38話 スキー合宿1日目
合宿当日。
まだ薄暗い早朝の空の下、三は学校に向かって歩いていた。
普段なら、この時間に起きるだけでも面倒に感じる。布団の温もりにしがみついて、もう少しだけ寝ていたいと無意識に思ってしまう時間帯だ。
けれど、今日は違った。
目を覚ました瞬間から頭がすっきりしている。
自分でも少し珍しいと感じる。学校行事にこれほど前向きになれたのは、いつ以来だろうか。
校門に着くと、すでに多くの生徒が集まっていた。
校門前に並んだ何台もの大型バスへ、生徒たちが荷物を抱えて乗り込んでいく。その光景を眺めていると、三の胸の奥も少し浮き立ってきた。
もう始まるのだと思うと、ただの移動のはずの時間がどこか特別なものに思えてくる。
三も荷物を持ち直し、指定されたバスへ向かった。
「お、三。おはよ」
先に乗っていた蓮が、座席から手を上げる。
「おはよう」
短く返しながら、その隣の席に腰を下ろした。
窓の外へ視線を向けると、校舎の前で賑やかに騒ぐ生徒たちの姿が見える。
やがて優と色晴も乗り込んでくる。
「おはようございます」
「おはよー!」
四人が揃ったところで、バスがゆっくりと動き出した。
エンジンの振動とともに、いつもの街並みが後ろへ流れていく。その感覚が不思議と心地よかった。
車窓を流れる景色を眺めながら、三はシートに背を預ける。車内は、これから始まる合宿の話題で盛り上がっていた。
あちこちから賑やかな声が聞こえてくる。
三はその声を聞きながら、ふと自分の手元を見つめた。
スノーボードを握る感触が、記憶の底からうっすらと蘇ってくる。エッジが雪を削る音や、頬に当たる冷たい風の感触。スピードに乗るにつれて全身を駆け巡る疾走感が、とても心地いい。
しばらくバスに揺られているうちに、窓の外の風景が少しずつ変わり始めた。
街並みが減り、代わりに大きな山々が視界に入ってくる。外の冷たい空気まで伝わってくるような景色だ。山道へ進むにつれて、道路脇に白い雪が見え始めた。
「お、雪あるじゃん!」
誰かが声を上げた。
「ほんとだ!」
つられるように窓の外を見る生徒が増えていく。三も身を乗り出すようにして外を眺めた。
最初は点々としていた白が、進むにつれて一面を覆う景色へと変わっていく。その変化を見るにつれて、楽しみな気持ちがどんどん大きしていった。
もうすぐ着くのだと期待が高まる。
「うわ……すご」
色晴も窓の外を眺めながら呟いた。
「こんなに積もってるんだ」
「スキー場だからな」
蓮が軽く笑う。
やがてバスは山道を登り、長いトンネルに入った。
車内が一瞬暗くなり、窓の外には照明に照らされた壁だけが流れていく。
そして、トンネルを抜けた瞬間。
「……!」
視界が一気に開けた。三は思わず窓の外へ目を向ける。
そこには、さっきまでとはまるで違う世界が広がっていた。一面の銀世界だ。山も木々も道路脇も、すべてが白い雪に覆われている。朝の光を受けた雪が眩しく輝いていて、思わず息をのんだ。
ついに来たのだという実感が、胸いっぱいに広がる。
「うわぁ……!」
車内のあちこちから、一斉に歓声が上がった。
「すげぇ!」
「めっちゃ雪あるじゃん!」
色晴も窓に顔を近づけるようにして、外を眺めている。
「すごい……綺麗」
優も静かに呟いた。
三は何も言わず、その景色を見つめ続けていた。白く染まった山々やどこまでも続く雪景色が、これから始まる楽しい時間を予感させる。
久しぶりの雪山と、久しぶりのスノーボード。もうすぐ始まるという実感に、自然と口元が緩んでいた。
◇
窓の外には、先ほどまで車内から眺めていた景色が目の前に広がっている。駐車場の周囲にも雪が高く積もり、除雪された場所のすぐ横まで真っ白だった。
バスが停車し、先生から降りるよう指示が出る。 バスを降りると、外の冷たい空気が一気に顔を包んだ。
「寒っ……!」
色晴が肩をすくめる。
「思ったより寒いね」
優も白い息を吐きながら、周囲を見渡した。
「まあ、雪山だからな」
三も空を見上げると、吐いた息が白く広がっていった。学校を出たときとは、まるで別の場所に来たような感覚になる。
その後、先生の指示に従って施設へ移動し、着替えやレンタル用品の受け取りを済ませていった。
