月と太陽(1)
「昨日、学校周辺に不審者が出たからみんな部活とかも中断してさっさと下校するようにって指示出たじゃん? 私も先生の手伝いそれでなしになって、先生に見送られて帰ったんだけど……柚子はあの時どうしてたの? 大丈夫だった?」
「あ、うん! LINEでも言ったけど、言われた通り早く帰ったから大丈夫だったよー」
沙也香の向かいに座っていた柚子は、冷や汗を垂らしながら答えた。
昨日聞いた話だが、本来、まだ正式に陰陽師になっていない者が妖怪を倒すことはあまり好ましいことではないらしい。柚子が妖怪を倒したのはこれで既に二回目となる。余計なことは言わない方がいいだろうと考えた柚子は、予め用意していたシンプルな答えを返した。
「……で、不審者とか言われてるけど」
沙也香が声を落とした。
「あれ、人間じゃなくて妖怪だったらしいよ」
沙也香の言葉に、柚子は今しがた口の中に入れた白米を噛まずに飲みこんでしまった。
「半信半疑の人が多いけどね……でも考えてみればそうかも。不審者だったら生徒をむやみに学校の外に出す方が危ないと思うし、そもそもほんとは三組に突然現れたらしいし」
沙也香はブツブツと呟いている。
「私も少し前までだったら信じなかっただろうけど、本当に妖怪だったのかも……妖怪ってそんなによく出てくるものなんだね。どんな感じなのか気になるな」
「あれ、沙也ちゃんってそういうの信じるタイプなの?」
柚子の隣に座っている勝元が尋ねた。それを聞いて、柚子はハッとする。
「あのね、沙也香も陰陽師になることにしたの。それで、勝元も陰陽師でパートナーになるってこと言っちゃった! ごめん!」
柚子は慌てて謝った。勝元は少し驚いたように沙也香の方を見ていたが、特に気にしている様子もなく「別にいいよ」と言った。
「ところで……パートナーはともかくとして、なんで光宗くんがここにいるの」
沙也香が低い声で言う。今は昼休み。柚子たちは、学校の食堂で昼食を食べているところだ。
「っていうか沙也ちゃんって何? 次沙也ちゃんって呼んだらブチギレるから」
「もうキレてるね……」
般若のような顔をして自分を睨みつける沙也香に、勝元は引きつった笑みを浮かべた。
「あーあ。柚子とパートナーになれないのかあ」
沙也香はわざとらしく残念そうに言うと、何かを思い出したように「あ」と声を上げた。
「そういえば、入団希望者は今日陰陽団の基地に集合するようにって連絡来てたね」
沙也香の言葉に柚子も頷いた。
「来てたねー。団長に聞いたけど、希望者の顔合わせ的な感じらしいよ」
「応募締切はもう少し先だけどねー」
勝元がのんびりと付け足す。
「柚子、一緒に行こ」
「うん!」
沙也香の誘いに朗らかに返事をすると、勝元が割って入ってきた。
「それって俺も一緒に行っていいやつ?」
「いいよ」
「よくない」
柚子と沙也香が同時に答えた。柚子の言葉を聞いた沙也香がショックを受けたような顔をする。
「なんで!」
「なんでって……出発から目的地まで全部一緒だし……」
「そうだけどー!」
沙也香が喚く。
「味気ない理由だな……」
勝元はこっそりと呟いた。
放課後になると、三人は学校を出て一緒に陰陽団基地東京支部まで向かった。中に入ると、とある部屋に集まるよう案内された。広い和室で、六台の長机と教卓のようなものが置かれている。和風の教室とでもいったところだろうか。長机は前後に三台ずつ置かれており、一番前の列の左の机と、一番後ろの列の右の机にそれぞれ一人ずつ人が座っていた。左の机には、綺麗な真っ直ぐの黒髪をポニーテールにした女の子。右の机には、口の左下にほくろのある、背が高く体格のいい黒髪の男の子。
