いざ給え(4)
施設の外にある訓練場は、狭い運動場といったような場所だった。砂で覆われた平坦な地面の先には森が広がっている。火行の術で出した火が木に燃え移ってしまわないよう、勝元は森に近すぎない場所を選んだ。
少し視線を動かすと、剣の特訓をしている柚子が見える。柚子は剣を鞘に納めたまま構えて、木刀を持つ群治郎とやり合っていた。群治郎は剣道の経験者らしい。彼とあきらが柚子の正体を知っているということは柚子から聞いている。鍛錬の相手として都合がよかったのだろう。
森に近い方では椿と涼介がそれぞれ己の技を高めようとしていた。椿は歩きながら弓を射る練習をしているようだ。木に向かって何本も矢を打っては回収している。かと思えば、今度は立ち止まってから矢を放った。ちょうど木からはらりと散った葉に矢が命中する。勝元は思わず「すげえ」と声を上げていた。もう訓練する必要なくない?
一方、涼介はひたすら手裏剣を投げる練習をしていた。歩いては投げ、立ち止まっては投げている。更には、前方だけではなく右、左にも投げられるように体の向きを変えるなどの工夫もしている。勝元は真面目に訓練をしている仲間たちから目を逸らして大きく溜息をついた。
「はーあ」
こういう時間は嫌いだ。つまらない。面倒臭いことは大嫌いなのだ。しかし、勝元にはやらなければならないと思える理由が一つあった。
「親父の言うこと聞かないで特訓サボってたの、絶対バレてんな……」
勝元はそう呟くと、念をこめずに形だけで螺旋火炎の印を結んだ。目の前に小さな火の渦が現れ、すぐに消える。勝元はそれを虚ろな表情で眺めた。
螺旋火炎も火ノ壁も火行の中では比較的簡単な技だ。父親に初めて五行結印術を教わった際、勝元は二つの技を一発で成功させた。そう、まさに今日の沙也香のように。
沙也香ちゃんって柚ちゃんのこと追っかけて陰陽師やることにしたんだろうと勝手に思ってたけど、本当はそういう家柄だったりする? 勝元は考えこんだ。でも、天野家ってのは聞いたことないな……偶然現れた天才? それともどこかで陰陽師の血を継いでる可能性……。
必ずしもそういった血筋でなければ使いこなせないというわけではないが、上手く操るには天性の素質が必要とされる技だ。初めてにも関わらず見事に術を成功させた彼女には何かあるのではないか。勝元はしばらく首を捻っていたが、やがて馬鹿らしくなって考えることをやめた。今重要なのはそんなことではない。
「初心者に追いつかれんのキッツ……!」
勝元はそう言って歯を食いしばると印を結び始めた。その原動力は、生まれ持った素質がそこそこあったおかげで大した努力もしていないくせに大きく育ってしまった自尊心から成るものだ。
「丁弐顕現急急如律令——」
勝元は印を結ぶ指に力をこめた。そして、印を結び終えた指である一点を指す。すると、勝元が指差したその先に炎がぼうっと現れた。
「——不知火」
炎は左右に広がり、やがて五メートルほどの大きさになると一気に消え去った。だが、先程まで炎があった場所は陽炎のように景色が揺れている。
「えっ? 消え……」
ふと涼介の声が聞こえて、勝元はニヤッと笑った。この不知火という炎を境界線に幻影が現れて、その向こう側からは勝元の姿が見えなくなっているのだ。
やがて、徐々に陽炎が消えていく。涼介が仰天した顔でこちらを見ている。印が成功したことを確認した勝元は、安堵の笑みを浮かべて涼介にピースサインを送った。
午後七時。一日目の訓練を終えた柚子たちは、夕食のために食堂に向かった。しかし、厨房には昼にはいたはずのスタッフたちが誰もいない。どうしたものかと一同が悩んでいると、あきらたちがやってきたので柚子は食事をどうすればいいのか尋ねた。
「ああ、言い忘れてました。食事はこれ以降、自分たちで作ってください」
「エーッ?」
平然と言ったあきらに一同は目を丸くした。
「料理できる人?」
柚子は自分でも手を挙げながら仲間たちに尋ねた。椿と涼介が挙手する。柚子は二人の顔を確認した。
「多分、あきらさんたちの分も私たちが作るってことだよね? 三人だけで作るのはちょっとね……」
「そうだな。みんなでやった方がいい」
涼介が頷く。勝元と沙也香と翼が微妙な顔をしたが、料理ができる三人は彼らを無視して続けた。
「食材を見て何を作るか決めましょう。簡単なものにすればいいわ」
「そだね。何がいいかな」
三人は話し合いながら厨房に入った。
