19話 蓮の家で
後片付けをしている最中だった。
「それ、こっちで大丈夫ですか?」
優が食器を運びながら尋ねる。
「うん」
三は頷いた。
以前ならそこで終わっていた会話も、今日は不思議とぎこちなさがなかった。
「じゃあ持ってきます」
「頼んだ」
短いやり取りを交わし、優は歩いていく。三も次の食器へと手を伸ばした。
ふと視線を上げると、少し離れた場所で蓮がこちらを見ていた。
何か考えるような顔。
けれど、
「蓮ー!」
色晴の声が飛んでくる。
「そっち終わったならこっちも手伝って!」
「あー、今行く!」
蓮は一瞬だけこちらを見たが、すぐに視線を逸らして作業へ戻った。
その後は四人で手分けしながら片付けを進めた。
机を拭き、椅子を戻し、残った食材を運ぶ。
昼間の騒がしさが嘘のように、海の家は少しずつ静けさを取り戻していく。
気付けば片付けが終わる頃には空が茜色に染まっていた。最後の机を運び終えたところで、色晴が大きく息を吐く。
「よし、終わり!」
その声に全員の力が抜ける。
「やっとか……」
蓮が椅子へ崩れ落ちる。
優も近くの机に手をつき、小さく息を吐いた。
三も肩を回した。
「みんなお疲れさん」
店の奥から店主がやって来る。
日に焼けた顔に笑みを浮かべながら、四人の前に立った。
「今日はありがとね」
「いえ」
色晴が代表して答える。店主はポケットから封筒を取り出した。
「これ、少ないけど」
「え?」
蓮が顔を上げる。
「手伝ってくれたお礼」
そう言って、一人ずつ小さな封筒を渡していく。
三も受け取る。
中を覗くと、数枚の紙幣が入っていた。
「いいんですか?」
優が驚いたように尋ねる。
「いいんだよ。ちゃんと働いてくれたんだから」
店主は笑った。
「むしろ安いくらいだ」
「ありがとうございます!!」
蓮が真っ先に声を上げる。
「今日の疲れ全部吹き飛んだわ!」
「現金なやつ」
色晴が呆れたように言う。
店主も楽しそうに笑いながら手を振った。
「また暇だったら来てくれ」
「もちろん!」
蓮が即答する。
「じゃあ今日は解散かな」
蓮が怪訝そうな顔をした。
「今日"は"ってなんだよ」
「さっき『もちろん!』って言ってたから」
「そ、それは」
一本取られたと図星を突かれ不服そうな顔をした。確かにさっき言ってたなと三も思い出す。
「それとこれは別だから!俺は行かないからな!」
何と何が別なのかはわからないが違うらしい。
「冗談だよ。今日はほんとにありがとね」
そういって色晴は笑うと、パンっと手を叩いた
「じゃあ、解散」
◇
色晴の掛け声を最後に、それぞれ帰る支度をし始める。
優は色晴と2人で何かを話しながら歩き出した。
三も荷物を肩にかけ、その場を離れる。砂浜を少し踏んだところで。
「あ、三」
後ろから声が飛んできて思わず止まる。振り返ると蓮が小走りで追いかけてきていた。
「ん?」
「今度数学教えて」
「やだ」
「即答かよ」
「面倒くさい」
蓮は笑って、少しだけ肩をすくめた。
「今度俺ん家来てやってよ。頼むから」
「行かない」
「そこをなんとか」
「無理」
蓮は一度黙る。
それでも、すぐに言葉を足す。
「ほんとちょっとでいい。課題だけ見てくれ、出ないと終わるんだよ」
「終わるって何が」
「俺の夏が」
「軽い」
「重いわ」
少し間。
三はそのまま歩き出そうとして、ふと止まる。
蓮はまだその場にいる。
「……どのくらい残ってる」
「三割ぐらい」
「本当は?」
「……七割」
三は思わず眉をひそめた。三割ならまだしも、七割はほぼ終わっていない。
少し考えてから、小さく息を吐く。
「……1日だけだからな」
蓮の顔がぱっと明るくなる。
「本当?!」
キラキラした視線を手で払うようにしながら、やれやれと頷いた。
そのまま歩き出すと、蓮が隣はやってきた。