「あれっ……?」
ポニーテールの女の子を見た瞬間、柚子は目を見開いた。
「一橋さん?」
柚子の声を聞いて、姿勢よく座っていた女の子は柚子の方を見た。
「……藤原さん? それに……光宗くんと天野さん……?」
驚いた様子で三人を見ている女の子に、柚子はパッと顔を輝かせた。
「一橋さんも陰陽師になるの? よろしくねー!」
柚子は元気よくそう言うと、彼女の隣に腰かけた。
一橋椿。柚子の一つ前の席に座っている、クラスの委員長だ。
柚子が隣に座ったことに驚いたのか、椿はビクッと肩を震わせた。勝元と沙也香は互いに顔を見合わせると、柚子と椿の後ろの長机に席についた。
「まさか、同じクラスから四人も陰陽師が出るなんて」
椿が呟く。
「確かに。多いよねー」
柚子は両手で頬杖をついて呑気にそう返した。それから続けて椿に話しかけようとしたところで、部屋の襖が開いて太郎が入ってきた。太郎は教卓の前に立つとニッコリと笑った。
「どうも、こんにちは。陰陽団団長の山川太郎です」
太郎が言うと、一同はまばらに頭を下げた。柚子が頭を上げた時、椿はまだ頭を下げていた。
「今日は集まってくれてありがとう。入団希望の締切は月末だけど、いつも大体これくらいの時にはみんな応募してくれているんだ。多分、これ以上は増えないと思うよ」
柚子は、椿が一瞬表情を変えたことに気がついた。
「五人か。多いね。実は年に一人もいなかったり、いても二、三人しか集まらなかったりすることもざらなんだけど、今年は豊作だねえ」
太郎の言葉に柚子は驚いた。そんなに少ないんだ。
「今日集まってもらったのは、君たちに覚悟があるかどうか今一度確かめてもらうためさ」
太郎の声のトーンが低くなった。一同に緊張が走る。
「妖怪を憎む者、家を継ぐ者、それぞれ理由はあるだろうけど……陰陽師になれば、君たちは戦いの場に身を置くことになる。当然戦いには危険が伴う」
柚子は真面目に太郎の話を聞いていた。
「君たちは本来ならまだ守られる立場にいるけど、これからは守る側の人間になるんだ。もちろん、急に危険な任務に就かせはしないけど、自分の身は自分の身で守れるようになってもらわなくちゃならない。途中で辞めることは可能だよ。でも、この世界に足を踏み入れる覚悟ができているかどうか、もう一度自分に聞いてみてね。まだ少し考える時間はあるから」
誰も何も言わなかった。太郎がパンと手を叩いたので、一同は飛び上がった。太郎が笑う。
「そんな怖い顔しなくても大丈夫だよ。今日の話はこれだけ。よかったらみんな、自己紹介でもして少し仲良くなってから帰ったらどうだい?」
太郎はにやりと笑った。
「まあ、次に集まった時に全員いるかどうかは分からないけどねえ」
太郎は楽しくて仕方がないとでも言うようないやらしい笑みを浮かべると、部屋を出ていった。
太郎の最後の言葉のせいで部屋の中はしばらくの間妙な沈黙に包まれていたが、やがて一人の少女が口を開いた。椿だ。
「一橋椿です。猷秋高校一年です。よろしくお願いします」
彼女のことは詳しくは知らないが、とても真面目な子なのだということはこの数分でよく伝わってきた。柚子は部屋を見渡した。知らない人は一人しかいないが、この場ではちゃんと自己紹介した方がいいだろう。
「藤原柚子です。猷秋一年です。っていうか、ここの四人同じクラスだけどね! よろしくね」
柚子は、椿の頭越しに見える少年に向かって言った。少年が小さく頭を下げたのが見えた。
「天野沙也香です。よろしく」
沙也香がシンプルに自己紹介をする。
「光宗勝元でーす。よろしくー」