「こういう時の定番ってカレーのイメージなんだけど、どうだろう」
涼介が言う。カレーという単語を聞いて柚子は一瞬体を強張らせたが、誰にも気付かれずに済んだ。
「協力すんのはいいんだけど俺マジで何すればいいか全然分かんねえ」
翼が深刻な顔で言った。
「俺も分かんない」
続けて勝元が言う。
「私も分かんない」
更には沙也香も重ねてそう言った。柚子と椿と涼介は思わず顔を見合わせたが、とりあえず厨房の中に入った。目の前には業務用の冷蔵庫らしきものが設置されており、その右隣には白い大きな箱も置いてある。
「これ冷蔵庫だよね?」
柚子はそう言って冷蔵庫を開けた。中には思っていたよりたくさんの食材が入っている。
「だな」
涼介が言う。
「こっちは冷凍庫ね」
椿は白い箱を開けて、その中に顔を突っこみながら言った。
「なんか結構いろいろ作れそうだね」
「三泊四日分の食材が入ってるってことかしら」
「あ、そっか」
「カレールー、あるな……」
冷蔵庫の左横に置かれた戸棚の中を覗いていた涼介がボソッと言ったのを見て、柚子は思わず吹き出してしまった。
「都くんカレー好きなの?」
「いや……まあ普通に好きだけど……カレーって言ったらカレーの気分になってきた」
「ちょっと分かるわ」
椿がそう言ってクスクス笑う。柚子もつられて笑った。
「じゃー、簡単だしカレーにしよっか」
椿の説明を受けながら、料理をしない三人が切った肉や野菜を炒めている。柚子は「何かもう一品作るか」と呟いた涼介にさりげなく乗っかり、隣に立って冷凍庫の中にあった適当な野菜で付け合わせを作ることにした。今こそ話をするチャンスだ。
「都くんって、毎日忙しそうだよね」
柚子はキュウリを切りながらそう言った。
「……まあ、いろいろあって」
涼介が曖昧な返事をする。答えは聞き出せなさそうだ。
「でもこうやって交流できる機会があってよかったよね!」
柚子はそう言って涼介を見上げた。涼介は六人の中で一番身長が高い。それどころか、今この施設にいる者たち全員の中でも桐真に次いで二番目に背が高い。
「……藤原ってモテそうだよな……」
「え、何いきなり……」
涼介の呟きに、柚子は思わずたじろいだ。
「何って……いや……普段周り男ばっかりだから……そう思った」
涼介は答えにくそうにしていたが、どうにか言葉を捻り出した。
「何それー」
柚子はそう言って笑った。涼介は勝元とはほぼ真逆のタイプなのだろう。一瞬の沈黙の後、思い出したように涼介が口を開く。
「……藤原がよく使ってるLINEのスタンプ、可愛いよな」
「え、だよね!」
柚子の声が高くなった。柚子が愛用しているスタンプのキャラクターは、作者によってSNSにイラストが投稿されており、グッズも多く販売されている。柚子の最近のお気に入りだ。
「都くんもああいうの好きなの?」
「俺も別に嫌いじゃないけど、姉貴が好きで使ってる」
柚子は目を見開いた。勝手に一人っ子だと思っていたからだ。
「お姉さんいるんだ」
「うん」
「どんな人? 何歳差?」
きょうだいがいるというのはどういう感じなのか気になるものだ。沙也香の兄には何度か会ったことがあるので兄というのは想像できるが、姉や弟、妹のイメージはあまりよく浮かばない。
「三歳差。どんな人、か……普通に優しいよ。母親は違うけど、仲はいい」
「……そ、そうなんだ」
涼介の言葉に、柚子はちょっぴり言葉に詰まってしまった。
「……今のちょっと意地悪かったな」
涼介が申し訳なさそうに呟く。
「いや……事実言っただけなんだからそんなことないよ」
「いや、今のは俺が悪い。ごめん」
「ううん」
柚子はそう言いながら、切った野菜を涼介にパスした。涼介がボウルに入れたキュウリとツナに調味料を足して器用に混ぜ始める。
「なんかあいつらの方が楽そうじゃね?」
「二人とも仲良く話してるしー」
翼と勝元の不満げな声が聞こえてきて、柚子と涼介は振り向いた。
「なんかこの二人の組み合わせってちょっと面白いかも」
沙也香も言った。
「翼、手を動かして。光宗くんも」
「一橋さん意外とスパルタなんだけど……」
勝元の嘆きを尻目に、二人はキュウリとツナの和え物へと向き直る。
「料理もあえて特訓させてあげてるんだもんねー?」
柚子はふざけて口を尖らせた。
「……そうそう。何も分からねえとか言ってたからな」
先程までクールな表情を浮かべてばかりだった涼介は、そう言ってニヤッと笑った。
