説明していたが、ピタリと止まって高校生たちを見つめた。
「やっぱり今ここではやめとくね」
そう言って和泉が曖昧に微笑む。
「どうしても知りたい人は自分で調べてね。でも本当に胸糞悪いけん気をつけてください」
一同は緊張した面持ちで和泉を見つめていた。
「妲己はやがて正体を暴かれ、討ち敗れました。やけどここで重要なのは、妲己は紂王を堕落させて殷王朝を滅ぼすこと自体は成功させているということです」
柚子は瞬きもせずに和泉を見つめていた。
「……この時暴君紂王を討った武王によって創建された周王朝にも、白面金毛は現れました。十三代目の王、幽王を骨抜きにして皇后となった褒姒という女性が白面金毛です」
和泉は、ホワイトボードに「周」、「褒姒」、「幽王」と書いた。
「この褒姒はね、まったく笑わない人やったんやって。でもある日、間違って上げられた狼煙に集って慌てる兵士たちの姿を見て彼女は笑った。それを喜んだ幽王は、彼女の笑顔を見るために用もないのに狼煙を上げまくった。そして本当に攻め入れられた時に上げた狼煙を兵士たちに無視されてしまい、殺されて周王朝も滅びました。いわゆる狼少年的なやつやね。この時褒姒も死にましたが、二人の息子である伯服は生き残りました。後々考えるに、この時白面金毛は息子に化けて逃げ果せたのだと言われています」
もはや言葉もない。
「次に彼女が現れたのは、紀元前五世紀くらいの頃。天竺の摩訶陀国……今で言うインドにあった国です。白面金毛はここでも華陽夫人という美女に化けて王子の斑足太子を魅了し、妻となりました」
和泉が、ホワイトボードに「摩訶陀国」と「華陽夫人」、それから「斑足太子」の名を書く。
「斑足太子も華陽夫人の魅力によって堕落してしまいます。その後華陽夫人は正体を暴かれ、逃げていった……摩訶陀国は滅びずに済んだけど、白面金毛の悪名は更に広く知れ渡ることとなりました」
和泉はそこまで言うと、教室をぐるっと見回した。
「その後白面金毛は日本へとやってきて、平安の頃に玉藻前という女性に化け、鳥羽上皇の寵愛を受けます。しかしそれから間もなく鳥羽上皇は病に倒れ、妖狐の仕業だと気付いた安倍泰親という陰陽師によって正体を暴かれ、逃げていきました」
和泉はそれぞれ「玉藻前」、「鳥羽上皇」、「安倍泰親」と書きながら説明し、一息ついてから続けた。
「白面金毛は栃木の那須へと逃げました。そこでも悪さをしとった白面金毛は訓練を重ねた討伐軍によってとうとう追い詰められます。しかし、止めを刺す前に彼女は巨大な石へと姿を変えてしまいます。石が狐の姿に戻ることはなかったけど、近づく者の命を奪う強い瘴気を撒き散らしました。結局石には誰も手が出せず、その石は殺生石と呼ばれ、接近を禁じられるようになります。その後、南北朝時代に玄翁和尚っていうお坊さんの力によって殺生石はようやく砕かれることになります」
和泉が大きく「殺生石」の文字を書く。
「え、そんな後なのかよ? 石になってから結構経ってねえ?」
翼が驚いた声を上げた。鳥羽上皇の生きた時代から、大まかに数えて二百年ほど経過している。和泉は頷いた。
「そうなんよ。……それでようやく白面金毛の脅威は消え去ったと言われとったけど、近年になって新たな事実が発覚しました。白面金毛の娘を名乗る妖怪が現れたのです」
柚子は瞳を閉じて心を落ち着かせようとしたが、頭の中はパニック状態だった。心臓がバクバクと音を立てている。周りのみんなに心音が聞こえてしまうのではないかと思うと気が気ではなかった。
「十九年前のこと。突如現れた白面金毛の娘の元に、多くの陰陽師が向かいました。その時娘は、母親を復活させる方法を知っており、それを果たすことこそが自分の使命であると語ったと言われています。それから、力を蓄えるために既に何度も転生を遂げており、次できっと終わると語った。そして……その時出動していた陰陽師たちは、ほとんど彼女に殺されてしまいました」
「えっ?」
柚子は、とうとう我慢ならずに声を上げてしまった。
「……悲しいね」
和泉はそう言って目を伏せた。しかし、すぐに顔を上げて続けた。
「私はこの年に生まれとるけん、実際にこの事件を経験したわけではありません。でも、こんなことは二度とあっちゃいかん。白面金毛の娘が言っとったことが事実なら、彼女が次にこの世に生まれた時に白面金毛が復活してしまう。そしたらとんでもないことになる。きっと白面金毛は今の時代に合った方法でこの世を支配しようとするやろうと言われています。たとえその目的自体は叶わんくても、きっとたくさんの人が死んでしまう。それだけの力を彼女は持っとる……」
柚子は愕然としていた。どうして自分は今ここにいるのだろうと思った。あの時のあきらの反応は正しかったのだ。一体、どうして太郎は自分を陰陽師にしようだなんて考えたのだろうか?
