9話 放課後の教室で
放課後の教室には、まだ6限の時の熱気が少しだけ残っていた。
窓の外では、夕陽に照らされたグラウンドから運動部の掛け声が響いてくる。部活へと急ぐ生徒たちが廊下を通り過ぎ、その度に笑い声が遠く混ざった。
「よーし! じゃあ体育祭リーダー会議、始めるぞー!」
教卓を軽く叩きながら、蓮がやたら張り切った声を出した。
「……俺らだけでやるのかよ」
三は机に頬杖をついたまま気怠そうに返す。
「雰囲気が大事なんだって!」
「その雰囲気で人を巻き込むのやめろ」
「ははっ、辛辣!」
蓮が豪快に笑う。
その隣では、体をくるりと回した佐々木色晴が面白そうに口を挟んだ。
「でもちょっと分かる。体育祭って、始まる前からテンション上がるんだよね」
「だろ!? 色晴マジ話分かる!」
「蓮が単純すぎるだけじゃない?」
「ひどっ!」
二人は初対面とは思えないテンポで笑い合っていた。
三はその様子をぼんやり眺めながら、
(……なんでこんなことになってんだろ)
と心の中でため息を吐く。本来なら、三はこういう輪の中にいる人間ではない。適当にやり過ごし、問題を起こさず、目立たず終わる。なのに今は、体育祭リーダーなんて役職を半強制的に押し付けられ、放課後の教室に残っている。
完全に事故だった。
「で、まず何を話し合うの?」
色晴が机に肘をつきながら言う。
「何も考えてなかったわ」
「ええ……」
色晴が素で引いた声を出す。
「いや、ちゃんと理由はあるって!」
蓮は「まぁ聞けって」と笑いながら教卓へ腰を預けた。
「半分はノリ。もう半分は、さっき団長から連絡来てさ。今日のうちにリーダー同士で顔合せだけでもしといてって」
「……それを最初に言え」
「結果的に集まってるからよくね?」
「良くない」
三は即答した。色晴が吹き出す。
そんな中、優が静かに口を開く。
「あと、来週に軍ごとにミーティングがあります」
「赤軍とか青軍とかの、リーダー全員集まるやつ。応援内容とか役割分担とか決めるための」
優は淡々と説明した。
「あ、古暮ちゃん知ってるんだ?」
色晴が少し驚いたように言う。
「生徒会で話題に上がっていたので」
「あー、なるほど!」
蓮が納得したように頷く。
三は小さく息を吐いた。
(なんだよそれ……)
ただでさえクラスの陽キャ連中ですら別世界の住人みたいに感じるのに、その規模が学年全体へ拡張されるらしい。各クラスのリーダーが集まる軍ミーティングなど、三にとっては陽キャ濃度が致死量を超えている空間なのには間違いない。
「うわ、ちょっと緊張するかも」
色晴が苦笑する。
「え、色晴でもそういうの緊張すんの?」
「するよ普通に。知らない人多いの苦手だし」
「意外だな〜」
蓮が感心したように言う。
三はその会話を聞き流しながら、何となく優の方へ視線を向けた。
優はスマホの画面を見ながら、静かに続きを話す。
「軍長の人たちが中心で進めるらしいけど、クラスリーダーも結構動くみたいです。去年は放課後ほぼ毎日集まってたようなので」
軍ミーティング。放課後の集まり。学年を跨いだ人付き合い。増えていく予定表。三は静かに眉を寄せた。
面倒だ、という感情が少し顔に出る。その一瞬を見た色晴がそれを見て吹き出した。
「え、今めちゃくちゃ嫌そうな顔するじゃん」
三は机に頬杖をついたまま、視線だけ向ける。
「“今すぐ帰りたい”って顔してる」
と色晴が言い蓮が、「え、そんな嫌?」と呑気に笑っている。
(……こいつ咲に似てるな)
三は心の中でそんなことを思った。
人の感情を読むのが妙に鋭いところが、少しだけ妹に似ている。 隠したつもりでも、こういうタイプには案外あっさり見抜かれる。
「じゃ、今日はこんなもんで解散な!」
蓮がパンッと手を叩く。色晴は「お疲れさま〜」と軽く手を振りながら鞄を肩へかけた。
四人で教室を出る。
夕方の廊下は、夕日の光が廊下の床へ細長い光を落としていた。
オレンジ色に伸びた影がゆっくり揺れる中、帰宅する生徒たちの声だけが静かに通り過ぎていく。蓮と色晴は前を歩きながら、早速次の応援について盛り上がっている。
「応援旗とか作りたいよな!」
「え、いいじゃん。ちゃんと映えそう」
「だろ!?」
出会って間もないというのに会話が弾むあたり、本当にすごいと思う。少し後ろを歩きながら、三はぼんやりそんなことを考える。
その隣には、優が静かについてきていた。階段を降り、一階の昇降口へ向かう。
そこで。
「……坂倉くん」
隣から小さく声がした。
三が視線を向けると、優が少しだけ鞄を抱え直している。
「ん」
「あの、本」
三は数秒考えてから、ああと小さく声を漏らした。前に貸したラノベ。もう読み終えたらしい。
優は鞄の中から丁寧に文庫本を取り出した。地味な布のカバーもちゃんとかけられている。
「これ。ありがとう」
三はそれを受け取る。
「……読み終わったんだ」
「はい」
優は少しだけ視線を迷わせたあと、
「面白かったです」
と、小さく付け足した。
三はぼんやりそれを聞きながら、少しだけ目を細めた。
「あそこ、最初はただの何気ない台詞みたいだったのに、最後で意味が変わるじゃないですか」
「……ああ」
「だから読み返すと、全然印象が違って見えて」
優はそう言いながら、本の表紙を指先でそっと撫でる。
優は普段、感情を大きく表に出すタイプではない。話し方も静かで、声量も控えめだ。けれど今は言葉の端々に熱があった。
「あと、主人公が最後まで全部説明しないのも好きでした。ちゃんと分かってるのに、言葉にしない感じが」
「分かる」
三は短く返した。
「最後の屋上のシーンとか、あれくらいでいいんだよな」
「はい。あそこで変に泣いたり叫んだりしないのが、逆によかったです」
「作者そこ分かってる」
「分かってますね」
二人の会話は静かだった。
けれど、不思議と途切れない。
派手に盛り上がるわけではない。大声で感想をぶつけ合うわけでもない。それでも、“好きなものを分かっている者同士”の温度が確かにあった。
「あと、自分はあのヒロイン結構好きでした」
「あー……賛否分かれるやつ」
「でもちゃんと見てると、最初からずっと一貫してません?」
「まぁな。あいつ不器用なだけだし」
優が少しだけ笑う。
「坂倉くん、読む時かなり人見てますよね」
「そうか?」
「なんとなくです」
昇降口の外では、夕陽が校庭の端を赤く染めていた。
部活帰りの声が遠く響く中、蓮たちの笑い声はもうかなり前の方に離れている。
三は返ってきた本を軽く持ち上げた。
「……他にも読む?」
優は少しだけ目を丸くする。
「いいんですか」
「別に。まだ家にあるし」
「じゃあ……もしおすすめあるなら」
その言い方がどこか控えめで、けれど少しだけ期待しているようにも見えて。三は小さく息を吐いた。
「次はもう少し長いやつ貸す」
「はい」
優は静かに頷く。
夕暮れの光が、昇降口へ長く差し込んでいた。
騒がしくはないのに、不思議と心地いい放課後だった。




