21話 過ぎゆく季節の中で
茶白さんの背中を撫でながら、優がふと口を開いた。
「そういえば」
「ん?」
「海の家の後は何をしていたんですか?」
三は少し考える。
「特に何も」
「何も、ですか」
「勉強したり、本読んだり」
優は少しだけ笑った。
「なんとなくそんな気はしていました」
「古暮は?」
「私ですか?」
少し首を傾げて
「特に変わりませんよ」
そう言いながら茶白さんの顎を撫でる。
「そういえば、書店でラノベを買いました」
三は少し意外に思った。と同時に胸がチクリと痛む。
「絵柄が可愛らしいのでこれがいいかなと」
三は、優が手に持ったその表紙に見覚えがあった。自分も以前読んだことがある本だった。
「…ああ、それ面白かった」
三は少しだけ拍子抜けしつつも、正直な感想を口にした。かつて優に本を貸す約束をなかったことにした記憶が脳裏をかすめる。
「坂倉くんも読んだならこの本買って正解ですね」
そんなことを気にした様子もなく楽しげに話す優を見ていると、胸の痛みも少しだけ薄れた。
優に撫でられる茶白さんは気持ちよさそうに目を細める。
風が吹き空き地の草が揺れた。
遠くでは蝉が鳴いている。
三は少し溶け始めたアイスを口に運んだ。
「そういえば俺も、あのあと三雲と勉強した」
優が顔を上げる。
「勉強会ですか?」
「そんな大層なものじゃない」
「どうでしたか?」
「うるさかった」
優が吹き出す。
「目に浮かびます」
「勉強してる時間より話してる時間の方が長かった気がする」
「三雲くんらしいですね」
優は納得したように頷いた。
茶白さんがごろりと寝転がり優は自然な手つきでお腹を撫で始めた。
「課題は」
三が聞く。
「まだ三分の一くらいです」
「意外だな」
「そうでしょうか?」
「もっと進んでると思ってた」
優は少し考えてから首を横に振った。
「そんなに要領良くないですよ」
「そうか」
「坂倉君はどのくらい終わったんですか?」
「半分くらい」
「早いですね」
「これといった用事がないからな」
優は少しだけ笑った。
蝉の声が続く。
青空には雲がゆっくり流れていた。
茶白さんだけが満足そうに喉を鳴らしている。
◇
茶白さんがむくりと起き上がる。前足を伸ばし、大きく身体を反らせた。ひとしきり身体を伸ばしたあと歩き始めた。
それと同時に、優が立ち上がった。
「そろそろ帰ります」
「そうか」
三も立ち上がる。
何もついてないアイスの棒を握りしめレジ袋に突っ込む。
「じゃあまた」
「また、学校で」
短く言葉を交わし、それぞれ別の方向へ歩き出した。
家に帰り冷房の効いたリビングで本を読みながら過ごしていると、夕方になっていた。
玄関が開く音がする。
「ただいまー」
リビングへ入るなり、こちらを見る。
「あ」
三の顔を見るなり、ニヤリと笑った。
「お兄ちゃん今日外出たでしょ」
三は眉をひそめた。
「なんで分かった」
「出たんだ」
「……」
しまった。
咲は満足そうに頷く。
「へー」
「……」
「やっぱりね」
そして続ける。
「で、何しに行ったの?」
「コンビニ」
「ふーん」
咲はじっと三を見る。
「本当に?」
「本当だ」
実際、コンビニには行った。
嘘は言っていない。
咲は何か言いたげだったが、結局それ以上は聞いてこなかった。
「まあいいや」
そう言って冷蔵庫を開けた。
三は本を開き直す。
遠くで、また蝉の声が聞こえた。
それから夏休みは、思ったよりもあっさりと過ぎていった。課題を進めて、本を読んでいるうちに八月も終わる。
そして夏休みが明けた。
教室には日焼けした生徒がいる。
髪を切った生徒もいる。
夏休みの話をする声があちこちから聞こえてきた。三は自分の席に座りながら、それらをぼんやり眺める。
だが、そんな空気も長くは続かなかった。
すぐにテスト期間が始まったからだ。
テスト初日の朝。
「やばい」
蓮が机に突っ伏した。
「何が」
「テスト」
「まだ始まってもないだろ」
「だからだよ」
三は呆れる。
「夏休みに教えただろ」
「教えてもらった」
「じゃあ取れ」
「そんな簡単に言うなって」
蓮が不満そうに顔を上げた。
三は肩をすくめる。
そのままテスト期間に入り、気付けば最終日になっていた。
最後の科目が終わった瞬間、教室の空気が一気に緩む。三はシャーペンを置き、窓の外へ目を向けた。
空はまだ高い。
けれど吹き込んでくる風は夏休み前より少しだけ涼しくなっている。
季節は確実に進んでいた。
三は窓の外から教室へと視線を戻す。
教室の後ろでは、誰かが次の行事の話をしていた。