「……何よりも恐ろしいのは、白面金毛の娘の存在そのものです。白面金毛の娘は陰陽団を壊滅させた後逃亡しましたが、その後森の中で自殺したと思しき彼女の死体が発見されました。いつの時代かは分からんけど、彼女はいつかまた現れる。強大な力を持つその娘がこの世にまた戻ってくる。娘が母親と同じようにこの世を妖の世にしようと考えとったとしたら? たとえ白面金毛が蘇らんかったとしても、同じような脅威になりうる妖怪がもう一体存在することになる……」
柚子は、誰にも聞こえないようにこっそりと息を吐いた。
なんとなくそんな気はしていた。やはり、あの夢はただの悪夢ではなくて本当にあったことだったのだ。柚子が失くした前世の記憶の一部。そう考えれば、夢の話をした瞬間に太郎が柚子を白面金毛の娘だと確信したことにも納得がいく。
「やけん、私たち陰陽団の活動目的は二つあります。一つは、一般の人々を妖怪から守ること。そしてもう一つは、白面金毛の娘を見つけ出し、然るべき方法で始末すること。白面金毛の娘は私たちが生きとる間には現れんかもしれんけど、その意識は常に持っとかんといけません。分かりましたか?」
柚子は口を開いたが、喉からは何の声も出てこなかった。はい、と返事する仲間たちの声が遠くから聞こえるようだった。
「大丈夫?」
座学の時間が終わると、前の席に座っていた勝元が振り返って小さな声で聞いてきた。私、勝元に正体を教えてよかったのかな……。そんなことを考えながらも、柚子は声を出さずに「大丈夫」と口を動かした。
勝元は何か言おうとしていたが、あきらが部屋に入ってきたので結局何も言わないまま前に向き直った。
「お疲れ様です。今から、先程見せてもらったあなたたちの力をそれぞれどうやって伸ばしていくべきかを記したメモを渡します。今日の残り時間と明日は、これに従って指導を受けつつ訓練をしてもらいます」
あきらはそう言って、高校生たちの名前を順に呼び始めた。一番に呼ばれた沙也香が立ち上がり、メモを受け取りに向かう。やがて名を呼ばれた柚子は、あきらから貰ったメモを見てまた気が滅入るのを感じた。メモには、「剣術は特に問題なし。何かあれば旅行が終わり次第団長に聞くこと。白面金毛の娘だと知られないように戦う練習をするように」と書かれていた。
「柚子、なんて書いてあった?」
隣に座っている沙也香が身を乗り出してきた。柚子はメモを人に見えないように手に持ったまま、「剣術頑張れ! 的な感じ。沙也香は?」と平静を装って答えた。
「私は、五行結印術で水行以外も使えるか試してみるように、って。それから、螺旋水流と白波以外も使えるように印を覚えなさいって」
「おー、なんかかっこいいね……」
柚子がそう言うと、沙也香は照れくさそうに笑った。
「剣使える方がかっこいいよ! 柚子がそんな風に戦えるなんて知らなかった。さすがすぎ」
怪しまずに褒め称えてくれる沙也香を見て、柚子は親友がこういう性格をしていてよかったと心から思った。
「それにしてもみんなすごいよね。まだ正式に陰陽師になったわけじゃないのにもう戦える感じ」
沙也香が言うと、話を聞いていた勝元が振り返って口を開いた。
「陰陽団に入る奴なんてほとんど陰陽師の家系の人たちばっかだからねー。既に家で特訓させられてた人が多いよ」
「なるほどねー」
柚子が言う。すると、沙也香の前に座っていた椿も振り向いた。
「でも、天野さんもすごかったじゃない」
「ありがと。私向いてるのかも」
沙也香はそう言ってニヤッと笑った。
椿は、柚子には特に何も言ってこない。祖父が陰陽師だったとでも思ってくれているのだろうか。とりあえず上手く誤魔化せていることにホッとしていると、あきらが声を上げたので一同は前を向いて姿勢を正した。
「沙也香と翼は道場へ来てください。桐真と和泉が直接あなたたちに教えます。他の人たちは外の訓練場へ。私たちが見回って、アドバイスできることがあればその都度伝えます。それでは、十五分休憩してから各自訓練を始めてください。以上!」




