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5話 見通しの良い渡り廊下で


 翌朝、三はいつも通りの時間に通学路を歩いていた。


 ひび割れたアスファルトを踏みしめながら、肩にかけた鞄に意識を向ける。その一番手前のポケットには、昨夜、自意識と戦いながら丁寧に布製のカバーをかけた文庫本が入っている。


(タイミングを見計らって、サッと渡して、それで終わりだ)


 家を出てから学校に着くまで、心の中で何度もシミュレーションを繰り返していた。目立たないように。あくまで「ただ貸すだけ」という事務的な空気感を崩さないようにしよう。


 教室に入ると、すでに数人の生徒が集まっていた。

 窓際の席、朝の光の中に、優の姿もあった。彼女はいつも通り、数人の女子グループに囲まれて優や周りの子の服装について楽しそうに話している。


 三は小さく息を吐き、自分の席へと向かった。

 「よっ、みつ。おはよ」


 前の席から、蓮がいつも通りの軽い調子で振り返った。整った顔立ちに、気だるげな朝の笑みを浮かべていた。


 「……あ。蓮、おはよ」

 「何だよ、今日はなんか浮ついてるなー。なんかいいことあったか?」


 蓮の何気ない、けれどピンポイントすぎる言葉に、三の心臓がどくりと跳ね上がった。鞄の中の本が、急に十倍くらいの重さになったような気がする。


 「特にないよ、ちょっと寝ぼけてるだけ」

 「あ、そういやさ、昨日言ってたラノベ、今日持ってきてねーの? 俺、三行で寝る自信あるけど、ちょっと見てみたいわ」

 「いや……今日は持ってきてない。家においてきた」

 「そうなん?お前、本読んでる時だけ凄くに楽しそうだからさ、どんな世界なのか気になっただけ」


 蓮はケラケラと笑いながら陽グループの方へ行った。

 三は冷や汗が背中を伝うのを感じながら、机の上の教科書を開くふりをして、そっと蓮の後ろ姿を見つめた。

    ◇

 四限目の終了を告げるチャイムが鳴り響くと同時に、教室内は一気に昼休みムードへと包まれた。

 三は、机の横にかけた鞄のポケットから、そっと布カバーに包まれた一冊を抜き出し、制服の上着の内ポケットへと滑り込ませた。


 横目で優の席を盗み見る。彼女はクラスの女子たちとどこかで食べるのかすでに席を立って教室の後ろ扉へと向かっていた。


 やっぱり、昼休みに渡すのは難易度的に無理か

 少しだけホッとしたような、同時に落胆が混ざった複雑な気持ちを抱えながら、三はまた、購買で買った焼きそばパンを片手に席を立った。一人で静かに過ごせる、いつもの渡り廊下へ向かう。


 校舎の裏手に続く、ひんやりとした静かな廊下。


 そこへと足を踏み入れた瞬間、三は思わず足を止めた。

 コンクリートの渡り廊下、その手すりに身を預けるようにして、一人の女子生徒が佇んでいた。


 昼の柔らかな光を浴びた黒髪が、風に小さく揺れている。

 優は、三が近づいてくる足音に気づくと、パッと顔を上げて、昨日と同じように少しだけ口元を緩めて言った。


 「ここ、やっぱり来るだろうと思って…」

 「……古暮さん。みんなとご飯食べないでいいの?」

 「少し用事があると言って、先に失礼してきました」


 優はそう言って小さく微笑む。その丁寧な間が、彼女らしい独特の透明感を際立たせていた。

 「……これ」

三は周囲に誰もいないことを確認してから、内ポケットから地味な布カバーに包まれた本を取り出し、差し出した。

 「約束のやつ。……その、ラノベって、表紙のイラストがちょっと、個性的というか、分かりやすいから。カバー、つけておいたから」

 優は「ありがとうございます」と両手で丁寧にそれを受け取った。そして、布の手触りを確かめるように、指先で優しく撫でる。


 「坂倉君のカバー、シンプルで素敵ですね」

 「……百均のやつだけどね。それより、タイトルも短くて、もし誰かに見られて口にされても致命傷にならない系のやつにしたから。文章も軽くて読みやすいはず」

 「致命傷、ですか?」

優は少しだけ不思議そうに首を傾げた。


 「ラノベって、タイトルがやたらと長かったりして、口に出すのが妙に恥ずかしいんだよ。自分の世界をそのまま晒すみたいでさ」

 「ふふ、そんなに恥ずかしいものなのですか。坂倉君の、大好きな世界なのに」


 曇りのない、真っ直ぐな瞳が三を見つめる。

悪気のないその言葉は、三が必死に張り巡らせていた警戒神経を、いとも簡単にすり抜けて胸の奥へと届いてしまう。


 「と、とにかく、初めての人にはそれが一番おすすめだと思う。……じゃあ、俺はこれで」


 役目は果たした。これ以上ここにいれば、どんどん自分の境界線が曖昧になる。そんな気がした。三が背を向けようとした、その時だった。


 パタパタと、渡り廊下の向こうの階段から、複数の足音が近づいてくるのが聞こえた。楽しそうな男子生徒たちの話し声。


 「ーーっ」


三は条件反射のように、優の肩を軽く掴み、すぐ横にあるコンクリートの太い柱の影へと引き込んだ。自分も身を縮め、彼女を隠すようにして並ぶ。


 「あ……」

優の小さな呟きが、至近距離で聞こえた。

狭い柱の裏。二人の距離は、一歩間違えれば身体が触れ合うほどに近かった。


昨日と同じように、彼女の髪から漂うほんのりと甘いシャンプーの匂いが鼻先をかすめる。優の大きな瞳が、驚いたように見開かれ、すぐ目の前で三を見つめていた。気のせいか白くて綺麗な首筋が、かすかに赤く染まっていくように見えた。


 三は息を止め、心臓が爆発しそうなほどの鼓動を必死に抑えながら、廊下を通り過ぎる生徒たちの足音が遠ざかるのを待った。

数秒が、まるで一時間のように長く感じられた。

やがて足音が完全に消え去り、静寂が戻る。


 「……あ、ごめん、急に引っ張って」

三が慌てて優の肩から手を離し、一歩下がった。その瞬間だった。


 「ーーおーい、みつ。そんなとこで何してんだ?」


心臓が、完全に凍りついた。

渡り廊下の入り口、光が差し込む場所に、お弁当箱と購買から買ったであろうパンをを手にした蓮が立っていた。


 蓮はいつもの軽い、屈託のない笑みを浮かべている。

けれど、その視線は。


 三のすぐ後ろ、柱の影で身をすくませている優の姿を、はっきりと捉えていた。

初めまして、日向ひなた あおと申します。

本書を5話まで読んでいただきありがとうございます。初めての作品、初めてのあとがき、ということで心臓をバクバクさせながらこの文章を書いています。少しだけ自己紹介させてください。私は現在、学生をしながら執筆活動をしている20代前半の男です。

作家としてはまだまだスタートラインに立ったばかりですが、キャラクターたちと一緒に、作者である私もどんどん成長していきたいと思います。これからの成長も一緒に見守っていただけたら嬉しいです。

【追記】未熟ゆえに誤字脱字などがあるかと思います。見つけた際はご報告いただけますと幸いです。また、今後「5話ごと」にあとがきを更新していく予定です。

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