柚子たちが作った料理は大人たちにも好評だった。食事中に話をしているうちに、柚子は翼とかなり打ち解けていた。どうやら彼とは波長が合うらしい。主に柚子と勝元に翼、それから桐真の四人が盛り上がっているところに、たまに沙也香と和泉も会話に入ってくる。椿は少し居心地が悪そうにしていたが、途中で翼に質問を振られた辺りから会話に参加した。涼介は高校生たちの中では最も静かにしていたが、騒がしい仲間たちを嫌がる素振りはなかった。そんな柚子たちの様子を眺めて、群治郎が嬉しそうに微笑む。
「若いねー。人数多くて楽しそうでいいねえ」
そう言いながら、慣れた手つきでどこからともなく電子煙草を取り出す。すると、あきらがそれを素早く奪った。
「施設内は禁煙よ」
「……ハイ」
群治郎は力なく返事をした。
食事を終え、入浴も済ませた一同は誰からともなく食堂に集まった。六人はだらだらと過ごしながら他愛もない会話を繰り広げていた。特に喋っていたのはやはり柚子と勝元と翼で、涼介は二、三回くらいしか口を開いていない。沙也香と椿も加わって話をしているうちに時間が経ち、夜の十一時を回ったところであきらがやってきた。
「消灯時間です」
「もうそんな時間ー?」
「てか消灯早いー!」
高校生たちは嘆きの叫びを上げた。
柚子と沙也香と椿は部屋に戻ってからもしばらく話していたが、やがてすぐに眠ってしまった。
長かった一日目が終わり、二日目の朝がやってくる。柚子たちは六時に目を覚ますと、昨日と同じように協力して朝食を作った。それから、沙也香の提案で昼食用にサンドウィッチを作っておくことにした。今日は一日中それぞれ単独で訓練することになっているので、各々が自分のタイミングで休憩できるようにするためだ。六人はサンドウィッチを作り、朝食を食べ終えると、それぞれ準備を済ませて訓練場へと向かった。
柚子は昨日と同じように木刀を持った群治郎に手伝ってもらい、怪しまれない程度の力加減を覚えるための特訓をした。柚子はまだ少し自信がなかったが、群治郎には「見ていて違和感はない」と言われたのでとりあえずよしとする。群治郎が他の子たちの訓練の様子を見に行ったので、柚子は巻き藁を数本貰って綺麗に断ち斬る練習をすることにした。
「柚子、休憩しない?」
ふと声をかけられて、柚子はハッとした。沙也香だ。
「もうみんな行っちゃったよ」
沙也香の言葉に、柚子は周囲を見回した。訓練場には二人以外誰もいない。
「ほんとだ」
柚子は驚いて声を漏らした。集中していてまったく気付かなかった。
「疲れない?」
沙也香が心配そうに尋ねる。柚子は微笑んだ。
「大丈夫。区切りのいいとこまでやったら行くね」
巻き藁はあと二本残っている。せっかくここまでやったのだから、すべて斬ってから休憩にしよう。
「分かった。先行ってるね」
「うん」
沙也香の後ろ姿を見送ると、柚子は台の上に固定した巻き藁に向き直った。
本気で動いてもいいのならいくらでもやれる。人間には出せない速度で剣を振れば、人間には出せない力を剣に乗せれば、美しく斬ることなど容易い。けれど、それでは意味がないのだ。
柚子は深く息を吐くと、体をリラックスさせた。群治郎に教えてもらった力加減を思い出しながら、剣を軽く二回振る。巻き藁は三つに分かれ、平らな断面が見えた。
「……よしっ」
柚子は小さくガッツポーズをすると、斬れて落ちた巻き藁の破片を脇に寄せて、最後の巻き藁を台の上に乗せた。もう一度だ。柚子は巻き藁のどの部分を斬るかしっかりと狙いを定めてから、力をこめすぎないようにして剣を構え、振り下ろした。巻き藁は、見事に綺麗に断ち斬られている。
「よし……よし。大丈夫そう……」
柚子は小さく呟くと、スマートフォンを取り出して時間を確認した。時刻は昼の一時を過ぎている。沙也香に声をかけられてから更に十分が経過していた。
「……疲れてないけど、休憩しないと」
柚子は自分に言い聞かせるようにそう言うと、剣を門の札に戻した。斬った巻き藁を後でも何かの練習に使えるようにと綺麗に同じ場所に集めてから、運動場を後にしようと踵を返し、ふと立ち止まる。
どこからか、笛の音が聞こえてくる。少し寂しげな旋律だったが、とても心地のいい音色だった。聞こえてくるのは、森の方からだ。柚子が振り向くと、そこには一人の女性が立っていた。
「柚子」
優しく語りかけてくるその声に、柚子は目を見開いた。
「お母さん?」