スキーを選ぶ生徒やスノーボードを選ぶ生徒、それぞれが自分の道具を手にするたびに、いよいよ滑るのだという実感が湧いてくる。
三もレンタルされたスノーボードを受け取った。
手にしたボードをじっと見つめる。久しぶりに見る形で、昔使っていたものとは違っていたが、板を抱えているだけで雪の上を滑る感覚が少しずつ蘇ってきた。
「じゃあ、これからそれぞれのレベルに分かれて講習を受けてもらうぞ」
先生の説明が始まった。
スキーもスノーボードもレベルごとに班が分かれ、経験のある生徒たちは自分に合った場所へ移動していく。
自分で選んだレベルだ。最後に滑ったのがいつだったか詳しく覚えていないため、いきなり上級に行くよりは中級から始めたほうが無難だろうと考えていた。
「じゃあ、また後で」
優がそう言う。
「ああ」
「色晴、頑張れよ」
「うん……」
色晴はスキー板を見つめながら、少し不安そうに頷いた。挨拶を交わし、それぞれ自分の班へ向かっていく。
三もスノーボード中級の班へ移動した。
ゲレンデへ出ると、担当のインストラクターが待っていた。
「それでは、まず軽く滑ってみましょう」
指示に合わせて、三は斜面へ向かった。
久しぶりの雪の感触を確かめながら、最初はゆっくりとボードを滑らせる。
ヒールサイドへ体重をかけると、エッジが雪面を捉えて身体が自然と傾いた。そこからスムーズに切り替えてトゥサイドへ入ると、ボードが滑らかに向きを変える。
体が動きを覚えているのを感じた。何も考えなくても、足が自然と正解の動きをしてくれる。
もう一度ターンし、今度は少しだけスピードを上げてみた。
エッジで雪を削りながら滑る感覚がとても心地いい。ブランクを感じないどころか、思っていた以上にスムーズに滑ることができた。
何本か滑るうちに緊張はすっかり消え、それと同時に、わざわざ中級を選ばなくても上級でよかったかもしれないという思いが浮かんできた。
久しぶりだからと慎重になりすぎたことを、滑るたびに少し後悔してしまう。
「坂倉くん」
滑り終えたところで、インストラクターに声をかけられた。
「はい?」
「昔、やってました?」
「……まあ、少しだけ」
インストラクターは三の滑りを思い出して、感心したように頷いた。
「ターンがものすごく綺麗ですね」
「そうですか?」
「うん、無駄がないよ」
それだけ言うと、インストラクターは次の生徒の指導へ向かった。
三は何となく自分の足元を見つめる。綺麗と言われても自分ではよく分からないが、やっぱり最初から上級に行けばよかったという気持ちだけははっきりしていた。
そんなことを思いながら再び斜面を滑り始め、ヒールサイドへ体重をかけてエッジを雪面に食い込ませる。そのまま身体を傾けて滑らかにターンを描いていると、後ろから声が飛んできた。
「坂倉!」
振り返ると、同じ班の男子がこちらへ滑ってきていた。
「お前、スノボーバリバリ経験者の動きじゃんか。ターンめちゃくちゃ綺麗だし」
隣まで滑ってきた男子の顔を見て、三はどこかで見たことがあるとしばらく考え、文化祭のときのことを思い出した。
「ごめんごめん、俺の名前わかる?」
「……青木陸だろ。覚えてる」
「おお。お前、意外とクラスメートの名前覚えるんだな」
「失礼だな」
思わずそう返すと、陸は楽しそうに笑った。
「だって文化祭のときに同じ担当で、ちょっと話したくらいだろ。よく覚えてんなって。もっと人の名前とか覚えてなさそうなタイプだと思ってたわ」
「どういうイメージだよ」
「なんとなく」
そんな他愛もないやり取りをしながら、陸が三の足元に視線を落とす。
「でもマジで上手いな。昔やってたって言ってたけど、どんくらいやってたんだ?」
「結構前だから覚えてない」
「それでこの滑りかよ」
陸は呆れたように笑いながら、自分のボードへ視線を戻した。
「じゃあ、せっかくだし三日間よろしくな」
「こちらこそ」
「よし、行こう」
二人は並んで斜面へ向かい、陸が先に滑り出すと、三も少し遅れてボードに体重をかける。
白い雪面をエッジが切り、二人の滑った跡が緩やかな弧を描いて斜め後ろへと残っていった。