「じゃあさ、明日とかどう?」
「気分次第」
「わかった」
蓮は笑って、軽く手を振った。
「じゃ、連絡するわ」
三は一度だけ横目で見てから、また前を向く。
◇
結局、その翌日。
三は蓮の家の前に立っていた。
来るのはいつ以来だろうか。少なくとも小学生の頃以来だ。あの時はゲームをしによく来ていた気がする。
インターホンを押すと、数秒後に勢いよく扉が開いた。
「来た!」
「うるさい」
「本当に来るとは思わなかった」
「帰るぞ」
「待て待て待て!」
腕を掴まれ、そのまま家の中へ引きずり込まれる。リビングを通り、二階へ上がる。
「こっち」
案内された部屋を見て、三は少しだけ意外に思った。もっと散らかっていると思っていた。
教科書や漫画が置かれてはいるが、足の踏み場がないほどではない。机の上もそれなりに片付いている。
「なんだ」
蓮が怪訝そうな顔をする。
「いや」
三は部屋を見回した。
「意外と綺麗だな」
「意外との意味を聞こうか」
三は答えなかった。
代わりに机の上に置かれた問題集へ視線を向ける。
「で、どこ」
「無視!?」
「数学だろ」
「そうだけど!」
蓮は不満そうな顔をしながら椅子に座った。
「ここ」
三も仕方なく向かいへ腰を下ろす。
そして数分後。
「なんでここでマイナスになるんだよ」
「移項したから」
「あー」
「たか先が説明してただろ」
「そうだっけ?」
「てかマイナスとか日常で使わないだろ」
「使う」
「使わない」
「気温とか」
「冬だけじゃん」
「借金」
「嫌な例出すなよ」
蓮は頭を抱えた。三は問題集へ視線を落とす。
だが、思っていたよりは真面目にやっているらしい。途中までの式は合っている。
ただ単純に理解が追いついていないだけだ。
「ここまではできてる」
「マジ?」
「マジ」
「俺天才じゃん」
「違う」
即答すると蓮が不服そうな顔をした。
そのまま解説を続ける。
十分ほど経った頃だった。
「なあ」
蓮がふと口を開く。
「ん?」
「昨日なんかあった?」
三はシャーペンを止めた。
「なんで」
「いや、なんか」
蓮は曖昧に言葉を濁す。
「別に」
「ほんとに?」
「特に何もない」
三がそう返すと、蓮は少しだけ黙った。
何か考えているようにも見えたが、すぐに肩をすくめる。
「ならいいや」
「なんだそれ」
「何もないなら、それが一番だろ」
そう言って蓮は問題集へ視線を戻した。
三もそれ以上は聞かなかった。ただ、少しだけ不思議だった。
昨日も今日も、蓮はどこか考え事をしているように見える。だが聞いたところで答えない気もした。
「で、ここなんだけど」
案の定、次の瞬間には問題集を突き出してくる。
「またか」
「分からん」
「さっき説明した」
「さっきより難しくね」
三は小さく息を吐いた。
やはり来るべきではなかったかもしれない。
そう思いながらも再び解説を始める。
しばらくして。
「分かった!」
蓮が声を上げた。
「本当に?」
「たぶん!」
「分かってないな」
「ひどい」
だが先ほどよりは手が動いている。少なくとも最初よりはマシだろう。時計を見る。
気付けば三時間近く経っていた。
「終わり」
「もうちょい」
「帰る」
問題集を閉じる。蓮は露骨に残念そうな顔をした。
「冷たくね?」
「十分付き合った」
「それはそうだけど」
三は立ち上がり、鞄を肩に掛ける。蓮も渋々立ち上がった。
「でも助かった」
珍しく素直な声だった。
少しだけ間が空く。
「次も…」
「断る」
「まだ言い終わってない」
「聞かなくても分かる」
蓮が笑った。
玄関へ向かう。
「じゃあな」
「おう」
三は軽く手を上げ扉を開き、外へ出た。
夏の日差しはまだ強い。
明日もまた暑くなりそうだと思いながら、三は家への道を歩き始めた。