勝元もやる気のなさそうな声を上げた。それから、柚子たち四人の視線が背の高い男の子の方へ向く。
「都涼介です。正凌大附属一年……よろしく」
「正凌……私立か」
勝元が言う。
「何の意味があって正凌に?」
勝元が失礼なことを口走った。正凌大学附属高等学校は男子校である。
「てか他の学校の人とも知り合えるの嬉しー!」
柚子は明るい声で言った。
「ねえよかったら、みんなで遊びに行かない? どうせみんなこれから仲良くしなきゃなんだし、せっかくだから!」
柚子は目を輝かせたが、他の仲間たちはそれほどテンションは上がっていないようだった。椿と涼介の表情が曇ったことに、柚子は気付いていなかった。
「柚ちゃん、バーベキューとか好きそう」
勝元が柚子に聞こえないくらいの声で呟く。
「柚子がいるなら私は何でもいいけど、いつにする?」
沙也香が真っ直ぐに柚子を見つめて言った。
「今週の土曜は? 来週が締切で……その後は研修旅行があるんだよね? ちょっと忙しくなっちゃうし」
「いいよー」
「どこにしよっか?」
「遊園地とかどう?」
話し合いは柚子と勝元と沙也香の三人だけで進められていた。椿が困ったような表情を浮かべているのを見て、柚子は椿に声をかけた。
「一橋さんはどう? 何か希望とかある?」
柚子の質問に椿はたじろいだ。そして、気まずそうな顔をして答える。
「私……友達とそういうところに遊びに行ったことないから……」
「私も!」
柚子はそう言って勢いよく身を乗り出した。椿が「えっ?」と上擦った声を上げる。
「中学の時は四方通りをぶらぶらするくらいで精一杯だったから、友達とちょっとお金のかかるところに遊びに行くの憧れだったのー! 行こうよ!」
椿は、完全に柚子の勢いに気圧されている。
「えっと……その……そうね……」
椿はやがて観念したようにそう言って、控えめに頷いた。
「やったー。都くんは? どう?」
「俺は……」
涼介は、少し迷っているようだった。
「行けるかどうかまだ分からない。後で連絡するのでもいいか?」
「うん! いいよ。じゃあLINE教えるね」
「えっ柚ちゃん……俺の時よりだいぶスムーズなんだけど……」
席を立って涼介の元に向かう柚子を見て、勝元が愕然とした様子で言う。それから、部屋の中で連絡先の交換会が始まった。
「一橋さんも教えてもらってもいーい?」
柚子が問う。椿は一瞬間を置いてから頷いた。
「ええ」
「ありがとー! じゃ、私コード出すね」
柚子が笑顔でスマートフォンを操作する。その様子を、椿は黙って見つめていた。
やがて、五人は十五分ほど他愛もない会話をしてから解散した。沙也香たちが基地を出ていった後、柚子は寮に向かう途中、隣を歩く勝元が妙な顔をしていることに気がついた。
「どうかした?」
柚子が尋ねると、勝元は遠慮がちに口を開いた。
「いや……都って名前聞いたことあるな、って思って。多分お父さんが陰陽師だったんじゃないかなー。それを言うと一橋さんの家族もだけどね」
「あ、そうなの? そういう人たち多いんだね」
柚子は驚いた声を上げた。他でもない勝元が陰陽師の家系の出身である。
「……でもさ」
勝元が声を落として、意味ありげな表情を浮かべる。柚子は首を傾げた。
「……都くんのお父さんらしき人、タブーを犯して陰陽師の免許を剥奪されたって聞いたことあるんだよねー。ほんとか知らないけど」
「え……? 何それ……タブーって?」
陰陽師のタブー? 都くんのお父さんが? よく分からないまま緊張の思いで柚子が尋ねると、勝元は柚子をチラッと見てからにやりと笑った。
「何ってそりゃもちろん、陰陽師なのに妖怪と恋をすることだよ」




